盛岡は詩人の街小林勇一作

岩手県の自然のバックグランドから人物も生れる(東洋、国風文化の回帰)

秘境岩手県に育まれたもの(原生人間-山人-賢治)-詩



盛岡とか岩手県はやはり賢治と啄木により個性化された。詩人の街である。どちらも異質の早熟の天才でありそれも東北人ではないような外国人のような詩人になっていたことである。盛岡とか小岩井牧場とか明治から大正と外国文化を受け入れて東北の北海道のような地域になっていたことにもある。でも余りにも異質なものを作り出したということに驚くのだ。例えば斎藤茂吉とか草野心平とかいてもこの二人に比べると全然違う、異質性が余りに違うのである。
啄木は伝統的な短歌を基にしてもその短歌自体が今までの感覚とは全然違うものを出した。自分などと比べると地味だからアララギ派の写生で作っている。そこにはぱっとしない東北人ではないような異質なものがあり驚くのだ。天才だからできたといえばそれまでだがこの二人の詩人が岩手県とか盛岡でも個性化したのである。賢治の童話にしても大正時代にしたらまるで異質な世界を作っていた。文学的には驚くべき東北では異質なものを作り出したのである。それも30前で作りえたということは驚きである。詩も結構むずかしいから普通若くてはいいものができないはずだからだ。まあ、天才だから例外だともなるのかもしれないが岩手県は二人の詩人によって個性化されたのだ。賢治は宗教のこというが宗教より文学者とみている人が多いし実際そうだったのだ。その文学の多様性豊かさにひかれているからであり宗教とは関係ないのである。

米を五合を与えても味噌を与えることも宗教ではない、日蓮や親鸞とかあの貧乏のどん底時代にそんなことしていない、精神的救いの方を大事だと説いていたことの驚きである。「日蓮悪しく敬いば国滅ぶべし」などと言ってはばからない人間は今だったらあの当時も獄門磔なのだ。オレを敬わないやつは国が滅ぶなどというのと五合の米や味噌を配ることが救いであり宗教となることは余りに違いすぎるからだ。オレは金持ちだけど五合の米に味噌をやるから仲間にしてくれというのとはある意味で悲しい。今の時代日蓮のような予言者がでてきたらアウトサイダ-になり誰も敬わない、最大の敵は日蓮になることは間違いないのだ。ここが宗教のおかしさなのである。日蓮など誰も敬っていない、日蓮を借りて全く別なものを敬っている。宗教がたいがい詐欺になっているのこのためである。宗教の一歩は真実を言うことであり正直であることである。これなら誰もできることなのだ。真、善、美の真は嘘を言わないとか正直であるとかである。これが簡単なようでむずかしいのだ。政治家を見ればわかる、昨日の敵は今日の友、全然一貫したものがない、自民党には驚く、仇敵だった社会党とも結び、公明とも結ぶ、鬼畜米英だったのがアメリカ様々になる。何を信用していいかもわからなくなるのだ。戦後は赤から白になった。まるっきりその方針が変わって先生の言うことが信じられなくなったというのもわかる。その変わりように何か真かもわからなくなるのだ。集団は一貫したものがないし勢力が変わるたびに変わる。首尾一貫性を求めるとしたら個人しかないのだ。集団に学ぶことはできない、集団に真、善、美はない、集団が求めるのはこの世の力、権力である。善とはこれはよくわからない、善行とあるが善行とほとんど実行できないからだ。五合の米や味噌を与えても善行にはならない、せいぜい自分の良心の慰めくらいである。賢治のしたことも良心の呵責から自分を慰めたくらいなのである。ただそれをいちいち批判できない、批判したってしょうがない、彼の評価は文学にあり宗教にはない、文学者として世間に受け入れられたのである。実際みんなその文学に感心しているだけだからだ。

ともかく詩人によって個性化されたこういう県は全国でもめずらしい、詩人が個性化するほどには普通できない、花巻に行ったって賢治の頭の中で想像の中で作り出したものだからその世界はないのだ。小岩井牧場にはハイカラなものがあったからなるほどと想像できるものがある。花巻にはそういったハイカラなものは何もないのだ。岩手県からこの二人の詩人がないとすると岩手県のイメ-ジは何か平泉があるくらいでぱっとしたものにならない、二人の詩人によって新たにイメ-ジ化された岩手県がある。だから盛岡は詩人の街なのだ。仙台も福島も詩人の街ではない、そうなりえないものがある。岩手県に北方の澄んだ空気があり北国の新鮮さが始まる場所なのだ。北国は実際は岩手県から北であり平泉はまだ入っていない、盛岡だとまだ結構雪も残っていたが下ってくると雪は消えていた。北国、雪国は鳴子を越えたところであり盛岡以北が北国であり雪国である。福島県も会津は雪国だが宮城県には雪国はない、山形県は雪国がある、東北も雪国となっている地域とそうでない地域に分かれているのだ。トンネルをぬけると雪国だったとなるが鳴子の芭蕉が越えた山刀伐峠(なたぎり)を越えると雪国なのである。鳴子から雪がなお厚く積もっていたからだ。そしてだんだん湯沢 横手 秋田と近づくにつれ雪が深くなったような気分になったからだ。

とにかく盛岡には街中に三つも川が流れているのは気持ちがいい、水は人間にいい作用を及ぼす、なぜベネチアとか江戸が住みよい都市だったかというと水路の街であり水路が縦横にめぐらされてをりそこを舟がまるで影絵のようにゆっくりと進んでゆく、水路や水が流れる街は気持ちがいいのだ。金沢も二つの川が流れているから気持ちがいい、仙台も広瀬川が流れていて青葉城恋歌などできたから川があることでそうした歌もできたのである。川は自然であり城は歴史でありそしてその上に詩などの文化が生まれる。風土の風は外来の文化という人がいる。よそから入ってくる風である。都市には外からの文化の入り口であった。そこに必ず都市が生まれた。古くは福岡は唐(韓)からの文化の入り口として都市ができたのである。シンガポ-ルや香港やマカオ、上海などそうした欧米の文化を入れる都市として発展した。都市国家であった。土は土着的なものである。盛岡はその外からの文化の入り口として作用して自由な都市の空気を作り出して二人の北の詩人を生んだのである。啄木が盛岡からさらに函館へ釧路へと北の果てに向かっていったのもやはり北の詩人を目指したのである。北への志向が強かったのだ。上野霄里氏も北への志向が強いのもそのためである。

「津軽地方や秋田や山形は北の果てで灰色の荒海で象徴される。三陸の男性的な溺れ谷、海と岸壁によって象徴される岩手の風土は強烈な個性と粘り強さを裏書きしている」
上野霄里(星の詩)


岩手県は彫刻的なのだろうか、岩とついたのはあの三陸の岩であり山の岩ではない、あの隆々たる断崖絶壁をなす岩から岩手県になった。山にしても岩手山は厳しい山であり山らしい山である。磐梯山や蔵王とも違い競り上がっている独立峰である。独立峰らしい独立峰である。あの山を見ていたら彫刻的垂直的志向が養われる。自分も登ったが急斜面の厳しい山なのだ。麓から急斜面に垂直三角形なのだ。ピラミッドなのだ。あの山を毎日見ていたら精神的に男性的彫塑的垂直志向が自然とできてくる。

隆々たる岩 原始の組成 今も熱く燃えている
波は打ちひびき 地底湖は透き通る
今忘れていた太古のエネルギ-が爆発する
秘められていた自然の力が大地の底から沸き上がる
その恣意的なものが自然なのだ
百万年眠り再び目覚め爆発する火山
その炎の中に現れたのは原生人間
それは紛れもない原人間の雄叫びだった


上野霄里氏も岩手を代表する天才だったことは間違いない、あれだけの個性を出した人はいない、強烈な光だった。雷鳴であり落雷だった。ただ普通の人は圧倒されるてしまうからそこに危険がある。天才と普通の人の差は大きいのである。天才はニ-チェのように超人化する。天才とは尋常ではない意力というか情感の大きさとかを生まれつき持った人なのである。いづれにしろ上野霄里氏の指摘のように秋田や津軽地方はあの三陸の荒々しい海岸線はない、港も砂に埋もれた海岸線である。彫刻的ではないのかもしれない、ただつくづく思うことはこうして近くでも本当に自然というのは大きく広いから知らなかったということである。60歳になっても結局は人間は自然のほんの一部を知っただけである。もし大芸術家だったらこの自然に感応していたらゴッホのように狂気のように書きまくり描きまくって山ほどの作品を残していた。つまり普通の人間は感じる能力がないから60になっても表現することも極めて少しであり自然というものを知らないのである。自然が素晴らしいと言っても感じないものは存在しないと同じである。ほとんどの人は自然の巨大なエネルギ-を感じず死んでゆく。蟻のように死んでゆく、巨大な自然は見ずに地べたを這いずり回って一片のパンを拾い腹を満たすのに追われ死んでゆくのだ。人間も偉人にあったからといって偉人になるわけでもない、キリストに会ったとしても同じである。ただの普通の人としか見えないのである。他者はあくまでも一つのきっかけでありすべてになることはない、その本人の行動とか努力の方がその人を決めてゆく。そして人間の年齢は自然が一億年としたら一歳なのである。文明の年齢も結局一歳なのだ。天才は特別感じる能力に優れていた人である。強烈に感じる人であった。天才は別にしても我々も普通の人も生活の中で大きな神の織物に織られゆくのだ。

「平和の偉大な戦のためにも、力をゆるめず、どうか鉄の糸を織ってくれ」ホイットマン(草の葉)

鉄の糸を織るということは文章を書くことでも科学でも農業でも商業でも日々の仕事の中に行われることでありそれが大聖堂となるとき戦争になっても壊しえない威容を備えることになる。文明がそれを行っているかというと決して誇るべきものを燦然と輝くものを日々を織っていない、だからナチスのように創造的なものではなく破壊的なもの生まれてくる。創造しないから破壊が生まれる。人間は必ずどっちかに傾く、善を真を実行しないなら悪に傾く、中道というのはないのだ。常に生産的なものか非生産的なものに向かっている。何もしないとき悪が入り込んでくるとなる。何であれ常に織りつづける、それが人間の宿命なのだ。代を重ねても延々と終わらない織物をそれぞれにまた一体となり織りつづけているのだ。天才だけではない、普通の人も織りつづけている。

不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸われし
十五の心

弧光燈にめくるめき、      羽虫の群のあつまりつ、
川と銀行木のみどり、      まちはしづかにたそがるゝ


賢治の詩は当時の都会的な雰囲気を現している。弧光燈とは何か、やはり都会でも淋しい街灯だったのだろう。そこに群がる羽虫、川と銀行は今も同じ景色である。都会的な感覚がここで育まれたのだ。その都会性に感応する早熟な天才であったからできた。街灯でも都会にしかなかったし都会は別世界になっていたのだ。都会と田舎の幻想が一体化してあのような世界が作られた。福島県にはそうしたものがなかった。宮城県にもなかった。やはり詩と土地は関係しているのだ。土があり外からの風がありそれらが盛岡でミックスされてあのような豊かなイメ-ジの世界が作られたのである。その頃の都市は今とは違い大きな意味を持っていた。文化と接する場所だった。花巻から35キロであり渋民はもっと近いとなると盛岡は文化を摂取する場所だった。

新しき心もとめて
名もしらぬ
街など今日もさまよいて来ぬ 啄木


賢治の文学にしてもどうしてあれだけのものが作れたのか、やはり盛岡という文化を摂取する場が近くにあったからではないか、自分の住む場所でも原町とか相馬では都市になっていない、無線塔などあったがこれも文化的場所ではない、仙台くらいだと文化的場所になる、事実一週間に一回も仙台に行っていたのは本を買うためだった。専門的な本は20年前とかは手に入れることも地方ではむずかしかったのだ。宅急便もなかった時代である。時代をさかのぼればのぼるほど都会の意味は大きかった。盛岡という都会があのような異質な詩人を作り出した。詩人を作り出す場所があることは確かである。ゲ-テがハイデルベルグで詩を作ったようにあそこもネッカ-川が流れていて実に学徒の雰囲気のあるハイカラな歴史ある場所だった。今は都市はそれほど大きな意味を持っていない、むしろ猥雑になりビルに埋もれ自然は汚され文化を摂取する場ではなく大衆消費的娯楽の場所とか気晴らしの空間とかそうした卑俗化した場所である。江戸時代の遊廓が文化の場所だったということとは大違いである。風もない、独特の風を感じない、その場の独特の雰囲気を感じないのだ。都会でいいのは日本では10くらいしかない、京都、萩とか松江、金沢、盛岡、弘前、函館・・・と少ないのである。この中で京都も水がきれいだし水が街をめぐって流れている、松江も堀があり水路があり舟でめぐれる、金沢も川が二つあり盛岡もそうである、函館は海に囲まれているからこれも水がある。水が流れ水に囲まれている場所がいいのである。エデンの園も四つの川が流れていた。川は水に囲まれた所が棲むにはいいのである。瑞枝(みずえ)とか水垣とか瑞穂とか水のあるところが命があり人間は安らぎを覚えるのだ。

飛鳥風 吹きたえしより 故里の いにしえ霞む 春の夜の月 上田秋成

飛鳥は最初の都会であり華やかな文化の入った風が吹いた所であるがそれが絶えてしまって荒寥とした地となってしまった。今はビルの乱立と川もコンクリ-トに固められ都会は文化の風が吹かない場所になってしまったのだ。飛鳥はまだビルとか市街地化していないからまだいい、まだ飛鳥の昔を偲ぶことができる。平城京の跡も市街地にしなかったから消えた平城京の無常を味わうことができた。つまり枯野にたっていたら月がでていたのだ。そこに歴史の無常を感じたのである。市街地になったら東京のようになったらそうしたものすら感じない、ええ、どこに江戸があったのか全くわからない、やっと地下を掘ってみたら遺物がでてきて実感したりする。それを掘り起こすのも大変である。過去が歴史が消失してしまったのである。





岩手県の自然のバックグランドから人物も生れる(東洋、国風文化の回帰)

●明治以来欧米化で疲弊、荒廃化した日本

現代に起きている精神的兆候として共通なものがある。明治維新から百年以上立ちさらに戦争から60年と歳月が過ぎたのだ。それは日本を欧米化することだった。これに抵抗するものが明治にあった。武士道とかがその血に濃く流れていたからそれができた。江戸時代の国風文化が血肉として和魂洋才があった。だから明治時代に漢詩が一番興隆したということもあった。漢詩は唐風文化としてもすでに日本化された文化としてもあったからだ。明治からは政治社会面では富国強兵と海外の拡大化政策になった。そこで中国、ロシア、アメリカと真っ向から対立して挫折した。そして戦後はアメリカ一辺倒になってしまった。経済のみが高度成長のみが目的の社会となった。その時モノへの執着が強かった。三種の神器、テレビ、洗濯機、冷蔵を手に入れことに躍起となり次には自動車を買いマイホ-ムを買うことだった。それらの望みは達成された。この間に経済発展を目的として精神の荒廃が起きた。その象徴が過疎の村の続出であり限界集落とかの村自体が崩壊する、消失する危機になった。これはグロ-バル化経済で拍車をかけた。そのことが精神の危機なのか?東京や大都会は繁栄したではないかと言うが地方、田舎の衰退、荒廃は経済面だけではない、精神面に荒廃をもたらす、東京が繁栄しているからいいではないかというが地方や田舎が衰退することは精神に影響する。東京も地方とバランスがとれて発展して健全となりうる。東京は異常増殖したメガロポリスであり精神の拠り所となる自然はないし文化は生まれ育たない、文化が育つはぐくまれるには大きな自然というバックグランドが必要なのである。人間を大きくする引き立たせる映えさせるのは自然であり人間一個がどんなに天才を発揮してもできない、大きなバックグランドがあるときさほど才能もないものもそのバックグランドの自然故に独自の文化を生み出すことがありうる。 要するにすべての問題が経済中心にしか考えられない、地方が衰退したのは地方のせいだとか文化の礎になるところを簡単に経済効率性で切り捨てる。そのことが実は都会人の精神の危機にも通じているのだ。パンだけでは人間は生きられない、文化はパンだけではない、心のよりどころとなるものが喪失するとき社会も崩壊してゆくのだ。

●岩手県の自然のバックグランドは神秘が残され大きい

宮沢賢治は天才であったがやはり岩手県の日本のチベットと言われる神秘の山域が残されていたからだ。石川啄木は近代的短歌に終始したから岩手県のチベット的バックグランドの自然は反映されずに終った。短命だったからそうなった。次に上野霄里氏が原生人間を岩手山の厳しい姿のように主張した。そしてやはり上野霄里氏も岩手県の自然のバックグランドを反映して豊かな神秘的相貌を示した。現代の文明は明治以来すべて西欧の欧米の文明の移植だった。医学でも全くすべて西洋の科学に基づいた合理的な手法を取り入れた。だから人間は今やすべてコンピュタ-と機械に取り囲まれて治療される。しかし一方でなぜ今上野霄里氏の説く本能的なものアミニズム的なものにひかれるようになったのか、これは明らかに日本人は全面的な欧米化に疲弊したのである。日本的なもの中国的なものインド的なもの・・・・こうした古来からあった日本人の精神の奥深く秘伝のように伝えられ血肉となったものが簡単に否定され消えることはない、文化は簡単に消えるものではない、宗教はそもそも大自然をバックグランドとして生れたのだ。砂漠であってもそこは大自然でありそこに神が住んでいた砂の清浄の世界である。その中で岩山はシナイ山のごとく厳しく神の住処となった。インドのヒンズ-教もヒマラヤから流れるガンジス川の広大な流れを神としてはじまり岩窟でシャカは悟りを開いた。老荘思想も中国の大自然から生れた。日本の神道もそうである。それが現代のカルト宗教になると大都会から生れたから不自然なものとなっている。それは科学、政治、社会運動の経済主義であり宗教はカルトとなった。

●大都会から生れた現代の宗教はカルト(東洋、国風文化の回帰)


大都会という奇怪な文明世界をバッググランドとしているかその宗教も異様であり奇怪なものとなる。ともかく現代は科学的でないもの経済効果がないものは否定される。でも日本人も欧米化により精神は荒廃して疲弊したのだ。新しい養分はやはり大自然から得なければならない、そのバックグランドがないと新しいルネサンスは生れない、そのバックグランドが岩手県にはあったのだ。確かに上野霄里氏は岩手県生まれではないが岩手県の広大なバックグランドの中で反映して神話的巨人となりえた。賢治もまた天才であるにしろ岩手県の神秘のバックグランドの故に多彩なイメ-ジの世界を作り出せたのである。それに比べると福島県はどうしてもそうしたバックグランドに欠けるからそれ相応した人物が出てこないのだ。阿武隈高原には高い山もないし神秘性がない、北上山地と比べるとあまりにも物足りないものとなる。その点、会津は二千メ-トル級の山が幾重にもあるからチベット的になる。中通りと浜通りは自然が平凡なのである。ただまだ会津から天才的詩人が生れていないのは不思議である。茨城県から詩人が生れない、平坦な土地しかなく神秘性がないからだ。宮城県もまた岩手県のような神秘的自然のバックグランドはないから都会的詩人が生れても賢治のような詩人は生れないのだ。岩手県には山伏が修行して秘薬とか秘法を生み出す山々が奥深く連なっている。そんな非科学的なものを否定する現代文明だが今や心情的に一般人でも地方が衰退しているとき精神的には先祖返り山に向かっている。大都会で疲弊した心は山に癒しを求めているのだ。鉄斎の絵のように東洋への回帰現象が起きる。それは芸術家だけではない、普通の庶民にも起きているのだ。明らかに国風文化、東洋文化への回帰が理屈ではなく本能的に起きているのだ。

何一つ堅固な神聖な原住地をもたず、ありとあらゆる可能性をあさりつくしありとあらゆる文化の地を吸ってかろうじて露命をつないでいる -ニ-チェ

何一つ堅固な神聖な原住地をもたず、・・・・ここからは文化は育たない、大都会から文化は育たない、奈良が最初の大きな都になったとしても万葉集がうまれたバックグランドは「倭(やまと)は 国のまほろば たたなずく青垣 山ごもれる 倭(やまと)し うるわし」でありやはり自然だったのだ。ベ-トベンの音楽はゲルマンの森から生れたとかドイツの神秘哲学と音楽の一致はやはりドイツの森が影響している。ゴシック建築もそうである。かつて広大な森がありそれがゲルマンの文化を形成したのだ。ベ-トベ-ンの音楽はドイツの大地を踏まないと理解できない、感動しないと言うときその土地と密接に結びついて文化があるだ。日本の風土と密接に結びついて俳句があるから俳句は日本に住まない限り理解できないと同じである。
原住地をもたないものはどんな天才でもその天才を発揮できないし映えるものとはならない、人間を巨大化するのは自然のバックグランドでありそれなくしては天才であっても人間は映えるものとはならないのだ。花が森があり草原があり映えるのと同じなのである。


秘境岩手県に育まれたもの(原生人間-山人-賢治)

原生人間の激情、怒号、憤怒は火山の岩手山

地響き、大地が揺れ、時に噴火する

その後に隆起して厳しくそのフォルムを形成するもの

千歳の岩盤、露な地肌、溶岩流の熱い堆積

磐は原生質の光沢を放ち濃霧に濡れる

大河はうねうねと陸奥の大地を貫き流れる

山々は幾重にも重なりその果てしらず

宮古は海に通じて三陸の入江は深い

白雪の連峰が朝の大気の中に輝き映える

北上山地は奥深くなお神秘の村が隠される

鉱石や黄金を懐深く抱き深い森は影を深める

エメラルドの地底湖はさらに神秘をまして澄み

雪は区界に分厚く積もり白樺は朝の冷気を吸う

閉伊郡と盛岡は北上山地に隔てられる

陸奥の辺境に久しく知られじ閉ざされる

宮古と相馬藩は鉄の貿易で通じていた

しかし三陸の海に商船は通わない

金色堂の輝きも一時陸奥に埋もれぬ

かくなる岩手の秘境に原生人間を育くみぬ

ノ-スへの極となり白鳥は吹雪の中にさらに白さを増す

ノルウィ-のフィルド、バイキング、北の荒々しいエッダ神

バイキングは地中海のシチリアまでその足跡を残し恐れられる

岩手の南部藩は青森の弘前城へ分派拡大して

青森は地の果てとなりアイヌとの交流を語る

岩手県は日本のチベットとそこになお神秘と癒しがある

深い谷間にケンジの化石を探す影が写り

柳田国男の遠野物語の山人が荒々しい姿を蘇らす

この山々を山伏は行き来して秘薬が生れる

それは体のみならず心をいやし蘇生させる

そこは神仙の住む蓬莱山の神秘が残されている

その岩盤に確かに原生人間の足跡が彫られるように残された

岩手とは岩に印された手が名の起こりと

その分厚い手とは原生人間の熱い信頼に握る手だったのか

岩手県はまことに日本の秘境で文明を否定する地にふさわしい

そこにまた新たな神話と伝説が原生の人間を蘇らす

深い千年の眠りから激情の火山が爆発する

原生人間誕生の地にふさわしい地-岩手県だ!

巨人は岩手県の大地の上に立つ






盛岡の春


学生も歩み会社員も歩む

明治の銀行などの煉瓦の建物

我はみちのくの都会に来る

みちのくの都に来る

我は長く田舎に冬ごもりあれば

都会の良さをここに味わう

旅人なれば気兼ねなく

見知らぬ都会を気ままに歩む

我は今自由な都会の空気を吸う

我は今遠くから来た旅人と出会い

都会に心は解放される

都会なれども岩手山は真近かに聳え

その白雪のりんとした嶺が迫る

北方の澄んだ空気をここに吸い

啄木が不来方の城の空に吸われし15の心とは

閉塞したる渋民の村よりい出て味わいし心

我も旅人としてその自由な心を味わう

小さなる都会はまた必要なり

田舎は因循にて閉塞する

そこに解放の都会の必要

北上川も流れ中津川も流れ

雫石川も北上に注ぎ流れぬ

雪はなお残る盛岡

そこは確かに詩人の街だ

啄木や賢治のハイカラさがここにある

盛岡で都会の自由な空気を吸った

春の日我もその都会の自由な空気を吸っている




春まじかの盛岡

北上川滔々と街中流れ

松風鳴りて枯柳あわれ

盛岡の城の跡池はなお凍りぬ

中津川の朝のせせらぎひびき

上の橋、中の橋、下の橋あり

残れる雪に擬宝珠の橋古りぬ

柳も枯れてみちのくの長き冬かな

煉瓦の明治の銀行も古りぬれ

その橋の袂の一軒の古書店に入りぬ

昔をたずねて盛岡の街を我は歩めり

北上川滔々と街中流れ

岩手山の雪の嶺迫り清しき

せせらぎ流れひびく川よ

春は来たらむ街中のいくつかの

川に沿いつつ旅人そぞろ歩みぬ