時事問題の深層29-

ロシア旅行から帰って来ました

    5   8  10
11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30

相馬私局(小林) a private channel in soma-gun
小林勇一

時事問題30へ



感想はこちらへ



ペ-ジを分けて出しました、ここには全部のせませんので
へ 新しくアップしたものはリンクしています
または




ロシアの旅へ8月2日

注目の場所-大阪府豊中市で起こったこと(インタ-ネットの情報摂取の違い)8月7日

都会と田舎の対立の先鋭化(郵政民営化の深層)8月10日

高速道路常磐道の衝撃8月14日

地震被害の写真(鹿島町の農協倉庫)-8月16日

時代に合わなくなった郵便(飛脚になったような郵便)8月17日

ロシアの不思議(世界史を象徴しているロシア)8月18日

ロシア旅行の謎が解けた 9月6日

ハバロフスクで感じたこと 9月9日

ロシア語の起源9月16日


現代のグロ-バル化文明は異変に弱い9月17日

日本人はなぜ世界史が苦手か(日本の特殊性)9月19日

満州の歴史をふりかえる9月23日

ユ-ラシア的視点を持て9月26日

東トルキスタン、コルラ市長が自殺10月1日



ロシアの旅へ

●海外の紀行作家になるのはむずかしい

旅行を考える時、旅行の仕方がまず必要だからそれについていろいろ調べたり聞いたりするし実際ビザをとるとかどうしたら安く航空券が手に入るとかいろいろ考える。特に海外旅行になると旅行の仕方、テクニックがめんどうだからそれが海外旅行のテ-マみたくなりそれで本を書いたり商売になったりする人がでてくる。でも旅行の仕方は今や猫も杓子も行く時代だからそれ自体そんなに価値あるものではないが実用的なものとして必要だからそういう本も売れる。最初パソコンがむずかしいからやたらパソコンの使い方の本が売れたりするのと同じである。でもパソコンの使い方に時間を奪われたら肝心のことができなくなる。作家だったらいい小説を書くのが目的なのである。これと同じように海外旅行は旅行のテクニックに心が奪われて肝心の旅行の目的そのものがないがしろにされる。良く外国のことが見られないことになるのだ。海外旅行はだからかえって充実したものとすることがむずかしい。ただ海外に行ってその土地を踏んだで終わっているのが意外と多いのではないか、それも意味ないことではないがもう一歩海外旅行通になるにはやはり外国を知らないとだめなのだがそれがむずかしいのだ。

●巨大なスケ-ルの国は理解を越える

外国は一回くらい旅行してもわからない、外国の歴史がどうのこうのという時点からむずかしくなってくる。ロシアに行くにしてもここも国が大きすぎてわかりにくい、シベリアにロシア人が来たのは江戸時代だからそれなりに古いことになるが一方江戸時代に蝦夷へは幕府の人が探検にきている。その一人が間宮林蔵でこの人は宗谷岬から船で樺太に行ったのだ。そして間宮海峡という名前がついた。そこはまだ知られていない領域でありそこに日本人もかかわった。ベ-リング海峡とあるのはベ-リングとはデンマ-ク人だった。未開の地にはそこに最初に入った探検者の名前が記されることがある。ウラジオストックにピュ-トル大帝湾とあるのはピュ-トル大帝はヨ-ロッパに伍するために造船技術の導入に力を入れて自らも船大工の真似までしたというからウラジオストックは東を征服するという意味でその名がついた。日露戦争の日本側の勝利もバルチック艦隊は地球をほぼ一周せねばならず戦う前に疲弊していた。
そして陸にしても余りにも広すぎたのである。唯一シベリア鉄道が輸送路だったが機能しなかった。

ロシア軍は鉄砲、軍需品、食料、兵員の輸送を6千5百キロメ-トルに及ぶ単一軌道のシベリア鉄道に頼らざるをえずその横断鉄道にしても貫通しておらずバイカル湖付近できれていて夏は湖水のフェリ-で冬は馬力牽引の橇で兵員や弾薬を輸送せねばならなかった。(ニコライ二世とアレクサンドラ皇帝-ロバ-ト・K・マッシャ-)

戦争の勝敗も地理的条件に左右されることが多いのである。
それから樺太はカラフトノでありカラは唐(から)でありフトはヒトの意味であるともなる。川俣にある口太山(くちぶと)山はヒトが朽ちる山で姥捨山でありブトは方言でヒトをさすことがよくあるという。カラフトとは日本側からカラのヒトが住んでいる島と最初認識されていたからその名がついたのだろうか?ロシアについての知識は極めてともしくロシアから流れ着いた漂着物にロシア語で書いてあってもそれがわからずオランダ語だと思っていたのだ。オランダ語しか当時外国語はわからなかったからだ。そしてアム-ル川というのがツング-ス語であり「こんにちは」という意味だそうだ。まず河に挨拶して一日が始まるからそんな名がついたのか、日本語にもツング-ス語の起源論がかなりある。

●距離感覚の相違

それからシベリアのわからないのはそこに少数民族がギリヤ-トモンゴルとか住んでいてロシア語がしゃべれいない人がいて差別されているとかシベリアなどは日本ではまだなじみのない所である。ロシアというと函館にギリシャ正教とかロシア正教とかの独特の塔の寺院があり外人墓地にロシア人が眠っているから北海道とは縁が深いのだがわかりにくいのだ。大きな国はスケ-ルが日本とあまりに違いすぎるから理解しにくい、例えばバイカル湖は東京から青森までの距離があるとするとそうした湖は日本海のような海の感じになってしまう。それ自体が理解しにくくなる。余りに巨大だということは理解をこえる。なぜ都会人が田舎の人間を執拗に信じがたいほど悪魔とまでその人間性を責めつづけいるのか?結局田舎だと狭い範囲だから悪い点が露骨に見えてしまうからそうなる。一方東京は巨大だし人間も多すぎるから個々の人間がどうだなどわかりにくいからいちいち個々の人間がどうだなど言わないのである。しかしその巨大さの中に悪は隠されてしまっているのだ。大陸もスケ-ルが大きすぎて日本のような島国に住んでいる人間には理解しえないことが多くある。中国人などは距離の感覚が違うという、つまり東京から青森とか行くのは隣の街へ行く感覚だという、そういう距離のスケ-ルで日本人は考えられないのだ。
ロ-マの道の一里塚がマイルスト-ンが10キロとすると日本の一里塚は4キロくらいとなると数倍の距離感覚があった。たいがい馬車で行く感覚だからそうもなる。10キロ行って一休みとなるのかとにかく大陸の距離感覚はスケ-ルが違うのでわかりにくいのだ。中国でもロシアでもどこまでが本当に自国の領域と実感として考えるのか理解しにくいのだ。日本だったらそういうことがありえない、日本で大陸のことを理解しえないのが長大な河である。アム-ル川のような長大な川も想像を絶する川だから理解しにくいのだ。これが中国との国境となっているのもそのためである。

●ロシアとは何か

ロシアは前はソビエト連邦でありしかしまた元のロシアにもどった。様々な国に別れたがそもそもそこが歴史的にロシアではなかったのだ。だから元の国に先祖帰りしたのである。イスラム圏の国として歴史が古いからそうなる。ロシアはゲルマンがロ-マの辺境だったように最初ゲルマンのさらに辺境だった。
フィンランドはフン族だったのかゲルマン人から名付けられたとなるとそうなる。モンゴルが東から攻めてロシアの国の基を作ったとするのもわかる。顔がヨ-ロッパの白人とアジアのモンゴルの混血なのである。民族的な顔がそれを如実に証明している。ただ文化的にはヨ-ロッパの古くはロ-マの辺境のさらに辺境だった。ロシアはその頃ロ-マにも認識されていないしモンゴル帝国の進攻によって国として認識されたのだ。なぜロシアが全体主義傾向になるのか、それはロシア正教から始まっている。農奴制とか巨大な権力でまとめるほかないからだ。個々が神と結びつくとか個々の信仰の目覚めだとかプロテスタント的なものは育ちにくい風土だった。プロテスタントは小国に向いている。大国になるとロ-マだったら組織化したカトリックが向いているようにプロテスタントは大国には向いていないのだ。

マルクス主義がそもそもソビエトとか中国に向いていた思想だったのだ。資本家とか労働者に二つの階級闘争だなどというのはわかりやすいからだ。そもそもそこは農奴制とか国自体が遅れていたからである。そしてロシアはその国が大きいことと寒いという気候的条件で国が守られた。ナポレオンもナチスも雪にはばまれてモスクワまで進攻できなかったのだ。その長大な国という地理的条件が国を守ったのである。これも歴史が地理であることがわかるのだ。地理的条件で国が起こったり衰亡したりしているのが歴史なのだ。地理を越えて歴史は作られない、地理に制約されて歴史がある。 ロシアが何かとか中国は何かとかアメリカは何かとかなるとその長大な地理がわからないから理解を越えたものとなってしまうのだ。ロシアとか中国とかペルシャとかイスラムでも巨大な国では圧政が行われやすい、それは共通している。そして誰でもわかる特徴はあのずんぐりしたロシア正教の塔である。ロシア人を評して

一番すべてのロシア人に共通することは良くも悪くも田舎気質でおおらかであること。

ちなみに日本でロシア正教の流れをくむのが「日本ハリストス正教会」。
伝道したのはロシア正教の宣教師、聖ニコライ(イヴァン・ドミートリエヴィチ・カサートキン)という人で、来日以降、死ぬまでほとんど日本を離れることなく伝道に努め、それが後に日本ハリストス正教会の設立につながりました。
そしてその不朽体が眠るニコライ堂(東京復活大聖堂)と函館ハリストス正教会は国の重要文化財に指定されています。


http://www1.odn.ne.jp/tenderfat/siberia/top.html

何かあのずんぐりした塔は洗練されていない、野暮ったい田舎的である。ロシアの大地を象徴している。塔にも各国でいろんな塔があることには驚いた。塔は明らかに各国の精神のシンボルなのだ。

●未開の地、シベリア

シベリアの永久凍土にマンモスが眠っている
その雪に閉ざされた荒涼とした地
そこに流れているのは長大なアム-ル河
その水が海水と交じり流氷となり
オホ-ツクに流れ着く
かつてオホ-ツクに来た一民族の謎
それらは一時の足跡を残して去った
そしてシベリアの広大な大地
そこに踏み行った人の跡はいまだ知られていない
分厚い雪に閉ざされて足跡を消す
マンモスは長い眠りについてしまった・・・・


マンモスがかなりの数永久凍土に眠っている。シベリアはまだ未知の世界なのだ。しかしこのシベリアも地球の変化を受けている。

ユカギルマンモスの発見されたロシア連邦サハ共和国の
北端のユカギル村から東方約30km離れた川の南側斜面で
永久凍土から、頭部をはじめとするマンモス部位が発見されている。
ユカギルマンモスが出てきたところは特に永久凍土で
実は地球の温暖化でものすごい速度で侵食されているのです


地球温暖化はかなり深刻な問題である。各地の氷河も溶けている。
シベリアからは木材とかサハリンでは天然ガスとか資源が日本に入ってきている。しかしシベリアの自然は未だ解明されていない面がある。地球にはこうした未開の地域が必要である。すべてが文明化されたら息苦しくなってくるからだ。だから日本にとって北海道がその役割を果たしていたのだ。北海道のつづきとしてシベリアがあるのだ。

黒竜江とロシア(モスクワ)からのアクセス


函館外人(ロシア人の墓)



注目の場所-大阪府豊中市で起こったこと(インタ-ネットの情報摂取の違い)

●大坂は在日の巣(地域差がある情報の交換)

太平洋高気圧に覆われた日本列島は5日、各地で真夏の日差しが照り付け、
大阪府豊中市では午後2時すぎに、今夏の全国最高となる38・4度を記録
するなど、猛烈な暑さに見舞われた。

暑さの話しから発展したのは暑さではなく在日の差別の問題だった。自分は在日でないのにチョソとされたのだ。


大坂豊中西緑丘にロシアの領事館ある
そこに郵送でビザの申し込みしたが
ロシア人もびっくりだろうな、日本は国に帰ったら
灼熱地獄だとか言うんじゃねえか


旧ソ連はむっちゃ広く極寒の地域から酷暑の地域まであるの知らないのかな・日本語もヘンだし、朝鮮半島のお方ですか?


ロシアははじめてゆくからわからん、モスクワは30度にもなるとか
一般的にはそんな酷暑の所があるとは思えないが・・・・・

どのへんがそんなに酷暑の地域・・・・


「モスクワが」「酷暑の地域」とは一言も言ってないのだが
そもそも、旧ソ連とは書いたが、モスクワなんておまえ含めてだれも言ってないだろ
これだから日本語理解しない朝鮮人は・・・

とは言え、モスクワも夏は猛暑なんですがね・・・
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050528-00000009-san-int



オレは朝鮮人じゃないよ
大坂あたりじゃな、人を見たら泥棒と思え・・・人を見たら朝鮮人と思いとなるのか・・・

東北では朝鮮人はどこにいるかもわからんよ
おらが一万の町じゃ朝鮮人見たことねえよ・・・・・



いえ、「大阪関連スレで日本語が不自由な奴を見たら朝鮮人と疑え」ですが
2ちゃんねるの常識です

トーホグ人に成りすますところを見ると、万景峰号で新潟から入港した工作員かな? てっきり大阪民国人だと思ってたよw



前もチョンでないのにチョンと言われたしな
大阪人の苦労は察しますが・・・異常に反応しすぎだよ


原因はおまえが日本語を理解していない&日本語の文章がまともに書けないからでしょ
そもそも、大阪人を朝鮮人だとくさす大阪人がどこにいるんじゃアホ



そうもめんなよ
そもそも犬阪人とチョソなんて
どっちも似たようなもんだろ


似たような?
まんま同じ民族ですよ
半島に居るか在阪かの違いだけ


大阪民国=朝鮮ですが何か?
大阪が朝鮮人の物なのではない、大阪=朝鮮なわけです
台湾やシンガポールは中国人の国ですが、中国ではないのと同じ
大阪民国人は朝鮮民族ですが、厳密には朝鮮人ではないわけです


やほーBBが何故書き込み禁になったか知ってれば2ちゃんが酷いんぢゃなくて工作員が酷いと分かる。
あまりに朝鮮叩きが酷く総連だか民団からクレム来てひろかずが調べたら
叩いていたのはまさにザイーニチカンコック人その人だったって有名ぢゃん
自演半島叩きを反日に使おうとしていたり、単にエセウヨで日本にいる半島人が半島在住者を発狂叩きしていたり
今ではだいぶ普及しちゃったけどね


在日が北朝鮮の拉致を手伝ったとか、在日なのに日本名を名乗っているとか
日本人名と韓国名が合体したのやら
在日と思ったら本当のアメリカ国籍だったとかわけわからんのが在日だよ
ともかく姓を韓国名にしているのは主張がはっきりしているな


これもちょっとした会話にすぎないんだけどこうした会話から情報が開けてくることがある。インタ-ネットの新しい情報世界なのである。東北では在日は極めて少ないし自分は見たこともない、大坂では在日の国だというくらい日常的に接しているからそうなる。インタ-ネットの会話は地域性が出ることが今までにない情報のやりとりになる。ちょっとした会話でもそっちでそんな祭りあったのかとか意外なものに触れることがよくあるのだ。それはホ-ムペ-ジでもそうだしちょんとしたこうした会話からも地域性とか異なった世界がふれることがある。それが意外と新鮮なのである。つまらない日常的なことでもそうである。在日の問題はどこでも執拗にとりあげている。それだけ関心が大きいのだ。ニフティで裁判なったのも元々は在日問題だった。訴えたのはアメリカ国籍の在日の人だったのだ。在日は日本名を名のっている人と日本名と韓国名と合体した人がいたりアメリカ国籍をとっている人も結構いる。だから東北などの日本人からみるとわかりにくい人達なのである。在日の複雑さは工作員が入ってわざわざチョソだとか相手をたたきまくりそれを口実に差別が激しいからとかヤホ-の掲示板で発言を禁止させるとかになる。東北ではまず在日についてふれることがないからかなり差別に対しては無知なのだ。地域的に無知なことがかなりある。部落差別についても東北では全くわからないのだ。そういうものがないからわからないのである。



●つづいてこの大坂の豊中市で起こったこと(自殺サイト殺人)

・大阪府河内長野市で2月、同府豊中市の無職長元美智子さん=当時(25)=の
 遺体が埋められているのが見つかった事件で、河内長野署捜査本部は5日、
 殺人と死体遺棄容疑で、同府堺市鴨谷台、人材派遣会社勤務前上博容疑者(36)を 逮捕した。
 
 2人はインターネットの自殺サイトで知り合ってメールをやりとりし、長元さんが失跡する直前に初めて会う約束をしていたという。
 調べでは、前上容疑者は2月19日午後10時ごろ、河内長野市加賀田の路上に
 止めた車の中で、長元さんの鼻と口を両手で押さえて窒息死させ、近くの加賀田川の  河原に埋めた疑い。

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050805-00000152-kyodo-soci

これも奇々怪々な事件である。そもそも自殺サイトなどに出入りすること自体かなり危険なことである。そこにとんでもない殺人趣味かなんかわからないけどその死の匂いをかぎつけて入り込んできた。ネットは相手の素性が全くわからないから発言したりすることもかなり危険である。まともに話すところではない、ただ今までにない情報のやりとりがあり情報探索のためにやっているのだ。意外のレスが返ってくることがある。こうした情報の摂取の仕方は今までなかったのである。一方的に情報を与えられるだけでこちらから探りを得るとかこちらから情報を得るために働きかけることなどなっかた。またそんなこと今までの情報環境ではできなかったのだ。ちょっとした会話でもそれが問題提起となり新しいことがわかることがあるのだ。テレビでも新聞でも雑誌でも一般の人が情報に働きかけられないことは致命的である。ただ一方的に読むだけでは受け身になり結局相手の言うがままの洗脳状態になる。デジタル化、インタ-ネット化の情報は双方向的に必ずなる。ホ-ムペ-ジやプログを必ず参考にしているし摂取した情報を絶えず自分なりに組み立てることが必要になるのだ。情報というのはその人なりにみんな違った受けとりかたをする。大坂の人が在日に接するのと東北の人が在日接する態度は全然違っているのだ。こうした地域的な個々の反応の相違はマスコミからわからない、情報というのは自分なりに分析しないかぎりわからないものなのだ。一方的に与えられただけではわからない、それが自分にとって何を意味するのか、自分なりに分析すると納得することが多いのだ。

●トヨタの事故の隠蔽

彼らが指折り数えたのが自殺者の数だった。その日話しにでただけでも
20名をこえた。海に飛び込んだのは高岡工場の27歳の労働者である。
工員とダム湖にクルマごと飛び込んだ社員だけが新聞記事になった。
28日堤工場の45歳が首を吊った。
高岡工場の労働者は、寮で睡眠薬自殺を遂げた。彼は遅刻を咎められていた。
本社では、山の中で首をくくった。

QCサークルの準備に手間どりクルマに排気ガスを引き込んだ例もある。
高岡工場寮で発見された自殺者の死体は保安課員?がかたずけた。
パチンコ台のガラスに自殺者の顔が浮かび上がってしょうがないと
保安課員がこぼしていた。
その夜集まった期間工たちは次々に話だした。
精神障害と自殺者についての噂は、これまで何度もかきけされていた。
しかしその数が急速にふえていることが、
私を暗然とさせた。

トヨタで働いて万が一家族が自殺してしまったらすぐ弁護士に相談しましょう。
「過労死110番」へ電話。「○○労災職業病対策会議」
家族は、労働基準監督署へ「業務上災害認定」の申請書を出すこと。
 「労災認定」されず「不支給決定」が通知されたら弁護士に相談し
 「不服申し立ての審査請求」を提出すること。
盗用多を相手どって損害賠償請求の裁判もおこしてやれ。


この事件もトヨタはトヨタ城下町だからみんなそれで飯食っているからトヨタの悪いことは表に出てこない、中日新聞などでもトヨタの悪いことは報道しない、宣伝費もらっているからである。これは創価とか消費者金融とかでも宣伝費だしているからテレビや新聞では報道されない、報道されないことに重大なことがある。他にも報道したくても報道できないものがいくらでもある。権力あるものによっておさえられるのである。鹿島町の図書館でもそういうことがあった。他の図書館でも司書が意にかなわないのを焼いたり捨てたりしていたのだ。そういう人達は怨念をもち浮かばれない存在となる。歴史にはそういうことはいくらでもあった。それがむしろ普通のことであり無数の人がそうして埋もれて犠牲になった。人柱伝説がそうである。それだけ土木事業とかには犠牲がつきものだったのだ。人柱伝説が残ったのはやはりそれに同情する人々がいて残したのである。権力者側はそれを歴史の記録としては抹殺したが伝説としてそれは語り継がれてきたのだ。いづれにしろ今までのマスコミ報道とインタ-ネットはかなり違っている。つまり絶えず自らが個々が働きかけるメデアなのだ。それができるメデアなのだ。こういうことがあったと個々人でも記録を残せる訴えることができる。ただその影響力は余りにも微弱だが誰かがそれを発見して役立てることもありうるのだ。だからこうした表に出ない情報がインタ-ネットにでて来るしインタ-ネットにしか出せない情報がかなりあることなのだ。こうした負の情報を知ってこそ真実もわかるのだから情報を隠すことは自主的な判断をできなくなせるから民主主義には情報開示が必要なのだ。




都会と田舎の対立の先鋭化(郵政民営化の深層)



田舎人A

世間ではサルのことを農作物を荒らすとか何とか悪く言うけれど、
田舎の連中と比べれば、サルの方がずっとましだな。
サルはどうやらこちら側を個体認識しているようで、
こいつは敵ではないと分かるとかなり近づいても逃げない。
俺はサルが来るといつも「やあ、また来たのか?」と挨拶してやる。
するとサルは「うん」とうなずく(様な気がする)。
「山には食い物はないのか?」
「あるけど、畑の作物の方がうまいからな」
「そうか、でもいい加減にしておけよ」
などと、目と目でしばらく会話すると、おとなしく去っていく。


田舎人B

なるほどな、猿と会話できるのは本当の田舎人だなw
都会人は猿を軽蔑はするが会話できないよ

オレもよく山の方に行くと猿に合うよ
でもここまで猿と通じ合うことはできないよ
やっぱり都会人より田舎人の話しが面白い
田舎人は自然と密着して接している

オレも田舎だけど田舎の人間より
自然に接している方が心がなごむな


田舎人C

都会人の発想は自然から遊離しているから奇形化している
野菜は電灯で野菜工場で作ればいいとか
人間は非能率だから代わりはロボットにすればいいとか
やたらロボットを最近は奨励されている
ロボットが生産してロボットに介護されてついには人間自体ロボットになるよ
しかし自然の機微に通じて自然の中に生きる智恵を持つのは人間だ
田舎は非能率だから野菜工場にしろとかの発想は危険だよ
ロボットが会話する人工知能コンュピュタ-より
猿と会話する智恵を身につけろよ
人工知能コンュピュタ-のロボットより猿の方がずっと賢いんだよ
都会人はロボットより猿に学べ・・・・


都会人A

ゼネコンの公共工事(道路やダム開発)が減っていく代わりに
ヘルパーセンターやホスピタルなど老人介護の建物がやたら多い。
また自治体の合併ラッシュが増えたのは、合併特例債や地方交付税など
国からの特別融資が得られるのでこの現象「もらえるものはもらっておこう」
地方予算の卑しい気質が分かる。


田舎人B

それはわかっているんだよ、
オレの町で前書いたけど溜め池を洪水で壊れたと補助金もらっていた
実際は溜め池を壊していたのだからあきれた話しだ
公共事業なんか田舎では一年に何回二軍選手きて利用する野球場とか
文化会館とか無駄が多かった
今度介護関係の施設やたら目につくようなったのも時世か
市町村合併の金で温泉をほりなんとかの保養施設に10億円とか
これは無駄と思っている

田舎人C

田舎の補助金体質ももとはといえば国際競争時代に入り
農業、林業が競争できないということがあった
農産物なんか米でも今の三倍くらいの値段になるべきなんだよ
でもそうなると安い米を外国から仕入れた方がいいとかなる
農業はグロ-バル化でもどこでも同じような状態にされたんだよ
田舎自体にも問題あるがグロ-バル化の影響も大きいんだよ


●田舎と都会の対立の先鋭化


郵政民営化の問題を単に郵便の問題のように考える人多い、今やインタ-ネット時代に郵便なんか必要なのかこんな不能率なものは税金の無駄使いだからやめろとなる。郵便局も特定郵便局の局長が世襲制で役得の地位が代々が受け継がれてきたとかある。これも確かにそうだし田舎では都会の人達の働いた税金が公共事業の無駄な投資に費やされてきた。最悪なのはわが町で溜め池の堤防が洪水で壊れたのにわざわざ壊して補助金をもらんていたかという事件である。田舎が減反でも補助金づけになっていることは問題である。郵便局もその一つなのだ。それはわかっていても今回の選挙の争点が実際は都会と田舎の利権の争いやそこに住んでいる人の争いが先鋭化している。この問題はグロ-バル化ともリンクした根の深い問題だった。これは世界的にどこでも起こっている問題なのだ。都会と田舎の対立が先鋭化してきているからだ。

中国でもそもそもが都会と田舎の対立故の深刻な経済格差問題がある。中国の場合は都会人になることすらできない、移動の自由がない、都市籍を得ることが農村出身者にはできない、都会は今や信じられない金持ちがいてその格差は王様と奴隷のようになっている。都市は昔から豊かになる。貨幣が力を持つようになるのも貨幣を発明したのも都市である。都市国家ができたとき例えば中国では沖縄辺りまでも宝貝を求めて貿易にきた。たくさんの宝貝が集められた。都市国家ができれば贅沢品を求める。古代では貝でありその貝が貨幣の元となり貨幣に関する文字には貝が必ず使われるようになった。貨幣が生まれ貨幣が力をもつことは都市国家の周辺部、農村とか牧畜を営む遊牧民は経済的に不利になる。売るもの作り出すために余計働くようになる。しかし収入はさほど増えない、豊かになるのは都市民でありその格差が大きくなる。そして経済も歪められる。

●商品経済化グロ-バル化の問題は江戸時代にもあった

江戸時代は大寒冷期の時代であるので北陸での稲作は不適切で商品価値の高い米作にこだわったのも凶作の原因であった。それであるので、飢饉は半ば常態となった。晶益は「獣鳥の肉のみ食う時は、三十日にして腫れ毒の悪病発し廃腐して死すなり。予、近く例してこれを視る所なり。」と餓死者を診た時のことを綴るので、飢饉の惨状と農村の荒廃を体験した。しかし、領主や町は餓えてはいない。


http://www.geocities.co.jp/Bookend/3756/nihon2.html

江戸時代は全国が商品経済化した時代だった。米が一番商品化した作物だったのだ。今は石油がそうであるように米は貨幣と同じ役割をしていた。侍の給料もすべて米で計られていた。江戸が大消費地となり東北では石巻から仙台米が江戸に船で送られた。仙台米は江戸では欠かせないものだった。そしして過剰に東北では米を作りすぎたのだ。その米は今とは違い寒冷地に適した作物ではなかった。だから冷害などが起こると大打撃を受けて飢饉が頻発したのである。その原因が商品作物であった米作りをしすぎたためである。他の作物も栽培していたらある程度飢饉はまねがれたかもしれないのだ。これは江戸時代だけではない、グロ-バル化で世界中で起こっていることである。グロ-バルな商品経済化は売れる商品作物の生産に過度に頼ることになる。コ-ヒ-がそのいい例である。コ-ヒ-だけを生産していると頼っているとコ-ヒ-の値段が下がると大打撃を受ける。他の作物が少ないから飢えることさえある。アフリカではそういうことが起こっている。国連がセフティネットととなって食料を援助するほかなくなる。江戸時代の経済も今のグロ-バル化した経済と同じような問題が各地であったのだ。東北では鉱物資源がとれたがそれを貨幣に加工する技術がないから高く売れず得したのは堺や大坂の技術を持っている人達だった。これもグロ-バル化商品経済で起きていることである。南北問題は江戸時代にも起きていた。

●都会人の文明技術にかたよる危険性

現代のグロ-バル化は国をこえて富めると都会と貧しい農業などに依存する田舎の対立となっているのも現実である。都市民の生活感覚は野菜は工場で作れば効率的だとかロボットに仕事させればかえって効率的だとか土地とか自然の感覚から遊離しているのだがそれの方がいいと思っている。これは非常に危険な思想である。農業が簡単に工場化することはできない、したとしても電気の元の石油がこれからかなり上がってくるしコストがかかりすぎる。介護はロボットにさせればいいとかロボットがやたら万能ののように思わされるのもこれも危険なことである。ロボットは実際は知能にしたら一歳以上にはなれない、動物の方が自然の中で生きる智恵をもっている。無駄なもの効率的でないものは省いてゆくという除去の思想も危険である。最近知床に鹿がふえたので狼を放ち生態系のバランスをとれことが検討されているのも自然を維持するには人間だけではできないものがある。狼は大神であり神なるものであったのは自然の中で神と人間が崇めたのはそれなりの動物とのつきあいで長い間に会得した智恵だったのだ。

そういうものを文明化した都会民が自らの技術に奢り切り捨ててゆく思想は危険である。都会というのは実際はかなり脆弱な基盤の上にある。一旦大地震が来たら地獄になる。また石油がなくなったら文明も維持できなくなる。文明はかなりもろいものであり自然とともに生きる智恵を活かした田舎はやはり人間の根源的な生活の基盤なのだ。ここが失われることは人間そのものさえ失われる。都会には本当にロボット人間しかいなくなる。そして石油を燃料として生きてるようになっているかもしれないのだ。都会民には自然に対する畏敬が不足している。文明万能信仰に陥っているのだ。野菜がなければ工場で作ればいいじゃないかとか自然から遊離して人工装置のなかですべてまかなえるという幻想を抱いている。都会民はその国土からだけではない、国自体からも遊離してゆく、日本の田舎の農産物は高いから中国から輸入すればいいとかなる。極論すれば日本の田舎はいらないとまでなるのだ。何かあれば疎開先は外国に行けばいいとかまでなっている。そこに大きな落とし穴がまっている。今世界の対立は国と国というより都会と田舎とかグロ-バル商品経済の中で起こっている問題が底辺にあるのだ。それが実はテロにもなっていることに注意するべきである。

●都会は故郷たりえない

山に行ったらノウサギが走り森に隠れた。ノウサギは小さく茶色だった。ノウサギは昔はすぐ町の近くの裏山にいたのだ。自然はそれほど身近だったのだ。

兎追いし彼の山
小鮒釣りし彼の川
夢は今も巡りて
忘れ難き故郷

如何にいます父母
恙無しや友がき
雨に風につけても
思い出づる故郷

志を果たして
いつの日にか帰らん
山は青き故郷
水は清き故郷

兎追いしかの山は遠い山奥ではない里山であり町の裏山でもあったのだ。都会は故郷たりえないのだ。清き川といえば翡翠(かわせみ)とキセキレイが一瞬出会い消えた。岩の淵の水は透き通って涼しかった。しかしこの里山の近くに常磐道が通る。それでまた一つ自然の神秘性が多少損なわれる。故郷たりえない都会がいくら繁栄してもそれは砂上の楼閣である。非常に都会はもろいものなのだ。恒久的なものが育まれる所ではない、商業で栄えた所は古くはソドム、ゴムラとか背徳の神に呪われた街であり神によって滅ぼされた。ベネチアとかもかつての繁栄の跡のみでもの寂しい街となってしまった。確かに都会には都会の良さがあり都会に発達するものがある。ただ都会には根本的なもの、人間を養う根本的なもの根源的なものル-ツとなるべき自然が欠けている。だからそこでは徳さえ養われない、宗教でも本当の宗教は釈迦は岩窟で悟ったようにキリストが荒野で祈ったようにそうしたものはないからカルトになる。カルトは極めて都会的なものから生まれたのだ。文明と一体化して生まれたのだ。創価が小泉政権と一体になっているのもまさしくカルトなしで今や政権が維持できないのである。都会民だけの政権がかなり危険である。社会を効率的なものだけで運営しようとすることも尼崎の電車事故のようになるしそういう都会的な文明的なものの過信は思わぬ事故を起こすことになる。

●都会からでて来るものの醜悪

都会からでてくるものは商業主義の宣伝に席巻される。出版社は売るために文学賞を作りそれを資金をだして大々的に宣伝する、宣伝することによって売り込むのが商業主義文学の世界である。これも都会的商業主義に席巻された悪弊であることをインタ-ネット時代に気づくべきである。ジャ-ナリズムでも都会に支配されていたがこれも良くないことである。マスコミも都会から発せられ都会中心になる。都会が勢力を増すことは良くないことなのだ。都会は滅びの街であり神に呪われた街である。それは今も変わりないのだ。都会人はその文明の奢りと自らの傲慢故に滅びる。都会に美はない、美しさの根源は自然にあり自然の営みのなかにしか生まれない、その営みの軽視は危険である。都会からは確かに新しい技術は生まれる。しかし美は都会にはない、美がないところに美しい心も養われないし徳も養われない、文明は自然の美を殺してゆく、それとともに人間の心も殺してゆくのだ。そこに醜悪の事件がやむことなく起こり犯罪は増加するばかりになる。もちろん田舎がすべて良いわけではない、確かにその人間性は固陋であり姑息であり視野が狭く人間が卑しいのが目立つことも確かである。でも人間はもともとみなんそうだったしこれは人間がアダムが智恵の実のリンゴを食ったときからそうなったのだ。それから人間は自然と調和せず死ぬ結果にもなった。楽園から追放されたのだ。だからこの世はいくら努力しても楽園にはならない、都会の醜悪さを気づかない都会人はその心がいかに汚れているのかわからないのである。汚れた所にいる人間はその汚れさえ気づかないのだ。ネオン街がないと落ち着かないとかなる。汚れている騒音の世界が安住の地になっているの都会人である。もしまともな心をもった人間ならこんな汚い所に住んでいたくないとなるのが普通だからだ。


●人間の生活は自然に隠されるべきもの

「神が人間の生活を隠した」ヘシオドスというとき人間の生活は素朴な時代から醜いところがありだから隠したのである。日本の言葉のつつしむとは罪をつつむという言葉からきているとなるとこれも同じことを言っていたのである。人間は醜いものだから隠されるべきものだということでは一致しているのだ。都会は醜悪の極みではなきか?そのビルの林立にケバケバした広告に自動車の騒音にその世界中から集まる売春の繁華街にいかなる美があるのか、異様な世界なのである。しかし異様が異様ともわからない、カルトもカルトとわからない、狂気の世界に住んでいることもわからない、そうした醜悪な世界にどっぷりとひたっていてそれが見えなくなってしまっているのだ。都会と田舎の対立は経済的な問題だけではない精神的な対立も大きくなっているのだ。都会人の価値おく世界と田舎人の価値おく世界の対立がある。毛沢東が「農村が都会を包囲する」というとき素朴な農村を基点とした革命を模索していた。これが逆になっている中国でも都会と田舎の対立は国をこえてグロ-バル化の大問題である。棒切れのようなもので原子力発電所を建てる政府のものに反抗した農民の事件が中国にあった。これも深刻な都会と田舎の対立から生じているのだ。郵政民営化という問題は大きな都会と田舎の対立の中ででてきたものでありその深層にはそれだけではない都会と田舎の対立が先鋭化したその一つの問題としてとらえるべきである。都会の勢力は強大化している、一方田舎の勢力は世界的にも弱体化してテロの温床になったりしている。郵政を民営化してもその根本的な問題が解決しないかぎりやはりまた都会と田舎の対立は激化してくる。それはテロとか戦争にさえなりうる。現実現代の世界は国と国の問題のように見えてその底辺では都会の富めるものと田舎の貧しいものの対立があることを知らねばならない、都会だけが効率化を追及してゆく世界はかえって今回の電車事故や人間にとって危険なものをはらんでいる。そういう視点が都会人にはないのだ。



高速道路常磐道の衝撃

●山の入り口に突然高速道路が・・・

常磐高速道路の影響は大きい。阿武隈の山の静寂地域を新幹線が走るようなものである。地元のしか利用しない湯の宿がある。ここは他から人は泊まる施設になっていない、地元の人しか利用しない湯である。不思議なのはそのすぐ近くに常磐道が通る。するとその地元の湯の家が見えるのだ。それがすぐ近くに見えるから外から来た人が利用するかもしれない、もちろん今までも車は六号線で走っていたが常磐道の違いは何なのか、それは都会と特に東京都と直結する道路になる。遠くと直結する道路になることが大きな違いである。今までの道路は無駄な道路が多かった。ほとんど日に数十台とかしか通らない道路とか多かった。今度の高速道路は違う、大変な数の車が通ることになる。阿武隈の中央ではないがその縁辺を貫く道路なので影響が大きい、私がいつも散歩する道に突然できたのでとまどう、そこまで行く道はのどかな世界だったからだ。のんびえした田舎特有の世界だったのだ。それが狂ってしまった。そこに車のめまぐるしいスピ-ドと騒音の世界が持ち込まれたのだ。聖なる森の中をそうしたものが通れば完全に森の神秘性は失われる。これはかなりの自然破壊である。今までの自然破壊とは規模が違う、突然のどかな山小屋生活の前を高速道が走る感じなのだ。この常磐道は都会と直結されるということで今までの道路とは意味が相当違う、ブロ-ドバンドとか光通信で結ばれるような感覚である。実際の人とか物が運ばれる感じになる。

●通信販売の方が近くの店より便利

ロシアに旅行に行くとかなりあたふたしていた。ビデオをまたとってこようは思ったら古い型なのでバッテリ-とか変換プラグがなかった。これを仙台のヨドバシカメラでは在庫がなかったが本店の通信販売で在庫があり注文したら次の日に届いた。これも一つの大きな変化だ。近くの電器店でもメ-カ-にとりよせとなると時間がかかる。福島県辺りだと東京に近いから注文したら次の日に着いてしまうのだ。ロシアのバウチャ-というのもインタ-ネットのメ-ルで送ってもらったのを即座に印刷して利用した。インタ-ネットの通信であれ交通の高速化は進んでくる。近くより遠くが便利になるという不思議である。車がないと隣の市までゆくのもめんどうになることがある。そんなとき通信販売の方が速いという不思議である。高速道路をもし利用したらその日に注文してその日の内に着いてしまうことになるのかもしれない、今まで常磐線は磐城までは複線でもそこから岩沼までは単線であり新幹線も通っていない、福島県は明らかに高速道路とかで結ばれると東京圏内に入ってくる。郡山辺りから新幹線で通勤している人もいるとか相当近いのだ。

●失われる自然と悠長な時の流れ

わが町も火力発電所ができたときが一番大きな自然破壊だった。海に出てあれを見るたびに自然の海岸線が失われたことを感じる。その前は六号線ができたときである。それまでは自然ののどかな状態だった。次に競輪のサテライトができたときも何かが失われた。松川浦には火力発電所があり工業団地もあり自然の美は余り感じられない、海岸線には白砂青松の風景はほとんどなくなった。それでも山の方はそれほど自然破壊はなかった。無駄な道路が自然破壊だったりしていた。それも常磐道のような大規模なものではない、これは鉄道ができるくらいのそれも新幹線ができるくらいの衝撃がある。この辺鄙な田舎町が都会化高速化される。それとともに自然のリズムが狂わされる。騒音化に拍車がかかる。のどかとはいえない田舎町となってしまう。自然の神秘性がそこなわれる。大きな影響は時間の感覚が違ってくる。常磐道ができると時間の感覚が早くなってしまうことは間違いない、悠長な時間の感覚にあったものが時間がせかされるものになる。大坂の一分を争い事故を起こしたようなせかされる時間感覚になる。

自然を実感するには悠長な時間がひつようなことがわかった。木が50年とかでやっと一人前に成長するとか自然の時間の進みかたは人間の文明世界との進みかたとは全然違っている。悠長でありそこに一つの岩や石のように強い原生の実在感を持つことができて精神が強化されるのだ。そういうものが自分の故郷からも喪失することは耐えがたいものとなる。しかし常磐道に反対した人は一人もいない、経済的にはこれは相当な効果がある。阿武隈も都会からアクセスしやすくなるからかなりドライブする人がふえてくることは間違いないし人の出入りがかなりふえてくる。北海道とは違い東京にかなり近いからそうなるのだ。だから経済的効果を考えれば誰も反対しないのである。それでも経済優先の社会は自然を破壊し精神的糧となる自然の時間感覚やらを破壊してしまうのだ。それは一つの精神の破壊、文化の破壊につながり人間の精神を都会並に荒廃させることになるのだ。ただこういう観点から反対したり物言う人はほとんどいない、結局田舎でも自然は利益をもたらせばいいのであって精神的な観点から考える人はいない、実益がすべてだからそうなるのだ。



地震被害の写真(鹿島町の農協倉庫)(2005-8-16-12時)



ちょうど自転車で買い物に行きいつもこの脇の道を通っていた。今少しでここを通る所だった。自転車ではゆれながらも走っていた。こうした古いブロックの建物は危険である。こういう建物の側にいたら地震の時危険になる。仙台の前の地震のときもブロック塀が倒れた死んだ人がいた。ブロックは地震に危険だし鉄骨が入っていない古いのは危険なことがわかる。



時代に合わなくなった郵便(飛脚になったような郵便)

●書類のやりとりはファックスやインタ-ネットに

今回はロシアの旅行を計画したのが遅すぎたのが失敗だった。予約(バウチャ-)をまずとりそれからビザをとるとかややこしいので最初からつまづいた。旅行会社に聞いても全部予約する日程を書かないと旅行できないというからこれも面食らった。送迎まで予約するとなるとそもそも予約自体どうたてていいかわからなくなった。その中に外国人登録だとか警察官がワイロを要求するとかいろいろ調べるとなんとも旅行しにくいのがロシアだった。だから時間がたりなかったのだ。ただバウチャ-はインタ-ネットで一日くらい待てばとれるし添付ファイルで送ってきたものを印刷してそれを領事館に送れば良かったのである。問題はそれ以後だった。速達行きは送ったのだが帰りが普通郵便になったので19日出発だとすると18日に出発しないと船には乗れない、なんとか速達で送ってもらうようにしたかったが電話が通じないなど連絡ができなかったのだ。応対しているのは日本語のできないロシア人であってビザ係の人は出てくれなかった。金曜日に応対してくれればなんとかなった。船の切符を東京の会社から送ってもらうにもビザのとれる確認がないとできなかった。火曜日に月曜日に送ったと連絡がありこれなら水曜日には着くと思ったが来なかった。ぎりぎり木曜日に着かなければ富山までは遠いから間に合わない、つまり郵便は遅すぎる、宅急便の方が真夜中を車で運ぶから速いのだ。書類の方の郵便の方が大事な緊急なものがある場合が多いのに郵便は宅急便より遅いのだ。

●スピ-ド時代に郵便は飛脚

結局仕事するにメ-ルで連絡してインタ-ネットで書類や写真をやりとりする方がずっと速いし便利である。普通郵便はこのスピ-ド時代に仕事には役にたたなくなった。郵便の役割は今や飛脚のようになっている。かなり遅く感じてしまうのである。ただわからないことは大坂から新幹線でもその日に出せば東京に着くし相馬までは特急常陸で三時間半だから少なくととも水曜日には着いているはずだった。地震などもあったが今日の午後までは着いているはずだった。月曜日に出して木曜日に着くとしたら相当に遅い、ほとんど仕事の連絡などには使いない、郵便はそもそも仕分けやら人力の世界だから飛脚とにているのだ。一軒一軒回るのもこれも手間がかかる仕事なのだ。夏の暑い盛り郵便配達する人を見るとごくろうさんとなる。そこには人間的なものを感じるのだが仕事に関しては遅すぎる。時代に合わなくなった。書類のやりとりならファッククスが便利だし郵便では遅すぎる。郵便の役割は最初は大きかった。だからどこでも郵便局は町の中心地にあり町の要だったのだ。離島でも一番目立つのは郵便局なのである。一番最初に目につくのは郵便局なのだ。

●郵便局は過去の遺物に

仁宇布で生まれたのは、美幸線が開通する六四年(昭和三十九年)よりずっと前の二八年(昭和三年)です。仁宇布は、天塩川にそって開けた美深と、オホーツクをむすぶ道の「駅逓所」があったんです。駅逓所というのは、荷物をはこぶ馬車や行き来する人に宿や食事を出すのが役目でした。

http://www5.hokkaido-np.co.jp/kyouiku/kodomo/020817hasunuma/index.php3

ここに北海道の古い家屋の写真
http://homepage2.nifty.com/tkohara/nopporo5.html

北海道を旅するとこうした「駅逓所」が記念として残されている。馬車鉄道とかあった時代であり郵便とは貴重な頼りを運んでくるものだったのだ。消息を知らせるものでありそれが仕事までなったかというとその時代なりに書類なども送られたがその連絡はかなり遅いものとなった。手紙という文化自体過去のものとなってしまっている。今はリアルタイムのインタ-ネットの掲示板が文化になっているのだ。ゆっくりと牛が啼いて北海道の果てで消息を待っているのとは違う、消息となると消える息なのだから頼りないものだったのだ。地震の速報を地震後にすぐにその被害の写真をのせたようにインタ-ネットはテレビより実際は速いのだ。テレビは報道する時間に制約されるがインタ-ネットはそうではない、即座に写真でも文でものせられる。その時アクセスすれば状況がわかることがあるのだ。いづれにしろ私のロシア行きの運命は明日になって決まる。

過去になった郵便(時事3)




高知県東洋町の郵便局の記念館


ビザを月曜日に送ったというのは嘘だった。水曜日に速達のユウパックで送り6時にパスポ-トが着いた。間に合わないと思ってあきらめていたが明日なんとか新幹線で大宮に行きまた新幹線でまにあう、12時頃に富山に着く、そこから3時まで港まで行けばいい、しかしこれも時間的余裕はさほどない、今日4時まできていれば6時のバスで新潟まで行き夜行の急行で富山に2時だった。この計算はソフトで簡単にでてくる。これを人間で計算すると大変である。

今回は行く前に疲れてしまった。明日もぎりぎりだからのんきにはしていられない、バスで行った場合、十分一万で間に合ったが新幹線だと2万かかるし港までタクシ-だとこれまたかかる。ともかくロシア10日間でありなんとか通過する旅である。モンゴルに出たらちょっと楽になる。今回は長くても20日間くらいである。とにかくまた失敗だが行くほかない、最初から悪戦苦闘だった。時間の余裕を見てなかったのが失敗だった。




ロシアの不思議(世界史を象徴しているロシア)



ロシア 不思議とキ−ワ−ドを入れたら50万あった。ロシアは広大だからそうなる。シベリアの永久凍土にはマンモスがごろごろ冷凍保存されていた。肉とか皮膚も保存されていたからこれを象と交配させて蘇らせる計画がある。日本と大陸が陸続きだったときマンモスが日本にもやってきて化石化して残った。そもそもバイカル湖が東京から青森まであるということ自体、陸地の海となっているのだ。シベリアのタイガにしろ未だ未開の領域が広がっているのがロシアである。だからまだ野蛮な世界というのも残している。図で示したようにロシアが世界史を象徴しているようになっていたことなのである。西ロ-マ帝国→東ロ-マ帝国→ツアリ-帝国とヨ-ロッパの延長としての歴史があると同時にその前にモンゴルの版図の一つに組み入れられたタタ-ルの軛の歴史があり東西から進攻されたその狭間にロシアがあったのだ。そこにイスラムの進入がありまさに世界史の焦点のような場所にロシアがあったのだ。フランスのナポレンに攻められ、ナチスに攻められモンゴルに攻められ日本にも攻められた。今はイスラムに原理主義者に攻められている。

そこでイギリス・BBCが企画上映したビデオを見ていて不思議に思うことはウクライナなどの地方では、ドイツ軍の侵攻を解放軍と呼んだぐらい反ソビエット感情が強いにもかかわらず、ロシアの人々というのは、あくまでもあの戦い、第2次世界大戦というものを祖国防衛の戦争であった、という認識を崩さないところである。

ウクライナであれバルト三国であれヨ-ロッパとロシアの狭間の東欧は本来はヨ-ロッパ寄りでありロシア寄りではないのだ。だからウクライナでもめたときウクライナはヨ-ロッパが背後から応援していたのである。そして不思議なことはロシア人の精神的アイデンティティもヨ-ロッパに求めていたのである。

ロシア大統領に就任する直前のプーチン氏の次のような発言が紹介されていた
「ロシアは西欧文化の一部だ。ここに我々の価値がある。極東、南部など、ロシアのどこにいようと我々は欧州人なのだ」

これはロシアの文化が先進国の西欧文化を基に作られたのでこうした自ら意識化する必要が迫られている。それだけヨ-ロッパの圧力、影響が強いのである。いかにソビエト連邦というのがこの複雑な民族や国々を統一させることがむずかしいかわかる。みな歴史が違い一様なものではないからだ。だから元の国々に戻ったことも当然だとなる。ロシアは強力な統一国家を作りえないのだ。ロシアは西と東の勢力の狭間にある国である。そしてシベリアは少数民族の世界であり未だにロシア語がしゃべれない人達がいて差別されているとかシベリアは中央の政治にも参加できないような辺境なのである。一時期実際共産革命時代、別な極東の国になっていたのだ。古くは流刑の地でありそこに住む人もロシアという国の意識の希薄さがある。国としての一体感の持ちにくいのだ。それが島国の日本との大きな相違である。

日本の動向を重視したレーニンは、アメリカ帰りの銀行家クラスノシチョーコフを重用して日本とロシアの間に緩衝国家「極東共和国」を建国させます。

シベリアはモスクワ中央政府への帰属意識が希薄だということにもなる。ただ資源が豊富だからロシア政府に帰属させられている。だから反面中国とかイスラムや日本の進出を恐れることにもなる。ロシアがロシア人として一体感もっている領域はモスクワ中心の世界でありその辺境は帰属感が歴史的にも希薄なのである。


ビザとパスポ-トが6時にユウパックでついた。速達で昨日だしたのだ。月曜日に送ったというのは嘘だった。郵便が遅れたのではなく出した方が遅れたのだ。ともかく出かけるほかないのでこの続きは旅のあとで・・・・・



ロシア旅行の謎が解けた

●バウチャ-はビザをとる時だけ必要

今回のロシアの旅は時間的にすべてぎりぎただった。仙台から新幹線で大宮まで行きそこから越後湯沢でほくほく線の急行に乗り換え高岡まで行った。途中待ち時間があり高岡についたのは3時頃だった。3時まで船に乗らないと行けなかったからタクシ-にした。しかしこれも電車に乗れば意外と近い所だった。ロシアの船は待合所などなく船にじかに乗る。そこで入国検査になるがそこだけパウチャ-を見せるように言われた。あとはバウチャ-など見せろと警察でも言われたことはない、基本的にはビザをとるためにバウチャ-が必要なのでありビサをとれば国際法的に入国は許可されたからどこの国でも入ることができるのだ。入国を拒否するならビザを発行しないことである。ビザとは実際はパスポ-トと同じように大事なものなのである。ロシアのビザとかベラル-シのビザは特別立派である。ただ判子を押すだけのビザとは違っていた。船にははじめて海外旅行するという書店に勤めていた青年がいた。この人はバウチャ-を三つも持っていた。最初私が聞いた旅行会社のものだった。バウチャ-はホテルの予約書だから別にそれがなくてもロシアは旅ができる。ビザさえあれば入国できるし国外退去はできない、ただビザの期限とかは厳守である。それで10日間しかなく今回は急ぎの旅でありハバロフスクとチタという満州へ行く都市にしか寄れなかった。ビザの期限が切れることが怖かったのだ。書店に勤めている青年はインタ-ネットをしていなかった。最初パソコンの乗り換え案内で検索したら越後湯沢でほくほく線のはくたか号という急行に乗り換えると富山に行くことを知った。この線は最近できたらしくわかりにくかった。ゲ-ムで隠し路線などとあるように日本の鉄道はほとんど乗ったが網の目のように張りめぐらされていてわからないことが未だにあるのだ。これにのらないと3時までの船に間に合わなかった。日本の成田空港に着いたときも成田で下りて我孫子まででると近回りだった。今までは上野に行っていたがこうした近回りの線路もあるのだ。日本の鉄道は網の目のようにに結ばれていることがわかる。

●ホテルがわからない

ロシア旅行となるとはじめての人はとまどう、ホテルからホテルの送迎のタクシ-から汽車の切符からすべて予約しないとだめだと旅行会社の人に言われる。その時点でどう旅行計画をたてていいかわからなくなる。そんなに予約して一日遅れたり何かあったらとをなるのかと心配になる。現実私は相当な間抜けだし旅ではいつも大変な失敗を国内国外でもしている。そもそもだからこんな予約しては旅できないと思ったのだ。船で一緒になった青年は私が聞いた旅行会社の言う通りの予約の旅だった。書店に勤めていたとかいろいろな本を一抱え持ってきていた。今どきインタ-ネットしていないのは珍しいと思った。インタ-ネットしていないと実用的に教養的ちも差がつく時代なのだ。例えばロシアのことを知りたいならインタ-ネットの方が詳しい。書店ではロシアとなるとそれに関するものは都会の大書店でしかわからない、ロシアに関心がある人が少ないからだ。ということは売れないから置かないともなる。インタ-ネットではロシアに関しては専門家も書いているから充実している。今回はウラジオストックとハバロフスクとチタにしか寄らないからその他のことは言えないがすべて予約になるのはまずロシア旅行の最大の問題がホテルがわからないことなのだ。ホテルと英語でも書いていないし安いホテルが住所がわかっていてもすぐ前にあってもわからないのだ。そこでタクシ-利用するほかないのだがタクシ-は危ないから利用するなとかあり利用しなかった。するとホテル自体探しえないのである。だから送迎まで予約つきになっていたのだ。私の場合はハバロフスクで札幌ホテルともう一つホテルと書いてあったところに一万で泊まった。そこしかわからなかったのだ。これはアメリカンエキスプレスカ-ドで泊まれた。しかしここで泊まったことは大事だった。ここで自動的にレジストレ-ションというのをされていたのだ。それが何かわからなかったのだがパスポ-トに張り付けられていたのだ。なぜこれが大事かというとロシアでは駅であれ警察であれやたらパスポ-トを調べられのだ。だからビザだけではないレジストレ-ション(登録)も大事なのである。だから一回はレジストレ-ションをホテルでしないとまずいものだったのだろう。そもそもロシア旅行がレジストレ-ション(登録)旅行なのもそのためである。

●撮影の禁止

ロシアの社会は鉄道中心の社会である。交通機関は昔の国鉄のように鉄道が中心である。だから国鉄一家とか国鉄の官舎とか国鉄と警察が一体になっているのもロシアである。そもそもシベリアがロシアの領土として維持できたのもシベリア鉄道を速い時期から通したからであり鉄道の役割は大きいのである。

ロシアでは、鉄道そのものが準軍事施設扱いです。
俺もシベ鉄で写真撮影をしていたところ、警官に尋問を受けました。
場所はキーロフ駅。デジカメで車両をパチパチ撮っていたら、整備員らしいオッサンに「何のために撮ってるんだ」と怪訝な目で質問され、「列車に興味があるからだ」と適当に答えてその後も撮り続けていたところ、発車後に乗り込んできた警察官2人に「駅で写真を撮っていたな。カメラを出せ」と言われました。そして撮影した画像を調べられ、鉄道関係の画像をすべて消去するように命令されました。メモリーカードを初期化して、no image の文字を見せると、「二度とやるなよ」と念を押して去っていきましたが、 賄賂でも要求されたら嫌だなあと、取調中ずっと冷や冷やしてました。
ロシアでは、鉄道や空港、飛行機内での撮影には十分気をつけてください。
警官が見ていなくても、一般人(中高年=ソ連人)が通報する場合もあるので。

鉄橋とか分岐点が禁止とあるのはそこを爆撃されるとまずいからだ。シベリア鉄道は最初兵士を運ぶものとしても作られたからだ。

私も鉄道をビデオでとっていたら鉄道の監視塔見たいなところから見ていた鉄道会社員の人に警察の番所に連れていかれた。そこは鉄道施設の中にあったのだ。そこでいろいろ尋問された。ビデオで撮影したものは消せと言われなかった。どこどこをとっていけないとか言っていたが消せとは言われない。私がつかまったのは鉄道の駅のプラットホ-ムを下りて線路にそい離れたところからとっていたからだ。駅構内とか駅の近くだったらこうはならなかった。ロシアはまだ社会主義時代の秘密統制の時代が続いているのだ。ただこれも徐々に変わりつつあり何年か前のことは参考にならないかもしれない、一般人が警察に密告するというのも沖縄の離島で警察に怪しいと通報されたのとにている。封建時代的閉鎖的な社会が残っているのだ。でも一旦外国人を受け入れたらビザを発給したら入国を許可したからあとは実際どうにでもなるのが外国旅行なのである。私のような老人の間抜けでさえ外国旅行はできるし高校生でもロシア自由旅行しているようにどうにかなるものだということがわかる。ホテルに泊まれなくても駅にはいろんな設備があり休憩所もあり3時間くらい寝れる場所もあるからそこで休みあとは汽車で寝ればホテルに泊まらなくてもいいとなる。車両自体が休憩所や寝る場所になっているところもあった。ただ一回はレジストするために泊まる必要がある。

このパスボ-トとかビザは実際は外国では非常に大事なものである。これに命がかかることが歴史的にあった。ユダヤ人が外国に脱出するのに満州回りでアメリカに脱出したのだがそこで満州へのビザを許可したのが日本人の大使館員だった。その当時満州は日本領土だったからできたのである。チタから満州里へ国境を越えるところがありそこでも四時間くらい軌道が違ったりとめんどうなのである。もう一つ怖い話は北京の新彊(イスラム) 出身の学生に聞いたのだがそこではかつてロシアと国境を接していて川が国境となっていてパスポ-トなしでそれを越えたりすると容赦なく銃で撃たれたという、国境はそうした厳しい場所であり日本人は国境意識が希薄なのである。バスボ-トやビザなしで国境を越えれば撃たれても国際法的にはいいとなるのだ。ここにパスポ-トやビザの重大な意義がある。しかしバウチャ-はビザをとるとき形式的に必要なものでありビザが発給されたらあとは必要なく旅行はできるのである。


国境意識の希薄さ

日本人の国境意識の希薄さ





ハバロフスクで感じたこと



●バッグには鍵をかける

ロシア旅行は外国人は盗みの標的にされやすい、他の国よりロシアはその危険度が高いことがわかった。カメラなど自体持っている人が少ない、中国だと日本人は同じ顔に見えるから目立たないのだ。ロシアでは目立つからねらわれやすい、その辺が無防備すぎた。ハバロフスクの駅前でイスラム系のおばさんがたむろしていてなんかわからないけどコインを見せてなんとか言っていた。そしたら突然ポケットに手をつっこんできて金をとられたが抵抗してなぐったら返したのである。普通慣れていたら盗んだら逃げるのが普通だからまだ慣れていない、盗み専門にしている人達ではない、間が抜けているといえばいえるしそれほど悪い人達ではないともいえる。ただロシアではより盗まれる危険度が高い。だからバッグでも鍵をかける必要があることに気づいた。ヨ-ロッパではそうしているがヨ-ロッパより危険度が高い感じがした。カメラすら持っていないとなるとその経済格差が大きいからだ。それから腰のバッグなども危険である。そこはねらわれやすい、バッグに鍵をかけて大事なものは肌身にする。ポケットはチャックをしないとまずい。カメラなどがねらわれやすいしデジタルカメラがなくなったがどうも盗まれたかもしれない、腰のバッグに入れていたのがまずかった。ハバロフスクは田舎だからまだいいがモスクワに行けばその危険度はさらに増してくる。ハバロフスクはまだ素朴な所だったのだ。

●アム-ル川の驚き

アム-ル川の驚きは例えば河口では川幅が20キロになるとか海のように広いのだ。中国の河も大きいが中国の河は何千年と人間の営みがあり歴史が刻まれた河である。人間的なものが河にしみついている。しかしアム-ル川はそうした人間的なものを感じない、未だ原野の中を流れている川にしか見えない、シベリアの原野の奥から満々とたたえた水が海のように流れてくるというのも大げさではない。川の向こうに見えるのはシベリアの永久凍土であり森であり原野なのだ。その点中国の川とは違っていた。ただ川の機能としては川にそって生活があり探検も川にそって行われ川にそって要塞が築かれた。ハバロフスクもハバロフという人がアム-ル川にそってハバロフスクに要塞を築いた。ロシアも森と川の国でありノルマン人の造船技術を取り入れて川にそい要塞を築き国を作っていった。面白いのは船を通らない所は船をひいて別な川に移動した。これは日本でも船引とか船越とかいう地名が多いのとにている。つまり交通路は川であり船を操作する技術により国を拡大化できたのである。今では交通路は汽車とか車であるがこれが誤解を生むのだ。汽車がないときはアム-ル川のような川がいかに陸の道になるかわかる。川は絶好の道なのである。だから北海道のオホ-ツク沿岸に謎のオホ-ツク文化を残した民族もアム-ル川にそって下ってきた民族と推測できる。アム-ル川が河口で20キロもあるということはその真水が海水と交じり流氷となるというのも実感としてわかった。

アム-ル川がロシアと中国の国境になっているのも大陸ではライン川のように川は境界になりやすい、中国の将棋でも川を挟んで戦いが行われる。このアム-ル川は長大であり地球を大きく分けて10くらいにしたらその軸になっていることは間違いない、極北の軸なのである。そしてその果てには人の気配がない、荒涼たる地球が創成したままの世界が残っている。そこは未だ未知の世界、人跡未踏の世界なのだ。だからその果てを想像すると不気味なものを感じたのだ。こういう感覚は海外旅行でしたことがない、そこはたいだい文明化された世界だったからだ。ナイル川にしても大きくてもそれはエジプト文明の古い歴史の河なのである。アム-ル川は未だ文明の手がついていない極北の川である。ただこの川は一部だけを見てもその凄さはわからない、何千キロとあるとしたらその一部でも川を下ったり上ったりしないとこの川の持っている大きさを知ることはできない、海が流れているという感じがするからだ。これは地球の自然の驚異の川である。


●時間感覚の相違

ハバロフスクに下りたとき最初に感じたことは車が少ないから普通感じる都会の騒音を感じない、そして一番印象に残ったのがあののろのろ走る古びた年代物の路面電車だった。なんか疲れたようにのろのろのろの走っている。そしておばさんがみんな巨漢となり象のように牛のようにゆっくり歩いている。歩き方までテンポが遅いのだ。のしのしと一歩一歩踏みしめるように歩いている。また汽車に乗るにもモスクワ時間と地方の時間がありこれで私が失敗して汽車に乗れずハバロフスクに三日くらいいたのだ。一カ所は駅舎に有料で休む所がありさらにソファ-があって寝る場所もある。三時間で金がとられるがそこで寝ることもできる。それから車両が休憩所になり寝る場所になっている所もあった。そもそもロシアの汽車は寝るように作られているのだからそれ自体ホテルにもなるのだ。地元の人は別にホテルに泊まらなくても旅行できるようになっているのだ。それからロシアは涼しいと思って来たらハバロフスクが日本の真夏より暑かったのだ。陽ざしが強いから余計そうだった。これは意外でありそのためにここで食い物とかに当たり腹をこわし下痢になったのがまずかった。外国では食い物に当たりやすいから余り最初は慣れないものは食わない方がいい、ただ船で食べたものは大きなピ-マンにひきにくが入って煮たものでおいしかった。大陸では野菜でも大きなものがとれる。シベリアが寒いから何もとれないと思っていたが夏の果物がとれる。西瓜もとれる。夏は陽差しが強く暑いのである。40度にもなることがある。だからトマトなどはその陽差しを吸って熟しておいしいのだ。葡萄もとれる。葡萄の汁をタンクのようなものに入れて道で売っていた。葡萄は南でしかとれない、東北では葡萄は栽培していない、南国のものが夏は陽差しが強くて暑いからとれるのだ。

ともかく奇妙な感覚になったのは駅前の公園の木陰で休みのろのろのろのろ古びた電車が通ってゆくのを日がな見ていたことである。それは何か遠い昔にかえったなつかしさがあった。それと同時になんともえいぬ無気力さをそこに感じたのだ。日本のようなひっきりなしに車が行き来するわけでもないし中国のようにせわしく立ち振る舞う人もいない、店そのものが何を売っているかもわからない、閉ざされている。小さな入り口がありそこを入ってみたらそこがス-パ-のような食料品店だったのだ。店そのものが何か売ってるのを隠している。ホテルもわからなかったが店自体が何を売っているのかもわかりにくいのだ。ロシア人はそして昼間からビ-ルを水代わりに飲んでいる。だからビ-ル腹の人が多い。酒浸りの人も多いとなると酒を日常的に水代わりに飲んでいるのだ。ともかくハバロフスクでは今までにない奇妙な感覚に陥った。いつしかその駅前の公園の木陰でまどろんでしまった。その時カメラを盗まれたのかもしれない、大陸では木陰が風通しがよく気持ちいいのだ。これは北京でもそうだった。そしてまた奇妙なことは店で買ったロシアの時計が動いたり動かなかったり壊れていたのである。デザインがロシア的なので買ったが不良品だった。ロシアには不良品が多いかもしれない、ロシア人は日本のように一分一秒を追われる精密機械のような生きかたをしていない、ル-ズであり鷹揚であるが別な見方をすれば間が抜けているとなる。第一不思議なのは時計自体持っている人が少ないのだ。だから何時かと時計持っている自分に聞いていたのである。時計がなくても生活できるようになっている。時計に追われる生活ではないのだ。月給は一万くらいとか私の泊まったホテルは一万で最高級でありゴルバチョフとかイリツエンも泊まったホテルだったのだ。大統領が泊まるホテルでも一万で泊まれるということである。つまりそれだけの金の価値の相違があるのだ。ロシアは今までの外国とは違い何かこうした不思議さを残した国でかえって面白いと思ったのである。人間そのものも田舎では純朴であり文明化されていない質実な質素な生活をしているからそうなる。それはかえって大きな魅力ともなることを知ったのである。

動いては動かなくなるロシアの時計

ロシア人のシベリア征服
http://www001.upp.so-net.ne.jp/dewaruss/on_russia/siberia.htm

「ル-スキ-国へようこそ」詩

ハバロスクの電車のビデオ



ロシア語の起源

●ホテルの起源



*ghostis(印欧祖)→
1.1)hostis(ラテン)→host(古仏)⇒host(英、「大勢」)
→1.2)hospes(ラテン)→hoste(古仏)⇒host(英、「客」のほう)

→2)*gastiz(ゲルマン祖)→2.1)たぶんgasts(ゴート)⇒*gostь(スラブ祖)→гость(露)
→2.2)gast(古英)→guest(英)

ラテン系統とゲルマン系統があるがホテルの系統はラテン系統なのである。

ホスピス(hospice教団等が運営する巡礼者のための宿泊所)hospesから派生した言葉に、ホスト(host主人)、ホステス(hostess女主人)、ホテル(hotel)、ホスピタル(hospital病院)、ホスピタィティ(hospitality暖かいもてなし)がある


ホテルには人をもてなすというのが歴史的にあった。
ところがgasthausは単なる客の家でありここにもてなすという意味はない
ロシア語のgastinicaにはhouseというのがないから単なる客の意味になる。

旅籠の籠は飼料を入れる籠(かご)のことであった。それが、旅人の食糧等を入れる器の意味になり、さらに食事を提供する宿屋を言うようになった。
一方、木賃宿は、旅人が米を持参し、薪代を払って自分で米を炊くかまたは炊いてもらいます。「木賃」とはこのときの薪の代金、つまり木銭(きせん)を意味しています。


日本の宿にももてなすという意味はない、ホテルの起源はそこに人がいてもてなす人がいるhostがいるのがのがホテルであり単に泊まる家があるところではない、ホテルが本来もてなすという時、キリスト教に起源を発して巡礼者をもてなすということから起こった。遍路のおっせたいもその一つである。だからドイツとかロシアにはそうした人をもてなすという考え方はなかった。日本と同じように旅人や客に家を提供しただけなのである。木賃宿的な考え方として見知らぬ者、旅人に接していたのかもしれない、ただ遊牧民では外来の人は情報をもたらす貴重な人であるからもてなされた。ロシアでホテルが見つからないというとき客がいたのだがその泊まる家がないともなった。農耕民は見知らぬ人を警戒する。日本のように小さな村単位で土地中心に生活している人はよそ者は常に警戒される。だからよそ者をもてなすという習慣はない、旅籠とか木賃宿にもそこにhost-もてなす人はいないのである。ともかく何にでも言葉一つでも歴史はあるからそれを調べると何か発見がある。

宗教国家としての最初の国造り

ヨ-ロッパの言葉には明らかにつながりがあり個々ばらばらのものではない、ということは歴史的にも深いつながりがあり長い年月の間に言葉が重層的に一体化したのである。ロシア語にも文字そのものがキリル文字でありギリシャからの文字が借用されてできたのは日本の漢字からかなができたのとにている。ロシアというのはわかりにくいがこれも日本の歴史と対称的に見るとにた所があった。ヨ-ロッパという強力な先進文化圏がありそこを常に意識せざるをえない立場に置かれたのだ。ロシアが宗教国家だというとき日本も中国から朝鮮を経由して仏教を取り入れたとき奈良の大仏は盧舎那(るしゃな)大仏でありこれは蝦夷征服のために日本統一のために作られた仏像であり仏教のイデオロギ-を国家的に取り入れたのである。ロシアもキリスト教を国家的に最初に取り入れて国作りしたのである。だからイコンとかやたら金ピカのロシア正教会が多いのもそのためである。つまり民衆には最初キリスト教はその内面的なものより荘厳な建築とか装飾とかで布教させた。イコンというのも民衆にとってわかりやすいから取り入れられた。そしてキリスト教の場合、カトリックは領主の領土と教皇の領土によって分割されていたように政治的支配権をもっていたからカトリックとかの影響は精神的な面だけではない、実際の生活面でも支配することになる。

●ヨ-ロッパの重層的な言葉の歴史

ただ言葉に関してはゲルマン語と共通したものがありこれはその地層の古いところですでに混交していた。スラブ民族というのはslave(奴隷)から来ていることも一面謎である。奴隷がスラブ民族が住んでいる所に多くいたからそう外部から言われたとなるがいづれにしろ奴隷の多くいる地域がスラブとなったというのも奴隷が常に大陸では存在したからそうなる。東欧地域は本家のヨ-ロッパからすると影が薄い、歴史的にもわかりにくい場所である。実際はヨ-ロッパとはゲルマン語に多少共通語があるにしても異質な言葉なのだ。その発音自体全然違っている。しかし言葉の門があるとするとロシア語もヨ-ロッパへの門に通じている。ヨ-ロッパの言葉の門で一番高いのがラテン語圏でありこれはロ-マ帝国に通じている。ロシア語アジアとは通じていない、モンゴル語と共通なものも少ないだろう。ただロシアの文化はツアリ-支配などアジア的専制支配と通じている。だからアジア的とヨ-ロッパからも言われる。ロシアと中国にマルキシズム、社会主義革命が起こったのはアジア的専制支配がありその支配階級を倒すということに共鳴することが多かったからである。封建制とアジア的専制支配は違う、ヨ-ロッパは封建制であり日本もそうなのだ。封建制支配にはマルクスの革命論理は適合しなかったのかもしれない、この社会主義革命が宗教まで否定するようになったのは宗教が本来の宗教ではなく日本の奈良時代のように国家支配宗教だったからである。



言葉の門



現代のグロ-バル化文明は異変に弱い

●芸しかできないイルカ

カトリ-ナというハリ-ケンで水族館のイルカも洪水で放り出された。海に出ても海で餌をとることができない、だからやせ細っていたという。これは何を意味しているのか?本来広い海で生きるものが人間にしこまれて芸しかできない生き物になっていいた。これは何か文明人間を象徴していた。人間は今やみんな専門家して何か一つの芸をしこまれてそれにはたけていても自然の中で生きる能力は失っているのだ。農業のこと漁業のこと山のことなど自然のことがわからないしそこで生きる術もそこから離れた人が多いからわからないのである。農業でもコ-ヒ-が売れればコ-ヒ-だけを作り他のものは作れないのでコ-ヒ-が売れなくなると飢饉になったりする。自然の中で調和して生きる術をグロ-バル化や商品経済化の中で失い一つの芸だけをしこまれて生きている。もしその芸が通用しない大自然に放り出されたら何もできない、自分の餌さえとることができないのだ。海には餌が十分にあってもとることができなくなるのだ。自然から遊離した人間はある異変が起きた時脆弱であり自分の餌さえとることができなくなる可能性がある。それぞれいろんな無数の専門家になっていてもそれは一つの芸であり他には適用できないからである。文明人もこのイルカの芸人になっているのだ。

●文明と文化の相違

私のホ-ムペ-ジに来るキ−ワ−ドで文明と文化の相違というのが多い。文明と文化は混同しやすいのだ。例えば文明はcivilzationでありcivilは市民であり市民化することが文明となる。その市民とは何なのかといえばこれはヨ-ロッパの中で城壁や市壁の中に共同体として暮らすことから生まれた概念である。そこで市民として暮らすことがcivilzationだとなる。文明の意味は何か共通な原理に生きることも文明である。その最たるものが宗教なのだ。だから宗教によって文明を分けられる。キリスト教文明、イスラム文明、仏教文明となる。これは大きな技術ではない、宗教によって分類された文明である。しかし現代で文明というとき確かに宗教も大きな要素であることは今も言える。それ以上に文明というとき現代では科学技術が共通の原理になっている。科学のもっている実用性が世界の共通の文明なのである。交通で言えば汽車であり自動車であり現代を最も象徴するのは飛行機である。そして電気であり電話であり最近では携帯電話とかこうした生活に便利なものを使っているものが文明国なのである。人間の四大文明が川を中心に起こったというとき川が水を供給するだけではない、交通路となっていたからだ。交通の要所に文明の都市が起きるのだ。現在はこうした川とか自然にそったものが文明の中心都市になるわけではない、汽車の駅であり自動車の道の駅であり空港であれ科学技術に支えられた所が中心地になる。だから自然の立地条件とかから分離していてもかまわないのである。

●文化は変えない方がいい

文化というときcultureであり耕すだから耕すというのは自然条件に適合して耕すのである。だから文化というとき一様化しない、地球の自然条件に則って多様な文化がある。食文化にしてもそうである。その自然に基づいて生きているからそうなる。日本に牛、馬、羊がいないと中国で言ったときまさにそうである。モンゴルとか中国でも大陸では家畜が生活の糧であった。ところが日本では主食は貝とか魚だったのだ。それも海に囲まれていたからその自然条件に適合した文化だったのである。だから文明は大きな共通原理をともにする世界であるが文化はそれと違って多様なのである。キリスト教文明でもイスラム文明でも大枠は共通していても文化的には多様になる。そして文化が基にあり文化がない所は魅力がない、どこでもハンバ-グは食えるがこれは文化ではないのだ。つまり日本人はアメリカから病気の牛まで食えと強制されるのもグロ-バル化経済の矛盾である。本来日本の文化では魚であれば良かったのであり海産物は長寿の元だったのだ。家畜の肉はそれほど食う必要はなかったのである。そうした何千年もつづいた文化を壊すと社会自体にも健康にもいづれ大きな影響がある。すでに沖縄では長寿でなくなっているというのも食生活が変わりハンバ-グなどを食べるの習慣になってしまったからだ。文化とは食文化などもあまり変えないのがいいのである。


●文化を壊す文明

現代の文明が科学技術文明とするときこれは非常に一つの芸だけをしこまれたイルカのように脆弱な基盤にある。例えば石油とかがなくなるともろくも崩れさってしまう。すべてが石油づけになっているのが文明だからだ。農業さえ耕運機を動かすのは石油だから石油がなくなると農業にも影響するようになってしまった。実際は地球全部がこうした石油文明とか科学技術文明によるグロ-バル化されているから天候異変とか資源の枯渇とかこうした異変に文明は弱い、自然に適合していた文化を基に生きていた人達は異変に強い、もともと自然に適合ししていたのだから被害は最小限にくいとめられる。コ-ヒ-ばかり作っていたらコ-ヒ-が売れなくなったら対処できなくなる。満遍なくいろいろな作物を作っていれば飢饉になっても生き延びられる。東北の米さえ江戸時代は商品作物化して寒冷地に無理に作っていたから飢饉になった。寒冷地にふさわしいものを作っていれば飢饉はまねがれたのである。文明とは経済とか技術のグロ-バル化でありこれは異変には弱いのだ。そして怖いのは現代に起きる異変は地球全部が被害にあい人類滅亡になりかねないのだ。なぜなら世界が全部文明化グロ-バル化しているからだ。現代とは文明の巨大化グロ-バル化であり文化の衰退した時代なのだ。過去の歴史は文明化グロ-バル化していても文化を基にしていた。だから多様な文化が生まれたのである。文化を基にした生活が自然なことであり文明グロ-バル化は地球に過重に負担をかけるものでありそれが人間にはねかえってくる。地球の砂漠化とか自然破壊が各地で進むのも自然の異変でありその異変に文明は弱いのである。その原因は工業化の水の使いすぎとか二酸化炭素の空気の汚れとかが原因している。地球規模で文明は地球を汚染して今や限界に達しているのだ。だから異変に弱くそれが地球規模の崩壊につながるから怖いのである。



日本人はなぜ世界史が苦手か(日本の特殊性)

北も 西も 南も 砕け
王座は砕け 国々はふるえる
移り住もう 清らかな東方で
族長の空気を味わおう(移住-詩人の書-ゲ-テ)


●名も知らぬ 遠き島より 椰子の実一つ


日本では最果ての旅情が人気だがそもそも陸の果ては海でありそこで世界が尽きているからそうなるのだ。大陸がその果てにあっても陸続きの感覚が喪失するのである。日本の歴史が孤立した歴史になっているのもそのためである。日本人の起源がわからないのは大陸のように閉鎖した島で他国と交わらないからだ。大陸では言語でもその起源が比較的わかるのは民族と民族が争い混交するからである。言葉にも他の民族や国の刻印が明確に残されるのである。日本語の起源が全く不明なのはそのつながりが海に囲まれた閉鎖した島で途切れてしまったからである。「名も知らぬ 遠き島より 椰子の実一つ・・・」というとき「名も知らぬ 遠き島」とはどこから来たのかもわからない民族となってしまったのだ。日本人の特殊性というときこの島国という地理的条件から生まれたのだ。この島国から脱しようとしたのが大東亜戦争でもあった。何故なら満州に150万人も移住したというからこれは民族大移動だったのだ。その満州でにっちもさっちもいかなくなり悲劇の戦争に突入してしまった。満州事変が戦争勃発の原因だったというのは150万人も移住すれば当然そうなる。日本は島国を脱して大陸に進出したのだがそれが大失敗に終ったのである。

●天然の防壁、海に囲まれた島国

日本の特殊性は地理的条件に合った。海が大陸の城壁であり市壁であったし国境であったから敵から身を守るための堅固な壁を作る必要がなかったのだ。日本は海に囲まれた一つの宇宙だった。大陸から隔絶した鎖国ができたのもそのためである。一つの島国で他国とかかわらぬ自給自足の体制を作り上げたのも海を防壁とした島国だったからだ。日本の特殊性は大陸との比較でわかるのだ。大陸は地続きであること、これが単純なようで理解できないのが日本なのである。地続きということは絶えず異民族が流入して移動して民族が混交するし文化も言語も混交する。それを防ぐためには敵から身を守るための壁が必要になる。その極端なものが万里の長城だった。あのようなとてつもない大きい国を壁で囲もうとしたのはなぜか?壁で国を囲こわないと国が守れないからだ。大陸では市を市民を守るためにその回りを囲む壁が絶対必要だったのである。壁は国境であり市民を守る生命線だった。日本では海に守られているから壁を作らなかったのだ。日本の都や城に市(まち)を囲む壁がないのは日本の特殊性なのである。また大陸では塔が必要なのは遠くから敵を攻めてくるのを見張るためであった。塔は中国でもヨ-ロッパでも街の中心になっているのはそのためである。大陸の文化にはヨ-ロッパでも中国でも共通性がある。単純なことだが大陸は地続きだということなのだ。地続きだということは壁を作らないかぎり異民族や敵の進入を防げないのである。遊牧民ならずも人間は本能的に移動する動物である。地続きであればどうしても人は移動する、移動をはばまれれば戦争しても移動するのだ。人間が活動範囲を拡大することは本能なのである。これを抑えることはできない、日本は海に囲まれていたからそうならなかっただけであり大東亜戦争で拡大化に走ったのもそのためである。

「都」を現すgradは英語のgarden(庭)でロシア語ではgorod「町」になっている。もとはすべて周囲を画定した一定の所有地のことである。原義はみな周囲を限って取り入れた土地のことである。
(ヨ-ロッパの言語-泉井久之助)

つまり土地とは実際は侵略して奪った土地でありそこに壁を築いたのが町の始まりだったのである。土地を奪ってもそこを囲わねば「町」にはなりえない、常に異民族が攻めてくるからである。壁で囲いそこで市民共同体が生まれたのだ。市民とは壁に囲われた中に住んで共同で戦う人達の意味であったからだ。

●ロシアから三つの旅のル-ト

ロシアとかヨ-ロッパに旅するなら飛行機でヨ-ロッパに一気に飛んでしまうと歴史がわからなくなる。つまり地続きの歴史を体験できないのである。中国からシベリアから鉄道で行くと大陸の歴史が地続きで作られたことが実感できる。大陸は地続きだから一連のものとしてつながっている。寸断されるとすると大きな川がライン川のようにアム-ル川のように境界になる。それ以外平原だから寸断するものがなく移動できる世界なのである。実際シベリア鉄道を通じてウラジオストックに立った地点でモスクワとつながりさらにベラル-シ-ポ-ランド-ドイツ-フランス-スペインとつながる。そしてモスクワからヨ-ロッパに入るのは三つのル-トがある。一つはウクライナから黒海のオデッサの港を経てジプラルタル海峡に入りイスタンブ-ルに出るル-トでありもう一つはヨ-ロッパへまっすぐ鉄道で横断するル-トでありもう一つはフィランドからノル-ウェ-のフィヨルド回りでヨ-ロッパを巡るル-トである。この三つは歴史のル-トでもあったのだ。ロシアを作ったのはノルマン人で船の技術を伝い川を通じてノルマン人が商売をして国家を造る礎を築いた。もう一方のヨ-ロッパ横断の鉄道のル-トはゲルマン人の影響がスラブ人に及んだ。そのゲルマン人の一派のゴ-ト族が東からフン族が進攻してきたときそれに押し出されるようにしてゲルマン人やゴ-ト族がスペインまで移動したのだ。つまり地続きだから一本の太い線として大陸は結ばれるのである。黒海-イスタンブ-ルはギリシャ正教、ビザンチンなどの影響を受けたル-トでありキエフは川をはさんでヨ-ロッパ側とロシア側と別れているのもそれを象徴している。カトリックの影響とロシア正教は一線を画すのである。世界を旅するときはこうして地続きで旅しないと歴史を実感できない、歴史は地理であり飛行機で高飛びするとわからなくなる。地続きに作られたのが歴史だからだ。もう一つは中国からサマルカンドとかブハラとかイスラム圏のシルクロ-ドのル-トもありこれも歴史の道なのだ。こういう旅はむずかしいにしても歴史を実感できる旅なのである。実際は今や日本人はこういう旅も一人でもできる時代になったから世界史の理解も深まってくることは確かである。



●言葉の刻印

大陸では民族が混交するから言葉も混交する。ロシアにしてもスラブ民族の言葉を基にしてもゲルマンとかの交わりで言葉の刻印を明確に残している。東欧諸国の言葉もそうである。日本語だと確かに中国の漢字を取り入れたのは確かだがその前にすでに大和言葉がありこれを基本にしたのが日本語である。しかし大和言葉はいかなる言葉なのか全く推測の域をでていない、その起源は解明できないのだ。大陸の言葉は歴史の古い地層で化石のように歴史を残しているのだ。大和言葉とアイヌの言葉が別なのもそこに民族として交わりが薄いためである。もし大和民族とアイヌ民族が最初から交わっていれば言葉の混交が大陸のように起こっていたはずだからだ。朝鮮半島とも交わりが深くても言葉の混交は起こらなかったのだ。それは一重に島国だから民族自体混交するということにならなかったためである。

exiting-exchange-execute(実行する)-expand-expect-experience-extinct、extinguish(消えた、絶滅した)・・・・・

ex-外へ・・・外へ拡大化することが興奮することであり外への志向が言葉に現れている。extinguishというのに如実に現れている。外に拡大化して他者を絶滅させる、異民族を絶滅させるということに通じている。大陸では異民族を絶滅させるということがあった。ゲ-ムにもその思想が現れている。敵の駒は全部とってしまい日本のように敵の駒をとってまたそれが有効になり敵を倒す将棋とは違う。そこに戦いの厳しさがあった。戦争に負ければ奴隷になるのは普通である。日本では奴隷はない、天皇というのもヨ-ロッパであれアジアであれkingでもないし王でもない、権力はなかった。一種の日本の国の権力の調整役だった。談合の調整役であり互いに絶滅させるほどは戦わない暗黙の了解があったのだ。天皇という存在も大陸から見るとわかりにくい存在なのである。日本の王と見るにしてもその実体は全然違っているからだ。日本史は世界という大陸という地続きの歴史から分離されてしまった特殊性が日本人が世界史を苦手にしている。大陸的思考と日本の島国的思考の相違がそうさせているのである。


言葉の交わり



満州の歴史をふりかえる

--蝦夷(エミシ)・ 粛慎(ミセハシ)靺鞨(まっかつ)の謎--

●まず地理、地形から歴史を見る


最新世界史図説-タペストリ--帝国書院-参照

歴史は地理だというとき地理や地形を良く知る必要がある。歴史はだから世界地図とか地形図とかを絶えず見ている必要がある。これも実際にその場を踏んで頭にありありと浮かんでくれば最もいいのである。これが今の時代学生でもできるのだから確実に世界への理解は深まっているのだ。中国というのは大きいのだが良く見ると地形的に国の境が決められたことがわかる。ゴビ砂漠とかモンゴル高原、チベット高原は地理的に地形的に隔絶されているから中国の領土には歴史的にならなかった。祁連(きれん)山脈からゴビ砂漠になりそこからは辺境なのである。モンゴルはさらにゴビ砂漠で区切られさらに奥の高原地帯だった。そこで今回の満州を考えるにも最初は大興安嶺山脈が障害となりその東が東胡となっていた。胡とは異民族の住む場所であり五胡十六国時代があり五胡とは匈奴・鮮卑・羯・?・羌のことである。ここで注目したのは東胡に粛慎とある。

658年と660年の2度に渡って阿倍比羅夫は日本海岸を北上して蝦夷(エミシ)・
粛慎(ミセハシ)の國を攻撃しました。


なぜ蝦夷が中国の粛慎と同一なのか?満州からここに移住した一派がいたのか?蝦夷(エミシ)とは何物なのか?という謎がここにある。蝦夷の中には中国の日本海側の対岸から渡ってきたものがいたのだ。地理的には近いからありうるのだ。そして中国でも唐の時渡った遣唐使が蝦夷のことを聞かれている。唐にとっての異民族も蝦夷であり日本の大和朝廷の異民族も蝦夷になっていたのである。この傾向は秀吉の時代まで続いたのである。

多賀城の壺の石碑の

去靺鞨国界三千里 (靺鞨<まっかつ>国の界を去ること三千里)

「多賀城市史3」に、「日本で靺鞨国としたのは、渤海の東北に存在した黒水靺鞨に代表される渤海に服さない靺鞨族を指した呼称か、あるいは渤海国を構成する靺鞨族をも含めて、広義の意味での靺鞨族全体に対して靺鞨国と表したのかもしれない」とある。

粛慎(ミセハシ)のあとに靺鞨がでてくる。黒水とは黒龍江でありアム-ル川であり黒い河とは昔から呼ばれた名であった。この靺鞨に革という字が入っているのは革(皮)をとっていた民族がいたからかもしれない、ともかくなぜ多賀城の壺の石碑にこの靺鞨を記さねばならなかったのかは大事な問題である。最初に粛慎(ミセハシ)がありそのあとに靺鞨が同じ地域に存在していてそれが蝦夷と同じに見られていたのだ。

●満州は蝦夷-粛慎、靺鞨-から始まる?

ロシア人は今でも中国人を中国人と言わずキタイ-ズと言っている。満州の国は一時キタイ(契丹)であり中国名で遼であった。それがあとで西に移りカラ・キタイ(西遼)となった。その頃ロシアという国はない、キエフ公国とかであったが中国と直接国境を接しないでキタイと接したからキタイ-ズというのを中国人だと思っていたのだ。日本という国を知らないと日本人は中国人に見られてしまう。満州は異民族の住む地であり漢民族の歴史的領土に入っていなかった。中国の歴史的領土は万里の長城で囲まれた地域なのである。その外は異民族の世界であり中国の固有の歴史的領土とはならなかったのだ。実際満州里の国境に向かう所は荒れ地であり遊牧民も住めない土むき出しの世界だった。満州は人の手の入らない森林地帯とかもあった。


-満州民族の起源-

満州(満洲。まんしゅう)民族は、現在の中華人民共和国東北地区(遼寧省・吉林省・黒龍江省)に発祥したツングース系民族。女真の後身で、17世紀に現在の中国・モンゴルの全土を支配する清を興した。

満州民族の前身は、12世紀に中国の北半分を支配した金を立てた女真民族であり、女真以前にこの地方にいた粛慎、靺鞨の後裔であると考えられている。

紀元前の「満節」-「満飾」-「勿吉」-「靺鞨」-「莫迦」-「渤海」-「満住」は同じものらしく変化したとある。

参考-黄文雄-「満州国は日本の植民地でなかった」


粛慎、靺鞨の後裔であることは蝦夷につながる歴史を満州はもっていたのである。満州が中国の固有の領土だという歴史はそこになく日本の蝦夷と関係した歴史をもっていたのである。縄文土器とにたものが日本海の対岸の粛慎、靺鞨の地からでている。縄文人とか蝦夷の起源は満州の粛慎、靺鞨の地にもさかのぼる。そこは中国固有の漢民族とは違う異民族の世界であり異民族の王朝であった。清は満州族が建てた王朝だった。中国は一貫した政権はない、王朝が変われば前の王朝の権力は無力化されて新しい王朝にとって変わられる。その変化は大きいのである。日本の天皇は王朝ではない、日本の国が建国して以来変わらないのが天皇なのである。日本には中国などや大陸のように王朝が劇的に変わることがないのである。中国は今は共産党一党独裁王朝政権だがこれはまた劇的に王朝交代のように変わりうるしその時日本の戦争の見方も変わるのである。もちろん戦争を肯定するものではないが王朝が変われば歴史観も変わってしまうのが中国なのだ。共産党の毛沢東の評価も変わったように変わるのである。だから一面今の共産党一党独裁王朝の歴史観とか見方にこだわると靖国参拝の是非はともかく日本自体も過ちを犯すことになる。

汗山(ハンオーラ)

茫々たるところ
無造作に引かれし線にはあらず
バルガの天末。
生き抜かんとする
地を灼かんとするは
露はなる岩漿の世にもなき夢なり
あはれ葦酒に酔ふ
旧き靺鞨の血も乾れはてゝ
いまぞ鳴る風の眩暈。
(逸見猶吉)


逸見猶吉はウラジオストックで病気で38歳で死んだ。友人が埋葬した。この人はシベリアを詩にした最初の開拓者だったのか、満州があり実際は満州の歴史的記録は膨大なものである。その一端がこの詩であり文学もいろいろある。旧き靺鞨の血も乾れはて・・というときこの靺鞨は何者なのか?蝦夷の境界の壺の石碑に記された靺鞨はその地を踏んで詩となったのである。想像だけでは詩も書けないから実際にその地を踏んで詩も書けたことで納得した。
何事にも先駆者は存在する発見であった。

●ロシアとの境界

ロシアとの境界、ロシアがなぜサハリンから北方四島まで領有するようになったのかその歴史的根拠はどこにあるのかというとロシアとモンゴルの境界はそもそも草原地帯とシベリアの森林地帯が自然の境界が境界となっていた。シベリアの森林地帯は人間の住む限界でありモンゴルのような遊牧民も住めない世界だった。その人間の住めない地帯にロシアが入ってきてロシアの領土ととなった。アム-ル川がロシアと中国の境界になったようにシベリアの森林地帯が境界となったのである。サハリンとか北方四島を領有する歴史的根拠はロシアにはそもそもなかったのである。むしろアイヌが住んでいたとなると日本がサハリンなどは領有する歴史的根拠がある。ただ力関係で戦争に負けてサハリンはロシアのものになったのである。満州は一時ロシアのものになっていたがそこに日本が入ってロシア人を追い出して日本人の開拓地にした。ただ満州に開拓に入ったのは日本からの棄民だったとか満州はそもそも過酷な自然条件だからそこに開拓に入るということ自体ロシアがシベリアを流刑の地として重労働にこきつかったように普通進んで行く地ではないが日本人は当時困窮していてそういう過酷な場所にも移住したということである。いづれにしろ日本人が満州になんの謂われもないわけではないが満州に入ったこと時代混乱の中にロシア、中国の三つ巴の戦乱状態を作り出して多大の犠牲が払われた。60万がシベリアに抑留されて重労働で6万人が死んだという歴史は大きな悲劇でありこれは忘れられない歴史の悲劇の刻印である。日本人は自らの非もあったが戦争では原爆でも多大の犠牲を払っている。戦争についてなぜ延々とまだ責めつづけられるのかという疑問もある。ロシアとアメリカに関しては日本人のほうが被害者だったという側面がある。だからロシアで物乞いに金を恵んだがなんか割り切れないものを感じた。こんなことにも歴史は関係してくるのである。


逃入匪賊五百名露国の手先きに転向

(新京電通一日発) 当地着情報によればさきに皇軍のため虎林を逐われた匪賊五百名は露領に逃入し直ちにゲ□ペ□ウの手により武装解除されたが、数日前シベリヤ線にてチタに護送されザバイカル軍司令部に引渡され此処から新彊省へ向け護送された、新彊省には過般コロンバイルの反将、蘇炳文の麾下一千名があり之と共に露国の新彊省軍事工作先鋒隊に編入される事となった

新聞記事文庫 満州(1-066)
時事新報 1934.4.3(昭和9)データ作成:2004.4 神戸大学附属図書館


チタから国境を越えて満州里に来た。こんなニュ-スが残されていた。どういうわけか中国には虎とつく地名がかなりある。満州は匪賊とか馬賊の跋扈する政情不安定な無法地帯でもあった。ロシアがここでもかかわっていた生々しい記録である。

馬賊

高梁刈つた。
野は刈つた。

秋天一碧。
風千里。

馬賊どこ行た、
カオリヤン、リヤン

(北原白秋)


シベリア→国境地帯→満州里→蒙古草原→高梁(満州)地帯-車窓からの景色は満州国境地帯は不毛の大地であり次にモンゴルの遊牧民が暮らす草原地帯であり次は延々と北京まで高梁(コ-リャン)トウモロコロシ-トウキビ地帯だった。ここに移住したのは河北省や山東省の人でありその人たちは米を常食としていない、満州でも米はほとんどとれない、寒冷地だから稲作には向いていない、それは蝦夷の地帯-東北地方とにている。今日東北や日本海側が良質の米がとれるというのは絶え間ない品種改良の結果なのである。本来は東北地方では明治になっても米を食わずヒエとかアワとかを食い米自体は贅沢なものであった地域である。麦をまぜるのもそのためである。麦ご飯を子供のとき食っていたのはその名残りなのである。ともかく高梁(コ-リャン)地帯は延々と続いた。高梁刈つた。野は刈つた。・・・野というときこれは満州の原野であり未開拓の地域が満州には広がっていたのだ。

●看過された北の歴史

東北地方から北海道の地域の歴史は蝦夷とかオホ-ツク文化にしても痕跡は残しても大きな跡を残していないから看過されてきた。南からのル-トだけではない、中国でも満州からのル-トもあったのである。蝦夷が強力だったのは大和朝廷に抵抗できたのは蝦夷のなかに粛慎(ミセハシ)とかが交じり北のル-トで協力があった。最初の強力な蝦夷が粛慎(ミセハシ)だったことは象徴的である。これは満州のツング-ス系騎馬民族であり北の道を通ってその名馬が日本に蝦夷にもたらされた結果、大和朝廷に抵抗できたのである。相染-青前-宗善-相膳-そうぜん-は仏教的なものでツング-ス系が神としていたものが伝わったのである。大和言葉とは違う神だからである。北の貿易のル-トは忘れられている。蝦夷錦もそうである。これは清朝の官服の古着となったものがアム-ル川を通じて蝦夷(アイヌ)に入ってきて江戸にまで入ってきたのである。ここでアム-ル川が通行路として大きな役割をはたしていたことがわかる。アム-ル川の役目が日本からは見えにくいが向こうで実際にあの川を見ればまさに昔のハイウェ-になっているのだ。川の役割が見えなくなったのは鉄道ができると鉄道が生活の中心になるから川の役割が喪失する。ハバロフスクでもハバロフスクの銅像が駅前にあるとこれは鉄道を開いたときここにハバロフスクが来たのかと錯覚してしまうのだ。実際はアム-ル川沿いを探検してここに要塞を築いたことから街の歴史が始まっているのだ。

北海道はもっと前に、アムール川から凍った間宮海峡を馬で歩いて渡って来ていたものと思えますが、実際どうなんでしょうね

こういう発想もありうる。アム-ル川は昔の幹線道路だったからだ。ともかく北の歴史は看過されている。今この満州とかシベリアとかサハリンがまた注目をあびる。資源のこともあるが北からの歴史が見直される。そして「みちのくの真野の草原遠けれど面影にして見ゆというものを 笠女郎」の歌は真野が丁度南と北の境界だったからである。車輪梅の南限地域になっているのもそのためである。境界は満州里でも国境は常に注目される。歴史の舞台となる。

シベリアゆ満州回り黒潮の磐城の海や夏日照らしぬ

シベリアから満州回りまたみちのく真野に帰ってきたがまさにここは地政学的に一体化されるべき所だったのである。ロシア-中国-日本の権益がぶつかりあうところだがまた一体化されるべき所でもあった。「極東平和国」というのがあったのが象徴的に示している。そこは三国が共同で平和に治めるべき場所だったのである。ただ自然条件の厳しさなどからここは看過されてきた。日本は南から黒潮洗う南国でありさらに北へのル-トも通じていた。国をのりこえてシベリア-満州-蝦夷(東北)は一体化すべき所でもあったのだ。シベリアの魅力はまだ未開発の神秘が残っていることであり満州の魅力はその広さとまた資源にもある。日本という狭さから脱して大陸の広大さと通じる場所が満州だったのである。韓国はその大陸の橋にはなっても大陸の広大さを感じることはできない地域である。大陸の広大さ知って躍動する世界史に通じてくるものがある。つまりロシアはヨ-ロッパへの門でありそれが意外とすぐ近くにあった。日本はこの北への道から世界への道へ通じていたのだ。今回の旅はそれを実感した旅だった。


参考


クリック


トピック

黒竜江省大慶油田って、旧満州地区にあるんだようなぁ。
あれを、戦前の日本が発見して開発していたら、対米戦に踏み切らずに済んだんだよなぁ



ユーラシア的視点を持て!

グローバル・アメリカン政論
http://newglobal-america.tea-nifty.com/shahalexander/cat3881025/index.html

●ユ-ラシアの端の国には無関心


相撲の琴欧州がブルガリア出身でその家族とテレビで中継していたがしゃべっている言葉がロシアと同じスラブ系統なことがすぐわかった。ダ-とかヤポンスキ-とか言っていたからだ。ブルガリアはスラブ系であり東欧はスラブ系なのである。ここにスラブ民族主義がアラブ民族主義と同じように起こる地域なのである。だからバルカン半島は民族の坩堝と化して世界戦争が始まる場所にもなった。民族のせめぎ合う場所になっていたのだ。日本という国は海に囲まれているから大陸の歴史が関係が実は連動していることが理解できないのである。ここのプログでスタリ-ンにアメリカとの仲介を頼んだということがいかに日本人か無知で国際関係にうとくお人好しだったかを示しているというのはわかりやすい。日ソ中立条約を根拠に、日本が米英との仲介を依頼しようとしたことがいかに愚かなことでありスタ-リンの残酷さを知らなすぎたと指摘しているのは良くわかる。つまり東欧の世界は遠い世界でありロシアの覇権主義によっていかに東欧諸国が踏みにじられたかを理解していなかったのだ。日本が島国であるためにユ-ラシア大陸の端の世界には無関心であることが日本人抑留という悲劇を作ってしまった。このことは余り考えなかったがロシアに旅してあらためてこれは余りにもロシアの非情な仕打ちに憤りを感じたし乞食に恵んでやったこともなんかそんなことまでする必要あるのかと自問したのである。

●変動しやすい大陸の国


日本人が国際関係にうといとか無関心なのは海に囲まれた島国だったからである。大陸として陸地でつながっていれば大陸の国の関係に動乱には敏感になる。それは理屈ではない、本能的に感じてしまうのだ。歴史的にも大陸は絶えざる民族の移動が行われている。フン族の移動に押されるようにゲルマンとかゴ-ト族の移動があロ-マ帝国は東西に分裂したり必ず連動して世界史が作られてゆく。だから常に一定の国はなくその境界も変動している。特に遊牧民の地帯、イスラムの砂漠地帯とか騎馬民族の草原地帯は変動しやすかった。幾多の国が興り消えて行った。キタイ(契丹)などがそうである。このキタイ自体-黒海近くのウクライナ辺りから移動したスキタイ民族の後裔なのか、砂漠や草原地帯は常に民族が移動していたのだ。大陸は陸地でつながっているから国境があっても国境を越えて民族が移動したりすることも常にある世界である。だからこそ民族同士の混血も起こってくる。言葉の混血も起こってくる。民族や文化が交わる世界である。その中で新しい血がそそぎこまれ新たな文化の創造が行われた。ゴシックというのもゴ-トからきていてゲルマン民族の一派が創造した建築様式でありそれは最初野暮ったいと卑しめる言葉だったのだ。大陸では常に新しい血が混血して新しいエネルギ-が生まれ新たな文化の創造が行われる。その変動が激しいのが大陸なのである。

●鎖国から開国へで外交で失敗

日本ははじめて明治維新後にこの大陸の変動しやすい国際関係の中に深入りすることになった。それも300年の鎖国の後だから国際関係にうといし外交がへただというのはわかる。世界を見る眼もできていない、視野狭窄でありかたよる。ロシアでも東欧でロシアがしていたことを知っていれば実感としてわかればロシアを警戒したことは確かである。しかし自分の国とは関係していないと思っていたのである。大陸ではこういう点は敏感である。国境を接していたりすぐに地続きだから連動して影響してくることを肌で知っているから危機感もある。「江戸の日本橋から中国、オランダまで境なしの水路である」林子平のようなオランダまで考慮した危機感を持つ人はまれである。大陸ではそうした意識は常にもっていた。それは陸続きであり必ず陸続きの故に他国に異民族に攻められた歴史をもっているからである。日本から海を越えて中国でも大陸に足を踏み入れてたときその足下から世界の歴史の鼓動を感じる。日本ではそうした大陸の歴史を実感として本当に危機あるものとして感じられないのである。それが囲まれた海が自然の砦となって守ってくれる。神風が吹いて守ってくれる神の国だからとかなる。海に囲まれている故に国境意識、国防意識が薄い、一方で大陸に進出しても大陸の世界についての理解もないからロシアに対しての見方の甘さとかありそれで大失敗したことになる。確かにユ-ラシア的視点を持てというときユ-ラシア大陸が一つだということ様々な国があって国境があってもそれぞれがばらばらではなく互いに連携しあって動く世界でありそこが大陸の歴史と日本の島国の歴史と違っているのだ。イギリスも島国でもバイキングの進入とかフランスの支配とか大陸の歴史と密接に結びついた大陸の一部として歴史を形成したから日本のような孤立文明とは違うから比べることはできないのである。


追加文

●琴欧州の名前の問題

琴欧州(ヨ-ロッパ)としたら次にヨ-ロッパから来た人は名前をつけるのに困ると言う人がいた。言葉はスラブ系だったし欧州としたのは地域が広すぎる。ヨ-ロッパを代表するわけではないしそもそもブルガリアが欧州なのかという問題である。言葉はスラブ系でロシア系とつながる。欧州とするのにはかなり抵抗ある場所である。イスラムのトルコの隣だかトルコは明らかに突厥(トッケツ-トルコ)が移動してきたアジア人である。チャイ(茶)という言葉が通じるのもそのためである。トルコには明らかにアジア人とスラブ人系統と混血した人が多いがまた反面-突厥(トッケツ-トルコ)系統の顔だちの人もはっきりとわかる。トルコとブルガリアを分けるのは人種的なものもあるが宗教もある。イスラムとキリスト教に別れているのだ。そこで日本人と結婚したトルコ人の宿に泊まったが絨毯にブルガリアの絨毯を壁に飾ってあった。それはキリスト教のものだった。トルコがEUに入れないのはアジア人であり宗教の相違によるのだ。東欧はスラブ人で人種的には違っていてもゲルマン系統とも顔だちがにている白人になる。宗教もキリスト教だからEUに組み入れやすいことがある。いづれにしろ琴欧州という名には問題があった。欧州というときヨ-ロッパでありブルガリアを欧州とするには無理である。ただ意図としては欧州とすることでヨ-ロッパへの相撲のアピ-ルにはなる。欧州が相撲で優勝したとなるとヨ-ロッパ人も相撲に関心を持つからだ。欧州といえば奥州市でももめた。奥州市は奥州を代表するからまずいとなる。この問題ともにていた。やはりスポ-ツでも国際化することは名前一つにしても問題がでてくる。相撲協会の人も世界への知識を持つ必要がでてくる。これは今やあらゆる所で庶民的な所まで国際化しているからそうなる。ブルガリアなど関心持つ人が少ないが相撲を通じて関心を持つことはいいことである。ロシアもそうだが最近東欧は日本の自動車生産の場にいいとか古いものがそのまま残っているとか観光でも人気がある。古いものが残り新しいものを受け入れる所に人々は関心を持つ。ロシアの魅力はシベリア鉄道でも古いものがそのまま変わらず残っていることにあったのだ。東欧というとなじみない世界だかスポ-ツを通じてなじみがでてくるのも悪いことではない。ともかく国際化すると最低限でも世界を見る知識が要求されてきていることがわかる。



 街のど真ん中に、EUに加盟する迄の日にちが後538日と表示され、カウントダウンされています。お役所とか公の場所にはブルガリア国旗とEUの旗が並んで掲げられているし、通貨は一部ユーロで表示されて流通していて、EU加盟を国民あげて期待しているのが強く感じられます。


日本人がブルガリアで年金生活するというのも驚きだ。こんな所まで行って年金生活することさえ想像しなかった。普通南国は考えるが東欧となると寒いからだ。ただ東欧とかロシアは意外と魅力ある所だった。寒い所には寒い所の良さがあるのだ。ブルガリアというとトルコに近いのだからそれほど寒くはないのかもしれない、それにしても世の中は広い、日本人も国際的になっているからこんな所まで行って住むというのは自分にとっては驚きだ。EUに加盟するということで琴欧州というのも欧州を意識させたのかもしれないな・・・・

年金で暮らす・海外ロングステイ

http://blog.livedoor.jp/long_stay/archives/cat_10007343.html



東トルキスタン、コルラ市長が自殺



  東トルキスタンのコルラ(庫爾勒)コルラは、新疆ウイグル自治区バヤンゴル・モンゴル州の州都で、天山山脈の南麓、タクラマカン砂漠の北縁に位置し、古来から東のトルファン、西のクチャ、南の楼蘭と三つの主要オアシスをを結ぶ要衝であり、幾度も紛争の舞台となった。
現在は、タクラマカン砂漠の石油発掘の前線基地として脚光を浴び、人口が急増している。
見所は、悠久の歴史を誇る「コルラ故城」、古代の砦「鉄門関」、中国の内陸最大の淡水湖に属する「蓮花湖」などがある。
市のムテリフ・ユスプが突然自殺した。 中国共産党は我々から東トルキスタンを奪い、“新疆ウイグル自治区”を成立させた。今年10月1日で50周年になるが、共産党侵略者政権は、その祝典を行なうという。

 折しもこの祝典をひかえているため、当局は自殺の情報を秘匿した。これはウイグル市民の不満を引き起こし、市に自殺原因の公表を要求させている。“新疆ウイグル自治区50周年”では自治区成立以来の“平和”と“安定”を強調するため、中国政府は東トルキスタンの中心ウルムチで、盛大な式典を行う予定だ。


中国共産党侵略者は今年5月から8月の終わりまで東トルキスタンで1万人のウイグル人を逮捕し、“新疆ウイグル自治区成立50周年”の祝典を行い、共産党侵略者の“勝利”を褒めたたえ、“平和”と“安定”を提唱し、50年間の間50回核実験を行い、75万人を放射性毒殺し、“計画生育”という名目で900万人のウイグル赤ちゃんを殺害し、“政治犯”として50万人以上を殺害した事実などを一切口にしないのである。
1955年〜2005年の50周年は漢族侵略者、テロ政権が東トルキスタンで一千万人以上のウイグル人を殺害、弾圧した50周年である。

悪魔政権の“国慶節”まで毎日東トルキスタン全国で解放軍(侵略軍)、武装警察、公安警察、安全警察、戦車などを動員させ戒厳令を実行し、ウイグル人を団体逮捕し続け、国家
テロを行っているのだ。

http://www.uygur.org/japan/et/2005/0929.htm


中国のユ-ホステルでここのコルラから来ている学生と会った。その学生は英語を勉強していてそのユ-スに仲間と泊まっている。そこには外国からいろんな人が来るから直接英語を学ぶために泊まっているのだ。コルラってどこかと地図で調べたらタクラマカン砂漠のある所だった。シルクロ-ドでありロプノ-プルという砂漠に消えた湖のこと言ったら知っていた。つくづく中国は広いなと思ったが新疆ウイグル自治区が中国政府の弾圧にあっていることは余り関心がなかった。日本人もシルクロ-ドということで観光に行ってもこうした事実を知っている人は少ない、というよりマスコミでも知らされていない、NHKで青海のことを放送していた。これはシルクロ-ドに出るもう一つの道であることが最近わかったのだ。その青海では遊牧しているチベット人が紹介されたがそこで今のチベット人が中国政府に漢人にどういう目にあっているかは報道しない、自由な日本ですら中国のこうした迫害は伝えられていない、北朝鮮のことはいやというほど見せられているがこの辺のことはほとんど報道されていないから関心がないのだ。日本人とかかわりないから関心がないともなる。ネパ-ルでもチベットから逃れてきたチベット人の住んでいる地帯を案内されて見てきた。これは唐の時代からあったことなのだ。

君見ずや 青海のほとり
古来 白骨 人の収ることなく
新鬼は蔓延し 旧鬼は哭き
天曇り 雨しめやかに 声しゅうしゅう


これは杜甫が怒りをこめて詩に残したものである。チベット(吐蕃)とは唐の時代から争いがあった。青海はその境の湖であった。あのような美しい湖にも血生臭い歴史があったのだ。それがまた繰り返されているのが中国なのだ。中国の暗黒面はほとんどニュ-スにでていないしマスコミでも取り上げないからわからないのだ。おそらく取材も制限されるから余計にわからない。報道したくても報道できないのだ。ここに中国の暗黒面をかかえた問題がある。中国は日本の戦争の暗黒面はしきりに責めるが自らの恐るべき暗黒面は表に出せないようにしている。天安門事件は中国の独裁政権の怖さを如実に示したものだった。日本ではまだ報道の自由がありたいがい報道されるがそれでも報道されないことがありそこに重大なものが隠されていることがあることを創価のことなどで指摘した。他にも日本でも報道されないことに重大なことがある。確かに中国とは隣人だし友好を維持することは大事だが中国の暗黒面を知ってそれで付き合う必要がある。ロシアで失敗したのは日本がロシアの暗黒面を知らずお人好しに中立条約を信じたからである。どこの国でも暗黒面はあるがアメリカだったら報道の自由がありそれなりに暗黒面が報道されるが中国では全く報道されないのだ。ただ各地で暴動が起きているからそれは報道される。ともかく中国の暗黒面は報道されないことが大問題である。日本の戦争のことだけ大々的に報道して自らの政府の暗黒面は全く報道されないという理不尽がある。でもこの暗黒面もいつか暴きだされ共産党の政権が転覆したときその恐るべき事実が明るみに出される。インタ-ネットがこうした中国の暗黒面を伝えるのに役立つ、でもインタ-ネットも制限しているのか中国である。私があったコラル出身の学生もこうしたニュ-スさえ知らないのかもしれない、北京にいると報道されないとわからないからだ。ただインタ-ネットから外国の報道からわかるということがある。私もインタ-ネットから知ったのだから、どこでも報道されないからだ。





東トルキスタンで反政府武闘闘争開始か

"東トル"は中国政府に展開して戦争に武装することを宣言する
“東トルキスタンが組織を解放する”(ETLO)は公言して、すべての手段を使うことを
始めて中国政府に武装する戦争を始める。
これは中国西部の新疆の分離が組織して初めて公然と武装闘争の形式を採用して独立
を努力することを宣言するのだ。

“東トルキスタンが組織を解放する”が本部にドイツのミュンヘンに設置しての“東
トルの情報センター”が1皿のビデオテープが伝来して、後者はBBC中国語部にビデオ
テープのリンクを送り届けた。

URLから分析して発見することができて、東トルのこのビデオは9月26日無料を利
用するワールドワイドウェブのサーバーfhreactor.だcomは発表して、このビデオの
“東トル”からの天山支部を申し込むによると。

ビデオは明らかに示して、3人の覆面の人は自動小銃を手に持って、“東トル”の組
織を分離する三日月の星の旗を背景にして、ウイグル語で1部の声明を読み上げる。

ウイグルの一族の人に新疆ウイグル族自治区の創立50周年の祝賀活動を防ぎ止めるよ
うに呼びかけると声明して、そしてすべての手段を利用して中国政府に武装する戦争
を始めると表している。

中国政府は“東トルキスタンが組織を解放する”と“東トルの情報センター”をテロ
組織にとする。東トルの組織を解放する目的はウイグルの一族の人が独立して建国す
るのだ。中国政府は10月1日に新疆ウイグル自治区の創立50周年を記念する。 中国政
府の厳しく新疆に打撃を与えている分裂活動。
いくつか人権組織は中国政府が全世界の反テロを利用してあれらを厳重に懲罰して異
なっている観点のウイグル人を持ちにくることに戦うと非難して、甚だしきに至って
はあれらは非暴力の分離主義者を主張している。