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子規の鶏頭の句について
類似俳句について
詩の鑑賞(桐の花)
寒菊の詩
英詩の鑑賞
幸福の鳥
NHKの「おらが春」を見て 

形見の碑一つ(みちのくの境界について)相馬郡の部(鹿島)に移動
寒月の句

魯山山行 (漢詩と俳句)
NOON-SILENCE(英語の詩の翻訳の試み)A lyre-bird2003−6月
川の俳句 2003−6月−6日
郭公の俳句と短歌
写生俳句の極致(薔薇の俳句)6月25日


     子規の鶏頭の句について

何故俳句に評論が説明が必要かというと一句が短い故に深くその背景を読まないと理解が深まらないためである。俳句の一句は高度に人生をすら凝集したもの故どうしても評論が必要でありそれが楽しいのである。詩とか小説はすでにそれが長いが故に説明することが必要ではない、短歌もそうであるが俳句の場合は特にそれを感じるしいためである。日本文化の余白を大事にするという、その余白を語ることは詩を説明することは控えるべきなのだが俳句は余りにも短い故にそれだけではたりないものがでてくる。俳句と短歌にはなぜ添削がありうるかというのも表現を凝集して学ばねばならない、ちょっと手直してみると見違えるようになる場合がある。他人の詩などは直せないのだが俳句や短歌は直せるというのも詩として季語などの共通した文化の土台を持っているから他人の俳句でも直すことができるしわかりあえる面がある。一方で詩などになるともうなかなか複雑な個人の精神の回路の中に入るから理解しにくくなる。

鶏頭の十四五本もありぬべし(子規)

この句は議論をよんだ句だが写生を追及したものとしてはそうなるのだが私にはどうしてもこれが詩とはならない
ただ十四五本鶏頭があったと詠んでそれで詩になるものだろうか?そこには俳句を詠む方になんらかの感情移入が必要でありる、写真と絵の違いは写真とは合成したり切り取ったりして使える、写真にはそういうことが簡単にできるものがある、しかし絵にはできない、絵は作者の創作の意図が如実に出てくるのでその一部分を切り取ったり合成したりできないのである、写真も芸術なのだが非常に模倣しやすいし合成したりちょっと工夫すると元の写真と違ったものになるのだ、絵の場合はそういうことができない、完全に模写するほかないのだ、つまりこの句は写真にすぎないのである、写真も明確に芸術だが写真のすべてが芸術になることはできない、どうして十四五本鶏頭があるというだけで句になるのか、これは非常に平凡な写真ではないか,何らかの作者の感情移入が必要でありそれで句になるし創作した個性化したことになる、この句より十四五本アップで映した写真の方が芸術になっているのではないか、現代は映像的効果を出さないと芸術的価値が弱くなっていることは確かである。過去にとった写真をみてまた俳句を作ったりしている、写生という時今は写真というのがまさに写生そのものでありしかし写真がすべて芸術的なものとはいえない、これは平凡な写生としかいいようがないのでは?
    
    
誠実の証しや鶏頭五六本

自然は自然自ら自然を価値づけることはできてい、それがどんなに美しいものでもその美しさを認識するのは人間であり価値あるものとするのも人間なのだ、鶏頭の現しているもの、それは何なのか、花言葉があるように花にもいろいろな意味づけしているのが人間である、その真っ赤な鶏頭は一点の疑う余地もないほどに赤々とその真実を示していないか、誠実を示していないか、美と真理と善も一体のものであり詩が目指すのも単なる美だけではなく義であり真であり善である、これらが一体化した時本当の芸術があるのだ。花鳥風月だけでは浅薄なものになりやすい、芸術と宗教は不可分なものなのである。故にどうしても鶏頭が十四五本あるでは芸術的価値もまた絵画的写真的価値すらもないのでは、画家が絵を描く時その画家の個性でもって描くのでありただ単なる写生でないことは確かなのだから,いづれにしろインタ−ネットの時代は表現の窓口が大きく開かれて何をかを表現することが容易になった、一方で誰がその価値判定をしてゆくのか、何であれ表現したならば必ずなんらかの評価があるものなのだがインタ−ネットの世界ではそうしたこともなく放置されやすい面があるようだ、というのは一見まるで自分が主役に自分のみが画面に映し出されているような錯覚を与えるのがこの世界だからである。実際は自分だけが読んでいるという世界になりかねない、インタ−ネットや通信の世界の錯覚がそこにある。 
しかしどういうふうに相互のつながりを持たせてゆくのかむずかしい問題である。

この鶏頭の句を自分が添削、発展させてみた

 鶏頭の赤さを増して十数本

それは見れば見るほど赤くなり互いに相乗効果で赤さを増してくるのである。俳句は一流の人の俳句でも添削がありうる世界なのだ。自分自身も前に作った俳句を添削し続けているのである。俳句は駄作が多い、でもあとから直すと良くなる場合があるのだ。つまりどれだけ詩として無駄なものを省いてゆくかということが大事なのである。贅肉を落とす作業が必要なのだ。だから他人の目で添削されることをいやがるのも問題である。おそらく自分自身も添削されるし自ら推敲して添削を続けているからだ。このようなことは現代詩などではありえないから互いに研鑚しあえるのが俳句や短歌のいいところなのだ。

     正しき道に
   
   実りの黄金
   十数本
   鶏頭の赤
   黒光りして
   千歳の大岩
   独立の峰
   信頼の松
   正しき道を
   人は行くべし 


追加

やっぱり子規の鶏頭の句は写生の究極的な問題提起だった。
寒椿一四五輪もありぬべし
この句を作ってみてわかった。鶏頭にはこれが俳句なのかということを疑ったが自ら作ったこの俳句には写生の良さがでていた。ここに全く無駄がなく写生として表現されたからである。余計なものを一切言わずそのものずばりの世界がかえって表現をひきしめたのだ。やはり俳句の基本は写生にあることはまちがいない、この句この句を作ってみてわかったのである。


類似俳句


俳句は短い故にいろいろに分類できる。類似俳句というのは似たような俳句がある。これだけ作られているものだからまるっきり同じものもある。実際インタ−ネットで俳句を探していたら平泉で秋の蝉のことを俳句にしていたのだがこれは自分の作ったのと全く同じだったのだ。同じ俳句がかなりの数であるかもしれない。類似俳句とはまるっきり同じなものではない、似た発想から俳句化したものである。

蚤虱馬の尿する枕元  芭蕉

蝿唸るライダ−ハウスも面白し

これは同じ発想から出たものである。そのライダ−ハウスは大きな農家の納屋を改造しライダ−ハウスにしたのである。私はたまたまがらんとしたその納屋に一人泊まった。まだ5月でライダ−の人は来ていなかった。そこで唸っていたのは蝿だけでありそこで下着を洗い干したりした。洗濯機とかライダ−ハウスには用意してある。
家にいて蝿が唸っていたらいやなものだが旅していると蝿が唸っているのもまた一興というのもすぐに去ってゆくかもしれない、ライダ−は蝿のようなものとして見られるのかも、北海道はライダ−天国でもある。

下着干しライダ−ハウスに蛙鳴く

それにしても800円は安かった。そこの農家の人はトラクタ−で耕していた。近くに写真家の人が住んでいた。これも実に奇妙な風景だった。美瑛は写真のメッカのような所でありどこをとっても写真になる風景が広がっている。若い東京から来た女性が手伝いとして働いていた。前に住宅のような小さな家が二軒空家になっていた。なんだろうと思ったら離農した人の家だった。こうした廃屋がかなり目にしたし北海道で農業やることはかなり厳しいらしくその農家の人も文句たらたらで最後には中国人の方がましだというのにはちょっと聞く方もんざりした。いづれにしろ今回のような旅ほど不思議な変化のある旅をしたことがない。自転車で旅したためである。帰る時に写真家の人が家の前の蕨をとっていた。一人で暮らしているのも大変だと思う。特に冬を一人で過ごすのは大変である。凍りついたような樹の影が冬の瑠璃色の空に雪の平野に影を落としている写真が飾ってあった。

瑠璃色の空に凍てにし樹影かな

蕨とり写真家の棲む美瑛かな

他に類似俳句として

指触れて加賀の春霜厚かりし 高野素十

十勝岳残雪厚く農家かな


この句の成功はやはり加賀というのと春霜というのがその地域の特性をにじみださせたことにある。その地域に棲まないと俳句にできない地域の独自性があり地域の季語がありこれも俳句の特徴である。雪も日本海の雪、長野の雪、会津の雪、秋田の雪、北海道の雪とみな雪質も違うし歴史的自然的背景からもその雪は違ったものなのである。十勝岳が5月なのに残雪がぶ厚く覆っていた。
俳句であれ短歌であれこの類似したものを分類したりすることは互いに共通なものを探求している共同体験が出てくるので面白いのだと思う。世界的にも人間のなすことは共通であり互いに理解できるものなのだ。ただ言葉の障害などでそれが大きく見えるだけなのだ。俳句の楽しみ方としては類似俳句を見つけることがありそれぞれに作った俳句に類似なものが見出せることがある。ただまるっきり同じものもあるということを頭に入れておく必要もある。それほど俳句の数は膨大になっているのだ。

   詩の鑑賞


 人の世よりも

人の世よりもやや高き
梢に咲ける桐の花
そは誰人のうれひとや
ありとしもなき風にさへ
散りてながるる
散りてながるる
桐の花
薬の香ほどにほろにがい
ほろにがい香に汗ばみて
やがては土におとろふる
あわれはふかい桐の花
ああ桐の花
なにかおもひにあまる花
そはこの花のしたかげに
たたせたまひしよき人の
肩にもふれて
昼ふかき土にまろびし桐の花
その花ゆかし遠き日の
あとなき夢を手にとると
はやむらさきのおとろへし花のひろへば
蟻ひとつ走りいでたり
時去りぬ
この花うたて
桐の花
ありとしもなきなか空の
風にながるる
風にながるる
あとなき夢のされどなお
うたてゆかしき桐の花

          三好達治

             
     桐の花の章

    ひっそりとひっそりと余りにひっそりと
    ありとも知れず声もたてずひっそりと
    うすい青い空にそは消え入るや
    その花に手を触れるな!
    汝の手は汚れてあればなり
    そは知らずや墓所に散り重なりぬ
    しととしとしと細い雨がふる
    沈めるピアノのリフレインのように
    しととしとしとしとしと・・・・・
    会津の奥の一部落誰か訪ねむ
    静かに花のさされて眠る墓

         ・・・・・・・・・・・・・・・・

まず大和言葉の美しさがよどみなくこの詩には流れている、今日の詩はただ難解で言葉自体の美も破壊されている。俳句と短歌は定型なる故にそこで宝石のように無駄をくもりをとり磨くことができる。戦前から戦後の十数年まではまだ日本語の美は生きていたのである。情緒もあったのだ。それが極度の物質文明の追求の中で情緒すら失われ日本語の大和言葉の美すら失われたのだ。そのことは日本人の心すら失われたということである。その日本語の言葉の美が失われると同時に日本人は醜くくなったのだ。言葉と精神は密接に結びついてをり言葉が乱れる時精神も乱れ荒廃しているのだ。
桐の花がいかなるものか私の桐の花の詩と通じるものがあるので参照されたし。私の場合は会津が桐の産地で会津にあう花として書いたのである。自分の各地を旅してをりその土地に合うというかその土地からにじみでるようなものを謳おうとしている。つまり自分の場合旅することが詩であり旅の詩が多いのである。詩もこうして先人であれ同時代人であれ共通性を見出す時面白いのである。現代詩にはそういことはない。異星人と語るようなもので理解しえないのである。
いづれにしろ「うたて」などという言葉は死語になってをり直感的に日本人でも今やわからないのだ。言葉は西洋ではロゴス(論理)であるが日本語は感覚的なものなのだ。その日本人が今や感覚的に古い日本語を理解できなくなっているのだ。凄まじい時代の流れの中で伝統は見失われて言葉も失われつつあるのだ。だから過去との精神的つながりがもてなくなる危機でもあるのだ。詩の伝統がありそれはまた人により受け継がれ発展されルネッサンス(再生)されるものなのだがそれがなくなりつつあることはゆゆしきことだ。現代詩は過去との日本の伝統とのつながりがない断絶した文明による人間の崩壊を語り言葉の混乱と分裂的理解不能の詩を書きそれで自己満悦に陥っているのだ。
ホ−ムペ−ジで俳句短歌を書き詩をみてもいいものが探せない、自分の力不足かもしれないがとても探しきれないし読む気力もなくなった。それよりやはり古典を過去の秀作を熟読玩味した方がいいと思ったのである。



寒菊

これは名古屋の古本屋で買った古い詩集の一編である。昭和21年に出したもので作者は井上康文という人である。本が古くなりかなりいたんでいる。本の耐用期間も50年くらいかもしれない、ただ本も古くなり骨董品のような味合いが出てくることがある。そこでその古くなった状態のままで出してみたのである。
寒菊という俳句の季語が入っているのでわかりやすい、俳句や短歌から詩に発展するものが一番わかりやすいのだ。現代詩がむずかしいのは日本の詩の伝統からあまりにもはずれていて理解できないくなり大衆からも離れてただ理解できない詩をやたらと長く書いては自己満悦に陥っている。つまりそこには詩などないのだが理解されないことであたかも高等な詩を装っているのである。
私は旅に出た時にその地方の本をおみやげに買う。記念として買う。ほとんどいい本はなかったがこの本は何がしかの発見があった本だった。デジタル化の時代古本の復刻判を作り売るということもなされているしデジタル化されると古本にはならないが骨董品的価値は喪失する。古くなるということで味わいがでてくるものがあるからだ。
インタ−ネットの出現で古本がよみがえるように忘れられていたものが蘇る可能性があるかもしれない、例えば地域の情報などあまり目にとまることはなかったがそうしたものも注目されるということもありうる。マスコミにのらないものは今まで存在しないものだったのだ。存在させられなかったのだ。
しかし個人が独自の視点でとりあげたものが注目されることがこれらからありうるのがインタ−ネットである。この個人の独自の視点というのがインタ−ネットでは大事なのだ。個人をどう語るかが問われているのである。今まではその所属している会社や機関やその他の団体、組織の方が主役であり個人はそれに付属するものだった。インタ−ネットでは記者でも何か書く時、記者個人の意見は何なのかと問われる。新聞社であれ雑誌社であれそういうメディア、媒介を通さずその個人が何が言いたいのかその個人を語れとホ−ムペ−ジでは要求しているのである。
だからこのインタ−ネットのホ−ムペ−ジではマスメディアと違い集団の組織の表現の場ではないし、それぞれが個人を語る場なのである。何もむずかしいことでもなく個人が経験したことをありのままに語るとそれは小説以上に訴えるものが出てくるしまたそれを要求するのがこのメディアの特徴である。でもそれが読まれるのがむずかしいとなるとただ単に自分の誰も読まない日記になる。現実膨大なホ−ムペ−ジにしてももはや個々の日記を読む酔狂な人はどれだけいるのか。個々のつながりがなくなってしまうのもこのホ−ムペ−ジの問題なのだ。


英詩の鑑賞


     発想の転換こそを 

                      ワーズワース

よく聴くのだ、鵜のあの爽快な鳴き声を
あの鳥も深遠な聖職者なのだ。

万象の光輝燦然たる世界に出てくるがいい、
そして、自然を師として仰ぐがいい!

自然は、人間の精神と心象を浄める
無限の富を貯えた宝庫なのだ。
その健康な姿を通して、知恵が脈々と避り出、
その快活な姿を通して、真理が脈々と避り出て

春の緑の森の一瞥がもたらす感動は、
すべての賢者以上に、人間について、
人間の善と悪という倫理の問題について、
我々にさまざまなことを教えてくれる。
自然が与えてくれる教訓は快く胸をうっ。
我々の小賢しい知性ときたら、
事物の美しい姿を台なしにしてしまうだけだ、



 
幸福の鳥

The happiest bird in the Gardenn of God


自由の鳥よ、自由の鳥よ
おまえは何ものにも縛られることがない
おまえは幸福として作られた
その美しい姿と自由の翼を与えられた
おまえは広い森に美しい声でさえづる
すると森の奥から呼応して答える
やはり友の鳴く美しい音色がかえってくる
おまえの声は淀みなく森にひびく
その声に偽りもなく嘘もない
その天真の声は身も心も清くする
人間には嘘があり偽りに満ちている
おまえは嘘つくことも偽ることもできぬ
何一つ隠すことのない天真の姿そのもの
アダムは神の戒めを破った時
神より問われてその姿を隠した
やましき故に神より目をそむけた
しかし鳥は罪を犯すことができぬ
鳥は愚痴を言うことも嘘つくこともできぬ
鳥はいかなる時も美しい声で歌っている
それ故に鳥は幸福なのだ
自然はみな神の御意のままにあり神に仕える
神の荘厳な宮居が自然である
鳥は神よりじかに養われて自由の神の園に
喜々として歌いつつ飛ぶのだ
罪なきものそれは神の園にありて
最高の幸福に生きる
彼はその時死ぬこともなく永遠の命に生きる
神の祝福が限りなく注がれるからである



NHKの「おらが春」を見て

NHKの「おらが春」というのを見た。

 生き残り生き残りたる寒さかな

一茶の生涯はまさにそうだった。この一句に集約される人生であった。江戸で俳句の宗匠とかで生活していた。パトロンがいて幇間のようことをしていたのか。弟子をもって添削などして金をもらっていたようだ。今でもそんなことをしている俳句結社などあるようだ。俳句や短歌の添削などされるきではないし俳句や短歌の結社など入るべきではない。そんなところで俳句の宗匠だ、短歌の師だなど金をとったり師匠になっていること自体時代に合わないのだ。そんなもの師匠になる資格もないのだ。俳句とか短歌で俺は師匠だなどと持ち上げるのもおかしい。そんな偉いものではないのだ。日本には師というものが多すぎるのだ。俳句の結社をもって何十人か弟子をもって俺は師匠だなどと余りにもみみっちすぎる。文学なら百巻くらいの小説でも書けばそれなりに師匠となりうる。俳句の場合だれでも一句くらいひねりだせるしちょっと年季をつめば師匠にもなれる。添削したとしても師匠などと崇められるべきではない。俳句はちょっとやると誰でも作れるからそれで芸術家になったと思う人が多いのだ。現実老人になってから俳句を初めてそれでちょっとした賞をもらい句集もだし俺は芸術家だとそう思って死んでいった人がいる。その人は本当にそう思って死んで行ったである。それも小学生なみの俳句にすぎなかったのだ。それでも自分は一端の芸術家だと自分は思い死んでいったのである。

 世の中己を知らずに死んでゆく人が多い。人に世話になってもその恩も感謝も全くなく自分のことしか考えず死んでゆくものその死にざま千差万別だが自己の愚かさ虚しさを知らず死んでゆくものが実に多い。一片の勲章を天皇からもらい有頂天になり見せびらかしてあの世にゆくというのも本当に少児的なことに驚くのだ。老人とはもっと重みのある存在と思っていたからだ。人間がこの世で持ちたいもの地位だ、権力だ、賞だ、世人の人望だ、人気だ、・・・・そうしたものはあの世に行った時石ころに変わっている。泥棒が千両箱を盗んで喜んで開けたら中身は石コロだった。そこで愕然として後悔するのだがもう遅いということである。結局そうしたものを求めないことこそが幸福だ。なぜならこの世の中そういうものを求めたらサタンに魂を売ることになるのだ。この世の中そうした欲から逃れえようがない。会社には派閥争いがあり政治であれ宗教界であれ人の集まるところ熾烈な権力闘争の場なのだ。大学でも凄まじい権力闘争の場と化して学問の場として機能を失っているというのもわかる。宗教とか学問の場などは一番そうした世俗の汚れから隔離された所であるべきなのだが一番汚れた場所になっているのはどういうことなのか。数が多いということはこの世の欲に汚染された場ということである。出版界でもマスコミでもどこでもそうである。彼らは金になるものを求めているからだ。だからマスコミで有名になっている人には全部ではないにしろ何らか虚飾の人が多いのだ。それは芸術家にも言えるし宗教でもあらゆる分野に言えるのだ。

 とにかくこれほど俳句や短歌などはおかしな錯覚をもたらすものなのだ。外国ではめったに芸術家などになれるものではない。日本人はみんな俳句を作るから芸術家になってしまう。そんなことありえないのだ。こういうことを上野霄里氏は批判したのだ。そもそも俳句ばかり短歌ばかり作っていること自体何かおかしいのだ。斎藤茂吉にしても医者として立派な方が大事なのにまるであの人は短歌だけ作り短歌がすべてのようになっているのも変だから嫌なのだ。宮沢賢治は芸術を作るために芸術を作ったのではない。宗教とか農業指導の実践活動の中で必然的に芸術が生まれたのである。俳句の師匠とか短歌の師匠などというそんなものではないそこには人間生活のト−タルとしての結果なのである。農民でも老人になって句集を出し自分も一端の芸術家になったと思っているのも滑稽である。農民として正直に生きたことが尊いことであり句集一冊だして俺も芸術家としてあの世にいけると考えることは奇妙なことである。そんな句集に実際はほとんど価値ないものが多いのだ。

もちろん自分のこと言われればお前は何だとなるが俳句とか短歌結社という存在そのものが余りにも姑息な小人の自己満足その場なのだ。そんな所に入って添削しては自己満悦におちいり添削されては敬服するのも余りにもみみっちいのだ。だいたい俳句や短歌などはそもそも師匠などいらない自分で勉強して身につく人は身につくのである。そうでなければやめるべきである。人に教えられて会得するようなものではないということである。
 それにしても一茶が妻に百姓仕事をさせて自分が百姓しなかったというのは本当だったのか。ドラマではそうなっていた。では何していたのだろうか。俳句ばかり考えていたのか。そこは解せないことだった。いづれにしろ俳諧師などというのは裕福な商家に寄生する他ないようなみじめな職だったのだ。江戸時代はまたそれだけの余裕ある人々もいたということである。一茶の家が焼けて土蔵だけは残った。その土蔵が今も残っている。あそこにも行ったことがった。

  一茶棲む土蔵残るや虫の声



       隠棲の賦     

                  アレグザンダー・ポウプ

僅か数工一カーとはいえ、父祖伝来の
土地に住み、収穫を夢みて耕し、
生まれた郷土の大気を心ゆくばかり吸う一
こういう人こそ幸福な人なのだ。

自ら飼育した牛の乳を飲み、自らの畑からパンを得、
自らの羊毛で織った衣服を纏い、
夏には庭の木陰で休み、冬にはその薪で暖をとる一
こういう人こそ幸福な人なのだ。

健康な肉体と静諮な心をもち、
時間が、日が、歳月が、静かに過ぎてゆくのを
悠々閑々として見守り、一日をおくる
こういう人こそ祝福された人なのだ。

夜には熟睡し、読書と休息とを
見事に調和させ、娯楽を楽しみ
思索を誘う純真無垢な時をすごす
こういう人こそ祝福された人なのだ。

そんな風に、人に見られずまた知られずに、
私は生きてゆきたい、そして、悲しまれずに死んでゆきたい。
ひっそりとこの世に別れを告げ、葬られた場所にも
石一っない、そんな死に方をしたいのだ・



結局こういうふうに生きることが簡単なようで一番むずかしいのだ。なぜなら農民ですらつまらん句集でもだして俺は芸術家として名を残したと思って死んでゆく者がいるからだ。人間どんなことしたって何物かでありたい。そういう願望から逃れられる人はいない。農民として大工としてそれに誇りをもって死んでゆくねそれで十分だと思うがそうはいかない、それには信仰が必要になる。信仰は満足をもたらすからだ。この世の欲を諦めさせるともいえる。


  寒月の句

インタ−ネットで寒月と検索をしたら蕪村の句がでてきた。どういうわけか何回もでてきた。

寒月に薪を割る寺の男かな

寒月や僧に行合ふ橋の上

寒月や開山堂の木の間より

寒月や小石のさはる沓の底

寒月に石塔の影杉の影(子規)

小石のさわる沓の底というのは非常に繊細な感覚でありこれは現代のような騒音社会では作れない句のように思える。寒月だけがしんしんと照らしている。物音一つない世界。そこで沓の底の小石がさわる感覚だけが強調される。現代人が失った感覚である。そこに古典の意味がある。

静粛に玉砂利踏みて神官の神前に歩み菊の映えにき

伊勢神宮で見た光景だがこれに通じるものがあった。

とにかく現代は静寂から生れる芸術が作れなくなっているのだ。静寂の環境が破壊されているからだ。そこで人間の五感は衰えて自然と一体化しない。アフリカのマサイ族ははるか遠くまで見る目を鷲のような目をもっていた。しかし現代人は騒音社会のなかで人間的機能すら失ったのだ。古代の文明も静寂文明だった。エジプトのピラミットは王の墓ではなくエジプト文明の精神的シンボルであり宗教的建造物だった。エジプト文明は静寂から生れたのだ。日本の文化にしても芭蕉が耳の詩人だというように静寂から生れた。「静けさや岩にしみ入る蝉の声」とか「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」これは静寂に耳を傾けるところから生れた。なぜ日本がこれほど音に対して無頓着になったのかわからない。ヨ−ロッパでは食事の時ス-プをすするのに音をたてると失礼になる。今では音にはかなり気を使っているからレストランでも街で静寂の雰囲気がある。日本の街はものすごく騒々しいし音に無頓着であるから日本人の本来の感性は失われている。

インタ−ネットの読書の不思議は古典にしてもこうして寒月と入れるとそれに関するものがでてくる。漢詩などもでてくる。これを本で調べるとなると大変だしそうした読み方ができないのだ。寒月だけをまとめた本や句集もないからだ。ただ寒月に関して漢詩であれ俳句であれ短歌であれ絵であれあるのだがそれを集めることはできない。インタ−ネットはある程度集めることが可能である。
面白いのはテ−ブルウェアというテ−ブルを飾る芸術で「寒月の今宵」というのがあった。白い枯木のようなものを飾っていて確かに寒月にふさわしかった。意外なものがでてくるのがインタ−ネットなのだ。これは一見の価値がある。
真夜中に散歩した。そしてホ−ムペ−ジにのせる。これもインタ−ネットならではである。私の今が伝えられるのだ。ただアクセスする人はわずかだから私の今を共有する人はまれになる。ジュ−ナルとは日記のことだったからインタ−ネットはジャ−ナルに最も向いたものであり日々生成発展するものとしてとらえる必要があるから本とはかなり違うものである。本は一冊の固定して変わらないし変えられないからだ。

寒月や人声絶えて石二つ

一僻村ただ寒月の渡るかな

庭の石二つ寒月に照らされてのみで静まり心地よい。人の声は聞きたくない。人がしゃべる時辺りの空気まで汚れる感じする。人がいない荒野が気持ちいいしそれが必要なのだ。

 テ−ブルフェア(寒月の今宵)
http://www.art-de-vivre.net/tableware/index98.html



  魯山山行 (漢詩と俳句)

  魯山山行  
    魯山の山行  梅堯臣

適與野情   適(まさ)しく 野情と(かな)ふ

千山高復低   千山 高く復た低し

好峰随處改   好峰 随処に改まり

幽径獨行迷   幽径 独り行きて迷う

霜落熊升樹   霜落ちて 熊は樹に升(のぼ)り

林空鹿飲溪   林空しく 鹿は渓に飲む

人家在何許   人家 何許(いづこ)にか在る

雲外一聲鷄   雲外 一声の鶏


 山家二軒

道すがら清水飲みにき
草深く菖蒲の咲きて
隠さるごと山の奥家二軒
山の間の田を誰か知るべし
ただ白雲の流れ来るのみや
苔むす墓ありあわれ
今日この山の道行く人一人
草深く菖蒲の咲きぬ

この二つの詩にはなんとなく共通性があった。「林空しく 鹿は渓に飲む」鹿が清らかな谷間の流れる水を飲んでいる。この光景はなんとも自然で心なごむことだろう。自然の営みは当たり前のことなのだがそれが一幅の絵となり詩となり童話となりまるで神が現存するように思えるのだ。水をのむことは人間でもしているししなければ生きていけない、しかし鹿のように人間は清らかに流れる水を飲めない、鹿が水を飲む姿は自然に溶け入り自然と無意識の内に一体化しているのだ。人間の成す営みはなぜか自然でないのだ。文明とはまさに不自然の極致であり醜いものなのだ。確かにそんな山奥の生活など今どきできないというのも言えるがそれでも東京とかニュ−ヨ−クなどは醜いものでありそこに平和とか心の安らぎなど持ちえようがないのだ。はっきり言ってその醜いものを壊そうとするものがいても不思議ではない。そこで世界の経済を牛耳る者達は醜い人間達ではないか。

 彼らは金でこの世が世界が買えると思っているのだ。イスラム原理主義も異常かもしれないが金権主義の資本主義も異常である。イスラムでいいのは酒もギャンブルも禁止していることである。酒はそんなにいいものではない。ほろ酔いくらいがいいだけで酒に溺れる人やギャンブルで身を滅ぼす人がかなりいる。イスラムはそれを禁止しているし女性の極端な恥も外聞もない露出も禁止している。イスラムの世界が西欧文明が否定するほどに全部が悪いわけでもないし西欧文明が優越するものでもないのだ。その極端なものが後進国への買春であり人権を主張することなどできない、人権を踏みにじる行為なのだ。いづれにしろ人間の生活を隠せとヘシオドスが言ったり日本でも罪(つみ)ツツムからきているなど人間がでてくると自然そのものが汚されるということはどういうことなのか。自然の中につつまれてこそ罪なる人間がでてこない時この世は美しいのである。

好峰随處 好峰 随処に改まり

これを俳句にすると

山尽きず夏の峰々競い合う

詩にも世界的に共通性がありその国の言葉で文化から翻訳することが可能だが感じが別なものになってしまうかもしれない、ただ漢詩→俳句、俳句→英語と訳すのも何か新しいものを生み出す感じになるので面白い。詩の世界が広がるからだ。
 

NOON-SILENCE(英語の詩の翻訳の試み)

AUSTRALIAN SKETCHES

P 0 E M S

BY WILLIAM SHARP

NEW YORK
DUFFIELD AND COMPANY

1912

http://www.sundown.pair.com/Sharp/WSVol_1/title.htm

NOON-SILENCE

(Australian Forest)

A lyre-bird sings a low melodious song
Then all is still: a soft wind breathes along
The lofty gums and faintly dies away:
And Silence wakes and knows her dream is day.



コトトリのかすかにさえづる音に聞き入る
なべては穏やかに静まりて声もなし
繁るゴムの木の森に風はそよぎ入り音もなし
深い沈黙(しじま)にその原始の森は夢ならじ
日の中に明らかに目覚めその姿映しぬ


これはオ−ストラリアの森を日本語に訳してみた。コトトリとかゴムの木は見たことがないのでわからないが原始の森をイメ−ジした。これは何を意味しているのか?例えば都会はある意味で現実ではない、そこに沈黙はない、常に田舎で瞑想していると、大都会の姿は何も見えないのだ。完全に消え去ってしまっている。騒音の狂気の世界でもある。どんな所でも突然バイクやら自動車の騒音が森に侵入してくる。このオ−ストラリアの原始の森は違う、深い沈黙が領して聞こえるのはかすかな小鳥の声と風のそよぎである。その静寂の中に森は明確に明るい日の中に存在している。都会はうつろな夢である。それはありえべからずな狂気の夢である。その狂気から実際ファシズムが生まれた。我々は自動車洪水やカルト宗教や様々なもので文明の狂気にさらされているのだ。この狂気から逃れないことにはもはや精神の正常は保たれない、文明それは狂騒である、狂気である。これから逃れずして平和も何もない、精神は病み原生の感覚は衰退し騒音ないと生きられなくさえなっている。狂気のように集団で狂騒のなかにまぎれ麻薬に酔いそれが正常だと錯覚しているのだ。これが文明の病んだ状態である。

詩というのは言葉の前に詩があり詩を理解しないものには言葉がわかるものでも理解できない、英語がさほどわからなくても詩がわかれば直感的これは多分こうじゃないかと推測できるのだ。日頃から詩の理解があればなんとかわかってくる。もちろん人によってわかりにくいものはある。詩も実は人類共通の認識に成り立つのだから訳せないということはない、ただ詩を訳すことは本当にむずかしい。おそらくまるで別なものになっている場合がある。どうしてもインタ−ネットは外国とかかわりやすい、だから英語力が必要になってくるがこれは自分の得意な分野から始めた方がいい、英語自体を学んでも身につかない、詩を科学を学ぶのであり言葉じゃないからだ。外国旅行でも全然その国の言葉を知らないでも旅行できる人がいるのだ。実際できるのだ。特に若い人は勘がいいし順応性があるから外国では有利である。言葉以前に勘でわかるのだ。
自分は順応性もなくなっているから辛かった。外国旅行は言葉ではないことを理解したのだ。言葉を知らなくても土地の人とコミニケ−ションは笑ったり身振りでできるのだ。若い人はだから平気でアフリカの奥地まで行っている。ゴリラにおそわれるとか冗談言っているように言葉と関係なく行けるのだ。


コトドリ(A lyre-bird)

コトドリよ、その優雅な羽よ
そはオ−ストラリアの原始の森深く
その美しい姿を隠して時は過ぎにき
ただ風はそよぎ大陸は未知に眠りぬ
コトドリよ、そが鳴く声を我は聞く
その声の澄み甘くひびきて消えぬ
オ−ストラリアの原始の森深く
隠されてただ時は過ぎにしも
その声に聞き入りしは神のみなりしを
その大陸は未知の中に深々と眠り
そもまた隠されてその姿を見せじ
岩肌荒く森には風のそよぎさやぐのみ


コトドリは有名な鳥らしい、羽が美しい鳥である。これはあまり飛ばないニワトリのような鳥で森に隱れている。なかなか姿はみれないかもしれない、この鳴き声がエンカルタで聞くことができた。魅惑的な声である。musical harp type instrumentと形容しているが本当に魅惑的な鳴き声である。この鳴き声を聞くとこの詩がリアルなものになる。この声を出そうとしたが今のパソコンではできなかった。とにかくインタ−ネットはある特定のことに関して調べる時効力を発する、これは外国でも同じである。キ−ワ−ドがはっきりすればそこから深く調べることができる。漠然として調べては何もでてこないのだ。下のホームページにくわしい。

http://home.iprimus.com.au/readman/lyrebird.htm



川の俳句

深川の末、五本松といふ所に船をさして

川上とこの川下や月の友(芭蕉)

we have unioned friends
with the moon through one river,
upward and downward


日本にも川の文化があった。阿武隈川や北上川では船で米を運んでいた。ただ大陸の川と違って日本の川は浅瀬や急流があるから舟を陸から引っ張る所があった。また船越とういう地名があるのは船を陸に引っ張りそこからまた船を下ろし船を利用した。だから日本では川を川上から川下とつながりあるものとして認識することがむずかしい。今では特に川というのは生活的には交通に関しても利用価値がないから忘れられている。この句の不思議は川上と川下を一つのつながりあるものとして認識している。川上に棲むものと川下に棲むものがつながっている。そういう生活実感があって作られた。だからこれもかなりの名句である。現代の感覚ではこれは読めない、そういう生活実感がないから作りえないのだ。自動車とか汽車で結ばれたものが一連のつながりあるものとして現代はある。昔は自然に則して生活があったからいい句が生まれやすいともいえる。文明は自然の不便さを機械で補うものだから自然と遊離するから自然とマッチしたいい句や詩はできなくなっている。五本松があり船着き場がありそこに人の行き来があり人間的な場として川はあったのだ。それは一幅の絵であり詩であった。そこに五本松とあるのだから五本松があったのだ。この詩は外国の方がつうじるかもしれない、外国では川は主要な交通路だったし今でも船が行き来している。ライン川はオランダにも流れているし国が違っても川は国境を越えて流れる。国を越えて川による一体感があるのだ。だから川を通じて同盟関係や商売ができた。川下と川上は結ばれているのだ。

川に関しては「河村瑞賢」の小説がここにでている。かなり長い読み物で面白い。

http://www.dokokyo.or.jp/kikanshibk/kikanshi0009
失われた川の文明(時事問題14)


郭公の俳句と短歌

塩尻市広丘野村1640-2 JR広丘駅下りホーム
 太田水穂  高はらの古りにし駅に晴るゝ日の明るさ入れて郭公の鳴く       S.58.11.   歌

塩尻市広丘吉田2121-1 生家跡(太田清氏宅前)            
 若山喜志子 立ち残るこの一もとの老松に何ぞ今年はなごりのをしき

これがでてきたのは郭公 旅人と入れてである。「郭公や旅人遠く去りにけり」という句を作ったので検索してみた。これは句碑とか歌碑をのせたものだろう。塩尻市に行ったことがあるがこの碑のあることは知らない、旅に行ってもこうしたこまかい所はわからないのだ。必ず何かあるものだがわからないのである。インタ−ネットでパソコンで調べようとしたが無理だった。時間がかかりすぎるのだ。そもそも検索は数うちゃあたる世界で何がでてくるかわからない。くじ引きのようなものである。瓢箪から駒の世界である。目的としたものがでるということはないのだ。でも郭公の歌としては合っていたし老松の歌もいい歌である。この老松の歌は何か歳月の重みを知らないと歌いないものだろう。年とると何かつまらぬものでも心が移りいとおしくなるのだ。だから老人はつまらないことで泣いたりするのだ。こうした感情は老人にならないとわからない、自分も老人に入ってきたのか時々そうなる傾向がでてきた。つまりもしこの二つの歌を旅で知っていたら旅もまた趣き深いものとなるのだ。忙しい今の旅にはそれが欠けている。

いなり山こえてやきつる郭公 ゆふかけてしも声のきこゆる(続世継 十敷島の打聞)

この歌も旅の感じが良くでている。これはなかなか旅しないわからないものだろう。いなり山を越えるということは昔はそれなりに大変なのだ。その山をやっと越える。郭公がしきりにないている。これは自分も北海道で経験した。一カ月の旅で郭公の声が常に聞こえたのだ。「郭公や今日の宿にもひびくな」郭公がどこまでもひびいていたのだ。びんびんとひびいたのだ。昔の方が前にも書いたが隣の村にも行くのにも遠いのでそれで旅をしていたのだ。このようにインタ−ネットは郭公だったら郭公についての句とか短歌を調べてゆくとそれに関して一連のものができるのだ。これがインタ−ネットの読書の不思議である。本ではまずこういう読み方をしないのだ。ある一人の作者を読んでいるのであり郭公についてだけは読まないからだ。



写生俳句の極致

華やげる十輪ほどの薔薇(そうび)かな

about ten beuteous roses

これは鶏頭の十四五本のありぬべし(子規)と同じ類似俳句である。これが俳句になるのかどうかわからない、子規が言ったように俳句を極端化するとこうなるのだ。これは外国人にはわからない、10輪の薔薇の花があったそれがなんなんだとなる。それは何も詩になっていない、事実を指摘しただけだとなる。ただこれ以上減らすことも付け加えることもできないのだ。それなりに完全なのである。英語では表せないがやはり日本語ではそれなりに俳句になっているのかもしれない、俳句の基本はやはり写実であり極端化するとこうなってしまうのだ。類似俳句が多いのはそのためである。確かに五輪では華やいだ感じがしないし10輪というのがミソ、ポイントなのかもしれない。でもこういう俳句って誰かが作っているかもしれない、全俳句を検索できたらこれと全く同じものがあるかもしれない、確かに1パ−セントはまるっきり同じものがあるかもしれない、そうなりやすいのが俳句なのだ。


十輪の薔薇はみごとにさくら色

これは検索で10輪 薔薇ででてきたのだ。この句は自分の句とにた類似俳句である。ただここでみごとにという説明をつけているからだめなのだ。他にも

山藤の静かなる色山の池

ここに静かなると説明をつけているからだめなのだ。俳句は短いから説明をつけるとだめなのだ。もちろんそれで成功しいるのもあるが大方はうまくいっていないのだ。この女性の俳句は写真など作り方はうまいか失敗している。

薔薇の香ありけふのいのちを眠らしむ
       日野草城

      

これはかなりいい句だろう。病気で寝ることが多い人だったからこの句ができた。近くにやさしく看病する人がいたのだ。それでないとこうした余裕ある句はできないだろう

http://www.sun-inet.or.jp/~yukuko/

薔薇図鑑

http://www.h3.dion.ne.jp/~shimei/index.htm
      
 
      

英語俳句ではやはり英語俳句の作法があり英語は詩ではなく別なものとして見ているから説明を極力省くことにした決まりがあるそうだ。やはりそれなりに俳句の研究がなされているのかもしれない、英語にするとき別にむずかしく考える必要はない言葉を並べてみることである。名詞だけ、単語だけをならべてみるのもいい。英語で表現する感覚をつかむことらしいが日本語の俳句を英訳しない方がいいというのはわからない、なぜなら私はそれをしてきたからだ。薔薇をテ−マにするとどこかの新聞社でそれを出していた。薔薇窓とあるごとく薔薇は西洋を代表する花である。日本で花といえば桜だが西洋では薔薇である。いづれにしろインタ−ネットはリンクすればそれが一つの作品、物語のようになることは確かである。薔薇のスライドショ−かなり優れたものである。



華やぐ薔薇のスライドショ−

http://www1.kcn.ne.jp/~love/rose/huukei.html

英語俳句の入門
http://www.alc.co.jp/com/eigohaiku

評論鑑賞(2)へ(高村光太郎の牛の詩について)