小林勇一作

岩松氏の伝説


姓の意味するもの



マルハシャリンバイはここが南限の地となっている。奄美大島辺りが原産か
この辺は東北でもあたたかいのである。

沖に船自転車行きて車輪梅





 岩松氏の伝説と主従墓

 時は鎌倉幕府の末期、北朝、南朝に別れ熾烈な争いの始まりし時、後醍醐天皇につき鎌倉幕府の北条氏を滅ぼせし八幡太郎義家を祖とする足利、新田氏の一派の岩松氏田中城主真野五郎の跡を継ぐべくみちのく鹿島に足利義満氏より所領を賜わり鎌倉よりはるばる太平洋の海沿いを船に来たれり。途中烏の先導により上陸した所を「烏崎」と名づけぬ。
これは神武天皇の東征の八咫烏の故事に習いしものなり。それより西に移り御所になぞらいそこを「大内」と名づけその後横手に移りそこに豪華なる館を構え「御所内」と称しぬ。その御所内には海老浜よりとりし五色の玉砂利を敷きしとそれは一夜の内に成れりと伝えられぬ。
それから岩松義政は一子専千代丸を領主として継がせ今の屋形に隠居しぬ。そこに鎌倉より持ち来たる宝物仏像を納め菩提寺を建てにき。その後重き病にかかれば専千代丸を養育し千倉の領主として長く仕えることを家臣に誓わせぬ。それを石に刻ませ誓わせた故そこを石の宮と名づけぬ。
『我が子をよろしく頼むぞ』 
『わかっております 殿 御心配めさるな   
 我等ここまで苦労を共にしたもの 後はおまかせくだされ』
『そうか それで安心じゃ』
『みなのもの この御誓いを忘れるでないぞ』
『私からもよろしく頼みまする』
奥方もそこにおわして家臣に頼みしもその誓いは虚しきものとなりにけり。
岩松氏の四天王と呼ばれた重臣四名日里、中里、島、蒔田、は共に計りてその子を暗殺すを合議して実行す。所は八沢浦のある島なり。そこより専千代丸を突き落としけり。
『なにか気がひけるの』
『そうはいっても早く相馬氏の方に付いていた方が安全じゃ』 
『戦乱の世じゃよ 我身が第一じゃ』
『殿にあのように頼まれたし我等は共に鎌倉より苦労してここまで来たものじゃ』
『それは言えるが』
『ぐずぐずしてはおられぬ わしがやってやる』
・・・・・・・・・・・・・・・・     
かくして幼君の命はかなく骸となりて蒲庭の浜に打ち上げられぬ。これを土地の人見つけ告げぬ。
「あそこに人が打ち上げられている」
「これは屋形のお子様では」   
「もう冷たくなって死んでいる」                
「なんとむごいことを早く知らせねば」
これを知り岩松氏の一族その母は川に身を投じて死にその姫も死にぬ。これに対し家臣の青田近左衞門なる者病床よりたってなじりぬ。
『お前たちはなんということをしたのだ 主君の恩を忘れしか  
 我等ははるばる鎌倉より苦労を共にここ来たのだ 恩知らずめが』  
『うるさい もう主君は死んだのじゃ 我等は我等で身を守らねばならぬ』 『なんということを 殿 怒りくだされ 悲しみのきわみでござる』
『ええ じゃまだ切ってしまい』
かくしてこの忠臣の憤りもあえなく惨殺されぬ。「ブル−タス お前もか」これ古今東西の習いなり。その奥方は大倉の方に逃れしも身重のために苦しみぬ    
     ナキビ
それで「泣叫沢」とかお産のための産湯を使いし所を「湯舟」といい奥方親子の死せし所を「姉が崎」と言い土地の十六善神を祭りぬ。それが後に山津見神社となりてお浜下りの行事となりぬ。思いば烏崎、大内、御所内、屋形などこれみな岩松氏の名残りの地名なり

  石の宮無常

 朔風吹きつけ誓い虚しき石の宮
 もの寂び残るや主君の五輪塔
 その児の悲し奥方あわれ
 悲痛の叫び地名となりぬ 


後に青田氏の霊を鎮めんと松を植えそこを「壇の木松」とし日里と言う人はその姓を変えたり。
『事は成したが何かあとあじが悪いの』
『それは言えるな』
『たたりがあるのでは』
『それはあるまい 恐れてもしょうがない』  
しかし日里家に種々奇怪なことの起これば日里氏は姓を改め郡とし殿の霊を慰めんと祠を祀りしと伝えられぬ。
今この地に岩松という姓(かばね)はなく断たれてありしも日里、中里、島、蒔田、後に日里改め郡という姓の人、その裔なる一族は確かにここに住みつづけてありしはその事件の真実なるを伝えぬ。今はただ遠い昔を語る伝説となりにし地方の権力争いの悲劇なり。
今故郷を照らす月の打ち曇り阿武隈の山脈から雪降り出して屋形の菩提寺に残る五輪塔のもの寂びて語るのみかも。   
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   

一方これも南北朝の時代、主従墓というものあるを知りぬ。今だにお盆の時墓を参るに我が主君の親王を参らずして自家の墓には詣でずという。又家には馬に履かせたという草履を大事に保存してありと。死してなお忠臣は墓とともに受け継がれぬ。松古りて落葉せし晩秋、その菩提もの寂びありしも我が越中の国を旅して知りぬ。その墓は今も昔を語り続けぬ。
『殿 今年も参りましたぞ』
『おお よく来てくれた』
『殿 好物の品々お食べくだされ』
『そなたはよく気がつくよく仕えてくれる 感謝するぞ』
『ただお家のためでござる お家がありて安泰なればこそ我々も暮らしていけまする』
『それにしても敗れし者は悲しいの』
『はあ 殿 しかし私は変わらず仕え申します 
 勝敗は時の運 勝つものもあれば敗れるものもありまする
 誠を尽くすことが大事人の道と思います
 無常の定めなきこの世でございます
 我等はたとえ敗れたとしても家臣の忠義に変わりはありません』
『よき家来を持ちて余はしあわせだ
 それにしても人間とはつくづく愚かなる者よの
 浅ましき修羅、欲の絶えぬもの、この有り様は変わることない
 人間はそもそも無知なるもの 道理の通るところではない
 それでなければこんな戦など起こりようがない
 人間の愚かさは変わることがない これは業なのか
 それが悲しいのだ まことにこの世に愚かなるもの
 無知なるものは尽きぬのだ
 何故戦い命を捨てるのかわからぬのじゃよ
 人は悪魔に踊らされてつかのま生きるんじゃよ
 馬鹿どもそれがわからむ だからこのように世の中いつも混乱している
 誰も賢者の諭しを聞くものなどいない 
 自分の無知なる欲に動かされるだけだ
 またそれを利用するものもいる 
 わずかにこの世にある生もなにやらわからず
 無知のまま、欲のままに、悪魔にたぶらかされ死んでゆくんじゃ
 無明の闇に落ちてゆくんじゃよ
 この世の無明の闇は払われることはないんじゃ
 この人間の愚かさ 無明の闇につけこんで悪魔が働くんじゃよ
 愚か者の種は尽きぬ 欲の因果は巡り 同じ芝居を繰り返すんじゃよ
 欲から脱しきれないこれが人間の業なんじゃ
 死んだら地獄に行くのか天国に行くのかわかりきったことだ
 やつら無知の無明の世界へ欲の地獄に行くんじゃよ まったく悲しいことだ
 正義だとか仏の戦いだと世直しのためだとかそんなのはうそだ
 正義とか仏すら悪魔のために利用されるんじゃよ
 もちろんそれに惑わされるやつもいるがな 
 人間一皮むけばみんな欲のかたまりなんだよ 
 だからこの世の中は変わらぬのじゃよ
 聖徳太子すら言った この世は虚仮(こけ)だ 仏法しか信じられぬと
 あの時代にすらそうであったのだ まったくこの世は変わらぬ
 何故か人間が変わらぬからだ 
 そしてこの人間というやつは滅びるまで変わらぬのじゃよ
 そうは思はぬか』
『はあ 確かに 殿のいきどおりはごもっともでございます
 この混乱の世 何を信じていいのかわからない
 日本始まって以来天皇が二つになった時代などありませぬ
 日本の頭が二つに割れ八つにも割れている時代であります
 まことに嘆かわしい時代であります
 殿のおやさしい心にはたえかねますとぞんじます』
『わしは文を好む故この戦乱の時代には合わなかったのじゃ』
『おっさしいたします 苦しくはございますが人間やはり志操を全うし死ぬのが道かと思います』
『よく言った 雪がとけ春になったらまた長浜に遠乗りに行こうぞ』
『はあ おともいたします 楽しみにしております』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・     


  秋の墓前の献花

 人よ死して何残る寂寥の風
 奢れる者も消えてなし
 駆け巡る修羅も影と消え 
 若き日も淡き夢と消え
 夢覚めしごと見れば
 老翁、老婆ここにあり
 その跡に佇む旅人の影
 はやまた秋は巡り来るかも
 思わざるに人は死ぬるに
 死ぬるが定めを人は知らざり
その骸、骸骨の凄まじきを
 今は語らぬ遠つ世の人の
 墓前に献ぐ花ぞ心にしみぬ

            
 まことにこの世は無常の世である。ただ時に利あるものを求め狡猾に身を処していかねば生きられぬのが戦国の世の習いであった。この世が無常でない世はなかった。今日栄えてあるものも明日は見る影もなく衰えている。一時の栄に奢りしものもその栄は今はない。
人はその中で無常ならざるものを求めているのである。例え負けたとしてもそれは時の運でありその時の流れのなかにも変わらぬものがある。勝った者がまた歴史の勝者として後のものに讃えられるとは限らないのである。そしてこの世の栄枯盛衰は今も続いている。
人はただただ利に奔走し利こそがすべてとして今も奔走しているのである。一国もまた利にのみ奔走する時それは無常の時の流れについえてしまいただ栄華の虚しき跡ばかりになるのである。利をもって結ぶものは利をもって離れる。過去を残酷というなかれ今日もまた人間の欲望は露骨ならざるもその姿を変えて興亡は続いているのである。そして利一色となりてその中に利ならざるものを求めることは難しいのである。

   主従墓讃
  
 我等は生きし時も死しても変わらずここにあり
 墓前に花は捧げられねんごろに弔われぬ      
 その墓は主君との固き契りを語り続けぬ
 その霊はそこに共に浮かびてその裔を見守りぬ
 死したる者も粛然として後の世に語り続けぬ
 離婚したるものは同じ墓におさまることはなし
 これは厳粛な事実であり結婚の重みもそこにあり


そしてまた冬がめぐる、その無常の墓を誰が語るのか、怨念は石となり故郷の片隅に残る。

   断たれた姓

  もの寂びて五輪塔一つ
  寥々として無念を語る
  岩松氏の姓はここに断たれぬ
  その逆臣は怖れ姓を変え
  ここに生き残り子孫を残す
  粛条と野は枯れて
  もの寂びて五輪塔一つ
  寥々として無念を語る





      姓の意味するもの


 姓と名前の意味するものは違う。姓は代々受け継がれる歴史でありまた共同体としての結束を示している。だから姓は由緒ある家のものしか持っていなかた。日本でも姓は古代においては官職についたものや権力を持った者が姓を受け継いだ。姓はまた権力あるものから与えられるものでもあった。特別の戦場での活躍などで姓は主君から与えられたのである。江戸時代まで姓をもてたのは武士だけだった。庶民は姓はなく熊さんはっつあんの世界だた。庄屋などは苗字帯刀で姓を殿様から得た。つまり姓にはそれだけ意味があったのだ。時代がさかのぼればさかのぼるほど姓は少なく平氏や源氏とかが主流でありどちらかに属することになった。姓は帰属すべき共同体だったのだ。砂漠の遊牧民では一族意識が強い。聖書でも先祖の系譜を延々とたどり失われないようにした。神の民の系譜は失われてならないものだった。ユダヤ民族の系譜が未だに失われないのは神の配慮だった。ダビデの子孫からイエス・キリストが出るというのもそう神があらかじめ定めていたからだ。旧約まではそうした神の氏族により信仰は受け継がれ守られてきたのだ。姓にはそれだけ意味があったのだ。

一方名前はその人の特徴などからつけられる。背が高いとか太っているとか親の願いも大きな要素である。賢くあって欲しいから賢造とか強くあって欲しいから剛とか正しく生きて欲しいから正一とか義一とかいろいろあるわけである。外国では英語ではなぜファーストネームがを尊重するのかこれはその人の家柄や歴史を尊重するのではなく名前だとその人の個性を才能の方を重視することになる。アメリカでは誰でも名前を呼ぶ。つまりその人の出自より個性の方が才能の方を重んじる社会だからアメリカにはふさわしいがヨーロッパにはふさわしくないのだ。伝統を重んじるイスラム社会などでは今でも一族意識が強く姓が重んじられるのだ。アフガニスタンでもそうらしい。未だに部族意識の強いのだ。日本で特徴的なことは天皇には姓がないことだ。ヒロヒトとか呼ばれ姓はないのだ。というのは天皇が平になていれば平氏に属することになり不公平になるからだ。天皇は公平な立場にあらねば一番上に立つことができなからだ。姓はこうした様々な意味を持っているのだ。

今回訪れた奥能登の時国家は源氏に敗れ流罪にされた子孫だから姓を改めた。姓が不名誉だから源氏ににらまれるから改めたのだ。こういうことは私の町の歴史にもある。岩松氏は鎌倉時代に鎌倉から移住してきたらしいがその臣下に裏切られ殺されたのである。その伝説は今も生々しく残っている。その幼い子供まで殺されたからだ。その殺した臣下はあとで恐れ姓を変えてしまった。その変えた姓の子孫は残っているが岩松という姓の人はいないのである。その悪行は500年たっても消されず残っているのだ。悪行の歴史もなかなか消されないものである。これが国家的な悪行となるとこの世の終わるまで消えない。消そうとしても祟りや幽霊や伝説となり残される、語り継がれる。岩松と姓の人がネットに岩松ネットを作っているのも面白い。こういうところにインターネットは役立つのである。いろいろにネットワークを作れるのがインターネットなのだ。これは本の世界ではできない、本は個々ばらばらになるからだ。だから本を買って読めというだけではインターネットは活かされないのである。インターネットにだすことはネットワーク化されることが避けられないのだ。リンクがさけられない道具なのだ。個々ばらばらの本ではなく一つの本にしようとしているからだ。

岩松氏の子孫のホ−ムペ−ジ

岩松地名考
http://www4.justnet.ne.jp/~fung/iwamatsu.html



目次へ