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今日の一句一歌
2003 謹賀新年5月
6月の部へ

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(2003)

特集 折りたたみ自転車で小名浜まで
通信実験(三春まで)(三春までの自転車旅行の記録
(4月16 )    
再び三春へ(4月22日−)一部(船引まで)写真追加
 二部(三春)を加える
故郷の春を写す4月21日
自転車で相馬へ 5月5日

大悲山磨崖仏(写真と詩)(小高)
五台山の神秘5月29日

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5月29日

人去りしゲ−トボ−ル場に濃紫の菖蒲の
咲きて夕暮るるかも


田舎でにぎわっているのはゲ−トボ−ル場とか老人が多くなっている。若者的なものは少ない、ただ暴走族がいて土曜日辺り飛ばすのでうるさい。
理想的には子供も若者も中年も老人もバランスよくいて街もそうなっているといい。一万くらいの町は若者向きのものは少ない。自分の町も1万8千だったが今は1万2千になってしまった。一般的に町の人口は減っている。市の人口は増えている。どうしてもそうなりやすい。いづれにしろ老人が集まっても去ってもひっそりとしている。ゲ−トボ−ル自体人気がなくなってきたいることも確かなのだろう。ただ一時どこにでもゲ−トボ−ル場は作られた。それが一つの景色となったことは確かである。


5月28日

サイクル車朝走り行くホトトギス



この自転車で五台山まで行ってきた。五台山には花は咲いてなかった。
これはブリジストンのクロスバイクでタイヤが太いのと乗り心地がいいのだ。スイスイと走る。ハンドルがもちやすくなっている。自転車はメ−カ−品でないとだめである。安いのは作りそのものが悪いのだ。
五台山については写真など加工して明日だしてみよう。
それから小高の磨崖仏を久しぶりで見に行った。きれいに整備されていた。これも明日写真とともに出す、写真を加工するのに手間がかかるのだ。家の工事もまだ終わっていなかった。余計なことをされて手間がかかったのだ。家はちょっと簡単に直すというわけにはいかない、必ず余計な手間がかかり金がかかるものなのだ。こちらの要求と一致しないのである。それで思った通りにならないのだ。家では2、3百万は無駄している。5百万くらい無駄だった。家に手を入れるときりがなくなるから困る。家を直すことは怖いことなのだ。金が半端じゃないからだ。老人は他には金は使わないが家には金は使うのである。


5月27日

老鶯やあわれ田舎にいつくかな

老鶯に蛙の鳴くや田舎かな


老鶯という季語も変わっているがこれも誰が名づけたのか不思議である。それなりに意味あるものなのだ。だからそれにふさわしい句もできる。老鶯と蛙が鳴いている。そこになごみがある。田舎にはまだそうした自然のなごみがある。心を和らげる自然がある。老人になれば田舎の方がいいから山が過疎になり都会に行くのはつらくなる。人間も自然の一部だから自然があって心も正常に働くのである。「老鶯や離れ屋一つ隠居かな」ともなる。江戸時代あたりは50で隠居していた。現代では50からあともし30年生きるとしたら確かに長い、つまりもし30年生きるとしたらこれからかなりのことができる時間があることになる。ただ50過ぎるといつ死んでもおかしくないということが常に念頭にでてくる。50まで生きた人はやはりすでに人生を生きたのである。それなりに結果がでてしまった年齢である。だから結果として何か実りをもたらしたかを示さねばならない年齢である。そして人生の厳粛さは後悔ができない、やり直しができないのだ。もちろんあと30年生きるとしたらまだまだ勉強も手習いもできる。でもその前の30年はとりもどすことができないしそれについてもはやとやかく言うことができないし後悔しても許されない、つまりお前が自分で選んだ人生に責任を持ちそれを全うするほかないしやり直しはできないのだ。ある宗教団体や組織に従属してやってきた人間はその組織の一員としてロボットととして死なねばならない、それの見返りもあるがもはやその人の個性ある人生をやりなおすことはできない。空間は取り戻すことができる。時間は絶対に取り戻すことができないのだ。50になろうが60になろうが世界という空間は旅することができる。それにしたって冒険旅行は無理になるから若い時しなければならないことをしないとあとは二度とできなくなる。一番浪費されるのは時間なのである。



夏鶯山中に来て生養ふ 森 澄雄.

老鶯というキ−ワ−ドで検索するとこれがでてきた。この句が確かに自分の句と同じ感覚からできたものである。こういうものが俳句には結構ある。確かに一見同じ感覚ではないように見えるが老鶯の声を聞き、生を養うというのはまさに田舎だから山中だからできることなのだ。老鶯というキ−ワ−ドから一つのつながりをを見いだしそれから文を書くとインタ−ネットの場合、前に自分がしたようにインタ−ネットは生きてくる。俳句の場合必ず同じ感覚で作ったものがかなりあるしそれを読み込む、深く読む作業が必要なのだ。結局著作権の関係でそれができないのだが明らかに「老鶯」というキ−ワ−ドで老鶯から俳句やその他漢詩やら詩の世界を深めてゆくことが向いているのだ。老鶯の句や短歌や漢詩かなりあることに驚いた。老鶯のなかでさらに名句を選ぶのもインタ−ネットでは向いている。


5月26日

鉄線の異なる種類隣合う庭に咲くかな我が見てをりぬ



普通鉄線というと紫が多いがこれも鉄線である。隣の庭は自分の前になってしまった。隣の家は自分の部屋とくっつくように建てられてしまった。だから見晴らしは全然良くない。前は遠くまで見えたので時々外を見ては気分転換を図っていた。知的生活には気分転換が不可欠である。閉鎖された状態では息苦しくなる。閉ざされた空間、中庭とかその中庭を歩む空間、歩廊とか高いところから見晴らす空間があれば理想的である。日本ではこうした住空間を持っている人は少ない、日本は国土が狭いから土地に贅沢できないのだ。ただ都会ではいくら豪華な家に住んでも自然がないから見晴らしが得られないから損である。家は立地条件が大事である。それがないと家そのものにも価値がなくなる。ともかく隣には他の家にはまた別な花が咲く、同じではつまらない、地域ごとに個性があり地域には地域の個性が生まれる。個々人でも同じである。みなそれぞれ違うから個性があるから面白いのだ。その点集団化したところはすべて一様化するからつまらないのである。


5月25日

芍薬の蕾あまたや今日開く

many positive blooming buds of shakuyaku
one of them openes today



芍薬の蕾は多い、写真の加工がめんどうできれいにできなかった。なんか切り抜くのがむずかしいのだ。これは俳句というより
庭に咲いている花の報告である。インタ−ネットは時々の変化を伝えるのに向いているからライブだからこうなる。ただわかったことは花にしてもいろんな角度からとると違って見えるのだ。
だからデジカメでいろんな角度からとってみるといい。ここではふくらんだ蕾を目立つようにとった。ただ加工の点で雑になってしまった。

5月24日

夏菊やクロスバイクに街を行く

ブリジストンのクロスバイクは乗りやすい。自転車はやはりメ−カ−品が頑丈で良くできている。これはタイヤが太くスイスイと走る。マウンテンバイクは重くなるとのりにくい。これはかなり軽いから走りやすいのだ。


5月23日

日永きやまた道二つに分かるかな

two parted ways again
still in the daytime
in spring

道は二つに分かれる、この道を行ったらどこに行くのか、道は人をどこまでも誘う、まだ行かない道がある。その道の先に何があるのか、道は未知だった。昔はこの道は神秘的だった。知らない世界に通じていたからだ。現代は情報過多の世界でありすべてが知っているというかわかってしまった世界のようになっている。でもそれはメディアによって知ったと思っているのであり実際に旅していればええ、こんな所があったのかと驚くことがある。もはや汽車の旅に驚くことはない、しかし道を行く旅は尽きることがない、道は分かれまた別な道があるのだ。その道の奥にやはり人が住んでることも不思議である。安達ヶ原の鬼婆とかも何が棲んでいるのかわからないからそんな伝説も生まれた。旅自体実に未知なる体験に満ちていたのだ。現代は未知がない時代だ。不思議なことにこんなに情報があふれる時代でも実感ととして五感で体験している人は少ないのだ。テレビや本やメディアを通じて知った世界ではない、自ら歩み五感でこの世界を知った人は少ないのだ。本当に旅をして五感で知った人は少ない、これだけ便利な世界でも皮肉なことに本当の旅は消失しているのだ。本当の旅している人は非常に少ないのだ。余りに便利すぎてそうなってしまったのだ。

この道のいづくへ行くか我が知らじ奥山深く人の棲むかな

とにかく道には必ず迷う、迷って行き暮れて石になったとかそうした伝説も生まれる。昔の人は確実に道に迷った。地図もないし道は先の見えない未知の世界だったのである。だから常に発見があったのだ。驚きがあったのだ。今はそうした発見や驚きの旅がないのだ。ここに文明の不毛がある。体験の希薄化がある。現代の情報化は濃厚な体験ができない時代なのだ。昔だったら隣の村さえ神秘的だった。というのはそこ不便だから未知の世界になっていたのだ。未知にあふれていた時代だったのだ。



5月22日

五台山隠遁台地と誰が名づく延齢草の咲き静まりぬ

五台山は相馬藩と関係あった。故事があるのだが良くわからない、相馬藩の藩主と関係あった。隠遁したから名づけられた。それなりに謂われがあった。でもあそこは最近自転車で行ってわかった。それまで知らなかった。延齢草があったから今は咲いているころだか自転車で行くとなると大変である。最近なんか梅雨寒のような気候になっているのも気にかかる。からっと晴れないのだ。それで遠出できないのである。


5月20日

白百合やアレキサンドリアに海の風

white lilies bloom open
sea breezes in Alexadria
in twilight


これは詩にしたが詩になると散文的になる。俳句や短歌のいいところは韻文のように定型として収まることである。だから短い中に無駄がなく表現できる。詩は無駄があると締まりがなく訴える力もない、詩はだからリズムであり韻文でないとだめなのだ。ただ日本語は俳句と短歌までは無駄のない韻文として作れるのだがどうしても長くなると散文的になる。言葉の性質上そうなる。純粋の日本の詩は五七調の大和言葉になる。それは多分に情緒的であり力強さにはかける。自分の詩を自己評価すると詩というより散文になっているのだ。才能の欠如もあるがだらだらとしたものになる。その点俳句と短歌は定型に収まるのでしまりがでてくるのだ。




5月18日

家一軒書斎の持ちて君子蘭

五本松昔の道や藤の花

野球場の後ろに映える夏の山

老鶯やベンチ四つ空きてあり

若者のサイクリスト行く夏の夕



知的生活にはなぜ書斎が必要かというと調べるためなのである。本を買うのも今は読まなくても必要なとき調べるためだった。でも個人でそろえる本は限られている。しかし図書館に行っても図書館というのも使いづらいところなのだ。コピ−するにもいちいち許可をとったりなんかめんどうなのである。地方では本の量も少ないから利用価値が低い。自分にとってインタ−ネットは常に手元にあるので便利なのだ。調べるものが見当たらないにしても地方の図書館より本屋よりその情報量は桁違いである。丹念に探せば結構それなりのものが集まる世界になっているのだ。探すということが大変だが田舎に住むものにとってはこれだけでもすごく便利である。だから今は本はほとんど買わない、インタ−ネットの情報ですましている。特別調べるなら別だがそれなりのものはあるからそれですましてしまう。金もかからないということで便利である。とにかくいつも手元にあって知的探求ができることが大事なのだ。これは日常的にしていることだから常に手元にないと効果がないのである。


5月17日

芍薬の日に日にふくらむ蕾かな




5月16日

新しきス−パ−に通うや白詰草

I go shopping to the new super-market
close to my home along white clovers


ダイユ−8ができてやはり便利だった。毎日のように行っている。自転車で近いから雨の日でも行ける。買い物も結構一仕事なことがわかった。老人は買い物すら満足にできないのだ。白詰草は北海道にふさわしいものだった。一面の白詰草の真っ直ぐな道を自転車で走った時は爽快だった。



5月14日

夏の蝶はや他の庭へと舞い去りぬ

butterflys in summer swiftly
has been dancing away
to another garden from my garden


朝に黒揚羽と黄揚羽が庭にきて去って行った。やはり夏である。

5月12日

夕風に藤のそよぎて旧道に松一本の残るは良しかな

夕暮れや旧道帰る松と藤


5月11日

一時に十輪の牡丹散りにけり

a blliance of ten Botans
It lost in front of me
at a few days

十輪の牡丹も一時に散った。華やかな時は短い。青春も短い、すべてのこの世の栄光も短い。永遠の栄光はこの世にはない、十輪咲いて散るのはそれなりに圧巻だった。そこにはまぶゆい輝きがあった。でも今ももうないのだ。
メニエル病で二本松に旅行には行けなくなった。不測の事態はいつ起きるかもしれない、これが人生なんだ。明日のことは誰もわからない、今日に最善を尽くす他方法はないのだ。明日の日はないかもしれないのだ。50も過ぎれば・・・



5月9日

若者の路傍にたむろしタンポポの綿毛飛び散る真昼間の街



5月8日

蛙鳴き里の日暮れぬ姥柳



我が町に生まれ住んだ人が東京で老年になり故郷に帰りたいとしきりにいっているという。過疎になっている山でも老人は子供がいなくなっても残っている。やはり都会より田舎の方が老人にとっては過ごしやすいのだ。老人になると生まれたなじんだ土地を離れなくなる。蛙の声も聞こえない都会はいやになる。蛙の声を聞くだけで人間を心を和らげるものがあるのだ。アザラシのタマちゃんフィバ−になっているのも都会から野生のものや自然が喪失したからである。突然都会のど真ん中に野生の動物の出現は心を和らげるものがあるのだ。

故郷の春を写す


    5月7日
十輪の牡丹の一輪散りにしを
     我が知らざりき豊かに咲けば

       
しあわせや十輪の牡丹我が庭に




これまで4輪くらいしか咲かなかった、牡丹が今年は十輪も咲いた。肥料をやったせいかどうかわからない、十輪咲けば圧巻である。やはり身近に花を見るのと外で見るのとは違う、文化も身近にあって日頃接する中に育つ、田舎の問題はそういう身近に施設などがないことだがインタ−ネットはその代わりになる。毎日一日中パソコンに向かっているからそこに豊かな世界があれば自ずと自分の世界も豊かになるのだ。十輪も咲いたから一輪散ったのはわからなかった。まだ牡丹は咲いているがまもなく散るだろう、牡丹は何か花としては重たい感じする、重い感じの花は少ない、牡丹くらいかもしれない、ずっしりと十輪重き牡丹かなともなる。
 
    5月4日

夕蛙セブンエレブンに今日も行く

セブンエレブンでの支払いが多くなった。紙一枚もっていって簡単に支払いできる。セブンエレブンは郵便局の代わりになる。自転車で旅行するときも必ずよる身近な存在である。気軽によれるのがいい。パン一つくらい買っていつも週刊誌をさっとただ読みしている。でも品物は少ないから買い物はス−パ−である。買い物が結構毎日ある。老人は買い物すらできないから困るのだ。隣近所には店はなくなっている。自転車にも乗れないから歩くとなると遠いのである。


    5月2日

山陰にキクザキイチゲとカタクリや
     ひそか愛でにし我が一人かな




キクザキイチゲとはキクににているから名付けられた。正確にはキクザキイチゲイチリンソウという名でもあった。これは山中に残雪のように白くかたまり咲いている。花はそもそもその咲く場所が問題である。庭に咲いていい花もあるが山中に咲くにふさわしい花も多い。花は都会とかごみごみした所にはふさわしくないものが多くある。本来は花は女性に例えられるが薔薇には刺があるごとく女性にも魔性やら怖いものがひそんでいる。他に中国の宮廷とか権力にかかわる場所にも本来の純潔な花にはふさわしくない場なのだ。山中にひっそりと咲く花は一人で見に行くべきものだろう。人間も汚れたものだから10人も集まればそこからは派閥争いやら指導権争いや妬みや憎悪や虚栄や様々な悪徳がでてくる。人の集まるところ組織のあるところ権謀術数になるのだ。それは宗教団体だろうが学者の世界だろうがすべて衆知のごとくである。10人単位でもそうだとしたら千人万人百万人などという組織は宗教団体でも悪徳の巣なのだ。10人単位でもそうであるからそんな場所に出入りする人間は汚れているし汚れをいとわないからそれだけの莫大な数を集めるのである。結局本当に花の美を知るのは仙人のような一人かもしれない、とにかく花はそれぞれ神秘的なものである。



ここにいい写真あり

http://www.city.kashiwazaki.niigata.jp/hidamari/nethidamari/katakuri/katakuri2.html

直リンクは禁止されているのが多い、ただURLを記すのはいいのかもしれない。


    5月1日
 
    タンポポの絨毯に遊ぶ雀かな

   菜の花や女性の仕事仲間かな

詩も日常の中にある。女性が仕事をし終えて仲間で帰る。そこに菜の花が映えている。菜の花は庶民的な花である。組合にふさわしい花である。仕事自体今は味気ないものが多いが自然の中で仕事もあるべきなのだ。工場から出てそこに自然があるのがいい、都会にはそれがない。自然の中で自然に溶け入り仕事している人は一幅の絵なのだ。それが外面的に貧しくみすぼらしく見えてもそうなのだ。仕事の中にも常に自然はあるべきであり自然に飾られて人間は美しいのである。コンクリ−トジャングルのなかではすべてが醜くなってしまうのだ。そんな中で高価なブランド品を買っている金持ちの女性も醜いのだ。美と醜は見る人から見ると全然違ったように見える。自分も若い時は自然の美というのを余り感じなかった。自然の美こそ本当の美であり見飽きないし深いものになってゆく。近くだけでも自然の美を本当に感じている人は少ないのだ。特に山なんかは近くで身近で見ていないとわからないものである。その姿は千変万化するのだ。その人の気持ちによっても変わるからである。