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今日の一句一歌
2003 謹賀新年-1月

2002一句一歌へ

2003-2月へ


1月31日

九人橋味噌蔵町や冬の暮


地名は歴史を語る。如実に語る。味噌蔵町というとそれだけでなんか生産と貯蔵の拠点があり頼もしい感じがする。昔は生産と流通と販売が一つになっているところが多かった。酒屋なども酒を作って売っていた。
今は生産と販売がみんな分離した。がいこくが生産の拠点となったりすることが普通だしその土地で生産したものを基礎にした経済ではないのだ。ただその生産の拠点を失うことは何か頼りなさというより実際に経済の空洞化になり日本は衰退してしまった。やはりその国に町村に市に生産の拠点があることが生活を充実したものにする。山村だって炭焼きが重要な産業になっていた。それは自らの山の木を材料にして生産し販売していたから山の生活は貧しいなりに充実したものになったのだ。グロ−バル経済の中でこうした地域の自然に則った生活が破壊される。あるところではコヒ−しか栽培しないからコ−ヒ−の値段が下がると生活さえなりたたなくなる。グロ−バル経済の歪みが極端な形で現れたのがアルゼンチンだった。ブラジルの安い製品が流れ込んで今ではゴミ集めが仕事になっているというbsで見たnhkの番組は悲惨だった。グロ−バル経済は勝ち組と負け組をはっきりさせる。負け組は極端な困窮に追い込まれるのだ。勝ち組は膨大な富を手に入れる。そういう仕組みになっているのだ。国際競争に勝てないものはそうなるし日本国内でも勝ち組と負け組が明確になる。日本も今やそういう恐怖にさらされている。


1月29日

柿の木の残る一本に寒雀


この辺が住宅地になって昔のものが残ったのは隣の柿の木一本だけだった。昔の面影はあとは何もない、変われば変わるものである。新しく移ってきた人もいて住む人も変わる。死んだ人も結構いる。このように変わるのが社会であり人生だ。またたくまに時が過ぎてゆくことの驚きである。かつてにぎわったところも今では信じられないほど閑散とした所になっているのだ。こういう繰り返しがこの世だったのだ。残った一本の柿の木にきていたのは寒雀だった。まだ春は遠い、今日も北風がビュ−ビュ−うなりふきつけた。


1月28日

北風に庭の小松も根付くかな

北風が吹き雪が降り雨が降り小松も根付く。この庭もできて二三年だが
この小松も枯れてはいない、どうも松は枯れやすいみたいだ。最近特に
松は枯れるのが多くなっている。松の弱点は枯れやすい虫がつきやすい、それでいい松は殘りにくくなっている。いづれにし庭の小松もなんとか根付いたらしい。生物だけではなく人間でもその土地に根付くには時間がかかるのだ。大木となるとさらに時間がかかる。庭というのも年輪を帯びて風格がでてくるのかもしれない、古い家の庭には何かもののけのようなものがすみ幽霊までてくる感じになる。

 
庭の小松

我が庭の小松や
植えて数年
北風の唸り
雪の降り
根付くかな
小松なれども
冬に耐えて
春を迎えむ
小松なれども
庭に良きかな
北風の唸り
雪の降り
しかして根付く
小松なれども
耐えることなく
何事も成らじ
それぞれに耐えてこそ
実りあるべし
大いならざるも
小松なれども
実りあるべし


日本は小さいものを愛す国である。小さきものはみなよしという美意識がある。茶質的世界観である。そもそも狭い国だから必然的になったのだ。小とつく言葉がかなりある。小という言葉に日本の特徴がある。小国という名も日本各地にあるのもそのためである。日本自体が小国の世界なのである。ミニチュアの世界なのである。小さいもの少ないもので満足する。それが茶室の質素、簡素の世界観である。そもそも伊勢神宮なども余りに簡素なのに外国人も驚いたのだ。たいがい神殿となると大きく荘厳なものになるからだ。日本は小さいものを愛し小さいものに満足を見いだす美意識、哲学、を持った国だった。俳句がまさにそうなのだ。世界一短い詩として練り上げてきたのだ。日本の文化を世界的に普及しようとしたら狭い国土で生きたこうした美意識、哲学、生活感、なのかもしれない、どうしてもグランドキャニオンとか西部劇のアメリカの風土とは余りにも違いすぎるのである。スケ−ルが小さいといえばそうなのだがこれも風土と歴史と結びついて形成されたものだからそれなりに世界でも意味を持つものとして普及できるものがある。すべて大きいものだけがいいとは限らないからである。

日本がそもそも大東亜戦争などというアジアが一つなどという戦争を企画して負けたかというとそんな大陸的なものを企画することもデザインすることもできない国だったのである。そんなことを歴史的に経験したこともない、陸つづきの国だったならどこでも小国でも大きな国と発展することがあった。日本の歴史は日本の国内で終わっていたのである。

だから古代から朝鮮出兵からして全部失敗しているのである。日本にはそういう大陸的な企画ができない国だった。つまり国も風土とか歴史に制約されていてそれを越えることができないのである。確かに大東亜戦争というのはアジアの歴史を作ろうとした挑戦とも言えたがそれをできる歴史的背景がなかったのである。確かに韓国は日本の歴史に組み入れる試みがあったが失敗した。日本の歴史的範囲は拡大できなかったのである。



1月26日

老あわれ雪の凍りて家を出じ

老人は買い物に行くにもス−パ−も町内でも遠いのだ。これにはがっかりする。新しくできたス−パ−も自転車で二三分で行けるのに一度も行ってないのだからがっかりする。老人を見ているとこんなことまでできなくなったのかと側にいる人はがっかりする。でも今は90才になっても自動車にのって遠くに行く人がいる。自動車はかえって老人には役立つものなのだ。とにかく雪は凍りついて残った。昔の句をみると
「住む方の秋の夜遠き燈影かな 蕪村」のように交通が不便だからだった。こうした句を実感としてとらえることがむずかしい。現代とは遠さの感覚が喪失した時代なのだ。遠さの感覚を実感するには自転車などで何日もかけて旅するほかない、遠さの感覚は詩を生む、芭蕉が奥の細道を書けたのも遠いという感覚からであった。遠いという感覚の喪失はやはり人間の五感の喪失をまねいているのだ。実際飛行機だったらいつでも地球の果てまでまたたくまに行けるがそれで地球の果てについたという感覚はでてこないのだ。



1月25日

一村や浪の荒さに寒椿

浜の方に新しい自転車がきたので行ってきた。クロスバイクだがこれは軽くて早かった。自転車は軽くないとだめだ。片山右京のマウンテンバイクは18キロとあったから普通のマウテンバイクより重い。あれではちょっと遠くに行くにも重くていやになる。浜の方は寒椿が咲きに凍てついた雪がおおっていた。太平洋は浪が荒い、今日もかなり寒い、北風の吹きつけるなかを帰ってきた。


1月24日

目覚めれば雪野に朝の光かな

外は一面の雪、朝の眩い光に映える。目覚めれば展望は一転して
美しい光景が開ける。それが千変万化の自然である。
ただこの句はだれか同じの作っているような気がする。
ちょっと平凡だからだ。俳句にはもはや同じものが結構あるのだ。


1月23日

 大雪や灯(ともしび)遠く家を出じ

(積雪の状態)

今日は一番寒い、大雪の気配だ、ここは雪はめったにふらないがなんか積もりそうだ。自動車がないからこれでは外にでれない、幸い町のなかなので買い物くらいはできる。昔だったら自動車もないのだから大雪になったら外に出れず困ったろう。それで家の中に食料など自給自足するものは貯えていたのだろう。野菜を貯蔵する雪の穴などもあったようだ。今の時代、自動車はあるし家にこもっていても困らない、通信があるから情報が途切れることもないだろう。新聞は新聞を配達することが天候でむずかしくなったりするが通信ではそういうことはない、そういう点今は不便なことはないのだ。今では田舎では万屋(よろずや)などないし自動車がないと生活できないのだ。家の外の写真だが住宅地に改造されてながめは全然良くない。前は遠くまで見えたのだ。
この句は雪国の人が作るにふさわしいしこういう雪に埋まった中で暮らす人の
句になる。こういうとき雪国の俳句を調べると面白いが、また探すのがめんどうなのだ。これと類似のものが必ずあるはずである。


1月22日

一本松消えにし跡や冬の暮

一本の田中にあった松は消えた。枯れたのか切り取られた。松は病気になりやすいのか松くい虫などや枯れてしまうのが多いみたいだ。一本の松は確かにそこにあったが消えた。しかしその松はやはり消えた後も偲ぶものがあった。田舎だから一本の松でも存在感がありそれが消えても浮かんでくるのである。しかし都会では消えても消えたことすらわからないのが多いのだ。田舎で墓でも木でも石でも人でも存在感がある。山の中の一軒の家となるとその存在感は実に大きいのだ。一つの城のような存在感すらあるのだ。都会はあれだけにぎわっていても後に残るのは巨大なビルのみであり逆に凄まじい存在の喪失に襲われる。かつて栄えた所はみなそうなっているし、そして再び都会の喧騒はかえってこない、その存在は蘇ってこない。そうした巨大な虚無が大都会は宿しているのだ。ピカ−トの沈黙の世界はそこにはないのだ。



より威厳高き時来りぬ
そは徐々に用意されてありしが
いま翼もて飛翔するがごとく突入し来りぬ
この時「存在」の脈拍いたるところ感ぜられ

There came a time of greater diginity
Which had been gradually prepar'd,and now
Rushed in as if on wings, the time in which
The pulse of Being everywhere was felt,
ワ−ズワ−ス(序曲)

いま翼もて飛翔するがごとく突入し来りぬ
この時「存在」の脈拍いたるところ感ぜられ・・・

田舎では事物は連関して存在する。存在感があるのだ

この詩の訳で問題なのが
突入し来りぬ−これが詩的な言葉ではない、
いま翼もて飛翔するがごとく霊感を与えぬ
これは訳者の問題ではなく原文の問題である。

この時「存在」の脈拍いたるところ感ぜられ・・・

田舎では事物は連関して存在する。存在感があるのだ。

詩を原文通りに訳すことの不自然さである。訳というのも一つの大きな才能であり訳したものには著作権があることは間違いない、訳すことは別な日本語の才能だという人がいた。それも言えるのだ。英文を理解するだけでなく日本語に訳すことは別な特殊な才能が必要なのだ。英語の理解より日本語の方に熟達した人でないとできない。詩はやはり詩人しか訳せないということがあるかもしれない、ただ言語能力は詩人だけにあるのではなく別な人にもある。詩人がすべて詩を訳せるわけではない、ここがむずかしいのだ。

童話の部−一本松の春へ


1月21日

 一本の枯木やここに無人駅

常磐線も無人駅が結構多い。複線でもないが一時間一回くらいに出ているのだから過疎とはいえない、浜通りは過疎ではない、山は過疎である。ホームページを考えると一日数人でもそこに出入りしている読まれていれば必要なものかもしれない、それは常連になる。わずかな人にとっても必要なものは必要である。インターネット自体大勢を対象に作られたものではないのだ。マスコミとは違うのである。無人駅でも数人の乗り降りがあれば必要となる。ついに全然アクセスがないとなると廃止になる。ホームページの多数は無人駅とにているのだ。大都会のにぎわう駅は数えるほどしかない、あとはほとんど無人駅なのだ。

一本の枯木
one streched and strengthened tree

無人駅に粛条と一本の枯木
大地に打たれた杭のように
微動だにせずしっかりと一本の枯木
その胸を打つその存在感
その寡黙なる一本の枯木
無駄なるものを削り落とした
一刀彫りのような
寒風が幹にしみる
一本の直ぐなる枯木


よくよくみるとこの一本の枯木に確かな存在感が感じられる。
都会ではビルとかに囲まれ存在感は希薄になる。一方荒野の一本の枯木でもそれは存在感あるものになる。奇妙だが本当に存在しているんだ。大地に根を張って存在しているんだ。当たり前のことをこうして認識するのである。芸術は当たり前のことに驚きを発見することである。人は日常生活のなかの雑音の中で自然のその存在感あふれたものを見逃しているのだ。枯木一本すらこれだけの存在感があるのに人間一人の存在感は喪失しているのだ。荒野に何人か生活したらその存在感は大きく浮かび上がることは確かである。

この枯木と関係してだが枯木橋
が金沢にあった。面白い橋の名だと思った。いかにも古い橋の風情である。興味ある人はイメ−ジのkarekiで検索

金沢の枯木橋かな冬の暮


1月20日

寒雀群れて騒げばあたたかし

子供の頃神社に子供が山のように集まって遊んでいた。それが今は一人も遊ばないし子供の遊ぶ姿も見たことがない、なんか淋しい。子供の姿は町から消えた。少子化もあるし子供は風の子などというのもなくなったような気がする。子供はいつも室内にいる。ゲ−ムで遊んでいるのか雀が群れて騒いでいる。これだけ群れて騒いでいるとあったかくなるのだ。遊びのなかにはそうしたあったかさを共有できたがそれが今はない、学校とは違った子供の世界があったのだ。そういう世界を経験しない子供にはまた何か欠けてくるのだろうかわからない、ただ人間はそうして子供時代を過ごすのが普通だったしそれがなくなると何か育つ上で欠けたものがでてくるかもしれない。



1月19日

山鳩にひびき清らか冬の川

山鳩のいい点は流線型の無駄のない姿をしていることだろう。
普通の鳩は流線型ではなく家の屋根とかにとまっている鳩である
山鳩は木の枝にとまっていても姿がいいし飛び立つ無駄のない姿をしている。
ひきしまった冬の空気の中でその無駄のない姿は映える。
人間に飼われた犬や猫は太りすぎや文明病にもなるが自然に養われるものは本來の原生の美をもっているのだ。


1月18日

山鳩の飛行美し冬の空

the flight of a turtledove
in beautiful form
in the clear sky
in winter


枯枝にとまりてしばし山鳩のはや飛び立ちて冬の空映ゆ

a turtledove
on a stretched branch
just a moment
and the swift flight
in the clear sky in winter



山鳩の飛ぶ姿も美しいし山鳩は姿が美しい。りんとした冬の空、山鳩が一羽飛んで行った。


1月17日

 秋の夕滝のひびきて清しかも杉木立の中五重塔古りぬ

どこかに気晴らしに行こうかと思っている。今日nhkで羽黒山のことを放送していた。あれは録画しておくべきものだった。五重の塔は趣ある。
あの中に妙見菩薩とか北極星の菩薩が祀られていた。妙見というのが日本に広くあることに驚く。これは北斗七星であり方角を示す星座である。相馬藩の紋も7曜から9曜の紋に変わった、妙見信仰からきている。
日本では星の信仰はもともとなかった。方角が問題になるのは砂漠に住む遊牧民とか海洋民族なのである。海洋民族でも近海で漁業にたずさわる人は星より近辺の山とかが目印になる。日和山とか陸地のものがかえって目印になる。星が目印しになるのは遠くに航海する時である。日本を海を越えて渡って来た人がこの妙見信仰をもってきたのだ。いづれにしろあの羽黒山の五重の塔はいい、雪の中で行けるかどうかわからないが行った人の写真がインターネットにでていた。前に秋に一回行っている。旅に行っても人間は忘れる。だからビデオをみて思い出したりする必要がある。旅で大事なのは記録なのである。旅の後を有効にするには記録が大事なのだ。それが事務的なものでもその時気候などでも記録しておくと役に立つ、あのときは晴れていたのかとか最初ここで秋の日と書いたが石段を下りてきたのは秋の夕べだった。だから秋の夕になおした。あとから紀行文なりを書くにしても記録してないと書けないのである。


1月16日

枯芒今日も日の入り早きかな

すぐに4時になってしまった。時間というものは早く感じるときと遅く感じるときがある。老人になると時間は加速度的に早くなってくる。あれもう4時か何もしないのに日が暮れるなとなる。老人になると退屈という感覚がなくなってしまうかもしれない。時間は不思議なものである。空間は取り戻せるが時間は取り戻せないというのは本当である。自分は世界という空間を全然知らなかったが老人になっても金があれば船であれ飛行機であれ世界の果てまで行くことはできる、しかし絶対に若いときに戻ることはできないのだ。これが時間の非情さなのだ。厳粛さなのだ。つまり時間は制限されていていつしかその人の時間は尽きるのである。何もしなくてもただ時間があるということはいいことである。
仏教が瞑想を重んじ、東洋哲学が無用の用という老子の哲学を生んだのもこれは西洋にはないものなのだ。西洋は常に用の哲学なのだ。宗教までがそうなっているのだ。実際何もしない時間の効用は精神的にも社会的にも大きいのである。何かして社会が乱れ災いになることもある。何もしない時間は大きな宇宙を感じる時間となったのが仏教だったのだ。


1月15日

冬の薔薇今年は咲かじ田舎駅目立たず咲けどなければ淋し

田舎の駅に冬の薔薇が去年は気づかないように咲いていた。
それはほんとうに誰も知らないように咲いていた。それが今年は咲いていない、たいがい目立つもの、有名人など死ぬと騒ぐ、一方目立たないものでも見ている人はいる、それがないということに大きな喪失を感じる。実際自分を支えているものは目立たないものでありそういう人たちのことをあまり思わないのだ。
有名人は自分たちを身近で支えるものではないのだ。路傍の石碑であれ花であれ何であれ日常の目立たないものに実はしみじみとした存在感がある。そういうものはマスコミとかではとりあげないのだ。
しかし人生とはほとんどの人が目立たない人生で終わるのである。するとその目立たないもののなかに存在の意味を発見しないと人生の意味も発見されないしつまらないとなる。芸術とはこうした目立たないものに光をあてることである。
宗教というのもまたそうであった。この世のなかでマスコミにとりあげられないものはいくらでもある。それらが存在しないとされるのは問題なのだ。歴史的存在でも実はその人が発見しない限り目立たないものとして埋もれてしまっているのだ。目立たず発見してもらいたい意味をもたせてもらいたいものがこの世には無数にあるのだ。

 目立たざるもの

そがかたわらにあるものは
そが身近にあるものは
常に目立たざるもの
それが汝を支える
それは意味なきものにあらじ
そにとりて大きな意味ある
大きな存在なるべし
そにとりてのみ意味あるもの
それまた意味あるもの
知られざるものを見いだし
それに意味を与える
それらはそに添いてゆくだろう
外は粛条と枯芒に風花が舞う
ひっそりと裏庭に山茶花
隣の厨もひそかに
冬の日は深まりぬ



1月14日

冬芒古墳いくつか真野の里

冬芒というと新しい季語なのだろうか。芒→枯芒→冬芒となる。
枯芒よりさらにあとの枯れきってしまった芒である。枯芒となると枯れたばかりの芒でありまだ生きている感じだか冬芒は完全に死んだ芒といえるのか。真野の里は真野の萱原で有名であるが萱原となるとこれも秋から初冬であり風になびく白い芒のイメ−ジだろう。今は完全にミイラのように芒は死んで冬芒になっている。

陸奥の真野の萱原遠けれど面影にして見ゆというものを 笠女郎

萱原が今は枯芒から冬芒になってしまった。それでも昔栄えたという真野古墳群が線路の脇にいくつか残っている。


1月13日

新年やめでたい鯛に海の国

鯛をス−パ−で売っていた。たまに売り出しで売っている。愛媛県産だから日本の鯛である。日本は海の幸の国だった。縄文時代も貝塚とかがどこにでもあり貝が主食だったのだ。海産物で成り立つ国だったのである。最近は肉ばかり食うが日本人は魚を食ってこそ、海の幸があってこそめでたいのである。その最たるものめでたいものが鯛なのである。

1月12日

この道を行く人二人草枯れぬ


草枯れぬ岩松氏の墓誰が訪ぬ

いつも行く刈田の草枯れた道だがそこを通るの一日一人か二人である。
こういう道があることは精神衛生上いいのだ。心を落ち着かせる。ただ六号線はうるさく自動車がひっきりなしに走っている。人間には人のいない荒野が必要なのだ。砂漠の効用はそこにあったし神が砂漠に隠れたのもそのためである。都会では前にも言ったが人間の存在感がまるでないのだ。文明社会では存在感をもたせるのには集団化か組織化のなかでしかできないのだ。一方田舎では人間の存在は自然のなかで大きく浮かび上がる。町より山村ではさらに存在感が大きくなる。だからどうしても山村が経済的には貧しいとしてもそこに暮らしている人が精神的に貧しいとは考えられないのだ。精神的には人間の存在感としては充実したものがあるはずなのだ。草枯れた道を行ったものは二人だけだがその一方の一人の存在感は私にとって大きく浮かび上がる。自然のなかでも大きく浮かび上がる。原始時代の人間はさらに大きな存在感があった。だから文明社会からみて彼らの存在が貧しいものだと考えるのは間違っている。貧しくても人間の存在感は大きいのである。文明社会では大都会では人間は砂粒のような存在であり消費する経済的一単位であり人間がもっていた本来の存在感は消されてしまうのだ。資本主義経済では消費というのが基本にある。金を使うことが大きな存在となる。宝石でも女でも何でも金で買える。金をたくさん使う人が大きな存在感を得る。しかしそれだけが人間の存在感を充実感をもたらすものではない。だからどうしてもファシズムの原因は文明社会そのものにある病理的現象と考えるのである。現代の宗教が病理的現象の肥大化したものになっているのもそのためである
つまり現代文明社会で存在感ある人間は必然的に上野霄里氏のようなアウトサイダ−になってしまうのである。原生人間とは自然のなかで本来もっていた存在感のある人間のことで特殊な人間のことではなかったのだ。

この草枯れた道から見えるのが伝説の残る岩松氏の墓のある所である。


1月11日

嬉々として鳩群れ飛ぶや松の内

松の内という感覚は実になくなった。正月という気分さえなくなった。これは何なのか、ハレの日の喪失である。正月には御馳走が食べられた。それがいつでも今は御馳走なのである。餅は正月だけに食べられた。
今は餅は御馳走ではないのだ。正月気分はないが新年ということでこの一句をだした。松というのは実際は日本では昔から欠かせない生活に密着したものだった。松という地名や松にかかわることが多いことがそれを示している。松の枝を田んぼにさして豊作を祈るというのも農民の民間信仰としてあったのもそのことを示している。


1月10日

寒月や村に残れる石一つ

村にはたいがい謂われのある石が一つくらいどこでも残っている。
村には過疎の村でもこの石のように残ることが必要なのだ。
寒月がでて貧しくても残る人が必要なのである。
何気ない目立つことでもないがその平凡なことに深い意味を詩を発見する。
変わったこと奇なことではなく当たり前のことに深い真実が
人生の意味が隠されている。それに気づくのは年をとってからであることは確かである。


1月9日

家一軒枯木にからまる蔦太し

一軒の農家がある。枯木に太い蔦がからまりついている。食い入るようにからまりついている。離れないその蔦、家一軒にもそれぞれ因縁ががありからまりついて離れないものがある。外からは見えなくてもそれぞれの家がそうなのだ。それがこの世である。特に農家では何代もつづいているからそのからまる蔦も太いものとなる。これは「家一軒からまる蔦に墓一つ」であったが季語がないので変えた。農家には近くに墓を作ったり家の前に墓があるのもある。墓もまたからまる蔦のようにしつこく残るものであり因縁を示している。いづれにしろこのからまる蔦をふりほどくことはむずかしい


1月8日

 冬の燈や老親の待つ我が家かな

まだ私を待っている親がいる。それが我が家だ。いづれ我を待つ我が家なくなる不安がある。家というのをハウスでなくホ−ムという方がふさわしい。ホ−ムとは建物ではない、家族がいる所だろう、家がなくてもホ−ムはありうる。冬が深まる。平凡な日常に何か深いものを発見する、それが芸術である。なんでもないものだが貴重なものをそこに発見する。


1月7日

部落消え寒さしみ入る桜の樹

上萱(うえがや)の4、5軒の部落は消失した。そこに残ったのは桜の樹であった。この桜の樹は人間がいなくなった時、余計淋しくなった。
4、5軒の部落でもそこに人が住んでいるとき桜も春には花を咲かせて
部落の人が見たからである。人間に身近なのが桜なのである。桜は人間臭い樹なのだ。人間の喜怒哀楽とともにあるのが桜である。万葉集時代は山桜であるが江戸時代からは染井吉野であり人間とともにあるようになった。花が咲いても散っても山の中で見る人もいないのだ。ただ一人棲む人がいるのでその人が見守ることになるのか、あそこで生活してきた人でない老人である。ただ山村が部落が消えることは自然さえ淋しくしてしまうことがわかる。人が住んでこそ自然もともに生きる。桜の樹はここに住んだ人をなつかしがっているかもしれない、桜はそういう人間臭い樹なのである。
とにかく一段と寒さしみ入る樹となってしまったことは確かである。

上萱(消失した部落)


1月6日

老女二人厨守るや冬の暮

その家にその家の事情がある。家庭環境がある。これはわかりにくい。私の家に二人の老女がいることも他人にはわかりくい。しかしこの句には言いようのない歳月の重みがある。50年の重みである。50年の歳月は長いのだ。俳句といえばあまり宗教性など関係ないと思うが俳句にも非常に生死に関する長い歳月の言い難い重みあるものがある。でもこれは他者にはわかりにくい、50年という歳月の重みから生まれた句であれ歌を感じることはむずかしいのだ。おそらく老夫婦とかそうした人の句にそういうものがある。それでもそれがわかりにくいのだ。どういうわけか俳句回廊というインターネットにでていた俳句は解説がうまい、俳句より解説の方がいいのである。俳句にはそういうところがあるのだ。俳句だけでは短いからその深さを理解できないのだ。そもそも文学のむずかしさは人生を読むことでありそれは歳月の重みを人生の深さを知らないと理解できないから若い人にはいい句ができないことがわかるのである。平凡な人でも平凡な人生でも毎日厨で台所仕事しかしなかった人、掃除しかしなかった人でも50年の歳月が加わるとその仕事の意味の重さがでてくるのだ。

歳月というのは不思議な働きをするものである。何が価値あるものかを示すのだ。また歳月によって価値あると思えたものが色あせる、空虚になることも確かである。実際価値とか意味は金では計れないものなのだ。それが歳月によって明らかにされることがあるのだ。若いときはこの歳月の価値は絶対にわからない,時間を浪費することがどれほど損失なのかわからないのだ。時間などいくらでもあると思っているからだ。50年の人生で作られてきたものは収入の多寡だけで計られるものではない、あの人はいくら残したから老後は楽だろうとかそういうものではない、価値とか意味は何か意外なものとして発見されるかもしれない、それはそれぞれ何なのかわからない、個々に違うからでありそれは集団的なものにはない、人生は多様であり個々に違うから組織化や団体で価値を計れるものではない、組織や団体でもその中で果たした役割は違うのだ。個々に果たす役割は違うのだ。

人間は統計の数字として現される所にはない、いくら数を誇ってもそこには意味がないのだ。社会の表面にでてくるのはそういう経済的指標としての数なのだ。宗教団体でも数として数えられるだけの価値観しかないのだ。それぞれに個々にもっている人生の意味や価値はないがしろにされるのだ。集団的に働きかけると権力で働きかけると政治的には動くし権力的に得るものがあるし現実の社会はそうして動いている。多くは不純な動機で動いている。金だけのために働いている人も多数でありしかしそうした人に人生の意味は与えられないのだ。人生の個々の価値は別な所にささいな目立たないところにある場合がある。しかしこれは表立って現れない、身を飾る宝石のように目立つものではなく地味なものである。しかしそこに人生の深い意味と価値が付与されているのだ。だからこんなことにこんな地味なことに何の意味があるのだろう、つまらないなと思ってもやはり働きつづけることである。真面目に働き続けることである。意味はすぐに見いだせないしわからない場合があるからだ。個々によって違うから他者からもその意味が見えないからである。人間はそもそも多様でありそれを一つの価値観、集団化、組織化すること自体過ちのもとだったのである。それらはすべて時代が変わればいかにその時代で権力を得てもなきものとされる。

一方目立たない価値であってもそれは神がよみするものとなるだろう。ある意味で歳月がその価値を決めるといえるのかもしれない、百年後に今あるものの何が残っているか集団化、組織化したものはそこにない、別なものに変わっているからである。集団の組織の追求するものは権力であり個々の人生が追求するものがそれぞれの意味である。集団化、組織化ではそれぞれの人生の意味は消される。だが権力の分け前は得られる。それを選ぶのもまた自由だし強制されたとは自由社会ではいえない、その他今マスコミで騒がれているものも嘘のようにになくなっているかもしれない、マスコミは価値あるものを追求しているわけではない、その時代の流行を追っているからマスコミで喧伝されたものも無くなって誰も語らなくなっている。歳月の重みに耐えて残るものが真の価値あるものとなる。

ただジャ−ナリズムでもそれなりに一貫して追求した価値は評価される。いづれにしろその人の価値は出版社やマスコミや書店や他者が決めるものではない、その本人が一番知っているのである。また本人しか知らない価値もありうる。とにかくこの句の意味も重みも他人にはわかりにくいしそういうものがなりあるのだ。その場にいなければわからないものや50年の歳月をともにしなければわからない人生の重みがあるからだ。そういうわけで権力を持っているマスコミとかメディア関係者は許せないのである。インターネットはこうして無視された個々人の生の意味を問い直す場となるかもしれない。売れる売れないと全然関係なくやれるということである。実際なぜこんなにインターネットで日記を書いているのか、他者によんでもらいその意味を見いだしてほしいということがある。一人一人のささやかな人生にも意味がありそれを見いだしてもらいたから書いている面があるのだ。集団として組織として認められたいというよりインターネットでは個として認められたいからホームページに書いているのである。そこが今までのメディアと違うことは確かである。


1月5日

北風の吠えて籠もるや部屋三つ

福島県の浜通りは雪はほとんどふらない、今日は少しふったみたいだ。その代わり相馬の空っ風で風が毎日のようにふく、今年は本当に寒く外にも出るのがいやで部屋に籠もりっぱなしである。ひゅ−ひゅ−と毎日風が吠えるようにかみつくようにうなると外に出たくなくなる。幸い家は広いし自分の部屋も三つくらいある。でも人間一日一回は外の空気を吸わないとだめだ。正月もどこにもでていない、家にこもりっぱなしである。北海道辺りは家が暖房で快適でないと長い冬がいやになるだろう



1月4日

亡き人の遠きや墓所に枯芒

今年の正月は全然正月気分がなかった。面白い正月番組もなかった。将棋をやったがこれもあきた。強くなれないのである。本も読むのも今は読む気になれない、ただ漠然としても時間がすぎる。冬はどちらかというと回想の時期であり出て歩くのには向いていない、ハワイなどは季節感がなくなるから行きたい思わない、冬は雪がふったり風がうなったりと静かなのがいい、相馬は空っ風であり会津は雪である。浜通りはめったに雪はふらない。それにしても死者というのは忘れられるのも早い。本当にその人が存在したのかしないのかさえわからなくなる。墓に興味を持つのはそこが人間最後の場所であり死んでからも物として残っているからである。物語るの意味は物が語るのであって人間が語るではないのは人間は跡形もなく消えてしまうからである。語るのは物の方になってしまうのである。歴史でも残ったものは物であるからだ。



1月2日

歳月や縁の切れざる年賀状

年賀状とは形式的なものが多い。ただ消息を伝える役目はあるみたいだ。結婚して子供をもったと思ったら今度はすでに離婚していた。親戚にあたるものだが10年くらいあっていない、それでも縁がきれたわけではなく年賀状でその消息を伝えてくる。というより一度結婚相手の姓になったのがまた元の姓に戻ったからわかったのである。年賀状にそうした縁の薄いものも一年に一度だけ便りをよこすという効能はあるみたいだ。


1月1日

たくましく今年も飛ばんかもめかな

今年はどういう年になるか、やはり旅はする、自転車旅行もしたい。新年といっても何もない、静かに流れる日々がいい。昨夜もテレビが面白くないから3時まで将棋やっていた。なぜ番組が面白くないのかやはり何百万人を対象にする番組作りはみんな同じような低俗なものになりあきたのである。これからは百人くらいとか非常に少人数相手の番組がインターネットで流される。それでもみている人があればなりたつ。将棋では最高で500人みていたからこれも明らかに番組である。明らかに通信時代の新しい番組である。それは必ず参加型になる。インターネットは自分で発言したり発信しないと面白くないのだ。そしてこの世界のことも参加しないとわからない、これはいろんな方面で役立つのだがそれはまだ始まったばかりでわからないのである。今年もホームページ作りはつづける。これまでは一方的発信だったがそれではいかされない面があった。ただホームページは結構発信しつづけるだけで手間がかかる。やはり映像になると手間がかかる。しかし映像の時代だから映像を駆使しないと見てくれないと思う。映像にする貯えはあるのだがそれを見せるものに作るのが大変なのである。