2002年9月 今日の一句一首

9月30日


秋の蝉山に聞きに来て帰るかな


静かな山に鳴く蝉の声それは町で鳴いている蝉の声よりも心にしみる。
その蝉の声を聞いて山を下りる。山に暮らしたものはそこがずっ−と暮らしの場だったから過疎になっても山から下りたくないということがある。息子娘のいる都会に出て行ってもそこがいいところではない。山で暮らしたのだから山で静かに死にたいという気持ちがある。蝉の声は静かな山にひびき消え短い生を終える。しかし死んでも死者の霊は山にある。死者は山と共に生きているという感覚である。山には霊が宿るという。山には祖先の霊が鎮まるという。そういう信仰が自然と生まれた。
しかし都会では祖先の霊とも切り離される。ビルの谷間や自動車騒音,交通事故で死んだものは悲惨だ。都会に死者の霊の休まる所はない。墓はなくても人は山であれ森であれ自然のなかに抱かれ眠りたいと思うのが自然な感情である。そうした自然な感情さえ剥奪したのが文明だった。もちろん現代で実際山に暮らしているものがどう思っているかわからない,不便ばかり言っているきのが現状かもしれない、山に住みたくないというのも本音だろう。ただ人間は自然と切り離されて存在する時そこに幸福はない。いかなる生き物も自然のなかで生きるように作られたからである。

9月29日


秋の蝶あわれ離れて二つかな

秋の蝶が何羽かとんでいた。淋しくなってきた。一羽の蝶を拾った。
まだ死んでいない、これを家にもってきてデジカメでとりすぐにホームページにのせる。ホームページとはその人の日々の生活と直結しているのだ。リアルタイムに報告できることがすごいのだ。常時接続の活かし方はその個人個人のライブの放送になる。24時間のリアルタイムで接続されるのである。時分のAIR-Hは無線だからそうなっていない。ただいつでも放送体制にあるから一日24時間スタンバイになるのだ。一日という中でも何回もアップできるし常時接続とは互いにも接続されているということなのだ。常時接続の使い方は他にもいろいろある。無線の場合はリアルタイムの旅の報告である。一日の内に何回か写真とか俳句とか即興でできたものを出すのである。だからこれは誰かが一日監視するように見る場合有効になる。でも普通個人のホームページはそんなふうしにして注視してしいる人はいないから自分自身の記録として一日の行程をその都度報告、記録することになる。これは近々実験してみよう。



9月27日

虫の音や老母によりそい我が歩む

老人と住んでいるから老人のことが話題になる。老齢化社会でもある。
自分自身も老人になりつつある。老人で驚くのは自転車で二三分の所にも行けないことなのだ。新しくできたス−パ−にも行けない。行動範囲が子供の時と同じように極端に狭くなる。白内障とかで目も見えなくなるから書類も読めなくなる。歯がかけて食うこともままならなくなる。
80以上になるとみんななにかしらどこか痛んでくる。それで老人はみんな医者通いなのだ。近くの医者そのものが90近くなっている。老人大国になるのが日本なのだ。人生が80年になるのはいいが果たして社会にとっていいものかどうかはわからない。老人は弱者であり生きるにはつらい面が多いからだ

9月26日
はずされし看板一つ秋の風

9月25日


夕明かり川面に水脈をひく鴨数羽

なんのことない一場面である。これも写生の一つの俳句である。
写生だからつまらない、ありふれた一場面にすぎないとなるかもしれない。写生の極意は無駄を省くことである。詩などになると長いから無駄が生じてくる。俳句は無駄がないことで一句が成り立つ。夕べの沈む秋の夕日の明かりに水脈ひく泳ぐ鴨数羽根はその水を乱さず水に調和する。鴨と水は一体になっている。自然は絶妙に一体となり調和していることなのだ。人間だけが自然と調和しないのだ。だから醜いのである。



9月24日


露草に小菊の交じり小さき町



9月23日

パリよりの土産一つや我が家の秋
外国の土産の一つや二つはどこの家にも置いてある時代である。外国についての俳句も多い。でも俳句は四季がないところでは作り得ない。南国の世界には向いていないし俳句になりにくい。またアメリカのような広大な土地でも俳句は作りにくい。ヨ−ロッバは俳句に向いている。四季がありそれぞれに国と歴史がありこじんまりしているからだ。
俳句は外国人も作っている。国際性があるというのも簡単に作れるということにある。俳句はこうして毎日一句でも作っているのが向いているのだ。挨拶のように作るのである


9月21日


秋の蝉大きく山にひびき消ゆ

静かな山に鳴く蝉の声それは町で鳴いている蝉の声よりも心にしみる。
その蝉の声を聞いて山を下りる。山に暮らしたものはそこがずっ−と暮らしの場だったから過疎になっても山から下りたくないということがある。息子娘のいる都会に出て行ってもそこがいいところではない。山で暮らしたのだから山で静かに死にたいという気持ちがある。蝉の声は静かな山にひびき消え短い生を終える。しかし死んでも死者の霊は山にある。死者は山と共に生きているという感覚である。山には霊が宿るという。山には祖先の霊が鎮まるという。そういう信仰が自然と生まれた。
しかし都会では祖先の霊とも切り離される。ビルの谷間や自動車騒音,交通事故で死んだものは悲惨だ。都会に死者の霊の休まる所はない。墓はなくても人は山であれ森であれ自然のなかに抱かれ眠りたいと思うのが自然な感情である。そうした自然な感情さえ剥奪したのが文明だった。もちろん現代で実際山に暮らしているものがどう思っているかわからない,不便ばかり言っているきのが現状かもしれない、山に住みたくないというのも本音だろう。ただ人間は自然と切り離されて存在する時そこに幸福はない。いかなる生き物も自然のなかで生きるように作られたからである。

9月20日
上りきり峠の上の秋の空

飯館はかなり阿武隈高原で高い所にある。峠を自転車をひき登った。登り切ったとき満足感があった。澄みきった秋の空があった。峠でも自動車ではこうした満足感はありえない。自動車とか汽車は自然を遮断してしまうのだ。風とか水の音とかおそらく蝉の声や虫の声も遮断する。



9月19日


鳩群れて松質実に実りかな

鳩は平和の象徴である。松は質実なもので徳を示しそして実りの秋がある。自然は精神の象徴なのである。平和は松という堅実な質実なもの基礎にありて築かれる。そして確かな実りの季節がくる。何事やはり堅実な研鑽、努力の上にありて恒久の平和と実りが築かれる。怠らず勤めることが実りをもたらす。俳句にしてもすぐにいいものはできない。こうして毎日一句でも作って積み重ねてゆくことが大事である。そういう点でホームページというのは創作者にとって便利な表現の場なのだ。ただこれも本当に公表しているのかとなるとわからない。なんか草稿のような気もするのだ。ただ少数でも公表するということで練ったものを出すことにはなる。若い内はあまりいいものを作ろうとしてはいけない。訓練の時期であり作品化するには未熟な面があるのだ。
若いときの俳句をみたら多く作っても鑑賞にたるのはほんのわずかだった。俳句は簡単にできるから駄作も多くなるのだ。今でもなんか駄作を知らず作っている。これは俳句の宿命かもしれん。

9月18日
菊の香や相馬焼き伝ゆ一村里

相馬焼きはかなり古い。益子の方にも技術を教えに行っていた。あとで浪江の大堀で庶民のためにも作った。菊というとやはり伝統的文化を象徴するのか菊に関しては様々な故事がある。中国から入ってきたのだからいろいろ菊にまつわるものが多い。菊はヨ−ロッバにも咲いていた。どういうわけかドイツににわっていた。野菊も咲いていた。(ゲルマンの大地静粛に野菊かな)菊というとどちらかというと寒い国ににあうものなのかもしれない


9月17日

松が枝と白菊さしぬ五六輪
松と菊はあっている。日本人は松には特別な思いをもってきた。松は神の依代でもあった。菊もまた天皇の紋章が菊であるごとく日本人の文化を象徴するものである。松は杉とか他の木に比べて何か特別なものを感じるのだ。その一枝も正月には田んぼにさされ豊作を祈る。松は質実なもの人間に身近な徳を示している。ヨ−ロッバにも他にも松はあるが
日本の松は特別なものである


9月16日

虫の音や夕暮あわれ六地蔵

六地蔵は村の境目とか入り口にあった。確かに相馬に入る所にあるからあそこは境目だったかもしれぬ。しかしあの六地蔵に気づいている人は少ない。自分もわからなかったのだ



9月15日

我が庭に秋の日さして石に苔

苔を庭に植えた。苔は秋の日差しにあう。日本は湿気が多いから苔が多い。京都に苔庭があるごとく苔の国でもある



9月13日
虫の音や旧街道の祠かな
相馬市に6号線の脇から入る道が陸前浜街道であり松並木が一部残っている。日立木はその街道沿いにあった。木の下に小さな祠があったり六地蔵があったり昔を偲ぶものが街道沿いにはあるが今は新国道で自動車の道が主流だから忘れられた存在になっている。でも昔を偲ぶならこうした脇道にそれた街道沿いを行くことだが旅人も六号線を突っ走っていくから見逃してしまうのである。


9月12日

虫の音や墓に名一つ読みとれじ
墓は江戸時代のものが少ない。江戸時代のものに名前だけが記されたものがある。名字がもてなかったから名前だけがしるされている。その名前もかすれてわからなくなっている。その人についてもはや探りようがない。墓には無縁となったものが増えている。無縁墓として集められている。墓は捨てることもできないので実際は墓の墓になっているのだ。
名すら残らないのがこの世である。無情のこの世である。後日故郷の墓については



9月12日
静けさや十匹ほどの虫の声
 certainly hear
about ten cicadar' s voices
in a silenced place

耳を澄ますと十匹ほどの虫の音が聞こえる。辺りは騒音もない静かなところである。これも写生なのだが果たして俳句になるのか、詩になるのか、俳句として通じるのか不安になる。確かに10匹ほどはその静けさの中でひびいたし人間一人で聞き取れるのは十匹くらいである。生徒にしても10人くらいが教える限度だろう。そのくらいだったら聞き取れるということである。ただこれだけで俳句として鑑賞してもらえるかどうか不安なのである。「鶏頭の十輪ほどのありぬべし」とこれはにている。誰がその俳句の良し悪しを決めるのかというのもむずかしい、そもそも芸術の価値そのものを見極めるのがむずかしいからだ。
秋の蝉いくつ鳴き消ゆ村の道」蝉一つ一つの鳴く声が静かな自然のなかに反響してその命を終える。自然と一体となり反響し共鳴して鳴いているのだ。「静けさや岩にしみいる蝉の声」これも悠久の自然との合一を歌ったものである。文明騒音社会では自然に反響せず命は消耗される。

9月11日
 
 故郷の松質実に実りかな

9月10日

手作りの農家の店にむくげかな

6号線の農家の店に面白い花が咲いていた
なんという花かわからないが面白い。
農家の店にはむくげがにあうがこの花もにあっている。なんか南国的なのんびりしたはなだろう。大きい花は南国に多いからだ。


9月9日
 
 客を待ち秋の茶室に花を活く



9月8日

 つつましく小菊二輪の小庭かな

two little chrysanthemums
in my small-sized garden
the pretty ones


9月7日
 読み返す本こそよけれ秋の来ぬ
本は何回も読む本がいい本である。そういう本は少ない。古典といわれるものはそういうものだ。それは情報とは違う。古典はあるていど嫌でも読んでおく必要がある。本さえ意外と読まずに時間が過ぎてしまうのだ。若いときは読めても年取ると読書力も衰えるし読めなくなる。いい本を古典を読むことは大変である。むずかしいい読みこなすことが大変なのだ。
結果的に読んで理解したのはわずかであることに驚く。古典全集がぎっしりならべてあるのだがそのなかで心に残ったものはわずかである。理解力がなかったともいえる。とにかく
若いとき読んであとでまた読み返す本を持つべきである。それは極端に少ない。あとの情報的な本は読み返すことはない。とにかく「少年老い安く学成り難し」である。若いときは本などいくらでも読めると思っているがたいがい本も読めずに終わる。流行的な本より古典を読むべきである。インターネットは情報が多いのだが一冊の厚い古典のような内容あるものが少ない。無数の日記も参考にはなるが教養は身につかない、情報と教養は別ものである。

9月6日
 飯館に行く人まれにうなだれて
       我を待ちしかソバナの咲きぬ

飯館村は阿武隈高原だから寒い所である。稲の育ちも悪い時があった。今は牛の村である。かなり上に上るので自転車ではきついが大倉の方真野ダムから行くと坂を上らずにすむ。あそこはいつもしんみりとして村に入る道にソバナやツリガネニンジンがうなだれるように咲いている。こういう人のまれにしか行かない所に花はにあうのだ。しかし最近競馬の馬券場ができた。我が町では競輪である。桃源郷など実際ない。そこに住んでいる人は都会に棲んでいる人と変わらないことも多い。ただ自然が豊富なことはその美しい自然によって人間の醜さが隠されるからいいのだ。

9月5日

 我が得たる小さき庭の小菊かな

人間は小さなもので満足する、小さなものに祝福がある、大きなものを望むことは不幸の始まりである。日本人は小さな物に愛情を注ぎ小さな世界を小宇宙とすることが得意だった。大きなものはそれ自体が災いなのだ。大都会はすでにそれ自体に災いが内臓しており地震などで大被害を受けるべく定められているのだ。大きな国もアメリカであれ中国であれ大きなこと自体災いなのだ。大きな国はまるで恐竜のように戦う運命にありそれに小国も巻き込まれベトナムであれアフガニスタンであれひどいめにあったのだ。大きな団体もそれ自体が災いなのだ。宗教団体も大きいからいいのではなくそれ自体災い以外のなにものでもない。それらは人間的規模からはずれた異様なものなのだ。ニーチェとか上野霄里氏のような個人が異様にみえるがこうした文明的巨大なもの恐竜のように異様であり恐竜のように滅びる運命にある。なぜか神の御意にかなわないものは必ず滅びる、恐竜が滅びたのは神に御意にそぐわなかったから神が滅ぼしたのである。神が作ったものだが神の目に見てよくないものだったから滅ぼされたのだ。

9月4日

山迫り入江の深く唐桑に
 ヒグラシひびき旅路行くかな

唐桑半島は牡鹿半島から気仙沼に行く後ろに山が迫り奥深く入江があり鄙びた漁村が点々とあるなんとなく寂れた感じの所である。実際ここもみちのくなのだ。芭蕉の通ったのは今で言えばみちのくの表通りであり一部なのだ。みちのくはもっと奥深いのだ。ここも自転車で行ったのだが山が迫っているから坂が多い、坂で苦しんだ。ヒグラシというと蝉というと山がにあう、ここは背後に反りあがったような山が迫りそこに海が入江となっている。入江の漁村の港にはウミネコが来ていた。こうして自転車旅行しとのは体で覚えているから思いだすことができる。自動車や汽車では忘れるのだ。記憶に残らないのだ。あそこは汽車は通ってないから一段と寂れた感じに見えた。山にさえぎられて海に面しているのだがその海も小さな漁村なのだ。
俳句にすると「唐桑やヒグラシひびく山と海」日本は山があり海がある国なのだ。「ヒグラシやみちのく遠く尽きぬ道」とにかく印象に残る旅をするには便利ではだめである。不便であればあるほど皮肉なことにその旅は印象深くなる。


9月3日

ヒグラシやもう一坂を越え行かむ


日本は坂が多い。坂(さか)とは境(さかい)のことである。自転車旅行はこの坂でまいる。坂は若者のように上ることができない、自転車を引いてひたすら歩くのだ。これで時間がかるのだ。目の前にまた坂がある。もう一坂越えて日も暮れる。
これは実感だ。写実が大事というとき実感なのである。実感は空想とは違う。五体で感じたものなのだ。だから山頭火のように旅した人の
俳句は何かつたないものがあっても凄いものがある。あのように旅すること自体大変だからだ。現代ではあのような旅はできない、歩くこと自体できなくなっている。歩いている人がいるが途中でバスや汽車に乗っているのだ。そうなりやすいのだ

9月2日

この道に家五六軒や秋の蝉


町から離れた在の方に行くとそこは変わらない。そこは家が増えることもなくへることもない、いつもしんとして同じ家が五六軒あるだけである。そこに秋の蝉の声がさびしくひびく。自然はやはりこうしたさびしい場所に合うのである。秋の蝉の声を静かに変わらぬ家五六軒が聞いているのだ。都会や騒音化している社会では秋の蝉の声もかきけされてしまうのだ


9月1日
松静か一つ一つの蝉の声
「聞き入りぬ一日一日の蝉の声」とつづくものとしてアップした。
蝉の一匹一匹の鳴く声を聞いているのは静かな松である。微動だにせず松はその声に聞き入っている。一つなきやんだらまた一つ来て松にとまり鳴く、海岸だから蝉の数は少ない。蝉はみな同じではない、一つ一つの命なのだ。人間も十把一絡げにされるのはいやである。
しかし政治とか経済とか数がものいう世界では一人一人を個別に対処することがない、宗教団体でも一人一人より数だけが問題になる。その数とは権力に結びつく数なのだ。数量化することは物質化されることでありそこに愛は存在しない、ただ人は数として物として数えられるだけである。現代人の不幸の一つが数としてか認識されないことなのだ。一人は物の数ではないということで意味がないのだ。権力的にみて意味がないのである。いずれにしろ松は静かに一つ一つの蝉の声を聞いていた。自然は互いに調和しているが人間は調和しない、喧騒のなかに雑音のなかに命は消耗される。誰々が生きていた認識されるより金を使う一人分が消えたとか一票へったとかしか認識されない不幸がある。