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2003 謹賀新年 9月
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9月30日

月繊く虫の音かそか狭き庭

狭き庭数輪残る秋の薔薇

秋の薔薇庭に咲き暮れ石二つ

a little red roses in autumn
two settled stones
in my yard in the evening

春に部屋に置いた小さな薔薇を庭に植えたら何輪かまだ咲いていた。
2月の部にその薔薇の写真がある。秋まで咲いている。薔薇はなかなか散らない花なのだろうか、今日は肌寒く風が吹き外に出れなかった。この一句一首も毎日つづけるのがむずかしい。ただインターネットは毎日書くものでありまた連続性があるものなのだ。ああ、あの部屋に置いた小さな薔薇が庭に植えて咲いていたんだね、なるほどとこのペ−ジを連続して読んでいた人はわかるのだ。つまり個人がこんなふうにとにかく毎日書くこと表現することはできなかった。それが今までのメデアと違うのだ。

秋の薔薇庭に咲き暮れ石二つ

この秋の薔薇は春から咲いていた薔薇である。これを知ってこの句を鑑賞すると味わい深いものとなるというよりそうした経過を知らないと句も鑑賞できないのだ。俳句は短いからこうした説明が必要なのだ。それがインターネットではできるのだ。ただ毎日書くとなるとやはり私でも他の人でもつづけるのがむずかしくなってくる。まあ、ちょっと中断したがまた書けるだろう。毎日とはいかなくても書き続けることは確かである。



9月27日

会津の秋や側女の墓並ぶ

松平家滅びて一山墓の秋

蝉しぐれ松平家の墓の山


会津の松平家が一山が墓になっている。まさに墓が記念として残された一角である。そこに戒名が女性の墓がある。それは側女の墓なのだ。その戒名からわかった。それが三つくらい仲良く並んでいた。今ではただ静かで声もないが生前はそれなりのかなりの女性の確執があったのかもしれない、歴史はリアルに感じると興味を持つ、ドラマは本当の歴史ではない、かえって歴史の真実は目立たなくなっている。戒名が女性だから多少なまめかしいのだが今ではこの墓からそして戒名からしか偲べないというのも無情である。会津には歴史の集積がある。相馬には規模が小さいから歴史が身近に感じられない、確かに相馬野馬追いはあるが具体的な人物が浮かんで来ないのだ。自分の想像力のなさといえばそれまでだが殿様にしてもリアルに浮かんでこないのだ。


9月26日
 
秋の燈や相馬に古りぬ老舗かな

城下町には老舗がにあう、相馬の場合、城下町といっても城もないし偲ぶものが少ない、でも原町と相馬では雰囲気が全く違う、原町は商業区であり相馬は何か古さを感じる。城下町特有の町割りで雰囲気が違うから老舗というのがにあう。秋が深まってゆくのだが今年は晴れる日がない、それで外に出てゆくこともできない、困ったことである。米も浜通りはかなり不作である。

9月25日

南への旅より帰り秋燕そは南へ帰りゆくかな

人間もできるなら渡り鳥のように南と北にすむといい、すると生活に変化があり生活の幅ができて面白いのだ。沖縄の魅力は沖縄は半分外国である。地理的にもそうだし琉球王朝が現実にあったし別な国だったのだ。みちのくはすでに万葉時代に蝦夷が征服され大和のなかに組み入れられた。沖縄は14世紀まで日本の国でなかったのだ。別な王朝があったのだ。だから外国なのだ。天皇が日本の王だとすると沖縄には別に王がいたのだ。だからその王の子孫という人が現実に生きていた。その娘が短歌など残しその歴史を語っている。その娘は滋賀県の彦根の藩主の子孫に嫁いだ。沖縄は一時はアメリカにもなったごとく日本では唯一半分外国なのだ。そして沖縄のもう一つの魅力は沖縄から東南アジアへ、海を通じてひろがってゆくことである。それが琉球王朝の最盛期だったのだ。この沖縄を基地として出口として広い東南アジアの海へつながってゆく魅力が大きいのだ。つまり日本の辺境である。中国の辺境がシルクロ−ドに通じる所の砂漠であったごとくそこは半分異郷になるという特殊な環境が魅力あらしめているのだ。

9月24日

白壁の土蔵に秋の日ざしかな

ようやく秋の日がさしてきた。毎日がどんよりした日でいやになった。
今年は気候が本当に変だった。暑くなったり寒くなったり今度はかなり寒くなった。


9月22日

荒れ狂う波のひびきに虫の声

台風はそれたが波は荒れていた。ここの海は親しみを感じない、荒寥とした海である。魚はとっているし漁師もいる、馬鹿高い「石鰈」を売りにくるが買っている。海は漁師のように関係しないとここでは海は隔絶した別な世界になっているのだ。沖縄の海はここの海とは全然違う、砂浜がありイノ−(礁湖)がありリ−フがありと別に漁師でなくても親しみやすい親和的海である。だから海が身近に感じるから芸術の対象ともなる。ここでは海は今や砂浜もないし海はレジャ−の場とすらならない、荒れた海にかすかに虫の声がなく、これは対象的である。

ヘシオドスによると海を恐れ保守的な農民となった。海洋民のギリシャでも海は恐るべきものであり農民の方がいいとなったのか、詩的にロマンチックに考える自然とか生活は違っている。現実は常に厳しいものなのだ。虫の声は農民的生活にはあうが北の海にはあわない。


荒浪のひびき残して台風の一路去りにき海鵜の飛びつつ

今自分の海に台風がきた、その海の様子はどうか、それをすぐデジカメでとってはホームページにだす、俳句にしたり短歌にしたりしてだす、台風は沖縄から本土をよぎり北海道までゆくのだ。その臨場感をホームページでだすことは可能である。浪の様子などまたそれを俳句や短歌で報告するのだ。すると今作られたものをよむのだから臨場感がでてくのだ。では日本全土をよぎる台風の情報をホームページから知ることはできないのだ。どこのホームページがいいのかわからないしすべて個々のホームページにはアクセスする余裕はない、せいぜい二つ三つくらでありその報告は調べることもできないのがホームページの弱点である。ある点、地点に関心があったらその情報はつかみやすいが多数の点となると手間暇かかかりできないのがホームページなのだ。

9月18日

秋の蚊も命や殺しあわれかな

大きな秋の蚊を一匹殺した。これも一つの命であり命である限り物ではないしこの蚊にしても燕のエサになったりするのだから何かしら生命の連鎖のなかに意味あるものとして存在する。インドのへジタリアンは蚊まで殺さないようにしているのには驚く。命あるものにはあわれがある。このあわれという表現、感情は日本独特のものらしい。生命、あらゆるこの世に存在するものは常住すくものではなくうつろい、変化して、消えてゆくからあわれなのである。人間が力なきものでありだからあわれなのだ。これは西洋にはない感覚なのだろう。西洋には建築にしても持続する強い意志があるのだ。日本人はすべてあわれであり何かを歴史の記憶でも固定しないのだ。中国は歴史にこだわるのも記憶を固定させて後世に伝えようとする意志の顕れである。日本にはそれがないことは言える。

9月14日

風さやか真野川沿いに波うちて鳥も飛びつつ薄なびけり

台風の余波の風が吹いた。それで薄が真野川に波うつようになびいている。みちのくの真野の萱原・・・・にふさわしく真野川沿いに薄がなびいていた。確かに一面に萱原がなびく光景があたことは確かである。みちのくにふさわしいともいえる。その頃はまさに萱原なびく荒野だったのだ。そんな荒野を面影にして見ゆというのがとういうことなのかわからない面がある。奈良でも萱原はあったし珍しいないはずである。奈良時代に今のような都会とは違う。回りはやはり萱原なびく荒野だった。今でも奈良はそうなっている。ただちのくというと開けない荒野ということで萱原になったことは言えるだろう。



9月13日

旧道をたどり帰るや秋の蝉

cicader’s voices of autumn
I come back slowly
to my home
along the old way


原町へ六号線を行くのだがその脇の旧道をいつも行く、旧道の方が落ち着く道である。そこには古い松があったり沼があったり古い碑があったりそういうものを見つつゆっくりと帰ってくる。
新国道は自動車が流れるコンベア−みたいでつまらない、旅行するときもこういう道を通ったら面白くない。今年は天候不順でこのペ−ジも毎日つづかない、今日もどんよりと曇っているのだ。


9月9日

岩松氏の菩提のあわれ秋の蝉

岩松氏については「相馬郡の部」で書いた。こういう類の歴史は多い。裏切りは世の常であり権力争いも世の常である。ただ俳句でもこうした地方の歴史でも知らないと深く味わえないから歴史は勉強するべきなのだ。

岩松氏の伝説

9月6日

でで虫に蝶の眠るや里の道

この道にでで虫ひそか眠るかな行く人まれに今日も暮れにき


南のでんでん虫は種類も多いし大きいから存在感がある。南国でいいのは動植物の種類が多いことである。でんでん虫だけでも多種多様なのがいて面白いのだ。動植物に触れる環境では南の方が恵まれている。子供のときでもこうした生きた動植物に触れないと情操が育まれない、コンピュタ−のゲ−ムの動植物は実際の生きた動植物とは違う、まず本物に接しないでコンピュタ−の生物を生物と錯覚することは危険である。文明人はこうした生きた生物と触れる機会が少なくなっている。それでアザラシのタマちゃんなどが現れると新鮮な驚きとなるし何かなごみを与えるのだ。本物の生物と人口の生物は全然違う。ロボットと心通わすことはできない。人間は人工的にいろいろな機械を作っても生命そのものは一つも作りだせない、物質的なものでも無から有を生み出すことはできない、人間がやっていることは自然界にあるものを加工しているだけである。全く新しい物質とか生命を一つも作り出せないのだ。ここに人間の限界があるのだ。すべては神が作ったものであり実際人間が独自で生命を作り出してはいないのだ。神は全く無から有を作り出せる奇跡を起こすことができる。人間はいくら科学が発達してもそれはできないのだ。


9月5日

 水澄みて流れる前に菩提かな

 大石に秋の日さして山の家


飯館の方に自転車で久しぶりに行ってきたのは良かったが体調を壊した。最近やっと胃の方が直ったが体力は回復していない、そしておかしな天候もつづいている。晴れたの一日だけでまた曇ってきた。とにかく天候不順だ。

沖縄に一カ月いたらなんか生活のリズムが狂った。天候も何か狂っている。沖縄ではきれいな水が流れるのを見たことがない、海はきれいだがそもそも川があっても泥川なのだ。暗川(くらがわ)という地名があるが沖縄の川は暗い、森の中の暗い所を流れている。本土の川とは全然違う。墓の前を秋の澄んだ水が流れているのは気持ちがいい。墓も都会のようなゴミゴミしたところにあるのはいやだ。やはり自然の中のきれいな所で眠りたい。どうも沖縄に行ってからこのペ−ジがつづかない、天候不順と題材不足になっいるからか、なかなか毎日つづけることがむずかしいということもある。


9月1日

秋冷のラインの岸辺ポプラ立つ

coolness in autumn
a lined poplars
on the river side of the Rhin


ドイツは寒い、ポプラは北海道とか大陸ににあう、広い平野に真っ直ぐに立っている。ラインも川が広いからその岸辺に立っているポプラがにあうのだ。中国でも楊柳とかはポプラの一種であり砂漠にもあった。大陸的広いところににあうのがポプラである。さわやかな風が川をわたりポプラの木にそよぐ、時々旅を思い出すのも旅のつづきである。ある光景が心に残っていれば思い出して詩もできるが忘れればできない、ある光景を心に残すにはどうすればいいのかじっくりその場の雰囲気を味わうことだが団体旅行ではなかなかできない、早すぎるのだ。今年は天候不順でまたここは寒くなった。どうも季節感がおかしくなって俳句も作れない、ただ自分の場合沖縄旅行で十分に夏は味わった。それでまだ胃の調子が悪いのだ。ヨ−ロッパは特にドイツは寒いから秋がにあうといえる。今の時代暑い所であり寒い所でも外国旅行ができるから詩作の範囲は広がっているし自分の国だけに留まることはない、地球そのものが題材となっている恵まれた時代なのでありそれだけスケ−ルの大きな詩や芸術ができるはずなのだ。日本の場合特に外国旅行は実際ここ10年くらい盛んになったのだから外国が一般レベルまで日常化することはなかったのだ。俳句もだから外国を題材にして作ることは新しい試みになるのだ。