アクセス解析 & SEM/SEO講座 by CUBIT
ノートパソコンから旅の報告2(2001・10
黒部⇒富山⇒金沢⇒能登⇒輪島⇒仙台

写真多いですが写真と合せて読むと現場にいる感じがでます

       @ 俳句・短歌・詩の部
    A 紀行文(まとめ)


10月25日


仙台から新潟へ高速バスにのった。乗り換えがないので楽だ。4時間だった。高速バスは旅情がないが西会津で山深い所に部落が隠れるようにあり薄がなびいていた。さすがにこの辺は山深い奥深く入った感じがした。汽車は西会津には通らない。西会津は自転車で旅したことがないのでここを行くのも面白いと思った。福島県はやはり広いのだ。新潟から特急で魚津に来た。明日ここから宇奈月まで行き黒部峡谷のトロッコ電車にのる。魚津から宇奈月まで一時間かかる。6時40分の電車で行く。というのはトロッコ汽車は切符がなかなか買えない、並んで乗れなかった人もいたと宿の人が言ったからだ。それはインターネットにも書いていた人がいて知っていたのである。今日は魚津で泊まる。

みちのくの淋しき駅や秋の薔薇

二輪ほど田舎の駅に秋の薔薇

草紅葉農家の古りて安達かな

スピーデーに高速バスや秋の空

菊畑秋の陽射しに夫婦かな

山囲み芒に暮れぬ西会津

月の出て泊まる一夜や魚津かな

10月26日

家の間をぬうて走るや柿なりぬ

長屋栃屋浦山柿なりぬ

朝早みダム湖に映す秋の峰

奥深く鐘釣山や秋の暮

秋冷や岩肌迫る黒部かな

絶壁に紅葉の映えて朝の峰

蟻一つ急ぎて通る山の秋

山にまた山の影映え黒部の秋

絶顛の山のすがしや秋の空

それぞれの山明瞭に秋の空

夕暮れや木の葉沈みて露天風呂

月冴えて険しき峰の間に光る

宇奈月の山の間に月湯の煙

一夜のみ泊まりて去るや月澄みぬ

灯をともし富山の市電や秋の暮


奥山に何やら花の咲き残る人知れずあわれ秋のふけゆく

2000メートルの終点の駅からさらに急な山を上った所に咲いていた

魚津に泊まり宇奈月まで富山電鉄で行った。私鉄は狭い家の間を行き駅も小さくより生活に密着している。ながや・栃屋・裏山という駅名も親しみを感じた。裏山は浦山だった。家山というのもありその名ずけかたが身近の所から
発想してて面白い。トロッコ列車は混むというので朝早く行ったがみんなのれる。土日は満員になるかもしれん。紅葉はまだで黄紅葉が多かった。ここはこんなものなのか、まだ早いのかもしれん。欅平から展望台の方へ行く道を登ったがかなり険しい。途中忘れられた花がひっそり咲いていた。高く上ると奥の方にも高い山の影が見えた。

欅平から鐘釣りにより河原の露天風呂に入った。人の来るのが途絶えたのでその時入ったから気持ちがいい。人が見に来るのであそこは入りにくいので得した。大岩から何か天然の滋養分のようなのが出てくるような気がして天然の露天風呂は確かに体にいいのだ。

それからまた魚津に来たが食事だけして泊まらなかった。二回泊まるのが気がすすまなかった。四国の観音寺市に一夜庵というのがあった。一夜しか泊まってはならないという庵だそうだ。一夜で別れ行く、そこに流れる水のように気持ちがいい。留まれば水は腐る。魚津には駅に清水を流しただで飲ませている。今なかなか水もただでは飲めない。コンビニで水を買う時代だからだ。
日本は水は豊富なのだからあのようにただで飲ませる水はいい。世界で水をそれもいい水をただで飲めるのは日本くらいなのだからもっと水くらいだだで飲める場を作るべきだ。ただ冨山は山が多く水は豊富である。明日はどこに行くかまだ決めていない、輪島の方にゆくかもしれない。ここまでくると帰るのも大変だ。汽車賃が大変なので高速バスで帰ることを考えよう。

10月27日

室堂まで行く
富山の電鉄が面白かった。私鉄はより地元の生活と密着している。

 富山地鉄の岩峅寺(いわくらじ)ここで二つに分かれる

落ち葉して塩倉橋や七つ橋

晩秋の市電行き交う富山かな

点々と私鉄の駅古る芒かな

柿なりて土蔵に駅や私鉄かな

畑に人南無阿弥陀仏や朝の菊


晩秋の地鉄沿線墓の二基

稚児塚と停まりてあわれ野菊かな

富山なる私鉄の沿線野菊かな

秋の蝶二つ三つや朝の駅

稲刈られ五百石や駅の名に

碑の一つ刈田に見えて停まる駅

真正面名峰望み朝の菊

朝の山流れのひびき菊花かな

山の間に隠れて月の光るかな

山里や芒に月や田の五反

剣岳厳しき姿冬近し

氷張る登山道行き剣岳



バスの説明ではナナカマドはナマ・カマドの意味で生木を燃やしたからその名がつけられた。餓鬼の田というのがあり餓鬼が飢えてここに田を作ったとか、これも実際飢饉などがあり死んだ農民がいてこんな伝説が生まれたのかもしれない。山頂には神が作る田、神代田という伝説が各地にある。神が代わって田を作る。いずれにしろ日本民族は田になるべきところを求めて広がったのである。どんな山間の僻地にも田はあるのだ。尾瀬沼すら田代と名がつき田にされるべき所だったのだ。稚児塚というのはこれも死んだ稚児の墓が由来なのか、死んだ稚児が多かった故この名がついたのかもしれない、地名にはそれなりの謂れがあるのだ。私鉄の方がよりその土地と密着しているので興味深い、南無阿弥陀仏の墓が多いのはこの辺は真宗が多いからだ。墓には普通は姓名が・・家と記されるが南無阿弥陀仏だけや南無妙法蓮華経だけになるのは宗派がすぐわかる。姓名を記さずこれだけだと一つの墓でまにあう。最近は墓の後継ぎがなくなり廃墓が多くなったからだ。真宗の人が相馬に移民したことは知られ真宗系の寺が移動した。風習も移動した。相馬の民謡は移民を呼ぶために作られたものがあり宣伝の歌だったのだ。

室堂の剣岳は良かった。

  剣岳の頌歌

剣岳寸鉄帯びて厳しき
無益な贅肉を削ぎ落とし
誠に神の匠の技にあれ
一徹その姿の迫る
立山杉の風雪帯びてここに古り
弥陀原今粛条と人の絶え
月の澄み光れ
星の降るごと光れ
険しき峰々の続きに
無駄を削ぎ落とし
氷張りはや冬近し
寸鉄帯びて厳しき剣岳

10月28日

金沢に泊まる

触れもせで美しきかな秋の薔薇

金沢の白菊町や巡る秋

中島に鴨より松に茶室かな



兼六園の小径歩みて返り花

松の形それぞれ極め秋深む


兼六園十月桜に寄りにけり

石川門入りて中に松と菊

金沢の通りに菊や雨にぬる

晩秋の金沢歩み抹茶飲む

城跡に展覧会や菊の塔


                     金箔のテレホンカード 字や絵がかける

金沢の街中流る川の橋すずろに虫の鳴きてふけゆく

一品の茶碗を手にし金沢に秋の深むや一夜泊まりぬ


金沢と仙台を結ぶ高速バスがあった。約9000円で夜行く、汽車で行くよりかなり割り安である。東京までも8000円くらいで1000円くらいしか違わないのには驚いた。能登の方をまわりこれで帰るのが得だ。予約なしでのれる。日本の汽車賃は高すぎる。交通費だけで三万はこえているから遠くなると大変なのだ。これから高速バスは使える。汽車は乗り換えが多いから時間がかかりすぎる。富士通のlooxでホームページにアップした。やり方が間違えて一時間くらいかかった。これもなれるまで苦しいがなれるとつかえる。他のホームページをみるのはむずかしい.土地の面白い話など知りたいのだが検索する時間がないのでつかえない、つまらんものがでてくるので時間をくいだめなのだ。

................................................................

10月29日

輪島に高速バスで来る、途中錆びた鉄路がつづく、汽車が走っていると思ったら廃線だった。バスの停留所は駅だった所でその近くのステーションホテルに泊まる、しかしそのステショーンはないのだ。輪島塗は今は中国の漆をつかっている。技術は輪島である。JAPANがウルシと言われたごとくウルシの歴史は縄文時代にまでさかのぼる古いものなのだ。津軽はウルシの最も古いものがでているらしい。縄文時代は北が中心だからそうなったのかもしれない。私の前の家はウルシ屋だった。ウルシはとても手間暇かかるもので何回も何回もぬるのである。それを子供の時見ていたのだ知っているのだ。ウルシは匂いがきつくしみついてしまう。漆沢漆畑とか地名でも全国に残ってている。今はウルシは貴重で輪島塗の椀は高くて買いない、箸を買った。椀にまつわる伝説も多い。漆器のいいものは武家や金持ちの家で使うものでそれが記念として各地に残っている。能登についての歴史などは調べなかったのでわからない。平家の落人伝説などがあるようだ。柳田村に平の姓を使わない大家があるというのは確かな歴史だろう。

バスから見た輪島へ伸びる廃線

廃線の鉄路の錆びて芒かな

晩秋や廃線の駅に休むかな

晩秋や技を伝えて能登の奥

隠るごと芒に埋もる能登の村

後の月雲に隠れて輪島かな

晩秋の朝市あわれつるも買う

朝市に秋の鴎や旅の人

今日は十三夜だった。月はちょっと出たが雲に隠れてしまった。

晩秋の輪島の沖の舳倉島旅路来たりて行かず帰りぬ

能登の奥芒に埋もれ伝えける平家の末裔姓は使わず

能登の奥芒なびきて波荒れぬ都を遠く家持の歌

家持の都を遠く偲びける芒のなびく能登の奥かな

家持の都を遠み過ぎし年能登の港に秋の日暮れぬ

都より越に到れる道遠し芒にうもる奥能登の村


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
10月30日

千枚田御神乗太鼓や冬に入る

総領にバスの停まるや吊るし柿

奥能登の粟倉過ぎぬ芒かな

奥能登の家点々と刈田かな

時国家松にからまる蔦紅葉

時国家の庭に山茶花心字池

晩秋や金箔はげて揚羽蝶紋

時国家土産屋一軒秋の蝶

晩秋の柳田村やや六地蔵

奥能登の刈田のバス停六地蔵

金沢や秋の入日に染まるかな


奥能登に平家の末裔や晩秋にはるか旅人訪ね来たりぬ

白米と何の謂れや奥能登に旅路来たりて刈田となりぬ

奥能登線芒掻き分け一両の列車の進みぬ海を望みて

晩秋や都を遠み家持の珠洲に来たりてアマの船見ゆ

家持の都を遠み月清し珠洲の浜辺に偲ぶ影かも

家持の都を遠み奥能登になびく萱原心にしみぬ

みちのくの真野の萱原奥能登の萱原淋し都に遠く

穏やかに藍色濃くも海光る晩秋能登に人の老いゆく

汽車の窓小島の見えて名のありや海おだやかに秋の日暮れぬ





  珠洲の家持

天ざかる鄙の長路ゆ越えくれば
奥の能登になびく萱原淋しかも
珠洲に楫こぐあまの舟に家持の
歩みし影や月清しその浜辺に
波ひびき都は遠しも心にしみぬ
陸奥の真野の萱原さらに都より
離れて遠しもなびく萱原茫々と
奈良の平城京に思う妹ありしに
ただ思いのみぞ歌に残りあわれ
陸奥の真野にそ我は帰り来ぬ


10月31日

高速バスで仙台に朝6時につく、仙台に満月が出ていた

帰りきて駅に淋しき薔薇に月