存続あやうい栗原電鉄(末枯の野を行く一両の電車)



青春18切符で栗原電鉄にのって日帰りだった。トランジットにつけたライトが無くした。必ず何か最初にトラブルがある、何かを必ず無くすのが自分である。自分でさえいやになっている。カ-ドとかも無くしたし青春18切符も夏は落とした。何か無くさないときはない、今回はトラジットに乗る所がなかった。まあ、軽いからさほど邪魔にならない、栗原電鉄は存続が本当にむずかしい、幼稚園帰りの子供が多少と帰り栗原高校がありそこから高校生が乗ったのと観光客が二人に地元の人がにニ三人である。あれではつづけるのがむずかしい、人件費もまかないえない、鉄道を維持するのは結構金かかるらしいからあれではむずかしい。でもどういうわけか私鉄とかには情緒がある。地元に密着した線となっている。家の間とか庭の間とか通る感じなのだ。乗る線がなくてこうした私鉄の線を乗るしかないのだがこれがなんか親しみを感じる、その土地にとけこんでいる。極めて人間的なのである。

でも廃車が置いてあったりまるでもう最後の日を刻んでいる感じだ。その古くなった車両に哀惜を感じる。車が嫌いな私にとってこうした鉄道がなくなることは悲しい。でもどうにもならん、あの鉄道の余命は短い、観光用だけに維持するのは無理だろう。荒町-谷地畑-沢辺-津久毛-杉橋-鳥矢崎-栗原田町-これらの駅名はおそらく湿地帯だった名残りだろう、田町は田が町になったところでこれはどこにでもある。でも比較的繁華な城下町のはずれなような所にある。相馬の田町通りはそうである。東北には谷地というのは多い。杉橋などというもの本当に杉で作った橋がかかっていたのだろう。

細川鉱山跡に行くとき雨がふった。御堂のなかに地蔵が入れられてあった。あれだと雨にぬれないから地蔵も守られていると思った。地蔵は人間のように地元の人があつかっていた。笠地蔵とかいろいろ人間のように扱っていた。地蔵は身近な存在であり昔は地蔵との交流があり伝説がいろいろと残っているのもそのためである。この地蔵は巨大な寺院とかに祀られるのではなく何か庶民的だからいいのである。今回はともかく一日乗り放題だから帰ってきた。すでに5千円分使ったからやはり青春18切符は近くに行くのにも得である。あと何日かしてまた盛岡の方からのっていない線をのってみよう。私は鉄道マニアではないが車がないと旅をすることは鉄道にのることだからいつのまにか鉄道好きになっているし鉄道に愛着を感じるようになっている自分に気づいた。ともかく自分の人生がある意味で旅に費やされたのである。その旅の中心が鉄道だったのだから鉄道には思いが深くなるのは当然のなりゆきだった。

栗電や山茶花咲きて駅一つ

栗電や孫を迎える冬の駅

栗電の一両古りて枯芒

栗電やはや冬日没り茜雲

訪ぬれば坑道深し冬の暮

鉱山の営みの跡や末枯(うらがれ)ぬ

御堂なか地蔵のありや冬の雨





写真は栗原電鉄でいいのがかなりでています。