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2000−2001

冬の部
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真っ直ぐに隙なき一本冬樹立つ

奥深く山越え来たり家一軒乳神の碑の一つや秋の暮

雪消えず社一つや夕暮れぬ


   90までしぶとく生きて枯柳

枯 柳 一 本 寂 と 第 六 天

凛として松一本立つ冬の月

国道を車のあまた省みじ御田母神や冬の日あわれ

 
何語る風の冷たく墓黙す

2001
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  秋の灯またここの木に休むかな

  岩そそり意志強くして冬の星

  ベランダに風の冷たき遠き山

   清流に枯木静かや山の湯屋
  

   晩菊に社一つや山の家

   r五本松残る一本冬の暮

  冬の日や並び動かず碑の古りぬ
   
  枯菊のなお枯れゆくやあわれかな

   一輪の田舎の駅に冬の薔薇
 
   松一本御田母神に枯芒

冬の松ニ宮仕法に六万石

北風の唸り族(うから)の墓並ぶ

冬日さし老い見守るや故郷に
一両の電車の行くや冬菜畑

飛島に家数十軒冬のタブ

北風や庭に動かぬ石二つ


旅路より帰りて庭に動かざる石二つ見て冬の日暮れぬ

残る
残菊の誰か静かに見ゆべきや淋しく暮れぬみちのくの里

乳神

乳神とは乳が出る神様なのか、山を越え分け入ったら家一軒が隠れるようにあり乳神の碑がその家の前の畑に祭ってあった。乳が出ることを願い家のものが建てたのかも知れぬ。その頃そんな山奥に医者にも行くことがなく牛乳などもなく乳で子供を育てる他なくそうした
切実な願いから建てられたのかも知れぬ.戦前は卵すら食うのが贅沢だった。病気のときしか食わなかったという。紡績工場でのおかずは梅干とたくわんだけだった。昼休みが30分しかなくその間に遊びたいと弁当をかきこむようにして食った仲間の女性は胃を悪くして死んだという話を聞いた。笑い話ではすまされない貧乏の時代だった。30分の休憩時間が楽しみだけの労働だったかもしれぬ。いまでも考えられないことではない.


社2

社は日本を象徴的なものである。小さな村を象徴をするものである。正にむらそのものなのだ。この小さな社に寄り合い助け合い生きてきたのである。共同体のシンボルなのだ。社とは屋代であり
神の社を建てられないのでその変わりになるものを置いた、それは何か木の枝を挿すだけのものやただ社に代わるものを置いたのだ、それだけ貧しかったとも言える、浜通りでは雪はほとんどふらない、今年は雪が消えない、その雪の中に社がある、何か雪国の風景となった、雪に埋もれた社はこの社を中心として寄り合い春を待つ村を象徴している。社がいかに日本の象徴か示している.。天皇の象徴だけでなく日本の象徴なのである。しかしおそらくこれと同じ句はすでに作られている.日本ではどこにもあある風景だからだ.



一本の枯れた柳が田んぼの脇の細い道にある、この細い一本の柳の近くに小さな祠がある
それは第六天といって仏教では悪い魔王である。この神はここだけにあったものではなかったのだ。東日本には多いようだ。というのはこの神は仏教の敵というより大和朝廷の敵であったものが仏教の敵とされたのだ。奈良にある大仏は大和朝廷が国作りのために建てたものでたもので大和朝廷に逆らうものは仏教の敵にもされたのだ。宗教も権力者の守り神になり支配の道具につかわれてきたのだ。地方の少数民族は別に仏教の敵ではなっかたのだ。これはゲルマンやケルトなどもローマ帝国の支配下に入れられる過程でキリストの敵とされたりするのと同じことかもしれない。ローマ帝国も権威としてキリスト教を利用したのでありキリストの敵ではなかったのだ。創価学会や宗教団体も政治化すると選挙にと一時は仏敵だと息巻いていた。宗教と関係ないんだけど人の都合で神も利用されるのである。信長があれほどの僧を殺戮したのは神の名を仏の名を語りこの世を世俗に力を持とうとしたものに反発を感じたためである。神仏の世界と世俗の世界の目指すものが本来違うものでありそれを混同するとおかしくなるのだ。いずれにしろこの世の権威は権力は政治とか科学とか宗教も簡単に取り入れてこの世支配するからこの世サタンのものなのである。

まあ90まで生きるのは珍しくなくなった、病気ではあるがしぶとく生きている、高齢化社会で90はもう普通なのである。



松一本

松一本が野辺に立っているその孤高が胸を打つ、芸術に必要なのは独立と自立である、
群れて集団を作るところに真の創造はない、俳句は確かに連句などがあり仲間を作って
励むところはあるがいかなる芸術も独立と自立の精神がなければ成り立たないのだ
宗教もこの自立、独立があってこそ信仰なのだがつまり集団でよりかかりあい慰め合い
独立を失うときそこにいかなる芸術も生まれない、マスゲームは芸術ではない、政治的
デモストレショーンなのだ、この野辺の独立孤高の松一本にこそ冬の月は一段とさえて
光るのだ

御田母神

国道を車がひっきりなしに通るがこの御田母神を見る人もいない:これはこの地域だけの神なのだ、近くにセブンエレブンやローソンやらやたらコンビニがふえる、しかしとおりすぎるものにとってこの小さな社は忘れられている、今生活圏が拡大し様々な情報が世界的に溢れ出している、一方でこうした地域に昔からあったものもインタ−ネットを通じて紹介されるときなにかしらの関心を喚起し意味を持つかもしれない、インタ−ネットは地方にとっても発信できるもので平等な機会を提供している、ただ操作やらいろいろむずかしすぎるのだ



新年早々申し訳ないが今年は東北は寒い、冷たい風がふきつける。そしてそこにあったのはもの言わぬ墓である。墓は死んだ人は何も言わない、しかしその中に強烈な抗議の言葉があっても語られないということである。何も言えずに死んでいった人が多いのだ。はっきり言ってこの世は無情である。省みられぬ墓は死人はいくらでもいる。この世が公平だったことはないしこの世が死者に生前も死後も報えることもないのが多いのだ。それがこの世であり無情の世である。それを嘆いてもしかたがない、無情は万人に等しくこの世そのものが無常なのだ。常ならぬものであり頼りになるべきものでもないのだ。かつての権力者も栄華誇ったものもみな等しく今は無常の中にあるから死ねばみな同じになるということはいえるかもしれない。


 冬の薔薇


  冬の薔薇

田舎の駅に淋しらに
一輪白し薔薇の花
忘れられたるごとくに
清楚に一輪白い薔薇の花
我がひそかによりぬ
そのもとに・・・・
遠い田舎の駅に訪ねる人の
まれにし枯れし芒のなびくかな







 枯菊

毎日通る道に菊が咲いているがそれが枯れているのだがなお命はある。枯れているのにさらに枯れてゆくのだ。
しかしまだ死んではいないのだ。植物は生きている。しかし造花には命がないのだ。造花を飾ってもそれには命がない故あわれもない、愛情をそそぐこともない、命あるものは植物でもあわれなのだ。もののあわれというのには日本人のものに対する、植物であれまたものという時、文字通り物であり自然界のすべてのものに対してまた人間の作ったものにも心を通わせる感情がある。それは自然が優しく親和的だったからもしれぬ。仏教でも草木も成仏するという
観念と相通じるからこれは東洋的な心情として一致するのかもしれない。

日本人の不思議はロボットにも心を通わせようとしていることなのだ。アイボとかが一時人気になった。日本人はもともとモノは心も意味しているごとくモノと心の区別が希薄なのだ・ヨ−ロッパではモノと心は明確に区別している。物はあくまでも物でありそれは人間が操作しあわれを愛情を注ぐ対象ではないのだ。
 

相馬藩は六万石である。ニ宮尊徳のニ宮仕法で有名である。疲弊した農村を建てなおしたのである。相馬市に行く浜街道に昔の松並木が残っている。二本の松は世界で一番美しいものに思う、江戸時代の松並木は本当に美しかったろう。韓国にも中国にも松はあるが日本の松とは違う、日本は松に象徴された国でもあるのだ。この松についてはあとでエッセイに書きたい


ヨ−ロッパの墓地を見たらそこには生前の写真が墓にはめられていたり墓の形も様々でメッセ−ジがそえられてあり個性があった。日本の墓は訳のわからない戒名でありみな同じで個性がない、そして陰気に感じるのだ。なんか閉ざされた感じである。もちろんヨ−ロッパの磔刑のキリストの十字架の墓が一番多いのだからこれも日本人からみれば陰気に見えるのかもしれないから見方を変えれば違ったものになるのが文化なのかもしれない、でも日本人の墓は全般的に陰気であり生前の姿が浮かんでこない、これも江戸時代に宗教が自由を奪われ寺により戸籍簿みたいにされたことと関係している。日本はともかく墓までも一律にされてしまう。戒名はわかりにくい、ただ会津の松平家の菩提、代々の墓を集めた所には側室の墓が並びその戒名は女性なのであんな草茫々の所でもなまめかしいのを感じた。戒名でも女性と男性の区別だけはしている。

冬の日

老いというのは誰にでも来る。老いはまず家族で直面する。親が老いるのを見る。次に自分の老いが来る、老いは見守るべきものが必要である。老いというのも人生の一部でありこれを全体から隔離したり切り離すやり方はよくない、現代の社会は全体として機能していたものを専門化し細分化し全体から切り離すおである。そもそも人間は様々なものと結びついて存在しているものなのだ。その地域や家族や仕事や職場や自然と不可分に結びついてい存在している、存在させられている。老いも人生の一部として社会の一部として受け入れざるをえないものなのだ。

一両の電車

千葉県の銚子辺りから出ている一両の電車に乗ったことがある。一両の電車が走っている所がが他にもある。なんともいえぬ哀感がある。

タブの木

タブの木は南の木であるが日本海を伝って飛島に根づいた。飛島は酒田から船で一時間もかからない、戸数50軒くらいの小さな島である。象徴となるものはなにもなくタブの木の神社だけがある島、椿も日本海を伝い津軽まで達した。飛島がタブの木の南限であろう。わが町の車輪梅も南限の地として宣伝している。
 残菊

俳句の季語は万葉集が基になっているというが季語自体が詩語であり季語からイメ−ジして短歌になることがかなりある。季語というのが日本においては詩と密接に結びついている。季語はだから日本の文化の要的役割を果たしている。これほど季節を細分化して季語を作ってきた民族はてない、菊にしても季節によって色分けしている。移り行く季節の変化にもののあわれを感じる、感情移入するのが日本人なのだ。一方ヨ−ロッパなどでは常に変化しないもの不朽なものを求めている。だから建築が重んじられるのだ。