相馬の地名と秋田、青森の地名の共通性(ケとキは共通の言葉)(小林勇一)

地名には物と名、土地と人間、具象と抽象、個と普遍という相反する対立物が微妙に共存しています。これこそ他にみることのできない地名の特色であり、地名の魅力でもあります。

http://www.tradewind.or.jp/~mtk-dy/tanigawa.htm

これは確かにそうである。そこの土地だけのものかと思うと日本では必ず同じような地名が各地にある。ということは名付ける文化が日本に共通していたことになる。実際今回秋田とか青森の旅でも「大曲」という地名や毛馬内などあったがこれも宇多川の梅川は埋められた川、梅川を示しているという。そこに大曲とか大毛内とあった。大曲とは曲がるであり川が大きく曲がっている所に名付けられている。秋田の大曲もそうである。こういう名付けかたも日本では一般的だろう。

さす舟の棹の雫も匂うなり波も花咲く春の梅川

相馬再発見
http://www.bb.soma.or.jp/~sankyu/html/hakken.html

この写真は貴重である。細い川が流れ舟が行き交っていた。小さな橋がかかっていた。そもそもこんなに川の流れが川ってしまうものだろうか?川とはこんなに流れが変わってしまう。鹿島町の川は人工的に変えられてしまったものだがこの川は自然に流れが川ってしまったのか、今の宇多川は人為的、人工的な川だという岩本氏の言うことが本当だとすると意外である。梅川がもともとの自然の川だった。その川に沿い新田が開拓されていった。川は人為的に埋められたのだ。古川という地名も多いから元は川だったのが地名化して化石のように残っているのである。梅沢(埋沢)とあるように梅沢や梅川が梅と関係あるとは限らない当て字が多いからだ。

大毛内とは何か毛馬内と通じるものがある。角鹿(かづの)は当て字であり角と鹿とも関係ない、かづの-かみつの-というのが有力であり-上毛野と通じるものがあり毛野氏が秋田まで派遣されたのか早い時期にここに来たのか毛野氏と関係あるかもしれない、ともかくキはケになりそれが地名化した。アイヌ語とは関係なく日本語が基本なのである。大毛内もそうである。だから相馬と秋田や青森の地名にも共通性がありこれはアイヌの共通性より多いのである。むしろ日本の言葉アイヌに入っていった方が多いかもしれない、文化の高い国の言葉が低い言葉に入っていくのが普通だからだ。




 筑波郡は、東に茨城郡、南に河内郡、西は鬼怒川、北は筑波山です。常陸国の前には、「紀の国(きのくに)」と呼ばれていました。紀の国を治める為に派遣された筑箪命(つくはのみこと)の名前をとって筑波郡と名付けられたと書かれています。

鬼怒川(きぬかわ)としているがなまると毛野川(けのかわ)になる。ケとキは同一の
言葉である。

清らかな状態の反対は、穢れた状態である。ケガレとは、汚いという意味も含むかも知れないが、本来は「ケが枯れた」ことを言う。神に捧げる献饌(けんせん)の酒と米を「ミキ(御酒)・ミケ(御饌)」というが、eとiは相通じるので、ケ(ke)とキ(ki)は本質的に同じものと考えてよい。
 古語では、食のことを「ケ」と表現した。日月神示にも、「食(け)にひもじくないように…」云々と出てくる。古神道の行法に断食もあるが、これを「食断ち(ケダチ)」という。また、古語では、衣類のことも「ケ」と言った。さらには住居も「ケ」という音で表した(『古語拾遺』)。
 すなわち、昔の日本人は、人間が生きていく上で不可欠な「衣・食・住」のすべてを「ケ」の一言で表現したのである。


http://www.nihoniyasaka.co.jp/ronko/ronkosesou.files/ronko41.html

万葉集には「家にあれば笥(け)にもる飯(いひ)を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る:有馬皇子」このケは木の器のことである。木そのものも上代ではケだったのだ。米もミケでケだった。食(ケ)だったということは食うことは人間の基本だからいたるところ地名化しても不思議ではない、毛(ケ)とつく場所は人間が生活できる、食える場所だったからその地名が多いことになる。必ずしもケは木とは限らないことになる。またケはクウ(食う)のことだった。ケ⇒クウ(くう)は蝦夷語のなまりかもしれない、ケとクはにているからだ。東北ではクウ(食う)というがこれは日本の上代語に通じているのだ。それよりも「ケ」と命令で今でも東北では言っている。ケとは食えということでありこの言葉縄文時代からあった。それが音として残ったのだ。言葉とはこのように古いものであり古い音も残りそれが地名化して残ったのだ。漢字は当て字でありこれがまぎらわしくしている。日本語は最初字がなく漢字が入り各地の古来の音を北海道のアイヌのように漢字をあてたのだ。だから音を基本にみないと地名というのはわかりにくいのだ。どうしても漢字から地名を判断してしまうのである。


毛無山

地名を毛無山と付けたときには禿山だったけど、今では木が茂ってしまっただけなのか。同様の名称の山は、四国・九州には見当たって居りませんが、この芸北町を西の限りとして、中国山地、長野、静岡、新潟、福島、岩手、青森、北海道小樽付近、までに分布しています。

長野県のは「怪無山」と言うのを拾いました。青森には「木無岳」がありました。徳島県麻植郡美郷村には、字名、で「毛無」がありましたが、山は見えない。

これは、アイヌ語の方では、kenas で「川沿いの林」と言う意味です。毛無山とは、そういうポイントのある山、なのではないでしょうか。


毛無山と木無岳がありこれもケとキが共通なのである。木がない山だったのだ。そういう山は日本では高い山頂にゆくとある。そこには木が生えていない、キもケも木なのである。アイヌ語の川沿いの林となると梅川の川沿いにあるから一致している。でもこれも偶然の一致かもしれない、というのは川はいくらでもあり川沿いの森とか林も多いから偶然の一致が多いからわからない、アイヌ語ですべて解きあかすの危険なのである。ケは古い日本語でありそれでケというのは全国に残ったのだ。

ただこのホ-ムペ-ジにある検査の結果が正しいなら中国まで日本の古い言葉が残り四国、九州には残さなかった。歴史的に渡来人が九州などには早く入ってきたのだから毛(ケ)という言葉が残せなかったのか疑問が残る。バル(原)という地名が九州に多いのも渡来系が早く来たためとされている。いづれにしろ山を上っていって高いところが木がないので毛無山となったのかここは食えない所だとなって毛無山となった。そういうのが山の感じではあっているが標高の低い地点にもあるとすると木が生えていない山となる。昔は鬱蒼と木が生えているところが多かったから木の無い所は目立ちやすいことも地名化した原因かもしれない、ともかく毛とつくと不思議に何か蝦夷の言葉めいてくるから不思議である。これは日本の古い音の言葉なのだ。キには他に木(もく)と言い方がある。これは中国系らしい。ケとかキの方が日本の土着語なのだ。土着語が地名化しやいのである。モクというのはあまり地名化していないからだ。



中国語-日本語-(蝦夷語)-アイヌ語の関連?

上古代漢語では「國」はkue"kで、「域」はhiue"kであり、両者は同系の詞でした。次にhがfになる理由ですが、huのように圓唇母音uが後続すると圓唇で摩擦が生じ、Φが生じ、上歯下唇音fになります。北京語「快」kuaiに対して廣東語で(kuai>huai>)faiです。


http://www.asahi-net.or.jp/~hi5k-stu/bbs/bbs0209.htm

ku(私)-e(食う)はアイヌ語である。kueはまた国に通じているとしたら私が食う場所が国になる。そしてこの音が廣東語から北京語から入ったとしたら中国系統で入ってきた言葉になる。川俣にある口太山(くちぶとやま)は朽ちる人の山だがhi-fuの発音になった。ヒト→フト→ブトになったのである。フトは方言で各地に残っているから最初にヒトがありとにフトとなり広がったのである。北海道のアイヌ語地名でもワッカは水のあるところでありいたるところにある。これが日本語の湧く(ワク)からきたのか、非常に音がにている。水の湧くところは泉でありワク(ワッカ)という地名は少ない、なぜアイヌ語だけにワッカがあるのか湧くとしたら不思議である。言語学はそもそもむずかしいから深い入りしない方がいい、食え-kueは東北人は使っているから問題にしたのである。

岩手県南部から宮城県北部にかけての北上山地に「ほろは山」という山がいくつか見られます。ここにホロハ神社またはホロハ権現が祀られ、信仰は秋田県から関東地方北部にかけて分布し、御神体はハウシワケの神とみなされます。
 そのホロハ・ハウシワケの意味について『日本先住民族史』の藤原相之助は、「ホロハはポロパで大酋長」のこと、「ハウシワケはポロパウシワッカカムイの省略形」とし、「大酋長が水の神を祀った場所」であるとします。
 しかし、ポロパが果たして大酋長の意味かどうか、ウシワッカカムイとワッカウシカムイは同じであるか疑問に思われます


ホロハはアイヌ語かどうかわからないがワッカカムイは北海道のアイヌに存在した。水の湧くところにいるカムイ-神である。涌谷(ワクヤ)というのは水の湧くからきている。ワッカではなく日本語では湧くなのである。

龍泉洞のことを別名ワックツ(湧口)と呼び親しんでいた。

やはりワックとワクは共通であり日本でもワッカと使っていた。ワックとワッカは音の変化であり同じなのだ。ワクワクするというのも水がワクところに行くからワクワクするのだ。

郷土-地名散策目次