腰掛け石の語る昔(小林勇一作)

(一)

昔ここは街道すじで石が一つあり旅人がここに腰掛けて休むから腰掛け石と言われた。弁慶の腰掛け石とか牛若丸の腰掛け石とか長い旅をした西行の腰掛け石とかお大師様の腰掛け石とかいろいろいわれはある。この石はともかく旅人が一服するのに腰掛けるのに手頃な石であったのだ。街道を歩いて旅する人が絶えなかった時、この石に必ず腰掛ける人がいたのだ。街道をいくつもの坂を越えて歩いて旅するということは骨のおれることだった。今日もこの腰掛け石に休む旅人があった。
「ああ、疲れた、疲れた、いいところに石があった、ここに腰掛けて休むか、まだまだ道のりは長い、ここで一服しよう」
旅人はそこでキセルをとりだし煙草をきざみぷかぷかぷかと煙を出して一服する。そこはどこの村なのか、なんとかという坂をこえここまできた。夏だったのでびっしょりと汗をかいけいた。その汗をぬぐい休んでいた。その近くに古い御堂があり古い一本の木に鴉がとまって鳴いている。その腰掛け石は木陰になっていて涼しかった。御堂はどこにでもあるがあの中に旅人が休む時がある。御堂は旅人の緊急の無料のお助け宿でもあったのだ。また地蔵がたっているがこれも旅人が無事を祈るためにあったものもある。街道筋は旅人のためになるものがあったのである。
旅人は休んだのでまた出発しようとしていた。
「まだまだ、先は長い長い、坂もいくつも越えな、さて、行くか」
その旅人の声に石が言った。
「長い道のりでしょうがご無事に・・・・・またこの道を通ったらここで休んでくだされ・・・・わしは待っていますで」
その声は旅人には聞こえなかった。その腰掛け石は旅人が休むとうれしかった。そこに人のぬくもりがあった。それを石はいつも感じていた。
「今日もここに人が腰掛けていった、あの人はどこから来たのか、どこへ行くのか、何の用事なのかな、今頃どこまで行ったのかな、ここにともかく休んで行った、その人のぬくもりがここに残っている・・・・」
また街道は馬で行く人も多かった。そこにのどかに馬子歌が流れたりして石は聞き入っていた。馬子は馬の名前を子供のように呼びヒヒンと喜ぶ馬はなく、歌を歌いながらこの道を通る、その馬の蹄の音がぱかぱかぱかぱかといつまでもひびいている。ただいやなのは馬糞であった。馬糞のにおいもまた置き土産だった。
「ああ、またどっさりしたな、乾くまで時間かかるわい、これもまたどうにもならんわい」
こんな独り言を言って腰掛け石は街道すじで旅人を休ませる役目をになっていたのです。

「エーッサ、エーッサ、エッサホイサッサ、お猿の駕籠屋(かごや)だ、ホイサッサ。」

こんな声がして通りすぎて行ったのは誰かと思ったら村の子供たちが駕籠屋のまねをして遊んでいたのです。それから荷馬車もゆっくりゆっくりがらがらがらと通って行きました。そのうしろに子供がひょいと気づかれないようにのりました。子供はゆらゆら揺られて楽しそうにのっていました。その頃雲もなんとなくのんびりと浮かんで下を見下ろし流れていたようです。
あるときはシタニ-シタニ-と大名行列も通りました。それは槍持ちから指物持ち、馬の口取り、(馬を歩いて導く人)やたくさんの長持ちなどがもった人がここを通ったのです。その長持ちには藩の立派な御紋があしらってありました。立派な駕籠に殿様が乗っておられるのでめったに殿様は外に出ませんしその腰掛け石には休みませんでした。有名な人、大石蔵之助が休んだからその名がついたりしていますがそれはやはりこの石には普通の人が多く休んだからであり別に偉い人が休んだからそうなったわけではありません。そんな名前をつけるとなんか石も立派に見えることがあります。弁慶が休んだから弁慶石とかそれもやはりこの石にみんな旅人が休んだのであとでそんな名がつけられたのかもしれません。そういう人達は話の種になりやすいからです。村の人は昔そうした偉い人となかなか会いなかったし見る機会もなかったからそんな人が一度でも通れば話題になりいつしか伝説ともなったのかもしれません。その他飛脚や飴屋とか虚無僧とかいろんな人がここを通ったのです
そして街道には月が照らしていました。その月の光の中でも旅人の影が歩いていました。こんなことをいいながら夢見るように静かな眠りにつきました。
「明日はどんな旅人がくるかな、いろいろな人がここで休んで行ったな、中には女の芸人もいたな、女の人の甘い匂いをここに残して行ったな、侍もむっつりとここに休んで行ったな、商人も休んで行ったな、いろいろな人が休んで行った・・・・」
そして馬の蹄の音がぱかぱかぱかぱかと聞こえて心地よく眠りについていたのである。

(二)

ところが時代は急速に変わってしまった。まず近くに線路ができて昔の街道は廃れた。汽車の音がゴ-ゴ-ガタガタガタするようになった。それでもまだ人々の行き来はあった。馬子歌や歩いて長い長い旅をする人は消えたからこの石に休む人はいなかった。それで腰掛け石はさみしくなった。
「なんだ、歩いて長い旅をしてわしのところに休む旅人がいなくなったな、一体どうしたんだ、おかしいぞ、坂をこえては疲れて疲れたと休んだ人がいたんだがな・・・・おかしいぞ・・・とかしいぞ・・・どうしたんだ・・・」
その時また汽車がゴ-ゴ-ガタガタガタとその石の前通り石が少しがたがたとゆれた。
「うう、これは地震か、いつもあの鉄の箱のような長いものが通るとゆれる・・・とんでもないものが通るようになったもんだ、あんなものができるとはな、驚くのは夜まで通っている、それも明るい光の帯となって通ってゆく、あそこに人がのっているのか、とんでもないもを人は作るもんだよ、籠に人をのせていたのにあんなものができなってな考えもつかなかった、恐ろしくさえなる・・・・」
それからまた急速に変わった、今度は自動車の時代になった。次から次と近くの道を車がガ-ガ-ブ-ブ-ひっきりなしに走るようになった。それも夜通し走るようになった。
「なんなんだ、この車の列は、とまることも休むこともない、もうわしのところで一服する者はいなくなった、それより夜もゆっくり眠れねいんだよ、ガ-ガ-ブ-ブ-うるさくて、そんなに毎日夜も寝ずに運ぶものあんのか、ちょっとは昔の旅人のように休めよ、こっちが疲れて眠れねえんだよ・・」
腰掛け石はこう文句を言っても無駄だっただ。世はスピ-ド時代、交通戦争の時代だった。その自動車にひかれて死んだものを供養する石碑があって今は秋になり虫が鳴いていた。その虫の音もガ-ガ-ブ-ブ-とひっきりなしに通る車の騒音でかきけされていた。自動車にひかれて子供も死んだ。それでも自動車はますますスピ-ドをあげへることはなかった。

ブ-ブ-ガ-ガ-ブ-ブ-ガ-ガ-
車がひっきりなしだ
どこへ運ぶどこからきた
誰が運ぶちょっとは休め
道の辺にはカボチャの花咲いたべ
柿もなったべ、早稲は刈られた
コンビニで弁当買って
またどっかの遠くへ突っ走る
昔なら御堂や地蔵の辻で
一服して休んだだろう
地蔵さんが旅人見送った
茶屋に休んで娘さんが見送った
一本松や五本松、松並木
城下にようやく着きにけり
今はブ-ブ-ガ-ガ-ブ-ブ-ガ-ガ-
人も見えない車の中さ
道端に交通事故で死んだ墓標
これも忘れられたか
スピ-ド戦争の犠牲者だ
毎日ブ-ブ-ガ-ガ-ブ-ブ-ガ-ガ-
ちょっとは休め、見てる方も疲れるぜ
案山子も車の音に疲れるぜ


案山子も立っていたが案山子もこんなふうに言っているようだ。腰掛け石の近くには畑がありカボチャの花も咲いていた。今この昔の道を通る人は少ない、それでもドングリがころころ落ちて栗のイガが落ちて薄がなびき萩がしげり蝶々が飛んで豊かな秋の実りがこの街道そいにあった。ただ石は旅人が休んでくれないのでさみしかった。ただそのとき向こうから懸命に自転車で走ってくる旅人があった。その自転車の旅人がその腰掛け石のところでとまりその石に腰掛けて何か休んでジュ-スを飲んだ。
「いや-あの坂は沓掛けの坂はきつかった、あそこで草鞋をはきかえてやっとこえてきたよ、ちょどいいここで休もう」
沓掛という地名は草鞋をはきかえるところで沓掛とかなったと言われています。いらない草鞋をそこに捨ててその坂にでも掛けていたのかもしれません、昔はなんでも大変な旅でした。そんなわけで

沓掛(くつかけ)や沓はきかえて旅人の道の長しも坂一つ越ゆ

こんな歌がよまれていたりしました。
ともかくその声を聞いた石は喜んだ。
「その声は昔聞いたな、そんなこと言って休んだ旅人がいつもいたんだよ」
自転車の旅人はちょっと自転車を点検してまた飛び乗り風のように去って行った。
「ああ、早いな、もうずっと遠くに行ったな、でもここで休んでくれたな、自転車の旅人よ、またここで休んでくれよ、わしはまっとるからな・・・」
こうして腰掛け石は今日は休んでくれた人がいて満足でした。車の人はここで全く休むこともないので嫌いでした。嫌いというより関係ないのでした。でもこの昔の街道は何かさみしい、一本松があってもそこで休む人もいない、地蔵さんも旅人が祈ることもしない、ブ-ブ-ガ-ガ-ブ-ブ-ガ-ガ-自動車の道が道となってしまったからです。でもわずかに自転車の旅人がここでまた休んでくれること楽しみに石はあるのですがその思い出は遠く長い長い道のりを歩いてきた多くの旅人が休んだ昔々にあったのです。



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