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2004-



小林勇一作
リンクが切れていたのがありました、一番最初の列です

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青春18切符で雪の青森へ(全俳句短歌と写真)2004-12-25

旅の経過については時事問題24へ
存続あやうい栗原電鉄(末枯の野を行く一両の電車)2004-12-17
パリの秋(東駅より)2004-12-8
トランジットで岩沼→柴田→仙台へ(俳句短歌エッセイ)2004-11-17
阿武隈の魅力は道にある2004-11-12
川俣から東和へ秋の俳句と写真2004-11-6
柿の話(俳句エッセイ)(評論と鑑賞)2004-10-13
飯館の秋(俳句短歌紀行) 2004-10-8
失われた馬との生活(俳句エッセイ)(評論と鑑賞)2004-9-18
月山の花の写真と俳句-2-阿賀野川の津川駅写真と俳句 2004-8-7
フラワ-長井線で白鷹町へ(俳句、短歌、写真の部)2004-6-19
冬の旅の記録へ(青森へ)
大江戸春の絵巻の詩2004-2-24
村の俳句から江戸時代を偲ぶ(生活感覚の俳句2)2004-2-18
江戸の生活感覚の俳句 2004-2-
江戸時代の魅力 1月30日(評論と鑑賞) 2004-1-30
日本詩歌紀行地図に「松江と常夜灯」アップ2004
秋の阿武隈高原から二本松へ(俳句短歌−詩−写真集)

三春まで(春の阿武隈を行く)2004-3月(1)
三春の春(2)

注意⇒英語の俳句は自己流だから正しくありません
英語の勉強のために試しに出しています
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2004年10月29日(金)
近くの畑


今日も来て畑の手入れや虫の声

毎日毎日ホ-ムペ-ジを直したり書きこんだりこれも畑の手入れだ。
ホ-ムペ-ジも毎日となると俳句一句でも結構楽じゃなくなる。でも毎日ということにインタ-ネットの意味がある。聞こえるのは虫の声かもしれないが手入れはかかせないのだ。それは山の仕事でもなんでも毎日手入れしていかないと廃れるのだ。

2004年10月28日(木)
ソフトと将棋

戻しつつソフトと将棋夜長かな

枯菊に新種の菊や街変わる

俳句であれ文学も変わる、時代によって変わる、明治時代に俳句が新しくなったのは時代が変わったためであり子規とか一人の天才が変えたのではない、技術の変化でそうなる。将棋は今やソフトと通信が主になりつつある。これは全く人と対面でやるのとは違う、前は通信でやっていたが一回ミスすると負けるのでやめた。ところが強いソフトとやりはじめてからソフトとばっかりやっている。これが機械だから味気なくて面白くないかというとかえって面白いことに気づいたのである。何回も前に戻して勝つまでやれるのだ。そうしても勝つには大変な労力がかかることがわかった。それだけソフトは段クラスであり絶対弱いのは勝てない、一回勝負では絶対勝てないが巻き戻しのように前に戻してやり直し何回もやっているとやっと勝つのである。だからかえって面白いのだ。醍醐味がないかといったらそうでもない、一手で勝敗が分かれる大熱戦になるのだ。今どき対面的に将棋をさすことはよほど暇でないとできないし相手が段クラスの人など普通いないのだ。特に田舎にはいない、それがいつも文句も言わずいつでもパソコンのソフトは相手してくれるからかえって将棋の面白さがわかったのである。技術が変わると遊びも変わるのである。パソコンとゲ-ムはもともと相性がよかったのである。ファミコンなどからパソコンが始まったからである。

俳句もまた時代によって変わるのであり生活が変わるからその題材や新しい季語もでてくる。例えば自転車であるがこれも種類がふえた。最近買ったブリジストンのトランジット(transit)というのは前が16インチで後ろが18だからこんなものオモチャかと思ったがこれが意外と快速に走る。街や近辺を乗り回すなら十分だしこれで折り畳み電車でちょっと外出するのは便利だろうがまだしていない、これもまた生活の変化なのだ。生活が変化するから文学も芸術も変わる、artが技術という意味なことがわかる。前にも述べたがartは日本で言う単なる芸ではない、大きな技術であり世界を構築する技術なのだ。自転車も前は後ろに荷物をのせることが重視されていた。荷物を運ぶためのものだったのだ。今は自転車は用途により違っている。スポ-ツ化したことは確かである。マウンテンバイクはでこぼこ道に適するしロ-ドは遠くに快速に走る、クロスバイクはやはり街を走るに適している、そしてこのtransitは折り畳みちょっと街を走り回るのには十分である。自転車も用途によりいろいろ種類が変わったのだ。一番いいのはこれらの種類を一緒にしたものマルチ自転車だかこれはできない、水陸両用の自動車のようなものである。

原町の方に今度ハ-ドオフの建物が建てられていた。これもまた全国に広がる店である。パソコン関係のものが売れるからである。インタ-ネットの世界も今までにない世界を経験している。これも今までの旧メデアと違うからその利用方法がわからないのである。旧メデアでプロがまだインタ-ネットにコンテンツを出さないのもそのためである。どう利用ししていいかわからないからだ。そうこうしているうちに取り残されるということになる。インタ-ネットではむしろ今までのメデアやプロの人より素人の人が活躍しやすいのだ。ビジネス的にもまだル-ルがなくやりにくいからだ。自分が水を得た魚のように書いているのもそのためである。インタ-ネットは本のように一年に一回とか普通の人は一生に一度とかそれも死後50年とかにやっと本が出されるような世界ではない、毎日リアルタイムで発信するのに向いているのだ。今日発見した菊は変わっていたこれは新種の菊なのだろうか、デジカメにとりこれをすぐホ-ムペ-ジにアップする、これがインタ-ネットの強みである。これが雑誌に発表すると一カ月あととかになり旬でなくなる。リアルタイム的表現ができることこれがインタ-ネットである。だからホ-ムペ-ジは毎日くらい更新されないと死んだものになる。見る人も少なくなる。そういうメデアなのである。

2004年10月25日(月)
秋の薔薇、枯菊


秋日さし古木二本の農家かな

誰が家や今日一人見ゆ秋の薔薇

枯菊や街道沿いを帰るかな

相馬の方に行った。いかにも秋の薔薇らしいのが咲いていた。デジカメが電池切れてとれなかった。デジカメは電池が問題だ。原町に行くのと相馬に行くのとは雰囲気が違う、やはりこれも歴史的なものがあるのか、相馬は何か陰気になる。自転車で日帰りできるのは相馬、原町、飯館までである。

2004年10月24日(日)
忍耐と沈黙の木


秋の暮静かに耐えてもの言わじ大木一つ里に根づきぬ

苦しくも何をか言わむ言うべからじ静かに耐えて時を待つべし

人間大事なのは忍耐の涵養である。忍耐なきところに幸いもない、この世の中いろいろ物質的にも精神的にも不自由はあるしいやなこともあるがそれをいちいち腹たてていたらきりがない、だから忍耐が大事なのだ。今の時代なんでも性急である。すぐに何か成らないと手に入らないと騒ぐ、昔の人は忍耐力があったが今の人はない、特に若者は不満だとすぐに腹いせの行動をする、それが殺人までになるから怖い、忍耐力が不足している。忍耐と沈黙これが欠けているのだ。自然は忍耐と沈黙である。そこに平和がある。

フレーム
2004年10月22日(金)
折り畳み自転車 transit


トラジットに秋風さやか町まわる

I turn around my town
by my small sized bicycle
the name is tranzit
the fresh winds breezimg in autumn 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

fresh -- it blows in the style of autumn
 and turns around a town by the bicycle

ブリジストンの前が16インチで後ろが18インチの折り畳み自転車買った、これはおもちゃだと思ったら意外と早いし走りもいい、これは予想していたと全然違っていた。意外と軽快に走るし結構遠くまでも行ける、今までの折り畳み自転車は思いのと大きいので運ぶのが大変だった。これなら軽く運べるだろう、でも10キロは軽いのだが運ぶとなると自転車は大変なのだ。15キロになったら重くて大変だ。自転車は軽いのがいいのだ。ただこれはタイヤが弾力がないところが弱点だった。はずみがないと段差ではひびく、前を小さくしたのはとにかく軽くするためだった。
荷台は東京で買ったものであり自転車を入れる袋であり前の駕籠は百円ショップで買った。2000円で駕籠は売っていた。これで遠出する計画である。荷物はあまりつめない、負担がかかる。

緑のが下の機械翻訳したものを変えたものである。それなりに意味が通じているのかわからない、ネテブの人がどう読むのかであるが英語の俳句はそもそも成り立たない、この短さはやはり日本独特の感覚と視覚と風土から生まれた文化であり外国にはあてはまらないしなかなか理解されるのもむずかしいのだ。

2004年10月21日(木)
無花果(いちじく)


塀越して隣の無花果実るかな

a fig fruits in the next house
over the hence

■無花果(イチジク)

エデンの園のアダムとイブは、禁断の木の実を食べると、裸である自分たちが急に恥ずかしくなり、イチジクの葉で前を隠したといわれます。聖書にもたびたび登場するイチジクは世界最古の栽培果樹といわれ、なるほどその幅の広い葉っぱは前を覆うにはちょうどいい形をしていると納得できます。

「無花果」
無花果と書いて、いちじく。外側から花が見えない状態で実がつくから、この字が当てられたと。いちじくの名の由来は、なんと中世ペルシア語まで遡ります。ペルシア語の「anjir」(iはちょっと違うのですが表示できないのでゴメンナサイ)が中国での「映日果」(インジークォ)になって、日本で「いちじく」なんだそうです


イチジクは確かに葉なのか、実があるのか見分けがつきにくい、柿だったらすぐにわかる、たいがい実は緑でないから葉と実は別なものとして見ている、果実がないとは見た目でそう名がついた。イチジクは相当に古いものであり栽培果樹とすると聖書が書かれたエデンの園は果実の栽培園もかねていたのかもしれない、そもそも聖書は古いけど意外と新しくもある。バベルの塔とかノアの方舟は実はあとから相当にあとから回顧して伝承にもとづき書かれたのである。そういう事実はあったのだがあのように聖書として正式に伝えられ固定化したのはかなりあとなのだ。一つの戒めとして代々教えられた。事実であってもその教訓が大事にされたのだ。事実だけを書いてもそれは歴史とはならない、そこに何かしらの意図をくみとる必要がある。神の御意がどのうように働いたかを記したのでありそれを読み取ることが大事なのだ。

この句はは俳句らしい、これもただ写生したのだがそれで深い意味をよみとれる。隣に実ったものでもそれはその家にだけにとどまらない、塀を越して実りはもたらされる。これはどんな実りでもそうである。経済であれ、知識であれ、技術であれ実りは自分だけに一軒の家だけに留まることなどないのだ。また留めることもできないのだ。それが冨であり福である。

フレーム
2004年10月20日(水)
丹波栗


 丹波栗語るサイトや秋深む

丹波栗を説明しているサイトがあった。ドングリで調べていたら偶然にまた丹波栗がでてきたのだ。丹波栗とキ−ワ−ドをいれたわけではなかったが読んでみると面白い。インタ-ネットの特徴は偶然にででくるものが面白くて読むということが多いのだ。百科辞典だったら目当てのものしかでてこないし他はあまり読まないのだ。それがインタ-ネットでは必ず探している以外の別なものを読みとり入れている、これも今までにない経験なのだ。インタ-ネットはまだまだこれが何なのかわかっている人はいない、こういう経験をしたことないからだ。明らかに本ではない、名何なのか知識の連鎖的反応というのか不思議な世界である。知識は無尽蔵にあり体験もそれぞれ違うからそこでこれらを結びつけると厚みと深みがでてくる。これはとても個人ではできないことである。何か書くものにとっては非常に便利なものなのだ。図書館ではこういうことはできない、なぜか図書館を一冊一冊の本を読むのであり一部分を読んでそれをつなぎ重ねるとかそんなことはめんどうなのである。図書館はかえって調べるには不便なのだ。文章を書きながらわからないことを調べそれを即座に自分の文章に合成させることが文章を書くものにとっては便利なのである。合成写真や合成編集、合成絵画・・・・これがインタ-ネット的なことなのだ。

2004年10月18日(月)
三輪の秋の薔薇


秋の薔薇三輪ひそかまたここに

three quite roses in autumn
in beauty on the selfsame road




フレーム
2004年10月17日(日)

   ただ拾うドングリ百個実りかな

熊騒ぎで自然保護団体がどんぐりを山にまけと提案した。ところが熊が落ちたどんぐりを食わない、木になっているどんぐりしか食わない、これも自然がわからなくなっているから自然保護団体自体もおかしくなる。どんぐりは縄文人が食っていた。これも大変な作業でありそれでもどんぐりは大事な食料だった。ということは熊も食っているとなると縄文人は熊が食うものとにていたものを食っていたのだ。熊が生きられた森や山は人間も生きられた。熊が食っているものと同じようなものを人間は食っていた。熊がまだ日本にまだかなり生息していることはやはり原始のまま山が森がまだ残っているからである。日本は世界で一番森の比率が大きい、山の国なのだ。

どんぐりはドンは何なのかわからなんけどグリはハマグリなどグリでこれはグリグリするとか硬いもので石のことであった。それがクリとなりドングリとなった。縄文人はハマグリであれクリであれドングリであれ最初はグリと言っていたことは確かである。今はドングリは熊の食料くらいで何の訳にもたたない、阿武隈山系には熊はいない、一時熊が出たというニュ-スがあったがどこからか紛れ込んだのであり阿武隈には熊自体は生息していないのだ。

ただで拾ってきたドングリだかこれも実りなことは実りである。これは今や遊びとしてしか用がないのか、それでも実りである。

2004年10月14日(木)
月見草


咲き残る月見草あわれ雨にぬるこの道一人今日も行くかな

この道を我が行くひそか秋の薔薇

roses in autumn
on the selfsame road
in secret

なんかまた雨だ、今になっ秋雨の季節だ、月見草はかなり長く咲いている花だ。なんかでも大きく咲いたの見なかった。しぼんだような小さいのしかなかった。

今日ちょっと英語のサイトを回ったら中国人が俳句なのか短歌なのか、短い4行詩のようなものを書いていたサイトがあった。おそらく外国語では俳句や短歌を作るのは無理だ。あのような形式がいい、あれならshort poemとして成り立つだろう。
英語の詩を読むのはむずかしすぎる。その言葉よりむしろバラだったらバラからイメ-ジするものは世界共通なところがある。私も前にバラの句を作ったりしたから多少同じイメ-ジを詩にしたのがあった。同じ道というときselfsame roadとしていた。selfというとき自分の道という意味だろう。

an almanac is seen 
and age is counted 
birthday 
which the daughter gave 
socks of winter 


これは訳が日本語ででている。一句くらい誰でもいいのを作っているのが俳句である。これは比較的簡単だからわかる句だろう。

http://www.asahi-net.or.jp/~km3k-stu/poem.htm




縦書き表示のをデジカメでとった、やはり日本語は縦書きなのだ
特に文芸関係は縦書きでないとあわない、ソフトでやはり縦書きで
読んでみるべきだ。プリントしろというがこれはちょっとめんどうになる。
縦書き表示になるとホ-ムペ-ジではうまくいかん

2004年10月12日(火)
柿の歴史


旧道を今日も行くかな柿なりぬ

柿なりて街道行けば一里塚


柿というのは何か質実なもの堅実なもを示していないか、ちょっと他の果物とは変わっている。昔の道を歩む、そこに柿がなっている、この柿と昔の道は良くあうのだ。果物というと外国産の果物はバナナでも食うだけであり日本にはなっていない、これは変なことなのだ。日本の土地に根付いたとき日本でとれるようになったときそれは食うだけでない文化となる。柿は寒冷地向きなのだろうか、橘というと南国をイメ-ジして万葉集にも盛んに歌われた。柿はなかった。柿の栽培はあとであった。山柿などはあった。柿について調べればいろいろ面白い、インタ-ネットの便利さは柿というテ-マでイメ-ジをふくらませて調べることができることなのだ。大垣というのは字からして柿と関係ないと思っていたが大柿のことだった。柿を基にした地名だったのだ。これに関しての逸話がありなるほど大垣は大柿なのかとその意味がわかり新たに歴史を見直すことになるのだ。柿についてはいろいろあるから地名散策でも書いてみよう。

2004年10月11日(月)
蛙がまだ鳴いていた


蛙鳴く声の聞きたり稲刈らる

蛙がまだ鳴いていたから蛙はまだ冬眠ではない、そろそろ冬眠となるが冬眠まではまだ時間がある。動物に季節の移り変わりがある。熊が里にでるのも冬眠の準備で体に脂肪をたくわえねばならぬ。食うねばならぬからだ。動物との共生は人間的にするのだ。対馬8万頭ものイノシシを殺したことは異常なことである。動物みな殺しの思想は良くない、ただ対馬は土地がないからその被害が大きかったのだ。それにしても対馬に八万頭もイノシシがいたということはそれだけの食料があの島にあったことなのだ。それが驚きでもあった。

時事問題21へ(熊が里に出て人を襲う)

2004年10月9日(土)
金木犀と三つの部屋


部屋三つ金木犀の匂いかな

I have three rooms
filled the fragrance of KINMOKUSEI 

山鳩のむつむや山の秋の夕

部屋を三つもっている。やはり思索するものにとっては知的なことを仕事にするには書斎が不可欠である。アパ-トのような狭い所に住んでいたら窮屈で思索にも影響する。書物もある量は必ず必要である。インタ-ネットで今は半分くらい用がたせるがまだまだインタ-ネットの知識、情報は貧弱である。三つの部屋があっても一つは書庫のようになり書斎自体は狭いから実際は窮屈である。何より環境が変わり静寂が失われた。自動車の音がこんなに聞こえるようになったのが痛かった。思索するものにとって静寂は一番大事なものである。こうしたものがそろわないと知的な作業がむずかしい。それから暇なことと邪魔が入らないことである。頻繁に人が来るようでは思索(詩作)できなくなる。だから知的な仕事には結婚とかいろんな世の中の仕事に従事すればそれに追われてほとんどできなくなる。なぜなら知的生産はそうした環境が整わないとできないのだ。こうした環境が整うと能力は発揮できる。これは才能ではないのだ。インタ-ネットでこれほど自分が書けたのも意外だった。そういう場が与えられたから書けたのである。書くということも結局才能ではない、絶えず書いていると書けるようになるのだ。ということは例えばどこかの出版社でも新聞社でもそういう場にいれば仕事が与えられれば書けるようになったことは確かである。人間は才能もあるが何かに絶えず励んでいればできるようになる。書くということも絶えず書いていることが大事だったのだ。

山鳩は飯館の秋で書いたつづきである。飯館には山鳩がにあう、飯館に行くとなぜかしんみりとするから不思議だ。

フレーム
2004年10月8日(金)
金木犀


金木犀の香り紛々一部屋に

銅制の壺や金木犀をさしにけり

今金木犀を一枝盗んできた、ふんぷんと香る、たまたまあった銅の壺だろう、これが金木犀にあっていたみたいだ。インタ-ネットはこうして今の時間を報告する、これが醍醐味である。そしてぱっと金木犀を活けるにあった壺があるようにインタ-ネットでも即座に何か反応がありそれに相応した句など見つけると面白いのである。

2004年10月7日(木)
前畑と鶏頭


朝早み鶏頭赤し前畑に

朝早いといっても8時だった、それでも今日は飯館の方に出かけたから早かったのだ。前畑と前田については前にも書いた。前田と前畑は名字になっているように大事なのである。自分の家の前が自分の畑であり田んぼで仕事場になっていることは
何か充実感があるだろう。大地に根ざした生活がそこにある。一方土地もなく工場勤めとか遠方に働きにゆくのとは違う、生活自体の自然とまさに自然と一体となった充実感があるのだ。

飯館に行くにも一日がかりだ。坂を越えたら2時になっているからだ。飯館からさらに行くと日帰りはできない、つづきは明日だ。

2004年10月6日(水)
秋の蝶


雨露の夕べ光りて秋の蝶

黄色の秋の蝶がかなり飛んでいた。あんなに見たのはめずらしい。
秋の蝶はまた死んだのも最近みかける。なんかまた急に冬みたくなった。

2004年10月5日(火)
山の墓と虫の音


虫の音や声なく山の墓所あわれ

山里に虫の音聞かむ墓あわれかそけき生よ誰か知るらむ

じさ原には二つの墓所がある、一つは新しい墓地である。そこには「安らかに」とか文字だけの墓があった。戒名がない、都会ではこういうのがふえているだろう。戒名がいくらだとか馬鹿げているからだ。田舎ではまだめずらしい。でもだんだんこうした墓がふえてくるだろう。

もう一つの墓は墓というより粗末な石の塚である。名前さえよくわからない、墓も作るのに金がかかる。だからただ粗末な石を並べただけの墓である。こういう墓所も山などではよくみかける。それは古い場合があるのだがこれも明治以降である。江戸時代のものは極めて少ない、東北では少ない、江戸時代のものではっきりわかって残っているものは実際少ない、石碑でも意外と明治以降のが多いし明治以降は残り安かった。江戸時代のかなりまれである。たいがいの墓地でも江戸時代のものが残っているのはわずかである。江戸時代のものは貴重である。

人間の最後は結局、みんなかそかに終わる。自分もそうである。あの墓所にしても名前さえからないのである。それが大方の人生である。だから有名になりたいとか望むのはよくない、自分もついに60年間、俳句でも短歌でも発表する場さえなく終わっているということでもわかる。知られずに消えてもよしとせねばならぬ。今の時代に知られている人間は何か詐欺的な人が多い。マスコミで名前の大きくなった人はほとんど名前だけが拡大化された人が多いのだ。商業主義で売り出される人はやはり問題なのだ。かえってインタ-ネットは商業主義から離れた媒体だからここに真実が現れるということもあるのだ。

ともかく墓は人の世の無常を示す場所である。特に近代的な最近の墓所ではなく古い墓所がいいのである。感じることが多くなるのだ。鎌倉とか京都などそうした古い場所の墓をめぐり昔を偲ぶのがいいのはそのためである。

2004年10月4日(月)
秋の蜂


秋なれや弱りし蜂の我が部屋に

弱った蜂が一匹部屋に迷い込んでいた、放したら飛んだが死ぬのかもしれない、弱りし蜂とかなんかそうしたものに同情するのはやはり年のせいである。自分の体が年とともに弱ってゆくと弱った蜂にも同情する、これもなんでもないものだが若者には若者の詩や俳句がある、老人には老人の眼から見た俳句ができる。弱った蜂とかに自分が重ね合わせる、まあ、老人とは言えないにしても老人的なものにはやはり深いものがあるのだ。老人になってみないと見えないものがある。

年一つつもるや雪の小町寺 蕪村

冬ざれや人音絶えし小町寺 高桑義生

年一つつもる・・・・この表現は不思議である。これは実に不思議な句である。年一つつもってまた小町寺がある、小町というのは美女で知られた女性である。それが遠い過去となりまた年ひとつつもってゆく、積もってゆくという表現が不思議なのだ。年一つ積もってまた無常を示す小町寺がある。年一つつもる度にやはり世の無常をこの寺は示している。年つもって無常がまさってゆくことなのか、いづれにしろこれは不思議な句である。もう一つはわかりやすい、つまり美女であっても老女になれば誰ももてはやさないし訪れるものもいない、そうした寂寥を示している。しかし自分にはかえってこの寂寥が好きである。もともと自分には華やかな所には全く縁がなかった。恋愛も結婚もない、だからかえってこの寂寥が気持ちいいし常住の世界である。この方がしんとして気持ちがいい、京都にはこうして昔を偲ぶところがあるからいい、京都なんかでも冬の方が今では風情があるかもしれない、あまりにも観光地化しすぎたのだ。観光地化したところはたいがい風情がなくなっている。

秋の蜂

ここに秋の蜂の句がある。庭に死んでいた蜂である。これは類似俳句として鑑賞するといい、ただ著作権の関係でここでは出せない、ここにあるよとリンクをはりあとそれぞれ読んでもらうのは問題ないしいいのである。他人の作品を集めて直接ホ-ムペ-ジに出すのは問題があるみたいだ。許可をとったりしないとまずいかもしれない、勝手に知らない間にいろいろ評論されるのも困るからだ。このへんちょっとむずかしい。

2004年10月2日(土)
仙台にゆく
海近し阿武隈河畔に秋の風

月冴えて仙台に買う新書かな

柿なりて二代つづきぬ歯医者かな

昨日は仙台に久しぶりで行ってきた。これも何ヵ月ぶりだった。阿武隈川を汽車でわたるときこの句ができた。秋風にはふれないが岩沼で蛇行してここからはかなり海に近い、この川からも船が出て江戸まで米が運ばれていた。河畔となるとやはり大きな川でないとだめだ。福島県では阿武隈川である。外国には大きな川が多いから河畔がある。河畔に発達した都市がある。

仙台では月がさえて光り新書何冊か買った。一冊は2500円とか高かった。今専門的な本は高くなった。これもやむをえないだろう。本は金のかかるものなのだ。だからめったに今は本を買わない、本とインタ-ネットの違いは本は一冊として中味あるもの読むのにはいいが何かを調べるのにはかえってむいていない、リンクしていないからだ。情報がネットワ-クしていないのだ。秋は頭のさえるときだから読書にはいい、今読書は自分がホ-ムペ-ジで書くために参考にするために書読んでいる。ただ漫然と読むだけではない、自分のテ-マを追及するために読んでいる。

歯医者でもそうだが医者だけは二代三代までつづくのが多い。あとは今や時代が激しく変わるからつづかないのが多い、商売なんか一代もつづかない、ピ-クはすぐにすぎてしまう。こういうのもよくない、農家とは三代つづいて一人前と認められるというからこういう世界は息が長いからその時間の中で文化が育ち後世に伝えられてゆく、その中に自然とともに生きる智恵も知らずと伝えられているのだ。