阿武隈海溝

そこは忘れるた海溝かもしれない
そこに破船した船が沈んでいる
それは山の廃屋である
そこの山々の陰に隠されるように
ひっそりと家々がある
道は幾重にも分かれ
山々の間を魚のように泳ぐ
そこは深い海溝なのかもしれぬ
山の中に街の灯が青く灯っている
魚はそこを誘われるように泳いでゆく
そこはどこまでも山の狭間がつづき
平坦な地にはでてこない
そこは深い海溝なのだ
昔すべては海だった
そしてここも一つの広い海溝である
神秘の海溝である
阿武隈海溝である
深い碧を湛えてしんとして
日本の中の一つの海溝である
騒がしい文明の灯は点滅せず
静寂を吸いこんで眠っている
月影さして明るい峠に青ざめた満開の桜
はらはらはらと桜は散った
どこから音なく桜の花びら散った
その深い静寂の海溝の底に
そういう忘れられた海溝を魚のように
時に洞穴をくぐり探検する
何よりもいいのは海という深い静寂が
ここを未だおおっている
そういうところに神秘の花が咲く
人知れず花が咲く・・・・・
その花には未だ誰もふれていない
誰もふれていない・・・・
文明の騒擾に人は疲れた
自動車の波に疲れた
何をそんなに急ぎ運ぶのか
そんなに遠くから何を運ぶのか
お前たちのしていることは徒労だ
自足して心を休め養うべし
今必要なのはこの静寂の深い海溝
そこにビルを建てるでない
都会を持ってくるな
ギラギラしたネオンを点滅させるな
文明人よ、ここに手を加えるな
政治家、商人、土建屋、ギャンブル屋
マスコミ宣伝屋、宗教屋、ブロ-カ-など
お前たちは文明の手先だ
お前たちの手の届かぬ広い領域
そこにこそ神の聖なる領域だ
kenjiは蛇紋岩の尾根を歩み
その谷底深く太古の化石を探し
自らも詩となり美しい化石となった
その底深く秘められ眠るがよい
文明人に値段はつけられぬ
その化石にも値段はつけるな
宇宙と自然には値段などつけられない
人間にも値段はつけられない
一番価値あるのは人間そのものなのだから
阿武隈海溝は神秘の中になお眠っている
フタバスズキ竜という海竜が確かにいたのだから
ここは古い地層だ
今私は名づけた、みちのくの阿武隈海溝
それは今新しい夢を育む
現実が夢となり夢が現実となる
文明はここに途絶え太古の夢を見る
巨大な原始の貌の巌々が佇立して
小賢しい文明人をよせつけない
その果てしない海溝を悠々と泳ぐ
海の底に文明は建てられぬ
文明はアトラティスのようにここに沈む
ここには黄金はない
すべてのエルドラ-ド(黄金郷)は血にぬられている
黄金は呪いとしておかれた
黄金には呪いの蛇がからまりついている
神話を語るミステリ-も眠り
力強い真っ裸の原生人間をそこに見た
それこそ大きな宝だ
太古の日の静謐に養われて
秋の陽は海溝の空を染めて沈む