2004-5月
私の研究メモ


小林勇一作

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二本松まで(春の阿武隈をたずねる)2004-4月18日
冬の旅の記録へ(青森へ)
大江戸春の絵巻の詩2004-2-24
村の俳句から江戸時代を偲ぶ(生活感覚の俳句2)2004-2-18
江戸の生活感覚の俳句 2004-2-
江戸時代の魅力 1月30日(評論と鑑賞) 2004-1-30
日本詩歌紀行地図に「松江と常夜灯」アップ2004
秋の阿武隈高原から二本松へ(俳句短歌−詩−写真集)


注意⇒英語の俳句は自己流だから正しくありません
英語の勉強のために試しに出しています

2002年8、9、10月の分を一ペ-ジづつに作り直しました。
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2004年5月30日(日)
ライダ- 都草 デジカメ


6号線ライダ-行くや都草

海より風の吹きくる都草

デジカメでまたとりにくる草いきれ

今度のデジカメはやはりかなりいい、600万画素なのと動画も画像がきれいだしもちやすいのといろいろとりやすくなった。デジカメもっているとみんなカメラマンになる。というのはどうしたらいい写真とれるか試してとれるからである。写真は角度によって見映えが違ってくる。いろいろとったなかからいいの選べれからいいのだ。

2004年5月30日(日)
隠された花


一群れのかんぞうの花のここに咲く知らざりしかな昼の月あり

黒揚羽ひそか舞いさる森の道今日はじめて踏み入れるかな

誰か知る瑠璃草二輪誰昼の月

今日は新しい道ができたと思って入って行ったらカンゾウが咲き瑠璃草二輪が咲いていた。これも不思議だ。こんな狭いところでもまだ発見されないところがあった。というのは新しい道ができたからその道を行きこんなところがあったのだ。ここを知っていたのは昼の月だけだった。自分も昼の月だからこういうところを発見するのである。

2004年5月28日(金)
黄菖蒲

黄菖蒲や水増す岸の急流に

夏の日や風は遠くから吹いてくる

I feel the blowing winds
in the distance in a summer day


朝起きて芍薬十輪の庭に立つ

なんか夏らしくなった。今年は寒い日がつづいた。このところやっと夏になった。芍薬は今日は十輪以上咲いた。夏は行動の季節だから遠くへ行きたくなる。実際風も遠くから吹いてくる感じになる。夏はいつも北海道に行っていた。というのはちょうど梅雨の季節が北海道に向いていたのだ。ここから北海道は船で近いからである。
旅もデジカメで報告する旅は面白い。そもそも俳句でも詩でも芸術は鑑賞しているより作っている人が面白いし報道もそうだった。報道している人の方が金にならなくても面白いからしている。その場から報道することはかなり興奮することなのだ。報道すると見方とかいろいろ旅の仕方も変わってくるのだ。実際はそれは仕事になるのである。

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2004年5月27日(木)
芍薬七八輪そして白鷺


七八輪芍薬の庭に一日かな

白鷺の今日も前田に来たるかな歩み静かに乱すことなく

七八輪芍薬が咲いた。その花に囲まれて今日一日ある。それが幸いだ。
今日も一輪また明日も一輪開くだろう。芍薬の花は牡丹とにて豪華である。
七八輪という写生がポイントだ。五六輪だと少ないからものたりない、やはり俳句は写生なのだ。これは作っていない、現実に写真のように七八輪咲いているからだ。写真がだせるのがやはり現代の俳句短歌の創作に向いている。デジカメと一体となっているからだ。これが同人誌とか雑誌では出せないのが致命的なのだ。

前田とは農家の前の田でありそこに白鷺がくる。それは平和な風景である。白鷺はその前田に来てもみだすことがないからいい、人が来ると何か乱すものがある。自然と共に生活して時代は
心が乱されるということがなかったのかもしれない、そうした生活感覚というのは都会とはあまりにもかけ離れている。都会では絶えず人とあって人と明け暮れているから疲れるのだ。そういう生活は人間の本来の生活ではない、異常な生活である。そういう所に正常な感覚が養われるとは思えない、正常な感覚はこうした自然のなかで養われる。正常な感覚さえ養われない生活、それが現代文明なのだ。エジプト文明の方が人間的には正常だったかもしれない、そこには動物や植物との調和があったのだ。だから古代が遅れているとか一概に言えないのだ。現代に失われたものが古代であれ過去の方にあったのだ。

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2004年5月26日(水)
故郷の道一周

八沢浦白き菖蒲に風そよぎひそけき道やまた回り来ぬ

八沢浦行く人一人白菖蒲

畦の道タンポポに蝶のびやかに羽根を広げて日の暮れるかな

久々に晴れたので自転車で故郷の道を一周した。今度デジカメ新しいのを買ったので試しとりしている。600万画素になっているから前より確かに緻密にきれいにとれるみたいだ。このデジカメだけはビデオカメラより役に立つ発明だった。携帯電話が普及したように
デジカメも持ち歩きやすいことがよかったのである。ビデオカメラは重いしノ-トパソコンも重く持ち歩くには適したいないからだ。八沢浦はいつも淋しい所である。あういう所が住むにはいいだろう。いつもしんとして静まりかえっている。

2004年5月25日(火)
郭公

郭公やまた旅たたむ遠くへと

今日郭公が鳴いた、久々に快晴だ、今年の五月は天気が悪かった。遠くへ旅したくなった。

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2004年5月24日(月)
芍薬と蟻

芍薬に蟻数匹や庭暮れぬ

今日はこの辺の宅地改造で土地が新たに計られ税金とられた。税金をとられはずのものではなかったがとられた。ほんのわずかな土地が町のものだったとかこれは因縁つけられてそうなった。今町村の財政がくるしくなっているから税金にシビアになっている。
この宅地改造では何もいいことがなかった。世の中誰だって損する人と得する人がいる。今回の拉致被害者でもそうである。その明暗はあまりに差がありすぎる。
ここのところ寒いのでちょっと休みになった。天気も悪い、梅雨みたいだ。

2004年5月20日(木)
相馬の城跡の堀


相馬なる城跡の堀濁りたる黄菖蒲映り曇る空かな

最近俳句より短歌の方が多くなった。というのは俳句は短いから作りにくい、毎日になると特にそうである。短歌は長いから作り安いともいえる。俳句短歌第二芸術論を言った人がいたが確かに毎日書くとなると俳句は短すぎるのだ。
そもそも自分は俳句より短歌から始まったから短歌の方が向いているのかもしれない、でも正岡子規の言ったように俳句も短歌も写生なのである。これも濁っているというのは写生でありここはきれいでなくてもいいのである。相馬市にはそういう雰囲気というかなんか沈んだ古い感じの街なのだ。田町がわずかに街として新しくしたがなんか薄暗いとか陰気なものを感じるのだ。原町とは雰囲気が違うのである。だから濁った堀に映っている黄菖蒲というのがにあうともなる。それは関係なく明らかに俳句と短歌は写生でありそこに深みがでてくるのだ。

2004年5月18日(火)
相馬神社


白つつじ境内に映えつ黒揚羽一羽たずねてひそまりにけり

相馬神社はいつひっそりしている。白つつじが映えて黒揚羽一羽たずねただけであとは誰もたずねない、それがあそこにふさわしい。街中で静寂が保たれる空間は必要なのだ。城のあった跡にあるということで原町とは違った雰囲気をだしている。ただ城といっても堀があるだけでほとんど城下町の雰囲気はない、多少道が細く入り組んでいるところが城下町らしいとなる。田町は通りを新しくして相馬焼などを売る店を作った。
買い物はbookoffだった。このつづきは時事問題16で読んでください。

2004年5月17日(月)
都忘れ、白つつじ

雨の日に都忘れの一群れのここに咲きつつ時のすぎゆく

白つつじ境内に咲きひそまりぬ黒揚羽一羽舞い入りされり

神主のひそみ隠れて白つつじ

都忘れは誰が名付けたのかいい名前であるし不思議な名前のつけ方である。都を意識してその都を忘れることが都忘れなのだ。この花は自分にふさわしい。まさに忘れられたように存在しているし隠者の花なのだ。隠者とか世に隠れるとかは精神的には欲から離れるのには効果的だから古来そうしてきたのだ。あまりにも今はあらゆるものが世俗にまみれすぎるのだ。神社とは何なのかこれはわからない、ただ何かを祭っているとしたらこれも土地の先祖が祀ったものだから相馬神社だったら相馬氏なのかもしれない、神社は人気がなくひっそりしているのがいいのだ。賽銭なんかも投げられない方がいいだろう。賽銭にはこの世の欲がこびりついているのだ。賽銭もらえないならやっていけないとかあるがいづれにしろ宗教はかえって世俗的になりすぎたのだ。宗教で飯を食っているやつはほとんど宗教的でもない世俗的なものになっている。かえって宗教を語らないものが宗教的になったりしている。だから自然をそのまま祀った方がいいくらいに思える。白つつじだけがいつもそこには浄めるように咲いているしこれ神主の白装束も連想させる。自然を見ている方が心は清められるのである。

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2004年5月16日(日)
エビネ、延齢草、柳


我が庭にエビネの白く延齢草石雨にぬれつここに咲くかな

雨に濡れ田植えのあとの柳かな

田一枚植て立去る柳かな (芭蕉)


柳は田に似合うのか、雨の中に柳が一本、田植えのあとであった。
ここに代々田植えがつづけられてきた。しかしどういうわけかそこに小さな団地ができた。これは火力発電所の寮なのだ。この下には中世の遺跡が発掘された。それに立ち会ったことがあった。風景も変わる。田さえなくなっているきもあるだろう。ただこの一本の柳はいつまでもあってほしい姥柳である。
これも日本的風景である。芭蕉でも蕪村でも類似俳句の批評が面白い。
写真は明日とってきて出して見よう。

2004年5月15日(土)
ス-パ-のツツジ


ス-パ-に集まる人やツツジ咲く

今日ダイユ-でマグロの解体をやっていた。目の所を解体して売っていた。沖縄のメバチマグロで62キロとか、沖縄でとれるマグロがあった。沖縄ではマグロ食わなかった。人の今一番集まるのはス-パ-である。赤いツツジが咲いていた。人の集まる所ににあう花は意外と少ない、深山幽谷に咲くにあう花の方が多い。桜とかツツジは人の中に咲いて価値を見いだすものとなった。万葉集には桜の歌は少ない、梅の方が多かったからだ。梅もまた人の中で生きるようになった花である。これは中国から入ってきた花で日本化したのだ。一万くらいの人口で三つもス-パ-があるのは多い。それでもそれなりにやっている。回りが田んぼだというのも田舎である。

2004年5月14日(金)
黄菖蒲


黄菖蒲や野良に働く真昼かな

今日は原町に行き新しいデジカメ買った、このデジカメだけはインタ-ネットにもだしたし使った。これほど有効に使ったものはなかった。パソコン関係は買って損するものが多かった。このデシカメは3万なのに20万円分くらい使い用があった。特にインタ-ネットに出したから余計有効だった。道具でも物でもどれだけ使えるかで価値が決まる。どんなに高くても使えないと価値はないのだ。パソコンのソフトは使いこなすのが大変だから無駄が多すぎた。
フリ-ソフトの「紙」が一番役に立っているという皮肉がソフトにはあるのだ。まあ、夏は戸外で働くのは気持ちいいだろう。ただ今はみんなトラクタ-とか使っているから情緒はない、山の中でもあの隠し田があった板橋のあった阿武隈の山の中でもそこをトラクタ-を使っていたので情緒がなくなった。あの板橋をトラクタ-でわたったのか壊れてしまいそうな板橋なのに、今はともかく何か情緒がそがれることが多すぎるのだ。

2004年5月13日(木)
白鷹町の深山紙



白鷹の町の遠しも深山紙のここに作らる一度たずねむ

東和町の白猪とか地名のことを相馬郡の部の地名散策で書いた。白がついているので白鷹という町に注目した。これは民俗学者が紹介していた。深山紙というのはここで作られ最上川を伝い江戸の方へ売られていたいい紙だったらしい。つまりこうした地元の産物がなくなったということはまさにその土地の空洞化をもたらした。その土地のもので生産される所にその土地の意味もあるのだ。地元で作られているからこそその土地の価値もでてくる。こんないい紙を作るのはどこだろう、あれずいぶん山深い所だなとなり不思議にさえ思うのである。実際米沢線から別れた長井フラ-ワ-線というのがあったのだ。これも発見だった。こんな線があることに気付いていなかったからだ。これは一度行ってみる価値がある。ただ今は実際はそこには何もないが奥深い所なので行きたいと思った。つまりこういうことを知らないとただ行っても旅はつまらなくなるのだ。その土地土地には何かしら歴史であり産物でありあるからだ。

ここのところここはしばらく休んだ。やはりこれだけ毎日書きつづけるのは容易ではない、疲れることもある。書くことがなくなることはないが今回はしばらく休んだ。この文は地名散策かにバ-チャルトリップとしてあとでだしてみよう。

2004年5月9日(日)
最後の白椿散る


白椿最後に残る一輪の今日散りて春は行くかな我が庭の裏(うち)

白椿は長く咲いている。嵐に散り風に散り静かなときに散り今日ひっそりとまた最後に残っていた一輪が散った。
そして春も終わりとなった。今年の春も去年と違った春だった。年によって春は違う。それも不思議である。人間は同じものを見ていても同じではない、心持ちで常に変わって見えるのだ。
また個性によって見えるものが違ってくる。地域によっても違ってくるから多様な世界になるのだ。

2004年5月8日(土)
藤と社


神道が何なのかわかりにくい、何を拝んでいるかもわからない、教典も何もない、これも外国から見たら不思議である。神道はもともと自然宗教である。汚れを拒否する空間であった。自然の中の聖なる領域を守ることだった。罪がつつむでつつましいとか汚れを自然の中に隠す、自然によって罪を清めることであった。古代の自然はそれほど神聖なものに映ったのだ。今とは違い日本の自然は水もきれいだし神聖なものに映ったことは確かである。しかし今の宗教や神道でもそれはこの世の欲のために使われている。なんらか願い事にするのにもこの世の欲がからんでいるからなんか汚れた感じになる。でも相馬神社はあそこ静謐であり物音一つしない、そういうふうに静かなことはやはりこの喧騒の時代に一つの聖域となっている。だから藤の花が垂れて白いつつじだけが映えてほとんど人気がない、それで清められる感覚がここにはある。

藤の花社に垂れて静けきや白きつつじのここに映えつつ

藤の花社に垂れて静けきや足音ひそか誰か来たれる

2004年5月5日(水)
鶯来る


朝静か御障子のなかこもりいて鶯来鳴きひそか去りにき

おだまきのうなだれ咲きて雨しとと庭に石二つ黙す日々かな

a columbine is in bloom to rain.
twined wetted stones
in my garden
day by day in silence

日本の美意識は源氏物語から何か内に屏風に隠れた絵や障子の中でひっそりとこもっている。
茶室でも隠れ家だし何か欧米のようにあからさまにしないの美意識があった。これは農耕民と遊牧民の違いだろう。奥ゆかしいというのは奥にある床でありそういう所にこもっているのが奥ゆかしいとなった。余り目立つことは日本人は嫌ったのである。
そのこもっている室から虫の音とか鳥の音とか耳をすまして聞いていたのだ。現代の騒々しさはこうした奥ゆかしさを全く奪ってしまった。これも日本人の心の荒廃につながっている。日本人がつちかってきた美徳の喪失である。なんでも外国をまねるのがいいのではない、やはり日本人がつちかってきたものを見直すべきなのだ。

毎日黙している生活は精神上非常にいい、しゃべると精神が消耗する。社会生活すると口を汚すことが多くなる、口で罪を犯すことが多くなるのだ。だから聖とは耳と口に王とあるから口をつつしむことは大事なのだ。こういう精神を清く保つということがいか意外とないがしろにしている。善行については慈善についてはやかましく宣伝されるが心の修養については余り言われないのが現代なのだ。


2004年5月3日(月)
風に一挙に散った牡丹


 六輪の牡丹一挙に風に散る

六輪の牡丹一挙に突然の風に吹き散るはかなかりしも

六輪咲いていた牡丹が一挙に今日風に吹き散らされた。七輪今年は牡丹が咲いたが六輪が残り今日一挙に散ってしまった。はかない豪華な牡丹の最後だった。かくして時は移ってゆくのだ。牡丹は花の咲いている時期が短い、散り安いのだ。花が大きいだけに散り安いのである。

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2004年5月2日(日)
山の中の碑


春の日や古き碑たずぬ山路かな

この碑は南無阿弥陀仏と書いてある。日蓮系統は東北には少ない、南無妙法蓮華経は少ない、日蓮宗は京都など町衆に広がった。
真宗は農民が多かったのだろう。古い碑を見るときはいつの時代かが大事である。江戸時代前のものはほとんどないだろう。江戸時代でも前期のものはかなり貴重である。ただこれも年代はわからなかった。字が読めないのである。
古い碑を調べれば多少は郷土史に親しめる。ただなんの意味かわからないのが多いのだ。これは三つ仲良く並んでいたから目にとまった。自転車だとこうして道端のものも注意深く見れるからいいのである。バイクとか自動車は通りすぎてゆくだけである。写真で見ると後ろに山があり木の間にありなんともいい場所にあると思った。やっぱり誰か死んだ人がこの碑の下には眠っているのだろうか、そういうことがわからないのでこまる。ただ意味なく神社であれ碑もあるわけではない、その意味がわからないことが郷土史を調べるとき致命的なのだ。詩になっても歴史ではその意味がわからなくてはまさになんの意味もわからないものとなり歴史的意義も探求できないのである。

2004年5月2日(日)
庭のエビネ


我が庭の人知らじかな淋しかもエビネの花のひそか咲くらむ

このホ-ムペ-ジビルダ-の日記形式は簡単に別ペ-ジに移行できた。
一カ月後とに変えるのもめんどうだった。とにかくこのホ-ムペ-ジは毎日書くことだから簡単にできるものでないとめんどうになる。
二年くらいつづけている。それなりに書くものがあるものだ。まずこういう表現の仕方自体なかった。だから新しい表現のげいじゅつなのだ。メデアは作り出したartなのだ。
その日その日を注目して出すということは創造するものにとっては刺激になるのだ。あとからだと忘れる、そのときの興奮が消失するからである。