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小林勇一作

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冬の旅の記録へ(青森へ)
大江戸春の絵巻の詩2004-2-24
村の俳句から江戸時代を偲ぶ(生活感覚の俳句2)2004-2-18
江戸の生活感覚の俳句 2004-2-
江戸時代の魅力 1月30日(評論と鑑賞) 2004-1-30
日本詩歌紀行地図に「松江と常夜灯」アップ2004
秋の阿武隈高原から二本松へ(俳句短歌−詩−写真集)


注意⇒英語の俳句は自己流だから正しくありません
英語の勉強のために試しに出しています

2004年3月31日 14:03:45

新しく植えたる花や春の庭


a new planted flower
the fresh bright flower
in my garden in spring




2004年3月29日 17:28:03

満開の梅の香りの余韻かな鳥飛び去りてこの道暮れぬ

梅は満開である。香りもますます満ちてくる。ヒヨドリが満開の梅にとまっていた。
春も盛りとなってくる。桜ももうじきだ。春になると変化が激しくなる。ホ-ムペ-ジは毎日書くことだ。その時その時書く、印象のうすれない内に書くからホットなメデアである。一日あととか一カ月あととか一年あとに書く本とかは違う、今の感興を即座に書いて出す、ホットなメデアなのだ。だから書くことに毎日追われるのである。


2004年3月28日 20:15:15

春日浴び黒猫一匹動かざれ

a black cat
in stillness
sunny beams in spring


鹿狼山(がろう)遠くに望み春の空

春の夕遅れて帰る烏一羽

なお回るペットボトルの風車かな日永き里の畑のなかに


俳句はつくづく写生だ。春日を浴びて黒い猫が一匹、ただそれを写生しただけでそれがリアルになる。写生が真実味を出すからだ。その写生そのものが黒い猫がなにかを語るのだ。老人かもしれない、老人は動かないことが多いから、黒い猫が老人に見える。他人によっては違うが写生から各自なにかをイメ-ジしくみとるのである。だから黒猫というのには形容詞がつかない方がいいのだ。黒猫で十分にすでになにかを語っているからである。

猫はク-ルである。猫は思索者なのか、何かをじっと見つめている、神秘的である。猫はク-ルな月である。犬は絶えずじゃれつき吠えてうるさい、犬には神秘性がない、犬は騒々しいのだ。犬は思索者ではない、犬は絶えず頭をなでられたりかわいがってもらわないと落ち着かない、猫はかえってかまわれるとうるさがる。猫は孤独な思索者である。猫はじっと動かず今や過去を回想している老人かもしれぬ。猫はク-ルなのだ。猫はエジプトで神聖視されたのはやはり猫のもっている神秘性のためだろう。犬にはそうした神秘性がない、犬は番犬でありやたらほえる。犬はあまり好きではない、というのは自分の性質は猫であり月なのだ。隠微なのである。人とほとんどここ数十年会わないのもそのためである。猫は孤独な思索者なのだ。

鹿狼山(がろう)は遠くから見えると望まれる。山は遠くから見ないと見えないものがある。あの山はこのへんで一番高いから原町から帰り遠くから望んだら見えたのだ。山は場所により見えかたが違うのだ。

遅れて帰る烏とは「遅れじと烏の帰る雪野かな」汽車の窓から見た雪野の烏との連作のようなものである。これは連関しているのだ。春だから遅れてもゆうゆうと一羽日永のなかを帰ってゆく。今日は初音も聞いた。春夕焼けも見た、いろいろあった。一日でもいろいろあるものだ。買い物したがこれ以上書き切れないので別に買い物のことは書いてみよう。




2004年3月27日 18:23:21

白椿月のかそけき夕べかな

白椿も咲きはじめた。今年は遅かったように思える。前にも白椿の句を作ったりしているからダブることある。自分でもまるっきり同じ俳句を作っている場合があるのだ。
白椿を抽象化したのが下の壁紙である。抽象化するとこうなるのだ。抽象化した場合何を抽象化したのかわかると抽象画の理解が深まる。抽象画はむずかしいがその元になっている素材があるのだ。抽象画は絵の才能と関係なくデザイン的にやれるからパソコンに向いているのだ。壁紙は使うのは自由です。二三自分で作っていますが借り物だから他はかってに使っていいのかどうかわかりません



2004年3月26日 15:50:36


ゆっくりと行けば流るる春の雲

人も鳥も梅の香りに満たされる

虻一つおのれいとしむ春の庭

a skillful creature
a horsefly on a leaf
it loves itself body
in touching gently
in my sunny garden in spring

梅の香を聚めて帰る小さき町



ゆっくりと行く、すると春の雲もそれに従いゆっくりと流れる。今日は春らしい春だった。三寒四温というが最近寒さの方が多かった。だんだん温かい日が多くなるという感覚がこの言葉である。

人も動物も一緒に春を迎える、そこに楽土がある。その楽土が都会では失われている。鳩などが街にいるのは心がなごむ。盛岡で鳩がいたので心が和んだ。それで盛岡の詩に鳩を合成した。合成は簡単にできる。でもちょっと著作権が問題だ。

虻が一つ丹念に己が羽をつくろったりしていた。それをじっとみていると楽しい、自然とはつまらないものでも見ていると楽しいのだ。それはなぜかやはり自然だからである。作為がない、ありのままであり虻でも自らをいとおしみ一つの命として宝石のように輝いている。そこに神の造化の不思議さがある。巧みさがある。この虫一つの命の巧みさに驚くのだ。神の創造になるものはそれは永遠に謎であり全容を知ることはありえない、この小さな命一つにしても神秘的なものなのだ。

小さな町だから梅がそちこちに咲いている。その梅の香り身につけて帰る。でも自分の町は小さすぎる。町であり街にもなっていない、まあ、どこに住んでも人間は見る眼をもっていると新しい発見があるのだ。


3月24日

瀬戸内の潮の速さや初燕

春の鳥枝にとまれるしばしかな


潮の流れは風のように感じることができない、潮の流れは実際は自然のなかでも躍動的なもの人間の血流のようなものかもしれない、それが目に見えないからわからない、船にのる人は知っている。でも今はこの潮の流れにより航海することはない、すべては機械がしてくれる。
潮の流れを実感したのは瀬戸内海の狭い水道である。なぜchannelが海峡とか水道とか海の狭い道を言うようになったのか、無数の海峡が海にはありそこにチャンネルを合わせる、船をそのチャンネルにあわせて航行せねばならぬからチャンネルは大事なものだった。海と船の関係からchannelという言葉が生まれた。瀬戸内海はまさにchannelの世界なのだ。

━━ n. 水路, 瀬戸, 海峡, 河床[底]; (the C-) イギリス海峡; 導水路[管], (敷居などの)みぞ; 道筋; ルート, 手段, 路線; 周波数帯; 【コンピュータ】電信路; (pl.) 伝達; 径路; 系統, (輸送の)手段; 【放送】チャンネル; (考え方・行動の)方向, 分野.
━━ vt. (〈英〉-ll-) 水路を開く; 水路[経路]によって運ぶ; みぞを掘る; (情報などを)送る; 向ける, 注ぐ ((into)); (ある方向に)導く.
Channel 4 〔英〕 第4チャンネル ((商業放送)).
channel adapter 【コンピュータ】チャネル・アダプタ.
channel capacity 【コンピュータ】通信路容量.
chan・nel・er, chan・nel・ler 〔英〕 n. チャネラー, 霊媒者 ((channelingをする人)).
chan・nel・ing, chan・nel・ling 〔英〕 n. 【宗】チャネリング ((霊的な指導者からのメッセージを伝えるため瞑想的忘我の状態に入り込む)).



3月23日

月細く旧道帰る春寒し

月細く市庭と古き春寒し

春寒し骨董品一つ買いにけり


今日はリサイクルショップでいろいろ買った。買い得なものがっあった。それにしてもキセルとキセル入り煙草入れがついたものは高かった。一万五千円した。それはでも使いに使い古したもので半分煙草入れるところがひりへっていた。なんかあれには人間の体臭がつまっている。江戸時代なのかどうかはわからないが一部こった飾りがあるからそれくらいの価値がある。江戸時代だったら確実にそれだけの価値がある。私の父もキセルを吸っていたからなつかしいのである。他の模様もないキセルが六千円したのにも驚く、キセルってそんなに高いのかと思った。キセルのことを詩にしたりしたからなんか欲しくなった。今欲しいものは確かにいろいろあるがあうした昔のものが高くても買う人がいるのかもしれない、買うものが新しいものではなくなっているからだ。

市庭とは郷土研究で書いたがここにもあった。船で入ってきて塩崎でなんらかの市がだった。しかしその時代は奈良時代ではありえない、奈良時代のものは東北では考古学の対象である。
でも船が入ってきてあそこで何かが売り買いされた。物々交換された。でも地名として残っているだけで何もないのだ。地名はまさに歴史の化石である。地名だけは歴史の証人のように残るのである。


3月21日

庭広く新しき春の朝日影

sunny sides in spring
at my new wide garden


今回のフリ-ソフトでタイルができた。これは初心者にいいソフトだ。フォトレタッチソフトは使いにくい、高いのでも使いにくい、ソフトでは大失敗だった。いろんなことができると思って買っていた。ソフトを使いこなすのは実際大変なことだった。パソコンは使いようであり使い方の方が大事である。だから高いソフトでもつかいこなせないのである。まず簡単なものからやることだ。簡単なものでも工夫しだいでそれなりのものができるのだ。パソコンのソフトはまずフリ-ソフトからやるのが良かったのだ。金がかからないから失敗しても損しないのである。まず高いソフトだとやってみて使いないのがかなりある。音声で文章に変換できるなんて1万4千円もしたが一回使って終わりだった。一回くらい使って終わりになるのが多い、すると5千円でも一万でも高くつくのだ。ただ自分はこうした絵の才能はなくてもデザインするというかコンピュタ-だと単に遊んでいるいじっているだけでなんか面白いものができる不思議がある。これはソフトに関係している。絵の才能がなくてもビジュアルに表現できるのがコンピュタ-である。これは確かに人間の才能の幅を広げた。他にも才能の幅を広げた。ただ使い方が問題なのだ。検索にしても青森 文学ではでてこないが、青森 北前船だと青森の歴史が一覧するようなものが連続的にでてきた。パソコンはその人の使いようである。使い方がうまくなるといろいろな未知のものを掘り起こすことができる。なんか偶然にできてしまうのである。


3月20日

故郷に戦没者の墓寒もどる


今日はまた寒くなった。戦没者の墓はどこにでもある。一万くらいの町で500人くらいは死んでいる。墓所を見れば必ずある。墓について書くつもりだったがなかなかまとまったものを書こうとしたり写真の加工を出そうとするとついつい出せなくなっている。こうしたメモのようなものは出せるから便利なのだ。出るときは故郷の人に歓迎されて送り出されたが今は忘れられ淋しいものとなっている。墓に興味を持つのはやはり人間最後の場所であり最後に語る場所だからである。墓だけがかろうじて残り昔を語るものがある。500人も死んだとなるとその当時は町や村で大変な騒ぎだったが今や忘れられてゆく。ともかく時代の変化が常に激しい、常に変わるものはあてにならない、今組織として巨大であってもたちまち縮小して消滅したりする。社会党がその一つだし政党であれ団体であれ組織は会社でも同じ状態にはない、消滅したりするのは普通である。だから組織団体が永遠であることはない、巨人軍は永遠ですなどありえない、勢力栄光も長続きしない、常に変遷していまのがこの世である。あらゆるものが変化するということであり今あるものは明日にはないかもしれない、自民党だっていつまでも政権にあるとは限らない、ある意味で自民党が政権の座にありつづけること自体異常である。まるで徳川政権のようになっている。これも必ず変わるときがくる。50年、百年単位で考えたら変わらないものはないのだ。50年百年単位で考えることが必要であり目先のことばかり追っていたらあれはどこにいってしまったのだ。あんなに騒いだのに何一つ語られもしないし騒がれもしないとかそういうものがいくらでもあるのだ。人間の世界は本当に変わりやすい。だからあてにならない、聖徳太子がこの世は虚仮だと言ったのはこの世は余りにも変わりすぎるからだ。政治や経済や宗教でも組織化したり団体化したのは50年百年単位でみるとその消長が激しいからあんなに人がいたのにどこにいったのにとなるかもしれない、今の勢力だけに眼を奪われるとこの世は変わるからその変化と消長ぶりに愕然とするのだ。


3月19日

春日さす昔の道をたどりゆく


3月17日

庭長く春の日影にそい歩む

虫一つ福寿草に来て遊ぶかな

春日浴び何もせざりき山不動


汽車の旅も動かないからかえって疲れた。汽車の旅は動かないから頭の中で想像することが多くなる。暇になるからだ。自転車はこれは想像するより次の坂を越えねばならぬとか常に前へ前へと進むことが強いられる。旅でも全然違ったものになるのだ。

庭長くとは改築して庭が長くなった。だから歩む範囲が長くなりその家にそって春の日影がある。今日は暑いくらいだった。春日をあびて何もしない山、これもいいのだ。文明人は余りに無駄なことに時間を費やして追われている。無駄なことを真剣にやっているからかえってそれがのんびりとしている山には迷惑にもなる。人間のために山ものんびりできなくなるのだ。
ソロ-が言ったように文明人には何かのんびりした姿が見られない、それが大正とか昭和の始めとか戦後まもなくはかえって貧乏でものんびりした人がいた。のんきな父さんなんていうのもあった。現代は情報に物にあらゆることに追われている。みんなだからギスギスしてのんびりした姿が見られない、平和な姿が見られないのだ。



3月4日

春寒し駅や月澄む田舎かな

なんか今日も昨日も寒い。その寒い中に冷たく月が光っている。澄んで光っている。余寒と春寒しまた違う。春寒しとなると比較的春になっても寒いとなるから春の後半の時期だろう。
余寒となると冬のように寒いとなる、いづれにしろ微妙な感覚である。まあ、田舎だから空も澄んでいるし月もきれいなのだ。小さな田舎駅だから春寒しもあっているのかもしれない、
「まだ、寒いね」とか駅で挨拶する。そういう小さな駅である。大きな駅だとこうした情緒もなくなるのだ。


3月3日

山中の寒の戻りや城一つ小さく守り残る跡かな

小さな城は実際は各地にある。出城のような小さいのもある。こんなところに城があったのかと驚くことが自転車で旅してあった。わずかに石垣が残るだけである。それでも攻防があり小さい城の城主は苦労した。小浜城もそうだろう。伊達という強大な敵に追われ会津に落ち延びた。勢力争いの狭間で苦労した。丸森にある行ったこともなかった城跡も城主が伊達と相馬で変わっていたのだ。これに象徴されるように小さい地域の城はそうした勢力争いの跡として残される。大きな城はわかるが小さい城は旅してもわかりにくい、それは昔のような街道を行かないから汽車だと余計わかりにくいのだ。だから旅が旅にならない、紀行文もいいものを書けないのである。昔のような旅をしたらその報告自体紀行文になっていたのだ。小さい城や石碑など小さい片隅に残されたものにも注目することが旅を面白くするのだがそれが自動車とか汽車にはできない、自転車でもやはり走ることが第一になり道の辺のちょっとした忘れられた碑を考える暇もないのである。

3月2日

訪う人もなくて余寒や石二つ

薪積みて山家淋しや余寒かな


今日は余寒という季題であった。風が吹いてきてまた寒くなった。みちのくは今年は寒いのか、これが普通なのかもしれない、余寒であるが訪ねる人もない我が家である。もう一つは薪を積んだ家が山の方にありその薪を何に使っているかわからない、暖房用なのかわからないがその道は町と違ってほとんど行く人もない、そういう道が山にはまだ多い。だから余寒という何かまだ冬が感じられる風景となっている。日本人はいづれにしろこうした季節の微妙な変化にこだわった。変化がない世界で季節は常に変化するから生活のアクセントにしたのである。
これが江戸時代あたりだと余寒というと本当に余寒であった。暖房が炭くらいだから寒さは依然として厳しく感じられたからだ。現代では季節の感覚もともしくなるのも文明の発達でそうなるのである。


3月1日

探梅や 知らざる道に 誘わるる

道はいくらでもある。知らない道はその奥に何かあるのかと誘われる。
日本の風土は昔は交流が非常に少なかった。山にさえぎられているからである。
坂を越えると別世界になったのだ。だから山の向こうは神秘的な世界だった。だからやたら伝説とか物語が多いのは知られざる世界が多いから空想化したのだ。それ以上に知られぬ道を行ったら全然違った世界に来ていたのである。そこから桃源郷の物語が生まれた。昔は狭い地域で生活の用をたしていた。地球の裏側からバナナなどこない、まず隣の村や街に行くのも大変なことであり遠いから物流もないのだ。運ぶことができないから近くであるもの自給自足になるのである。車がなかったらそうなる。自転車だと大きなものが運べないのである。非常に活動範囲が狭められるのだ。だから遠い世界に憧れ空想化していろいろな他界についての物語が生まれたのである。それで精神的に豊かになったともいえる。遠くに行けない分、空想で補っていたのだ。今でも中国の奥地の村ではそうした物語が生きていて物語を聞いて空想して満足する他ない、でもそこでは物語が生きているのである。今は逆に空想が実際は貧弱化している。あらゆるものが手の届くところにあり空想の前に現実化ししているのだ。世界の映像もあふれているし本当に全く未知の世界は存在しない、世界の神秘性が喪失したのも現代である。
これは逆に精神的に非常に貧しい世界である。だから都会にゴジラとかしか想像の世界が作られないのである。江戸時代の魅力は現代にないものがあったということである。未来を考えるより江戸時代の方が面白いのである。未来は火星に水があったかどうかなどあそこもつまらない場所である。未来は意外とつまらない、現代の延長でありそれ以上のものはない、満ちとか神秘の世界は江戸時代とか昔にあったのだ。