高村光太郎の牛の詩について 小林勇一作

冬の鋼鉄の乙女像


高村光太郎の牛の詩について

牛はのろのろと歩く
牛は野でも山でも道でも川でも
自分の行きたいところへは まっすぐに行く
牛はただでは飛ばない 
ただでは躍らない 
がちりがちりと
牛は砂を掘り土を掘り石をはねとばし 
やっぱり牛はのろのろと歩く
牛は急ぐことをしない 
牛は力いっぱい地面を頼って行く 
自分を載せている自然の力を信じきって行く 
ひと足ひと足牛は自分の力を味わって行く
ふみ出す足は必然だ
うわの空のことではない 
是が非でも出さないではたまらない足を出す牛だ 
出したが最後 牛は後へはかえらない 
そして やっぱり牛はのろのろと歩く
牛はがむしゃらではない 
けれどかなりがむしゃらだ 
邪魔なものは二本の角でひっかける 牛は非道をしない

(中 略)

利口でやさしい眼と なつこい舌と
厳粛な二本の角と 愛情に満ちたなき声と
すばらしい筋肉と 正直な涎を持った大きな牛 
牛はのろのろと歩く
牛は大地をふみしめて歩く 
牛は平凡な大地を歩く

「岩手の人」 高村光太郎

岩手の人沈深<牛<の如し
両角の間に天球をいだいて立つ
かの古代エジプトの石の牛に似たり
地を住きて走らず 企てて草卒ならず
ついにその成すべきを成す


 水牛の歩み

水牛は重荷追うても
そのことは言わぬ
ただ黙々と歩む
その蹄は大地に食い入り
一歩一歩歩む
暑い日ざしの中を
白砂の眩しい珊瑚の石垣の道
沖縄の屋根低い家
水牛はただ黙々と歩む
そのずっしりとした体に
重荷を受けとめ黙々と歩む
人は騒ぎすぎる
人は解決を急ぎすぎる
人は不満が多すぎる
人はすぐに争いすぎる
人は性急に判断しすぎる
人は待つことを好まぬ
人は早い成功を求めすぎる
人は結果を求めすぎる
人は小さいことにこだわる
人は・・・・・・・
人は・・・・・・・・
水牛の重い体躯は無言の内にたしなめる
一歩一歩水牛は己の道を歩む
そこに惑いはない
地球という悠久の時のなかに
水牛はあせることなく一歩一歩歩む
その力はその角にみなぎり
その瞳は優しく童がその背にのる
水牛は悠々たる大いなるガンジスの流れに
その重い体躯を洗い川にとけこむ
水牛は地球の歳月の長きがごとく
ただ黙々と一歩一歩歩みつづける


光太郎の牛は凄味がある。ブレ−クの虎のような凄味がある。天才にしてしか書けないものかもしれない、性格が露骨にでた作品である。光太郎自身が牛のような人間だったのだ。頑丈な体躯をもった人間である。この牛は水牛を想像して書いたのか、今の肉牛や乳牛は本当の牛ではない、水牛が本当の牛である。太古の原生の牛である。これは沖縄で身近に歩くのを見て感じたのだ。

がちりがちりと
牛は砂を掘り土を掘り石をはねとばし 
やっぱり牛はのろのろと歩く


まさにこういう歩き方である。がちりがちりとその蹄で一歩一歩ゆっくりそのペ−スを乱さずに歩くのだ。現代人は野生の動物は身近に接しないから野生のものに感動することが少ない、子供でも野生のことが体でわからなっている。光太郎が水牛から想像してかいたのかどうかわからないが水牛を身近にみて私は光太郎の牛を理解した。具体的に実感として理解したのだ。肉牛と乳牛から実感としてこの詩のことが理解できなかった。水牛の方より原始的である。この水牛は東南アジアであれインドであれ農耕社会の一つの原風景となっている。ガンジス川で子供を背にのせて水牛を洗っているのをみた。ただ外国だからなかなか身近には見れないから印象が薄くなる。水牛は遠い昔から人間とともにあったのだ。だから水牛は十牛図とか老子が水牛にのって消え去ったとか伝説が残るし水牛は肉牛とか乳牛とかではない、精神的な悟りのシンボルまでなったのである。ただ今や水牛も機械に変わり減っているから保存が必要になったりしている。沖縄ではわざわざ水牛をかい農業をやっている人をホームページで見つけた。水牛には何か特別な魅力があるのだ。もう一つこの詩が成功したのは日本語の独特の音である。のろのろというのがその中心に置かれたことである。これをゆっくりとか表現すると訴えないがのろのろというのがいいのである。ヌルヌルとかゴツゴツとかダラダラとかこういう擬態語の表現がこの詩を力強いものとしている。

水牛の一歩一歩の暑さかな

文明人は身も心も疲弊している。そういう中で太古と同じままの動物や自然に接するといやされる。水牛には失われた郷愁のようなものがある。人間の生活の原点のようなものがあるのだ。これが機械に変わればそうした昔からつづいた風景も失われ心すら貧しくなってくる。水牛がいなくなれば水牛のもっている精神的なものも理解できなくなる。現代詩がわけのわからない理屈になっているのもそのためである。このような野生の強烈な直截的表現がなくなっているのだ。それは野生が人間の身近になくなったからである。子供自体も全く人工的な環境で育ってゆく中でこうした野性的なものを理解することができなくなる。そのことは心も貧しくなり絶えず心がいらだち落ち着かずすぐに暴力をふるったりと忍耐力のない人間に育つ、現実そうなっているのだ。これはいくら教育しても道徳を教えてもだめである。教育とは全体的環境だからだ。こういうことはかえって遅れた国にじかに行って逆に学ぶ必要があるのだ。水牛が人間の身近にいる風景は人間の心に知らず影響を与えて人間を作ってゆくのだ。そういうものが文明人からは奪われてしまったのだ。教育にはいくらいい先生がいても至れり尽くせりで教育しても限界がある。人間の第一の教師は自然であり教師はその一部の付属物にすぎないのである。

冬の鋼鉄の乙女像

光太郎は語る
その朴訥な分厚い手は
信頼と熱い情が伝わる
その骨格は太く無骨な風貌
十和田湖の水晶の輝き
その岸辺に金属の不動の北の乙女像
その身を切る冷たい風
しっかりと手を合わす金属の鋼鉄の塊り
研ぎ澄まされた金属の光り
それは不滅のごとき光輝を放つ
彼は枯野の中に北風に雪に
年輪を刻んだ古木のように
北の大地に根を張った樹のように
その切り株を大地に残す
大地に刻まれた痕を残す
文明は消えてもその跡は残る
芸術は長く人の命は短い
金属の鋼鉄の塊りは北の烈風を受けて
清冽な雪の中にも立ちつづける
その粗削りな風貌と彫刻は一致する

十和田湖にあの乙女像はにわっていた。その場とマッチすれば芸術も成功したのだ。例えば今の芸術はピカソが都会にマッチするごとく一面それは異様なのだ。都会にはゴジラとかピカソとか異様なも異形なのがにあうのだ。人間ならざるものがにあうのだ。人間も歪められ人間ならざるものにされる。それが文明のもたらした歪みである。だから上野霄里氏のような人間がその反発としてでてきたのも当然である。それは天才の異常な活力でできたことである。文明のアンチテ−ゼとしてブレイクの虎のように吠えたのだ。あれだけの野生力を備わった天才であればこそ文明を告発できたのだ。普通の人間には活力がエネルギ−が不足するからできないのだ。つまり芸術は環境が半分作るのであり環境に野生が喪失したら芸術もありえない、またまともな人間も作られない、芸術の衰退は環境の衰退である。森の喪失であり原野の喪失であり海辺の砂浜の喪失である。沖縄に今回行って創造できたのは沖縄には野生の環境があったからだ。島にはそのまわりが野生の海が保存されている。海はまだ汚れていないからだ。もちろん海も汚されつつあるが海自体は陸のようには汚されない、海は太古のままと同じである。そこに文明を建てることはできないからだ。文明はアトランチスのように逆に海に沈むのである。

2009 丑の年(新年十句)
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