2004-5月
私の研究メモ


小林勇一作

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フラワ-長井線で白鷹町へ(俳句、短歌、写真の部)2004-6-19


二本松まで(春の阿武隈をたずねる)2004-4月18日
冬の旅の記録へ(青森へ)
大江戸春の絵巻の詩2004-2-24
村の俳句から江戸時代を偲ぶ(生活感覚の俳句2)2004-2-18
江戸の生活感覚の俳句 2004-2-
江戸時代の魅力 1月30日(評論と鑑賞) 2004-1-30
日本詩歌紀行地図に「松江と常夜灯」アップ2004
秋の阿武隈高原から二本松へ(俳句短歌−詩−写真集)


注意⇒英語の俳句は自己流だから正しくありません
英語の勉強のために試しに出しています

2002年8、9、10月の分を一ペ-ジづつに作り直しました。
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2004年7月29日(木)
佐世保ナンバ-


夏の日や佐世保ナンバ-のバイクかな

六号線のコンビニに佐世保ナンバ-のバイクがあった。荷物を積んでいるから佐世保から来た。ずっと旅行してきたのだろう。若い人だった。さふすがに佐世保となると遠いなと思った。今の時期そういう人と出会っても不思議ではない、六号線だとそうなる。この前は女のライダ-がコンビニににいた。ただ今年は自転車旅行者を余り見かけないのはなぜか?
ちょっと不思議である。それなりに通っているのか余りみかけないのだ。バイクだったらいくら佐世保でもやはり自転車とは違い楽である。自転車とバイクはにているようでかなり違うのだ。

2004年7月27日(火)



今日一日事もあらぬや合歓の花

何も事件が起きないことそれが平和なのかも知れぬ。事件があるとき何か事あるときは不幸のときが多い。便りのないのは無事ということだというのもそのためである。一日小さな町に何も起こらない、それが平和なのか、ただ眠ったような活気のない世界にもなる。ネムとは眠いから来た名前なのか、そんな感じの花である。

2004年7月26日(月)
今日も開く百合


五六輪さらに匂うや百合開く

のうぜんのあふれ咲きたる仕事場に

百合が今日さらに何輪か開いた。ぷんぷんとこの百合は匂う。

2004年7月24日(土)
百合と馬


ぷんぷんと百合の匂うや帰る馬

馬帰るとは原町市の雲雀が原で神旗争奪戦から帰る馬のことである。
折しもぷんぷんと庭の百合が匂いを放っていた。この白百合は匂いが強い。
これで今年も野馬追いは終わりだ。

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2004年7月23日(金)
野馬追


野馬追の朝いななくや暴れ馬

のうぜんや野馬追の旗延々と

野馬追や馬いななきて出番かな

朝馬がいなないた。ああ、野馬追が来たとその瞬間思った。馬というのは今や出番がない、馬は活用されていないから人間と馬は疎遠になった。ここで馬を野馬追のためにだけ飼っている人もいる。これも費用がかかる。費用がかかって一年に一度野馬追いに出たいのである。野馬追は出れる人は武家の家筋の人でみんなは出れない、でも野馬追自体見るだけだから地元の人は全部参加するわけではないからあきるというか祭りに参加できないからやはり盛り上がらない所が問題だ。みんなで踊るとか神輿をかつぐとかではない、文化財保護のためにやっているようなもので地元にとってそれほど興奮するものでなくなっている。祭りもやはり現代に生きるものでないとだめなのだろう。いろいろな旗があるのが面白い。今回はデジカメの写真失敗した。画面一杯にとれていなかったのだ。こういうときの失敗はまずい。祭りは一回しかないからあととるチャンスがなくなる。二階からいい角度でとっていたが失敗だった。明日もう一回ためしてみよ。
時事問題にもう一枚写真のせた。

野馬追いビデオ(著作権フリ-)

2004年7月22日(木)
合歓の花


合歓の花隠れて農婦畑仕事

     野中の合歓の花

合歓の花ここに咲くかな安らかに
そがもとに今日も我は来たりぬ
我そに何を求めむや求るものなし
我に邪なる心なくそがもとにあり
これ幸いなるや樹と人と和みぬ
合歓の花に風はそよぎゆれしも
その影はこの小径に移りぬ
そは何をすべきや何もせざるべし
その樹の下にただ憩うべし
樹と人とはここに和みぬ
天より神の見たまいて良しと
夕日は沈み一村は暮れぬ


これはなんでもない風景だけどどこにでも風景だけど一本の樹であれこれと人が調和することこれが幸いであり美しいことなのだ。人間は絶えず人を害している。しかしこの樹は人を害すことがない、だから人から見ると奇跡的なこと、聖者なのだ。だからこの樹に近づけるものはまた邪心があってはならない、何か求めるものがあってはいけない、ただ無心にして近づく、無欲にして近づくことが必要なのだ。そんなこと誰でもできるではないかというがそれができないから世は乱れ調和しないのではないか?
自然と調和したものは本当に美しいのである。それが発見されていないのだ。どうしても人間は確かに働いてはいるのだが一分を争い走りつづけるトラック運転手のように自然との調和がないからただ疲労と不幸があるだけなのだ。何もしなくてもこうしてただこの野中の一本の合歓の花によりそうことこれは美しい絵となっているのだ。
合歓の花風にそよぎて百合と咲く

2004年7月18日(日)
若竹.


若竹に風のしなるや進むかな

I am going forword
young bamboos come to make it a wind.

この訳はinfooseekの翻訳でやった。風にしなるという表現がこうなるのか?
これは英語的表現なのかかもしれない、どうしても日本語的に訳すから
翻訳はむずかしいし英語力が自分の場合不足している。

この句も写生だった。俳句はその一瞬を写生としてきりとるのだ。これはしなるかなというのが良かった。人間に例えれば若者はしなる、柔軟性がある、適応力がある。海外旅行なんか言葉なんかできなくてもこの適応力と柔軟性があればできる。しかし老人はこの柔軟性と適応力がなくなる。だから冒険とか新しいことをはじめることがむずかしくなるのだ。
今日はからりと晴れた。浜通りは雨はたいしてふらなかった。今年の梅雨は晴れる日が多い。
女ライダ-が一人コンビニにより北に向かって走り去った。本格的な夏が来たみたいだ。

風受けて女ライダ-北へ去る

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2004年7月16日(金)

虹たちて子供喜ぶニュ-タウン

茅葺きの家の残りて藪萱草(やぶかんぞう)

蝶一つ眠りにつかむ草深し

虹を久しぶりで見た。子供が歓声をあげた、今やここは昔の町の面影は全然なくなった。ニュ-タウンである。こうして変わってゆくのが人間の世界だ。ここはあと一週間くらい梅雨がつづきそうだ。
2004年7月15日(木)
ジュ-イチ

ジュ-イチと鳴く声ばかり山の家

夕燕盛んに飛び交い都草

many crossing vital swallows
on flight in twilight
miyakogusas are in bloom


ジュ-イチと鳴く鳥がいる。本当にジュ-イチと鳴く、ちょっと陰気な感じだが面白い名付け方だしぴったりでもある。古代にホホキという郷がありこれはホ-ホ-ケキョという鶯の声から名付けた。ト-テムが鶯なのだ。ジュ-イチはジュ-イチ部落となる。鷲という名前は世界中にあるだろう。ト-テムになりやすい、現代より古代の方が昔の方が村とかでも魅力ある。現代は世界中が一様化してしまったから何か神秘性とか秘境性とかがなくなりつまらないのだ。昔を研究した方が面白いのだ。余りにも便利になるとかえって人間の生活は一様化され個性がなくなりつまらなくなる。世界中のあらゆる地点が知られものとなったからかえってつまらなくなった。昔は何か神秘的なのは現代では知り得ないものがそこにあるからだ。昔の椀は実際使っていたのは分厚い頑丈なものだった。長持ちさせるためには頑丈に作ったのだ。これも昔を考えるとき誤解する。今はお碗を芸術的にしか見ていない、だから華奢な薄い作りの椀を昔も使っていたと思っていた。芸術的に見ていたのだ。実用的だったら厚く長持ちするように作るしそういうものを使うのが日用品である。そこに昔を理解するのに現代の生活感覚から見ると誤解するのである。こういうことは常に歴史をふりかえるとき犯している過ちである。

2004年7月14日(水)
白薔薇


白薔薇を今日見ざりしも明日見なむそは汚れずにひそか咲くべし

この頃また梅雨にもどった。昨日は寒かった。気温の変化が激しい。
いつも通る道に咲いている白い薔薇、一輪残っている白い薔薇、それを今日は見なかった。外に出なかったからだ。でも明日は見るだろう。その汚れのない白い薔薇を見るために明日もある。ところがこれが汚れた人とあうとなると嫌になる。誰も汚れたものとは接触したくないのだ。しかし俗世間は汚れだから汚れに鈍感になっている。宗教団体などもこの世の欲でぎらぎらしたやつばかりである。そいいう所に出入りしている人の気持ちがわからない、カルトととはいえやはり汚れがわかるはずだからだ。ともかく自然と汚れがないから毎日その中に生きることは喜びになるのだ。だから農民や山で暮らす人などは汚れに染まらない、これも人によるからいちがいに言えないが環境により自然と清められるということはある。汚れが見えなくなるということはある。

2004年7月9日(金)
海の風


海の風今日も飛び去る夏の蝶

breezing winds from Ocean in summer
a big butterfly is going away today again

昨日は良かったが今日はまた晴れて暑くなった。なんか今年はやはり暑いのか、雨がふらない、暑いとどうしても海の方に行くことになる。涼しいからだ。海が近くにあるということはいいことだ。しかし砂浜はなく死んでいる。松原は気持ちいいのだが近くに火力発電所ができてなんか景観がそがれた。まあ、自然的にはめぐまれているし過ごしやすいといえる。だからある程度の暑さには耐えられるが家の環境は悪い、広々と見晴らしいいところだとすみやすい。

2004年7月8日(木)
白薔薇


釣り人の今日も幾人か夏の海

とりどりの夏の小径に蝶ふえる

この庭に咲きし白薔薇ひそけしやなお一輪の咲くを知りぬる

十輪くらい白い薔薇が咲いていた家の庭、ここを毎日通っているから知っている。今日見たら一輪なお隠れるように咲いていた。夏の日は輝く日であるがこの白薔薇はひっそりとししている。これはなかなか気付かない、赤い薔薇もいいが白い薔薇もいい、今日は涼しい日で良かった。昨日のような暑さだと何もできなくなっていた。

2004年7月5日(月)
クロスバイク


都草クロスバイクに走るかな

クロスバイクはのりやすい、近くはこれが一番だ。ブリジトンのはタイヤが太くパンクしない、タイヤが太いのを買うといい、片山右京のマウテンバイクは重くてだめだった。自転車は軽くないとだめだ。重さを考えた方がいい。自転車は中高年でもできる。登山より安全だし楽である。一カ月北海道を回ったらあれ北海道もゆくところがなくなった。日本は自転車で回れるほど狭い国である。こんな狭い国を自動車ばかり走っていることが解せない、自動車では全く旅はなくなる。自転車すら日本は狭いと感じたからだ。

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2004年7月3日(土)
鮎釣り

老鶯や隠れて釣りの一人かな

合歓の木の影曳く道や夕暮れぬ

尼蛙木陰に二匹誰か知る風そよそよと午後下がりの道

昨日は釣りする人は少なかった。今日は多い。多すぎる。鮎釣りだかここの鮎は今や味も何にもない、鮎がうまいのはやは会津だ。会津に食いにゆくほかない、でもなかなか天然の鮎は食べられない、一回だけ食べた天然のアユの味が忘れられない、食堂だった。子供の頃は鮎を食っていたがそれほどうまいと思わなかったが今は鮎は貴重である。これだけは食いにゆくだけの価値がある。

2004年7月1日(木)
老鶯


夏の蝶遠くに蔵王望むかな

老鶯心ゆくまでなお鳴きぬ

若竹の伸びる勢い風涼し


なぜ八沢浦から蔵王が見えるのかあそこが海を埋め立てて低いからなのか、それにしても不思議だ。相馬からも見えないからだ。あれは蔵王に間違いない、あれだけの山容はないからだ。

老鶯はいつまで鳴いているのか、十分に鳴いた。心ゆくまで鳴いた。私も心ゆくまでホ-ムペ-ジで表現できた。50何年間表現することもできなかった。ホ-ムペ-ジの表現はまさに心ゆくまで自分を表現できるのだ。一方的であったがこれまでにない表現の世界を開いたのだ。おそらくホ-ムペ-ジがなかったらこんなに短歌や俳句を書いていないからだ。その時々を書けるということは書くことに実にいいことなのだ。あとになると書けないからだ。だから旅のときもその時々のことを感想を書いておく必要かあるし記録しておく必要がある。あとでふりかえることができるからだ。外国の旅が通俗的で面白くないのはその場に関することが詳しくわからないからだ。だから外国までいってもったいないと思うのだ。旅も歴史がわからないとやはり深い旅にはならない、そこが一番の問題だ。

悠長なる時

時の歩みの遅かれ
老鶯は心ゆくまでなお鳴き
牛のごとく黙々と
大地を踏みしめ歩む
攻をあせるなかれ
その急ぐ手の技を休めよ
神の時の悠長さを知れ
昔を過去を反芻せよ
急ぐとて実りはあらじ
時いたらば自ずから
真の実りはあらむ
神の御意によりて
大輪の花も咲きなむ
急ぎて実りあることなし
ただ長き忍耐の内に
真の実りは自ずからあらむ
神の時は悠長にして
急がざればなり
ただ今日も一日成さず
口を噤みて終えぬ

2004年6月28日(月)
沖の漁船


老鶯のなお鳴きにけるかな故郷のなれにし道を今日も歩みぬ

梅雨曇り沖に舟見ゆ誰が舟や浜昼顔のここに咲くかな

梅雨がもどってきた。船が一艘波間にゆられている。あれは鴉(からす)浜から出た船なのか、そしてここに浜昼顔が咲いている。梅雨曇りの日、この情緒は地元に住んでいないとわからない、梅雨曇りで視界がさえぎられているが良く見ると見えるのだ。あの漁船で石鰈をとっているのか?今日も石鰈を食った。これは高いが食っている。地元でとれたものを食うことはまさに生産と消費がむすびつく、だから一艘の舟をまじかに見たとき、あの舟でとったものを食っているのか、この畑でとれたものを自分は食っているのか、それによって養われているのかとか考える。ところがバナナでも果物などはどこでとれたものかわからないがそこに生産しているものと消費するものは分離してただ金だけで買うものとなってしまう。これは人間的には不自然なことなのだ。どんなものでもそれがどこで作られ作っている人はどんな暮らしをしているのかなど知ることがやはり人間的なことでありこうしてし物だけが豊かで物だけで交流する、物だけの経済はどこか人間をおかしくすることは確かである。

2004年6月27日(日)
釣り人


老鶯や親子の釣り人日曜日

浜の方で親子で釣りしていた人がいた。のどかな光景である。近くに釣りするようなところがあるのはいい、私の親も釣りが好きだった。一緒に釣り
ついていったことがあったが子供の頃は釣りは好きでなかったし今でも釣りはする気になれない、待つのがいやだからだ。

2004年6月24日(木)
夏霞


しじみとる人幾人か夏霞

夏霞という季語は使ったことがない、山脈が霞んでいたから使った。しじみとるも季語になるからだぶるのか、真野川でしじみがとれる。前はとっていたが余りとれないと疲れるだけでつまらない、見ているだけなら疲れない、夏霞のなかに黙々としじみをとる何人か、それは一つの絵でもしる。こうして昔は貧しいとしても自然と調和した言いもいわれぬ光景がいたるところにあった。自然と調和しているからそれがいいもいわれぬ風情をだす、それは人間では作りえない、自然の造化のなかに人間が組み入れられるからなのだ。ともかく異常な暑さだった。

2004年6月23日(水)
夏の山


飛ぶ燕視覚を変えて夏の山

戯れる蝶のふえゆく夏の昼

走りつつ夏の山脈目に青し

夏はやはり山を見るのがいい、ただここの山は平凡である。高い山がないのがつまらないのだ。でも視覚を変えて見たら夏の山は違って見える。山は上るのもいいが見るのもいい、富士山などは視覚を変えると全然違ったように見える。山は見る場所や季節によって全然違って見えるのだ。


2004年6月22日(火)
夏の空


立葵今日も一杯の日ざしかな

夏の空吸いこまれ行く飛翔かな

白鷺の前田に二羽の夕べかな

我が家の軒に燕の巣を作り卵あたためしんぼう宿る

梅雨なのかどうか、今年は晴れる日が多い。夏はどうしても遠くでかけたくなる。やはり北海道がいいか、でも自転車でつぎつぎに回るのはあきた。一カ月回ってあきた。どこに滞在したほうがいい、中高年はとこかに滞在するのがいいがそういう宿がない、ライダ-宿は向いていない、沖縄は個室でも安かったからよかった。一日3千円くらいの個室に泊まるのがいい、そして近間を見るのがいい、一週間くらいはあきないだろう。そこからインタ-ネットで報告するとそれが仕事になるのだ。金はもらえないがやはり放送しているから仕事なのである。何か大きな鳥が夏の空に吸い込まれよにう飛んで消えて行った。夏はやっぱり遠くへ外へでたくなる。家の中にいるのは向いていない。

燕が巣を作って卵をあたためている。動物でも子供を育てるのに卵をあたためしんぼうする。忍耐、しんぼうがないと何物も実らない、天才は別にして忍耐、しんぼうがあれば何物かは必ず実る。知的なものすら才能ではなく忍耐強くつづけているとあとでわかることがあるのだ。だから継続は力である。こうして毎日書きつづけることは創作にとってはいいことなのだ。

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2004年6月16日(水)
小松の下に


我が庭の小松が下に五月かな

君に恋ひ いたもすべなみ 奈良山の 小松が下に 立ち嘆くかも (笠女郎)

これとあっている。デジカメ始めると写真が多くなる。今度のデジカメは映りがいいから写真がふえる。でも小さいと写真の良さがでていない、デジカメでみんな写真家になる。俳句とか短歌は写真に向いている。その場その場面での一句一首になるからそうなる。写真と合うのである。それも毎日出すのにあっているのだ。だからデジカメとインタ-ネットは新しい表現を作り出したのである。こんなに他では表現できなかったからだ。

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2004年6月15日(火)
立葵


懸命に走り来たれり立葵

老鶯や木陰に休みまた歩む

立葵朝の光にまぶしかな夏菊も映え走り行くかな

懸命に自転車で走る、そしてそこに立葵咲いている。人間が懸命に生きているところに花も映える。今の時代その人間が欠けているのだ。自動車だったら人間が懸命に坂を上るわけでもないし人間が生きている姿がないから自然も生きてこないのだ。
だから人間が歩むのは当たり前だが今や歩むということが新鮮なのである。だからわざわざ歩むという言葉を入れねばならぬのだ。俺は歩いているんだよと言わねばならぬ。歩いていることが普通でない、歩いてことに感動している人間自体異常なのである。歩くという行為が文明によって奪われたからだ。

2004年6月14日(月)
名前のわからない花



老鶯の鳴き合い静か森の中奥に一軒家のひそけし

名もしらぬ花まだありぬ何なれや風の涼しき夏の日の森

ひとところカボジャ畑や故郷に養わるればうれしからまし

例のカンゾウの咲いていた場所に名前のわからない花を見つけた。たいがいもう名前はわかっているがこれはわからない、ちょっと変わっている。わからないものがあるものだ。

2004年6月12日(土)


二色のつつじ鮮やか走り去る

この坂にでで虫一つ歩むかな

森の中隠され咲きし萱草の残るわずかや今日来てみれば

カンゾウは万葉で忘れ草と言っているが森の中に咲いていたかんぞうが今日行ったらほとんどなくなっていた。簡単に散る花なのか、だから忘れ草なのか?
はかない花なのかわからない、かんぞうにはノカンゾウとヤブカンゾウがある。ヤブカンゾウは赤いから忘れ草ににあわない、キスゲというのは山の上にしかさかないだろう。ニッコウキスゲなんか一日で咲いてはちる、尾瀬には一杯咲いていた。


2004年6月11日(金)
山の中の花


久しくも山の中なるその道を我は行かぬも花のひそけし

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2004年6月10日(木)
夏菊


夏菊やこの道今日も海にいず

2004年6月6日(日)
山吹

夏菊や今日も遠くへ自転車で

タンポポの綿毛に一群れ都草

山吹や川原に子供遊ぶかな

学校の近くに山吹田舎かな


デジカメで写真はいつも持ち歩きとっているのがいい、これは別に俳句にするつもりなかったがあとでただ並べただけで写生の俳句になった。これはむしろ写真の説明であるがそれでも写生の俳句なのである。写真があって俳句があるとなっているのが現代である。

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2004年6月3日(木)
八沢浦から蔵王が見える


夏の日に蔵王を仰ぐ八沢浦その山迫り雄々しきかも

黄菖蒲の一群れまた一群れや八沢浦に蔵王の見ゆかも

I look forth Mt.ZAO
in a summer day
The brilliant one
In the distance



不思議に今日蔵王が八沢浦から大きく見えた。雲一つなく晴れていたからだ。蔵王が八沢浦からだけ見える。雪の蔵王も見えた。ここから大きな山は吾妻でも安達太良でも見えない、蔵王だけが見える。蔵王はかなり遠いのだ。茂吉が陸奥を二分ざまにと歌ったが陸奥を二分するように聳えているというがここからまで見えるということは蔵王は広範囲に見えるのだろう。その範囲はしかし福島県、宮城県、山形県である。陸奥とはいいがたい。でも蔵王が見えることは感動的だ。大きな山がここにはないからだ。それにしてもなぜ今日こんなに大きく見えているのか、山は季節により天候により見え方がかなり違う、山の大きさが違ってくる。山は角度により見え方がまたちがってくる。あんなに大きく見えたのが不思議である。

2004年6月2日(水)
花かんざし


電線に燕や庭に花かんざし

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2004年6月1日(火)
夏の沼



老鶯や墓所の静かに山の中

蝶一つ肩にとまるや夏の森

初夏の日ざしに泳ぐ魚かな

牛蛙ひそむや奥の夏の沼

あめんぼういくつ波紋を広ぐかな

ポピ-に薔薇赤さの映えて真昼かな

清流のひびきに飛ぶや夏燕

今日は夏らしい夏だった。昨日は蒸し暑かったが今日はさわやかだ。また自転車でぶらぶらしてきた。堤の沼だか魚がいたのは意外だった。あそこの堤は小さいがなかなか場所もいいしトンボとかアメンボウとか魚や牛蛙など生き物が多かった。こんななんでもないところでもそれなりに自然があるといいものだ。そういうところでじっくり観察しているとあきないものである。自然を良くみることがじっくり観察することが楽しい。旅もいいが自転車ですら次への行程が早すぎる。ゆっくりゆっくり道草しして見て回るのがいいのだ。
そうするとこうして俳句なども一杯できるのである。中高年はスロ-が向いている。滞在型の旅が向くようになる。ゆっくり観察する旅がいいのだ。


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FINpix700はこのようにかなりきれいにとれる、持っても軽いしもちやすい、ただ付属のバッテリ-買うので二つ買うと8千円とられる。でもこれはおすすめである。なかなかデジカメ多くてわからないがこれは使った限りでかなりいい。