2005





これは「評論と鑑賞」「俳句短歌紀行文」「日本全国詩歌紀行」などにのせたものです-ここは毎日書いていますのでここからリンクで飛ぶことができます。

今日の一句一首全目次
(ここに全部まとめました)

2005-3-4 大坂-交野-近江(志賀の都)の歴史の解読2005-3-4(4ペ-ジ)
2005-2-19 蕪村の句の不思議(邯鄲の市に鰒(ふく)見る朝の雪の解読)
2005-2-11 凧揚げの歴史(俳句などから)
2005-1-22 青春18切符冬の旅(山形-新潟-会津)(全俳句短歌)
2005-1-20 新発田(しばた)⇒津川⇒会津の冬の旅(時事25)
2005-1-17
鉄道の旅の部(鉄道俳句の旅)(俳句の部の方に移動しました)
2005-1-12 桜前線の俳句短歌(3ペ-ジ)(みちのくの桜と明石の桜)新しく一ペ-ジ加え直す(
2005-1-2 江戸時代の正月俳句
2005-1-1 おちこち(短歌紀行文集)(明治) 大和田建樹を読んで
2004-12-25 青春18切符で雪の青森へ(全俳句短歌と写真)
存続あやうい栗原電鉄(末枯の野を行く一両の電車) 鉄道の旅の部へ
パリの秋(東駅より)
トランジットで岩沼→柴田→仙台へ(俳句短歌エッセイ)
阿武隈の魅力は道にある2004-11-12
川俣から東和へ秋の俳句と写真
柿の話(俳句エッセイ)
飯館の秋(俳句短歌紀行)
失われた馬との生活(俳句エッセイ)
月山の花の写真と俳句
阿賀野川の津川駅写真と俳句
フラワ-長井線で白鷹町へ(俳句、短歌、写真の部)
冬の旅の記録へ(青森へ
大江戸春の絵巻の詩
江戸の生活感覚の俳句 (1)
村の俳句から江戸時代を偲ぶ(生活感覚の俳句2)
江戸時代の魅力 1月30日(評論と鑑賞)
秋の阿武隈高原から二本松へ(俳句短歌−詩−写真集)
三春まで(春の阿武隈を行く)2004-3月(1)
三春の春(2)
注意⇒英語の俳句は自己流だから正しくありません
英語の勉強のために試しに出しています

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2005年3月17日(木)
空き地と冬の鳥


家建たぬ空地に飛ぶや冬の鳥

The bird of winter is flying 
about the vacant lots 
where a house does not build yet.

トラジットに回りそちこち犬ふぐり

俳句の不思議は簡単なものに深みがでることなのだ。この冬の鳥の句も写生である。なんの目だったこともない、空き地を冬の鳥が飛んでいるというだけではないか?となるがこれは何か季節感とまだたたない田舎の分譲地とがマッチした生活を感じる句になっている。ただありのままを写生したにすぎないがそうなっている。今田舎では昔の街はすたれその近辺にどこにでも住宅地を作っている、しかしそれが多いために空き地になっているところが多いのだ。田舎でも土地は高いし家建てるのは高いからそうなる。高度成長期だったら次々に建ったかもしれないが今は空き地になっている。そこを冬の鳥が飛んでいる。今の時代を象徴した俳句となっている。江戸時代の俳句もその時代でしか作れないものがあるから貴重である。この平成の時代にも平成にしかない俳句が作れるのだ。これは写生の句で平凡だが今の時代を象徴するものだった。

トランジットという折り畳み自転車もそうである。これをもって明日四国にでかける、これは軽いから持ち運びして旅行できる。電車だけでは旅にならない、旅は今や多少なりとも演出しないかぎり旅にならない、昔だったら旅にゆくことは演出する必要はない、今は早く行くことばかり考えるようになったり旅にならないのだ。ともかくトランジットで一時間でも二時間でも走れば景色も変わり旅する気分になるかもしれない、東京から徳島まで船で行くのははじめてである。四国とか九州、中国とかも東北からは二日かかりになくから旅するとなると大変である。帰りも二日かかりになり交通費も外国に行くくらいかかる。青春18切符で東京まで行き帰りもこれで帰ればそれでもとはとれる。でも途中短いと余り得にはならない、長い距離のときこれはいいが短いとだめなのだ。

それにしてもこんなに毎日俳句とか短歌について書きつづけられるのも不思議である。書くことがインタ-ネットで開発されたということがある。常に書く場所が発表する場をもっているから書きつづけられるのだ。まあ、一方的なのが弱点だったがこうした表現はインタ-ネットでしかできなかった。プログだと簡単に反応が得られるらしいからまた違ったものになっていた。

英語は翻訳ょペ-ジをそのつま利用した。そのまま使えることもある。ただ俳句的に凝集した表現をすることはむずかしい。翻訳も将棋のソフトと同じように人間より優秀な面がでているのも不思議である。

2005年3月16日(水)
留守の部屋


今日も一枝手折る紅梅吾が部屋に

吾が留守に紅梅の香り部屋に満つ

full of fragrance of koubai
in the absent one      
after I have lieved my room

東京から船で徳島に8000円で行けるので東京まで行って四国まで行くことにした。これは結構長い旅になる。
しばらく留守になってしまう。

今手折った紅梅をまた部屋にさした。今から12時になるけどでかける。自分が去ったあとこの紅梅の香りはこの部屋を満たしているだろう。

このインタ-ネットは生中継なのだ、生の映像を映しておくこともできる。するとそれを見ている人があれ今誰もいないの、ああ、そうか旅に出たんだね、なるほどあとに残された壺にさした紅梅が見える、その香りが部屋に満たされているとなる。

こういうことは今までにないことなのだ。自分が回りが常にリアルに放送されているのだ。だから昨日の東京電力の光の生放送は面白かった。インタ-ネットの通信販売を司会者やみんなで語っていたからだ。あれが確かにインタ-ネット的テレビの放送になる。


ともかく何日か留守だよ----帰ったらまたアップだ・・・・

フレーム
2005年3月15日(火)
紅梅の香り


紅梅やまじかによりて香りかな

紅梅の二輪の香りに満たされぬ

be soft on [about] (人)に恋をしている.

・have a soft place in one's heart for / have a soft spot (in one's heart) for …に愛情を感じる.

soft spotというのが紅梅から香ってくる、この表現なのか


紅梅がかなり木一杯に咲くようになった。それでまじかによって一枝折ってきた。まじかによる-その紅梅の香りがなんともいえない・・・・・

その紅梅の二輪を部屋にさした。その香りがなんともいえない・・・・恍惚とした香りである。紅梅の香りはまた格別である。梅はやはり香りなのだ。ともかくなんともいえぬ幸せ満たされた。

2005年3月14日(月)
船の句


菜の花や船ゆく遅さ瀬戸の島

rape blossoms all over,
slowly going ships
in the back of islands in Seto Ocean


時代によってものを見る感覚が変わってくる。江戸時代だったら船が遅いということはない、船は早いものだった。江戸時代を知るのは現代と対比してものを見るからものの見方が多角的になり豊かになるのだ。「五月雨を集めて早し最上川」というように船は早いものだった。しかし今船は何か進むのが遅く感じる。電車や自動車、飛行機などスピ-ド時代には遅いのだ。一つの島を過ぎるのにゆっくりと徐々に徐々に過ぎてゆく、だから印象に残るのだ。

この俳句も江戸時代の人が鑑賞したらええ、船が遅い、そんなことあるのか?と理解できなくなる。それは江戸時代をかえりみて籠にのっている人の気持ちを理解できないのと同じなのだ。スピ-ドの感覚が百倍くらい違っているのだ。旅行しても自動車の騒音やらビルの都会やら人ごみやらでじっくり見れないから現代はいいものが作れない、どっちかというと俳句も内面的にイメ-ジ化して作るのに向いてきている。写生が基本にしてもその写生にふさわしい題材が景色の中に失われてしまっている。

この句も瀬戸内海を旅した昔を思い出して作った。なんか旅を思い出して作る俳句が結構多いしそれがいいような気もする。

2005年3月13日(日)
福寿草と雪


福寿草咲けど雪舞う今年かな老人二人かかえる家に

福寿草という花も不思議である。名前がぴったりなのだ。福と寿だから長生きを象徴した花なのか、延齢草もそうである。90までまだボケずに元気に生きていることも不思議だ。90まで生きるのはめずらしくない時代というのも今までになかった。
しかし今年はその福寿草に雪が舞う、でも福寿草は輝き咲いている。今は平和の時であり恵まれた時である。

病室の暖炉のそばや福寿草 子規

これとにた感じの句だった。病人なのだが福寿草が咲いている。というのは病人でも子規は苦しいがある意味で幸せを感じていた。というのは見守る人がいたし仕事もしていたからだ。世間も病人でも認めていたのである。病人でも生活は自活できていたし師匠でもあったのだ。だから苦しくてもそれなりの幸せを感じていたから福寿草に心をよせることができた。

俳句はキ-ワ-ドで調べて類似俳句を並べるのに向いている。だから俳句 ・・・と探している人がいる。人から探すより福寿草という世界をキ-ワ-ドから作るのである。いい絵もあった。やはり絵は写真と違う、福寿草の特徴を良く出している。写真ではあういうふうにはとれないのだ。

2005年3月12日(土)
寒戻る-石の庭


北風や十数個なる石の庭

the north winds
blow at
about ten of stones 
in a garden
 

寒戻る十数個なる石の庭

これも写生そのものだが俳句になっているかどうかむずかしい。十数個ある石というのがやはり石の重みを伝えている。俳句は短いから何かを省かざるをえない、ただ実際写生だけで俳句になるのかどうかむずかしい。どちらかというと寒戻るの方が俳句らしい、今日は北風がまた寒くふきつけたからだ。

2005年3月11日(金)

大坂城落下のなかに吾も交じる

一陣の風に吹き散る花やさらに大坂城内花散りやまぬ

春愁や老いて読まれぬ本あまた


大坂城に行った時はちょうど桜が散るときだった。次から次と人が広い城門を入ってゆく、花がはらはらとちり夕陽が難波の街に沈んでゆく、大坂城は実際はもっと広かったから当時とすれば凄い見物だった。本当に難攻不落の城だったのだ。だから家康も攻めるのに難儀したのだ。この一大の栄華もはかなく消えてしまった。
大坂の街はわかりにくい、実際ほとんどわからない、大坂城だけが残っているからあそこだけ昔が偲ばれるのだ。それにしても大坂城にしたって巨大なビルの乱立からすると小さいのである。江戸時代まではどんなものでも身の丈の世界である。外国だとピラミッドとか巨大建造物があるが日本の城は外国人が見ても小さいなと思うに違いない、いづれにしろ秀吉は奥州仕置きとかで青森の方までいろいろ沙汰があり権力を及ぼしたからその権勢が凄いものだったのだ。


本は読まなくてもたまる。本を買うということは知識を増すような錯覚をするのだ。本は年取れば確実によめなくなる。本の値段はもはや問題ではない、もし百万の本でもそれが身につけば買うだろう。まず内容が読めなくなるのだ。そこに老年の誤算があるのだ。暇ができ金もある・・・しかし本を読むことはできなくなる。新しい知識を身につけることもできなくなる。老年とは若いうちに身につけたものを発展させることしかできないのだ。だからくだらない本ばかり読んでいた人は老年になってから硬い本など絶対に読めないし理解できないのだ。

ともかくなんか今日はなまあたたかくボ-としてしまった。あんなに寒かったのに今日は変だ。

2005年3月10日(木)
長崎からの春


長崎に一早く吹く春の風

日本の面白さは桜前線のように南から北と季節の変化があることなのだ。長崎に桜が咲いても津軽に弘前に咲くのは5月なのである。北海道はもっと遅いのだ。だから詩とか俳句でも短歌でも南から北の変化を歌うことができるのである。

2005年3月9日(水)
春がきた


山の樹の枝々やわらぐ春日かな

the sunlight of spring
make many hard branches
soften in the mountain


朝清し松風鳴りて残る雪遠くの峰を我が望むかも

本当に春がきた。しかしここは風は吹いているから自転車でなかなか遠く行けない
自転車は風に弱いからだ。ともかく春がきた。まだ雪が残っているのもすがすがしい。これからは遠くに行けるだろう。

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2005年3月8日(火)
福寿草とクロッカス


外に出て虫ふえて飛ぶ春の夕

ともに咲く喜びここに一杯の春の光や雪にも映えて


福寿草とクロッカスが咲いた。それも残る雪に映えて咲いた。北国では雪の中から咲くと言うことがある。でもここはすぐに雪はとけた。今日はあたたかくなった。
虫がとんできた。今頃の虫は飛んできても邪魔にならない、春を感じるのだ。

写真の説明の短歌になったが今の時代の創作はデジカメ時代だから写真とセットになる短歌とか俳句が多くなる。だから花の名前もいれないし花の名前を入れると長くなるからこれも一つの時代の創作となる。

2005年3月6日(日)
御影石と梅


御影石の壺にさしたる梅香る

梅も咲いたけど雪の中に咲いているというのもめずらしい。なかなか今年はみんな咲かない、今の時期ここは雪景色というのもめずらしい。東京辺りと比べればここはまだ寒いとなる。今年はただ例年にない冬だった。しかしこれが冬らしい冬なのかもしれない。