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通信実験(小旅行)三春まで



4月16日
 

原町の太田の方から三春の方に行こうとしたが時間的に間に合わなくなり小高を回り帰ってきた。




誰が眠るいくつかの碑いぬふぐり

蛙鳴き村の道の辺碑を尋ぬ

碑もあわれ土に埋もれむいぬふぐり



ここは前にも通って句を作った。何回も通って句にしている。季節が変わると違って見える。この中で一つだけ江戸時代のものがあった。それが土に埋もれそうになっている碑である。誰かが埋まっている墓なことは確かである。「文化」と記されているからそうなのだ。あとは明治とか大正である。墓とか碑を見ると江戸時代のものが極めて少ない、古いと思っても明治とか大正になる。ただ江戸時代のものがあるということはここが古い村の墓地だったかもしれない、江戸時代のものがあればそこは古いし貴重である。

途中五台山という登山として道を整備した所があり10人くらい登山にきていた。登山する人は普通この辺の山ではみかけないのだがここはハイキングコ−スとして道を整備したから来ているのだろう。簡単に登れる山であり登山というほどではないのだ。カタクリやキクザキイチゲが咲いていた。




カタクリや中高年の登山かな

幾人(いくたり)か里山上り初音かな

里山というと実際は生活で山の人が密接にかかわった山でありハイキングに来る山ではない、里山という感覚もわからなくなった。こうしたものは実際の生活感覚から生まれるのでありそこに意味があるのだ。里山とは薪をとったり生活上欠かせない山が里山であった。それがなくなるとそうした言葉も何か過去の遺物的な言葉の感覚になってしまう。時代とともに言葉も変わりその意味がなくなり歴史の遺産みたいになることがある。

春の風山の奥よりも吹いてくる

海からではなく春の風は山の奥からも吹いてくる。その風に誘われて山を分け入ってゆく。


百輪の椿の赤き誠かな

一すじの滝のひびきや芽吹きかな

梅の香や山の奥処へつづく道















百輪千輪の椿が咲いている。山の椿は一際赤い。それだけの誠の花が咲けばこの世は美しくなる。百輪咲けばである。それだけでこの世は十分に明るくなる。その百輪がなかなか存在しないのがこの世なのだ。さて梅の香りがここにも流れ道はつづいていたが今日は帰ってきた。また旅の季節がやってきた。ただ三春の枝垂れ桜はまだ咲きはじめであり見頃になっていなことが問題だ。気候がいいのでまた明日も出かけたくなった。これから遠くに出かけたくなる。体を動かしたくなる、体がかなりなまってしまった。
三春の滝桜は咲き始めでありまだである。これは一度は見たいが自動車がないとむずかしい面がある。
あと一週間くらいで見頃だがその時期に合わせることがむずかしい。とにかくまた三春を目指して行こう。



里山−中山→奥山という分類がある。里山とは新しい言葉らしい。里地というのがありこっちの方が古いらしい。昔の人は里山は暮らしの場だからわざわざ里山とは言わない、つまり木の橋がありふれたものだから木橋とは言わないと同じである。客観的にみる、学者や外のものがまたは新しい意義を見いだそうとするものが里山と名付けたのだ。ということは里山という言葉が流布したときすでに里山は衰退していたからこそなつかしさをこめて里山を復興させようとなったのだ。里山といえば自分も昔鉄砲風呂というのがあってそのたきつけのために近くの山に松葉屑を広いに行った記憶がある。そこは山ではない丘だが身近に生活の足しになる場だったのだ。鉄砲風呂は北海道の旅でライダ−用を泊めている宿で五右衛門風呂とかを作りもてなし喜ばれていた。山村の衰退の一番の原因は炭を作ることがなくなったことなのだ。炭作りが大きな収入源だったからである。今の石油と同じ役割を果たしていたからだ。



里地

里山の研究
http://www.smn.co.jp/takano/kamogawa.sato.html



阿武隈の春の道

春なれば遠き道しも
訪ね来る人のありしも
山陰の淋しき道に
あわれかな石一つ
何を語るや変わらずに
ここにありて訪ねける
春風はさらに山のかなたゆ
吹きそよぎつつ誘わるる道や
三春の町へとつづくかな
五万石の城下町なり
山中にその城跡殘り
伊達に嫁ぐとめご姫の物語
三春の名の良きかな
枝垂桜に山間の町は染まりぬ
阿武隈の山間ぬいて道はつづきぬ
かしこに遠く三春の町ありと
春の日や心なごみぬ
塩を運ぶと塩浸(しおびたし)の地名
その苦労をここに語り継ぐ
その道は相馬よりもつづくかな
かつてこの道に我が祖の家
今廃れてありしも淋しき
墓のみぞ山に埋もれてありぬ
山中にも栄はあるべし
葛尾大尽の屋敷跡と広き庭
誰が女人か化粧しぬ
手鏡一つ残るかな
つつみの音も幽遠にひびけるや
春の月照らして映す
在りし日の影ぞ集いて
山中に遅き花散る
謂われある石の一つや
山陰に変わらず殘りて
確かに訪ぬる人のあるべし