時事問題の深層34-2006


相馬発信-小林勇一(小林勇一)
これまで家族の認知症のことでプログで書いてきました。これまでの記録は記事はプログで読んでください
「今日の一句一首プログ」
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格差社会の歴史的考察(グロ−バル化が原因)11月29日

新幹線で訪ねた平泉(平泉の繁栄は交通にあった)12月6日

マスコミとインタ−ネットの報道の相違(事件の消化方法−キ-ワ-ド−渡辺高裕12月16日

文化は地方からしか生まれない(東京一極集中は文化の破壊)12月25日

リア王の狂気−老人の最後のあがき12月27日

2007−

明日香風(飛鳥)の意味(地方からしか文化は興らない)1月10日

テレビドラマ「白虎隊」を見て(明治維新は庶民には歓迎された)1月16日

あらたまの年の緒長く・・・・(正月の歌と意味)1月17日

グロ−バリゼ−ションは文化の破壊−企業中心主義も文化の破壊1月27日

情報環境の変化(テレビのやらせ、捏造の深層1月31日

働くことはwork(作品化)すること−ニ−ト、フリ−タ−は豊かになったための結果 2月16日



格差社会の歴史的考察(グロ−バル化が原因)

格差社会というとき人間の歴史が格差の歴史でありマルクスが階級闘争を提唱したのもそのためである。平等な社会など歴史上存在しないのだ。人間の歴史は弱肉強食の世界である。勝者が敗者を支配するのだ。その一番いい例が外国では奴隷が公然と存在する事実であった。それは民主主義を提唱したアメリカにも黒人奴隷がいたことである。もちろん自由と民主の発祥地のギリシャのポリスでも奴隷は存在していた。しかしその奴隷が人間としての平等の権利があるものとして見られていなかったのだ。現代の人権などという思想もなかった。欧米の歴史は現代まで格差社会であり階級社会である。それは歴史がそうだから根本的には変わらない。強いものが勝ち強いものが弱いものを支配することは当然だという歴史である。これは大陸は絶えず異民族との戦いがありその熾烈な戦いで必然的に弱肉強食の世界になったのだ。戦争に負ければ一民族がみな殺しになったりする。民族自体が奴隷化される。スラブ民族がslave(奴隷)というのも奴隷の歴史が公然としてあったからだ。

インドの歴史でもドラビダ族(色の黒い)が遊牧民の白人が侵入して支配されてできた国家であり侵入してきて支配した民族が支配階級になった。カ−スト制はその時できたのである。つまり異民族間での争いが熾烈な大陸では支配と被支配階級の差が明確になる。優位な民族が下位の民族を支配するのである。race(民族)はまたレ−ス(競争)なのである。根本的な競争原理はここから発しているのだ。競争に負ければ一族皆殺しにされてしまう全員奴隷にされてしまうという厳しい社会なのである。だからそこでは強力な指導者を求める。指導者が命運をにぎるとしたら強力な指導者なくしては皆殺しか全員奴隷にされるからだ。イスラエルで指導者が予言者になったのも神の命にかなうものだったら戦いに勝てるという信仰になったのも同じである。戦争に勝つことは神意であり負けることは神意に反することになる。どちらも強力な指導者が必要だったためである。

日本ではどうかというとこうした異民族同士の絶えざる争いがない社会であり日本という孤立した島国で日本人は長い歴史を培ってきたのだ。異民族は確かに蝦夷とか最初に存在してもみな日本人化してしまった。日本には異民族同士が争うという歴史がなかった。だから日本字である限り話さなくてもわかるという融和的な関係ができあがっていた。だから戦争して敵を皆殺しにするとかしない、敵味方塚を作ったりと敵と融和するのが日本的戦争である。将棋もその文化を示している。外国のチェスや中国将棋は駒を取り除いていくのがゲ−ムである。日本は敵の駒をとってもまた使える、利用するのだ。敵をまた力として勝つのである。こういう発想は日本だけであり日本の特殊な歴史が文化がゲ−ムとなったのである。日本では敵を絶滅させたり全員を奴隷としたりする歴史がなかったのである。これは極めてかえって特殊な歴史だった。日本がまた一つの世界の中での文明だというとき島国であったためにそうなったのだ。イギリスと日本は確かに島国なのだがイギリスは大陸の影響が常に大きくバイキングなど異民族の侵入がありそのまま定着したりと違っている。日本には異民族問題は早い時期になくなっていたのである。天皇は王様であるが実際は権力もない象徴的なまとめ役だったというのも異民族同士の熾烈な争いがなかったからである。

日本が格差社会となるというとき大陸の歴史と同一化することになる。つまりグロ−バル化は大陸化−欧米化なのである。大陸ではもともと格差社会でありそれは容認されてきた。強力な指導者、指導階級がなければ皆殺しになるとか奴隷化されるのだから平均的な生ぬるい烏合の衆では存立し得ない社会だった。信長のような傑出した指導者がないと生きていけない戦国時代が常態化した社会だった。グロ−バル化とは世界的競争化する熾烈なものだとするとき当然世界でも格差世界になるし国内でもそうなりやすい、日本的均質平均平等社会は破壊される。日本の格差社会はまた別な要素もあるが本質的にはグロ−バル化が格差社会を作ったのである。日本でも経済の競争で負ければたちまち貧困化して他国に奴隷のように使われる労働者となってしまうかもしれない、現実フィリンピンでも中国の貧しい労働者でも国内の支配階級に奴隷化されている。アメリカもメキシコとか多数の異民族が労働者となり奴隷労働をかってでている。貧富の差が極端な社会である。日本のような平等均質な社会は世界では特殊であり例外的な社会だったのだ。異民族同士の交渉には腹でわかるとかいうようなことは成立しない、明確な契約書とか法律の適用が必要となりそうした文化が作られてきた。そもそも相手が異民族であり信用できないからだ。日本人はたいがい相手を信用するから契約書を交わすより口約束ですましたりする。日本にはもともと泥棒がすくなかったのもそういう互いに信用される社会の中で生きていたからである。外国では異民族が混入するからもともと人間を信用していない、今でも盗みが非常に多いのもそのためである。

日本の格差社会は会社が支配階級となりフリ−タ−とか派遣社員を奴隷化する構造がある。外国との競争に勝つためにコストを安くするためには正社員と奴隷階級に二分化した。これは中国などに会社が進出して安い労働力で世界競争に勝つことが国内だと安い労働力をフリ−タ−とかパ−トとか派遣社員とかに求める結果となった。グロ−バル化の結果、階級化するというのは大陸の歴史では普通だから日本も世界基準になったといえる。宗教でもキリスト教とか仏教を社会学的にみると奴隷廃止を訴えたことで共通している。ロ−マでも奴隷解放を目指したのはキリスト教であり仏教でもヒンズ−教のカ−スト制を廃止して人間の平等を訴えたのは釈迦であった。格差社会があまりにも厳しいからそうした宗教も社会階級闘争的信仰にもなってマルクスに引き継がれたのである。大陸化、欧米化することはグロ−バル化は必然的に格差社会を作る。社会がカ−スト化してゆく。それがいい悪いは別にしてそれが世界のスタンダ−ドだからそうなる。日本的スタンダ−ドは別だとしてもグロ−バル化することは世界基準に従うほかないのである。そうしなければ現在の日本の繁栄もなかった。世界に日本製のものが売れたのも世界的スタンダ−ドの競争に勝ったからであり負ければ昔のように皆殺しにはならないにしても貧困化してゆく。熾烈な世界的競争社会にどうして勝つのかとなると強力な指導者とか能力の開発とかマイナス面として一部の労働力のコストを下げて奴隷化するカ−スト化するとかになる。格差社会の歪みはグロ−バル化であり繁栄もそうだったのである。欧米、日本などが貧乏人でもカンボジアで5ドルでも買春できるのもそのためである。グロ−バル化とは敗者が実質的に奴隷にされるのだ。日本も競争に負ければ中国が日本の代わりになったりしたらそうなる。いつまでも奴隷が奴隷ではありえない、日本が中国人に奴隷化されるという恐怖の世界が現実化するのもグロ−バル化なのだ。日本の女性もその時金持ちの外国人の奴隷にされるのが歴史の巡り合わせとなる。それを誰も批判できないだろう。お前たちのしたことをしているにすぎないとなるからだ。



新幹線で訪ねた平泉(平泉の繁栄は交通にあった)

みちのくというと道の奥であり都からはるかに遠い知られざる土地、辺境の魅力として古来あった。江戸時代までもそうだったのだ。だからこそ芭蕉の奥の細道があった。その果てなる世界に皆金色の仏堂や二階大堂など鎌倉の武士が刮目するものがあった。その美は日本でも特異な目を見張るものだった。一時期みちのくの富をここに集めた都が現出したのだ。その富は宋の陶磁器や螺鈿の貝は沖縄製とか金色堂の高欄部分にアフリカゾウの象牙が使われているのには驚かされる。室町時代に最盛期を迎え戦国時代で消えた能登の珠洲焼もあったということは日本海を通じた交通路があった。

陶磁器は越州窯青磁(灰釉陶・緑釉陶)から日本に伝わった。福岡の鴻臚館が窓口となっていた。日本の陶磁器のル−ツは中国であり韓国もそうである。最初は律令制の貴族だけで愛用されていた。邪馬台国の時代から伝わった三角縁神獣鏡も最初は珍重され祭祀的なものに使われた。これがすでに蝦夷制服の最前線の胆沢城からも発見されている。ロ−マの鉄製のワインの杯が発見されるのとにている。この陶磁器の伝播で面白いのは大量に一般化し普及すると無釉陶→山茶椀になる。その頃から常滑焼とか渥美焼が作られ太平洋岸沿いに運ばれていく、その最終目的地が平泉であった。この陶磁器はかなり広範囲に大量に流通したとなるとその頃すでに海からや川からの交通路が発達していたのだ。相馬焼は常滑焼を改良して独自のものを作ったことでもわかる。太平洋岸沿いの焼き物の普及があったからである。  

『河海抄』で「今案ずるに、秘色は磁器なり、越州よりたてまつる物なり、其色翠青にして殊にすぐれたり、仍て是を秘蔵して尋常に用いざる故に秘色と号す・・・

それは浙江省越州窯近くの明州(寧波)の港から海外に輸出され、西は遠くエジプトのフスタート遺跡まで、越州窯の青磁の遺品が確認されるというから中国のチャイナが磁器をさしていたのもヨ−ロッパの人々がいかに磁器に魅せられたかわかる。宋や元の時代は中国は先進国であり世界へ貿易が拡大していてその一端に日本も組み込まれていた。宋銭が大量にどこでもみちのくでも発見されるのはそのためである。

幻の「秘色」青磁との出会いを求めて
http://homepage1.nifty.com/fusae/essay3.htm



相馬焼の歴史

日本海は古代からすでに阿部氏の船団が来ていたように開けていた。山内丸山の縄文遺跡からも翡翠の玉を加工した飾り物が発見されているから糸魚川が翡翠の産地とするとその辺からの交流がすでにあった。


沼名河の底なる玉 求めて得まし玉かも 拾ひて得まし玉かも あたらしき 君が老ゆらく惜しも

渤海との交流でもそうである。秀吉の扇の図で
日本海が蝦夷の海となっていることは意味深なことである。山丹貿易の蝦夷錦もそうだった。

13から15世紀に喜多方市一帯に勢力を有していた新宮氏の居城であった新宮城の発掘調査から中国の元か明代に作られた象をかたどった青白磁の破片を城跡の内郭部分から発見した。この破片は象の頭の右半分で、高さ約6cm×幅約5cmであることから全体の大きさは30から40cmと推定された。象形青白磁は中国敦煌の仏教壁画や京都松尾寺の国宝普賢菩薩像などに見られ、宗教的な道具か装飾品と見られる。
http://www.castle7.org/news2006/200611F.html

獅子は一般的だが象はめずらしい。象の現物を日本人が見たのは江戸時代である。会津は山国でも日本海側と通じ貿易で最新の物も入ってきた証拠である。
福島県に養蚕を伝えたのは崇峻天皇の皇子の蜂子皇子(はちすのみこ)の母親で小手姫皇后となっている。出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)の開祖になったと言われており、大阪市天王寺区茶臼山町には、聖徳太子が崇峻天皇を偲んで建てたという「堀越神社」が残っており、祭神は、「崇峻天皇・小手姫皇后・蜂子皇子・錦代皇女」となる
これも日本海経由で出羽三山に入ってきた。古代の交通路は日本海にあった。その後も江戸時代は北前船で下北半島まで盛んなる交通があり港が栄えたのである。太平洋は波が荒いから交通として適していなかった。千葉の沖辺りで波が荒くかなり沈没して犠牲を出した。それでもすでに鎌倉時代になると船の交通が活発となってたのだ。常滑焼や渥美焼が石巻から北上川をさかのぼってもたらされたのもそのためである。南相馬市の鹿島区の烏崎(からすざき)も岩松氏の伝説でここに船で上陸した時ヤタ烏が導いたとあるがもともと烏崎という名がすでにあり烏崎だからわざわざ神武天皇の故事をここに利用したのである。鎌倉時代になるとかなり船の交通は具体的に発展してきたし太平洋の交通路が発達したためである。

そして平泉の繁栄の基は黄金にあった。その他鉱物資源にありこれで豊かになった。これは江戸時代までつづいたのだ。古代でも陸奥が注目されたのは黄金がとれるということで奈良の大仏にぬる塗る黄金の不足をまかなえるということで重宝された。その時から黄金の憧れの地としてみちのくがあったのだ。これは世界的スケ−ルで思考すると義経がジンギスカンだったという伝説もその裏付けであり繁栄は外国と結びつかないと成り立たない歴史があった。マルコポ−ロの黄金のジパング伝説もその流れにあった。

天皇の御代栄えむと東なるみちのく山に金花咲く 大伴家持

伊達政宗が支倉常長をスペインに送ったのも外国の支援を仰いで家康と対抗する意図があったというのもそのためである。雄大なスケ−ルの視野で望んだ陸奥の世界がかつてあった。ただ江戸時代には鎖国となりそのスケ−ルも縮小してしまった。戦国時代までは外国と交流しようとする日本があったのだ。それはキリシタンの布教を許した信長に象徴されていた。信長の安土城というのが極めて特異なものであったこともその象徴である。今までの城郭とは違った概念で作られていた。戦国時代までは国際的なものがかえって日本にあったのだ。奈良時代もそうであった。シルクロ−ドと通じた国際性があった。それが鎖国で断たれてしまった。300年の鎖国の功罪はあるがやはり国際的スケ−ル視野を閉ざしてしまったことである。江戸の文化も盆栽とか日本的伝統のミニチュウ的自然観を発達させた。国際的スケ−ルの文化の創造は断たれた。国際的でないとそもそも文化は育たないのだ。

フィレンツのルネサンスもフィレンツが貿易都市であり財力があり文化もロ−マの再生からアラビア文化の影響力も大きかった。最近の研究でダビンチコ−ドかでレオナルドダビンチの母が中東系らしいと科学的に考証されるとか中東系アラビア文化の影響があった。それは人物の交流があったから人、物、文化の交流があった。その一つがアラビア語の翻訳からギリシャ語の文献が読めるようになったことである。様々な文化を糾合するとき壮大なルネサンスが生まれたのだ。

最近、レオナルドの指紋の鑑定から、彼の母親は中東の移民ではないかと言う説が浮上した。彼が当時のアラブ人の子としての誇りが彼の科学、医学、数学・・当時アラブ世界で発達していたものにたいする追求心を駆り立てたのかもしれない。アラビア語に似せて字を右から左に書いたのだろうか?

その当時アラビアが先進文化でありイラクのバグダッドはその中心だった。十字軍の時もアラブ、イスラムの方に富も文化もあった。だから略奪に遠征して来たのである。文化の創造には交通路が欠かせない、シルクロ−ドがその象徴であり文明も交通の発達が基である。アメリカも西部まで鉄道が通った時、東と西が結ばれて一つの大きな国として結ばれた。鉄道から船や現代は飛行機の時代となった。交通の影響は甚大なのだ。なぜ福島県は不便なのか統一性がないのかというと阿武隈山脈にさえぎられ交通が閉ざされている。一時期浪江とかまで鉄道が通る予定があったが中断した。それで仙台の方が近くて便利だとなり福島市は遠く感じるし会津になると交通の便では東京より遠いのである。もし新幹線のように相馬と結ばれて30分で行けるとしたらいかに会津じ身近なものとなるかわかる。交通で一体感が生まれるのだ。今回始めて新幹線を利用して平泉に行ったが一関まで30分しかかからなかった。驚くほど近くなっている。帰りは仙台行きの新幹線がちょうどなかったので普通列車できた。普通列車だと思考する時間があるので詩を練るのにはいい。新幹線だともはや思考することすらできない、あっというまについてしまうからだ。しかし我が家の事情で日帰りが迫られたので新幹線を利用せざるを得なくなったのだ。新幹線だと日帰りでもかなり遠くへ行けることがわかったのだ。つまり文明とは距離の短縮であり時間の短縮なのだ。そこに体験の浅薄さがでてくるのだが遠くの点への旅行は便利にする。一足飛びにみちのくの都へ季節ごとに行けることにもなるのだ。朝仙台を出て雪が降って山に残っていたし
平泉に着くと本格的な雪になりかなり積もっていたのだ。気候の変化を短時間で受けることになった。ともかく今の時代近くより遠くに詳しい人が多いのである。それは外国でもそうである、外国の方が近く感じて外国に詳しい人が多いとなる。外国は今や隣と同じなのである。近くよりみな遠くへ遠くへとなってしまったのだ。だから昔の旅は経験できないが点への旅は何度でも行けるから詳しくなることは逆に言えるのである。



雪の平泉(プログへ)



マスコミとインタ−ネットの報道の相違(事件の消化方法−キ-ワ-ド−渡辺高裕



台湾から観光旅行に来ていた女子大生蕭任喬さん(21)が山梨県で殺害
された事件で、台湾の新駐日代表として5日に来日した許世楷氏が同日夜、
東京都港区の台北駐日経済文化代表処で蕭さんの両親らと面会する。
代表処によると、許代表は蕭さんが通っていた台湾の大学で教授を務めて
いた縁もあり、弔意を表すことになったという。

蕭さんは6月28日夜、ホテルを出て行方不明になり1日、無職渡辺高裕
容疑者(25)=死体遺棄容疑で逮捕=が出頭、殺害を自供した。

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渡辺高裕-このキ-ワ-ドで持続してきている。今日生ログを調べたら
ms4.digitimes.com.twとあり「台湾」でありこれは報道に関係している人かもしれないこの事件は地元の人と台湾の人がまだ関心をもっているのだ。
http://www.digitimes.com.tw/←ここからきた

事件は毎日起こりマスコミで報道されるがすぐに忘れ去られる。事件は持続的に追求されていない、事件が起こりすぎて事件への関心が続かないのだ。事件はtake place であり場所と深く関係している。事件の起きた場所が因縁となるのだ。だからそこに供養の地蔵でも建てればいいとなる。それも事件の消化方法であり供養の方法なのである。現代の事件の報道は楽しみとか刺激のために娯楽になってしまった。真剣にその事件を受け止める共同体の機能をなくしてしまった。マスコミはただ刺激的なものを娯楽としてニュ−スを事件を報道している。そういう点でも報道は変わるべきである。マスコミからインタ−ネットへと報道が変わることは別な視点から時事問題や報道を探求することになるからだ。

昔の人の方が事件について効果的に消化していた。それは事件はその生活している土地ではそんなに起こらなかったからだ。だから衝撃が大きく土地の人は供養の地蔵とか碑を建てて語り伝えたことになる。また伝説となり語り伝えられた。それは忘れられず時間のなかで重みを増すものとさえなる。現代は時間のなかで重みをもつものがないのだ。人でも物でも時間のなかで存在感をもつのである。だから人でも自然でもその存在感が意味がわかるのには時間がかかる。現代の最大の欠陥は長い時間のなかで育成するものが作れないことなのだ。欧米の歴史は石として建物やモニュメントが残っていることが多い。だから過去が現実味帯びて現在に結びつく、ロ−マの遺跡とかいたるところに未だに存在感がある。ヨ−ロッパは過去の重みのなかにまだ生きている。石も部屋に置いた一つの小さな石でも時間のなかで存在感をもってくる。自然でも時間のなかで存在感をもってくる。今の忙しい旅ではこの時間が経験できないから体験が浅薄なものとなっいる。距離は交通の発達で短縮したのだが時間で経験するものは短縮できない、一足飛びに外国に行けても時間で経験するものはできないことが外国旅行の欠点だった。少なくともある場所に一年間でもいれば確かにその場の歴史は時間として体験できるがそれができないのが外国旅行だった。

ともかくインタ−ネットの時代は個々の点の情報が伝えられるし持続的に探求できる。これがマスコミの報道とは違う、マスコミは次々に新しい事件を報道し続けねばならない、変わったものを次々と報道する、そうしないと視聴率がとれない、だから事件はたちまち忘れ去られる、インタ−ネットでは目立たないものでも報道できることなのだ。目立つこと変わったことだけが社会ではない、マスコミはあまりにも力をもっている、少女が性的に被害にあうとすべてそういう人間だとみられるしいじめがあるとすべての学校にいじめがあるとなり大騒ぎになる。そして今や子供と大人はよほど厳重な監視のもとでしか接することもできなくなる。現実自分も刑務所へ入れられるほどの事件になった。これは自分だけではない他の人もそういう人がいたことで納得したのだ。マスコミで報道するとすべてが一色になる。これが新聞とかならまだその影響力は少なかった。テレビで茶の間で見るようになってからその影響力はあまりにも大きなものとなってしまったのだ。

報道すべきものはいくらでもある。今日近くを回ったらグル−プホ−ムが田んぼのなかにありあれ玄関で老人が日向ぼっこしていた。あれこんなところにグル−プホ−ムできたのかと家族が認知症になったので関心をもった。これも一つのニュ−スなんだけど近くの施設についてわからないことが多い、近くでもニュ−スになることはいくらでもあるがわからないことが多いのだ。もう一つその近くに石の墓群を発見したことである。これもかなりの数でありこれだけの数があるのはなかなか今まで故郷を回っていてもなかった。はじめて見たのだからこれも発見だった。これも自分にとってはニュ−スだったのだ。こういう自分だけが驚き発見するのも今やニュ-スでありインタ−ネットで簡単に即座に報告されるのだ。ニュ-スは今や個人的関心から無限に増えてしまったのだ。常磐高速道の工事も進んでいる。ドコモの通信の鉄塔がいつも通る田んぼのなかに建ったのもニュ−スになる。なぜなら身近な景観が破壊されたので影響が私には大きかったからだ。今やその人の生活する場がニュ−スなのだ。だから毎日プログで日記を書いているのも個々人がその人なりのニュ-スを伝えているのだ。

ともかくニュ−スというとき過去の事件もニュ−スなのである。



《継子殺し事件》
大正十一年七月二日に当時八歳の「お初」と云う子が、貰い子で云った先の継母の兼崎まきと云う女に連日の虐待と折檻で責め殺されたと云う事件です。継母のまきは当時三十七才、内縁の夫は五十五才で深川の長屋に住んでいたそうです。

そこで悪いヤツが「口利き」で登場するんです。親を騙して僅かなお金で人身売買をするんです。その殆どは女の子が対象です。実態は良くは知りませんが、女の子は「女郎屋」「遊郭」「売春宿」「貰い子」などに売り飛ばされたり、或いは「女中」として年季奉公させられたり、または「養女」として貰われたり等、自分の自由の全くない境遇になってしまったのです。もう二度と故郷の地を踏むことは出来ませんでした。男の子は丁稚奉公など小僧として働く場所も機会もありましたから人身売買の対象にはならなかったようです

http://www.tamagoya.ne.jp/showa/archives/2006/10/post_27.php


江戸時代から継母伝説は各地にありこれもその一つであり大正時代までは各地に地蔵を建てる信仰が残っていた。今でも交通事故の犠牲者に地蔵を建てたりしているからまだ供養として行われている。でもこうした供養の心は消えつつある殺伐とした社会である。供養より保険金が大きいので関心が金になったりするのが現代である。ここで確かに男は丁稚奉公に出されたというのは私の父親が酒屋に出されたのだからそうだった。もう一つ興味をもったのは名前だった。「はつ」という名前ははじめての意味だからハツかと思ったらそうでもない、次女でもつけられている。「すえ」があり「はつ」があった。女性でも一人目だけでなく二人目もハツとなった?三人目四人目となると余計だとなりスエとなった。?その頃子供の数が多かったのだ。そして生まれてまもなく死ぬ子供が多かった。それを今でも語っている老婆がいる。必ず早く死んでしまった子供の名前が墓誌にあることでもわかる。江戸時代から貧乏人の子だくさんでありそれは戦前から戦後のベビ−ブ−ムまで続いたのである。

女性名がかなりいい加減につけられた例として、「すゑ」「とめ」「すて」という名が挙げられる。男の子がほしいのに、女の子がたて続けに生まれると「すゑ」、さらに生まれるともう止めてほしいということで「とめ」とつけ、ついには「すて」ということになったという。

それを浄瑠璃として描いた近松門左衛門の「曽根崎心中」が有名になり、主人公「お初」の名から通称「お初天神」として親しまれるようになった。縁結びの神様としても知られている

それにこの名前に関心をもったのは昨日近くで佐藤ハツ(87)という老婆が横断中に車にはねられ死んだのだ。6時半頃だったから夜は危険なのにそこはスピ−ドを出すところなのでそうなった。前にも見通しのいい道路で二回も事故があり死んでいる。見通しのいい車の少ない道路はかえって危険である。北海道で事故が多いのはそのためである。「ハツ」という人が死んだのもハツという名前は当時から多かった証拠であるからこれもニュ−スをよむ、時代を歴史をよむことになるのだ。ニュ−スは一過性ではなくいろいろ深く歴史をたどりよむことができるのだ。時事問題の深層ではそういうニュ−スの探求をしてきた。今年もそろそろ終わりなので過去をふりかえってみた。


共同体で消化されない事件の連続
http://musubu.sblo.jp/article/2065355.html

酒屋の通帳(プログへ)
http://musubu.sblo.jp/article/2264108.html



文化は地方からしか生まれない(東京一極集中は文化の破壊)

●地方の本来の意味

地方の意味は何か、そもそも地方とは何なのか?都と鄙(ひな)があった。

ひな」の音から考えられる漢字は「雛」と「鄙」、前者は「小さいもの」、後者は「田舎」の意味である。常識的には「雛人形」すなわち小さい人形を飾るから「雛祭り」となる。実際、どちらも普通に使われる表記だ。一見、矛盾無く見える。しかし、これは間違いなのだ。「ひなまつり」とは元来「鄙祭り」、田舎で行われる祭りの意味なのである。

鄙(ひな)は日がなへるで、日の力が衰えるとなるがこれは都の近い所が鄙だった。つまり都から歩いて出ればすぐに日がなへる、日が暮れる、日が暮れて着くような処が鄙であり遠い所でなかったのだ。自分は町に棲んでいるがその町から離れて歩いて日が暮れる山とかが鄙である。つまり歩く感覚の距離感で生まれた言葉なのである。

「地方」の意味の変化「地方」の意味の変化「じかた」としての地方・中央に対する「地方」・「地方(じがた)」:土地の形状から始まって、各地域固有の農業や生活のあり方を示す言葉


雛祭りというと都が都会が発祥の地と思っている人がいるかもしれないがもともとは鄙の田舎の祭りから発している。鄙という意味も今の都会と田舎の対象から生まれたのではない、歩いて生活していたのだから村の中心であれ町の中心であれそこから歩いてゆくと日がへなる、へる所になるから鄙になった。自分の住んでいるところが中心でありそこから離れたところが鄙になっただけである。地方の意味も土地の形状から始まって、各地域固有の農業や生活のあり方を示す言葉でありこれは各地の土地の形状から独自の生活が生まれたことを示している。海とか山とか川べりとか暮らす場が違いば生活形態も違ってくる。それが独自性を生み文化を生んだのである。

つまりこれは何を意味しているのか−

●文化の源は地方にあった
●地方(じかた)は土地の形態により独自の文化を発展させた
●中心は都は自分の住んでいる場所である

人間の思考はそもそも最初は誰でもそうなる。自分の住んでいる場所が中心として思考している。そして自分の住んでいる場所から生活があるのだからそこから文化も創出される。それがどんな辺鄙な場所でも人間はそうなるのだ。確かに一千万都市の東京があり大きな都会がありそこに田舎にない世界、文化があることは確かである。でも人間の思考は自分の住んでいる場所からしか発展しないし文化も創造しえないのだ。田舎はあまりにも鄙はあまりにもみすぼらしいといってもそこが住むものにとっては中心であり都になってしまうのが人間なのだ。文化がculture(耕す)だとするとまさに自分の住んでいる場所が辺鄙でもそこから耕すことにしか文化はありえないのである。文化というとき芸術ばかり想像するが農業も明らかに文化である。おいしい果物を作ればそれは文化であり夕張メロンでも最近注文した会津のリンゴでも美味しいから通販でも売れる。阿武隈高原は養蚕で栄いたが今はリンゴの産地とかで売り出しているのもそうである。それも耕す文化(culture)なのである。

●私の耕した俳句文化

私が新しく開拓した文化として地域の町のことを見直したことがあった。これは延々と一年間書き続けてきたから読んでもらいたい、その中で必ず自分の親の墓のある墓所を通る、すると墓が身近に生活の一部として感じられたことなのだ。そして町のなかで墓も一緒に生活をともにしているんだと感じた。町の中の墓所は四季のなかにも生きている。雨が降り風が吹き夏に西日がさし木の葉が散り雪もふる・・・となると墓所も自然のなかで呼吸しているのだ。墓も死者も生者とつながり身近にあることが好ましい。これが都会だと一日がかりでゆくような山の中に墓が高い金で買う他ない、そして一年に一度くらいしか墓参りとしてかかわることができない、日常的に別な世界に墓があることになる。創価とか他の宗教団体でもその土地ではなく縁もゆかりもない村の山をを買い上げ全部墓にしてしまうという不自然な墓所の作り方をしている。おそらくこれは宗教団体だけではない、生活そのものが日本だったら村単位の共同体の生活が近代化で根こそぎ失われたからだ。宗教団体だけでなく日本人のつながりは会社でその大半を暮らすとなると会社に骨を埋めるということになるから会社の墓地があってもいいとなる。これも現代の文明生活が何かアンバランスな人工的な社会になったからである。理想的なのは自然村落であろう。自然に基づいて自然に則によって作られた村であり町であり市である。それは地方(じかた)の意味である。現代文明は余りにもアンバランスなことが墓にも影響したのである。墓とかやはり生者と連続して身近にあるべきものだった。死者もまた現在の社会の一員だとする主張もあるからやはり過去とのつながりで身近にあると死者とのつながりのなかで人間が存在することがしらしめられるのだ。

墓町を今日も通りて年の暮



●文化は地方が基

文化とはもともと地のエネルギ−、大地のエネルギ−が基として生まれている。culture(耕す)ことから生まれている。東京のような巨大メガポリスから文化が生まれのか?経済の繁栄はあっても文化は生まれない、その基となる自然のエネルギ−、ポテンシャルな自然のパワ−をひきだせないからだ。田舎には無尽蔵のポテンシャルな自然のエネルギ−が貯えられているしそれが未だひきだされていないのだ。鉱物資源などの資源ではなく自然のなかにある潜在力、エネルギ−なのだ。私のホ−ムペ−ジに高村光太郎の牛というキ-ワ-ドでくる人が実に多い、これは評論を書いたからである。その中に牛の潜力とあるがそれも自然のエネルギ−である。動物がもっている自然の計り知れないエネルギ−なのだ。「牛」のような詩が現代では書けないし異質なのだがこれに未だこれだけの人気があるのはやはりそういう原自然のエネルギ−を求めている証拠である。これは上野霄里氏の原生人間にも通じているのだ。彼の言う「原生人間」「原生環境」というときこれは自然保護でも使われているがしかし彼自身の強烈な個性から言うとき別な独特の意味合いがあったのだ。これは上野霄里という独自の宇宙から生まれた感覚でもあった。文明が壊したものを回復するものとしての「原生人間」「原生環境」であったのだ。人間は太古の原生環境のなかで神のように生きていたことがあった。今でも原生環境が残っていることはその半分でも残っているとその神々しさにうたれる。そこで人間は人間の真の実在に目覚めるのだ。大都会の車の騒音とビルの谷間、数字を追うマネ−ゲ−ムとか消費一辺倒の世界では感じえない人間の実存に目覚める。人間は都会では消費の一単位とか貨幣で抽象化された数にすぎない、これはシュペングラ−が言ったことである。人間という本来神にも通じていた実存が自覚されないのだ。単なる自分が原生環境のなかで「ある」という荘厳さが自覚できないのだ。人間存在の極端な希薄化、人間の卑小化しかないのである。

石一つ

誰かしる名もしれぬ花
小さきものや
行く人まれにひそかなる
古木の下に石一つ
静かに耐えて今日もあり
誰かしる名もしれぬ花
神の御意にそう小さきもの
怒らず奢らず高ぶらず
定めとありぬ石一つ
黙して耐えて石一つ
行く人まれに誰かなぐさむ
上の清き流れの音や
冬の蝶や日も暮れぬ
この道に変わらずあれや
定めとありぬ石一つ

ここにゆく人まれにとか・・・冬の日の飯館村の詩の人あれな・・・人があって欲しいという感じのとき人間の実存は自覚される。都会では人は流砂のようになって実存感覚はなくなる。人はそこでは人あれなではなく人はあってほしくない消えてほしいという感覚になるのだ。都会と田舎というとき経済問題やらいろしろな角度から語られるが精神的な面から語るときやはり根本的な潜力となる自然のポテンシャルなエネルギ−がないところに文化は生まれないのだ。確かに技術発展は目ざましい、itの発展地方から文化を発信できるようになったのもすばらしい。しかし文化はやはり地方で耕されはぐくまれる。自然と結びついて原生人間がありうるし文明は高度なロボットを発明しても自然と結びつかないから文化でない、一つの専門化した技術となって終わる。西洋のartには実に広い意味があったしヨ−ロッパでの都市は日本の都会とは違い文化のルネサンスの起こったところだった。今でも地方分散型の都市でありこれはアメリカでもそうだとなると日本の東京一極集中は異常でありそれは文化を生まないからいくら経済的繁栄があっても不毛だともなるのだ。
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ARTの意味

Function: noun
Definition: training
Synonyms:
conduct, control, cultivation, curb, development, domestication, drill, drilling, education, exercise, inculcation, indoctrination, limitation, method, orderliness, practice, preparation, regimen, regulation, restraint, self-command, self-control, self-government, self-mastery, self-restraint, strictness, subordination, will, willpower
Antonyms:
chaos, confusion, disorganization, laziness, permissiveness
Concept:
responsibility


artの概念は西欧文明の骨格だった。社会全般の規範のようなのがartだった。芸術という訳では全く不十分なのだ。個の芸ではない、全体的社会の規範がartである。芸術と訳すときおかしくなる。その反対語が混沌とか無秩序になっている。現代文明はまさにartの逆の世界なのである。artにはこれだけの深い意味の広がりがあった。この意味をかみしめるべきだろう。





リア王の狂気−老人の最後のあがき

●執拗な権力の固執

●権力の執着
●役割喪失
●妄執


リア王の解釈はいろいろあるし王という特殊な地位に由来するから一般の老人と比べることは適当でないかもしれないが王の問題でも人間の普遍的な問題として考察される。特に老人の共通問題として考察する価値がある。リア王は強力な権力をもっていた。だからその権力を領地をもっていることで娘への愛情を計った。「誰が一番自分を愛すか?そのものに土地を与えよう」と計る。それを拒否した娘が実際は一番父思いであった。その娘に一番酷い仕打ちをした。これは誰でも領地欲しさに心にないことを言うのは普通に今でもみられる。実の親子でも財産を渡した時点で施設とかに送られて見捨てられることはよくある。実際は相続する財産の方が大事なのである。だから親の財産がいらないと言った娘は誠実だったのである。

老人はまだ権力をもっていれば土地でも金でも健康でも能力でも力をもっていれば子供にその権力をふるうことができるし子供も親を軽んじることはない、老人の悲哀は権力を失うことなのだ。その極端な例が認知症になったときである。認知症になったらあらゆる権力を失い無力化、無権力化される。金が何億あったとしてもその金を銀行からおろせないし銀行に金があることの意味すらわからない信じられない無能力、無権力になる。でも権力に以前として執着しているのだ。「この家は俺が建てた」とか「金は俺ものだからよこせ」とか自分の権力の基となるものをしきりに言うのである。これは認知症だけでなく老人に共通ししていることである。なぜこれほど権力に固執するのか?それはまた実の親子でも権力が喪失すると見捨てるということが多々あるからだ。

だからヨ−ロッパでは土地を担保にして扶養契約を結ぶとかが行われていた。最低限の世話をしてもらう契約である。教会がその仲立ちをしていた。その当時教会は行政府であり裁判所でもあった。リア王が狂気だというけど人間そのものが社会そのものが権力に固執して権力追求なのだから果たしてリア王が責められるのか?この世で権力なきものは相手にされない、宗教団体も巨大な権力であり執拗な会員獲得も勢力の拡大→権力の増大だからこそ力をもてる。その頂上に君臨するものはこの世の王ともなる。この世の権力を我が物にする故からだ。それは慈悲とか愛とかとは全く関係ない、シャカやキリストの姿をみればわかる。財産はゼロだし寝る場所すらない乞食と同じだったからだ。池田大作に阿部首相があいさつにゆき礼してお願いするというのもその例だし、銀行にも膨大な金をあづけるから銀行に権力をふるうことができる。銀行に何十億何百億とかあづけれるものは銀行を支配することもできる。カトリックは土地を支配するとか行政府や裁判所とかの役割をになっていれば当然権力をもつことになったのだ。権力者は歴史でも一番非情な冷酷な人がなっていた。今でもヒットラ−とかフセインとか金日成とか独裁者は非情である。宗教団体というと宗教だからシャカやキリストを主とするのだから慈悲や愛の世界だとみるがまるで逆なのだ。何百万人の信者に君臨するのはもっとも冷酷非情な人間である。そもそもそんなに大勢の人間は数としてしかみていない、選挙での数であり圧力団体としての数であり上に立つものはそれしか眼中にないのだ。もっとも非情冷酷な人間を神仏のように崇めているのだからこの世はまさにサタンを拝している。サタンのものだとなる。

●権力、欲の追求がこの世

この世とは宗教団体でも国家同士でも権力追求の場である。そのために弱肉強食がある。戦争は権力を得るための闘争である。イラクでもスンニン派とシ−ア派またシ−ア派同士の争いは権力を得るための容赦のない殺戮だった。つまりアメリカはパンドラの箱を開けてしまったのだ。民主主義など通じる世界ではない、熾烈な宗派争いとか部族争いとかの封建社会でもあったのだ。それは個々人でも同じなのだ。権力には様々な様相があるからいちがいには語れない、技術も強力な権力になる。原子爆弾をもったものがどれだけ権力を得ることになったかでもわかる。北朝鮮ですら核をもてば強力な権力を持つから国民が食いなくても核をもとうとするのだ。だからリア王だけを責められないしそれは人間が共通してもっている業なのだ。人間はこの世を生きるとはこの世の欲に生きることだから当然権力追求になる。シャカやキリストが全く無権力から出発していることでもわかる。それはあまりにも対称的な姿である。巨大な伽藍もなにもない、洞窟で寝起きして寝る場所すら家すらないから権力もありえようがないのだ。宗教は無権力から出発しているからこの世とは全く逆の世界からはじまったのである。

権力というとどっちかというと男性がもちたいもののように見えるが女性もまたこの世の欲に生きるものである。女性も権力を求めているのだ。女性の武器は美貌だとするとそれは男性がもっている権力を得るための強力な武器となる。男性はその美貌のために傾城ともなる。一国をつぶすほどの力を持つことになる。楊貴妃がその例である。これは母と子の関係でも母性愛はエゴであり子供を自分のものとして支配しようとする独占欲がある。大人になり親の支配を拒否した娘が親からうとまれ延々とうらまれていたということもある。子供を自分の思うようにしたいという親のエゴが母性愛ともなりうる。女性の権力闘争はまた家庭でもおきる。嫁と姑は不倶戴天の敵となり執拗に妥協なく争う、女性はまた男をめぐり妄執になりやすい。結婚しても他の女性と浮気したりしたら延々とねたまれる。それか事実でないとしても妄想から妄執になる。これも異常化して認知症になったら歯止めがなく責められることになるから地獄である。女性もまた天使でもなんでもない、その美貌はまたこの世の欲としての美貌であり精神的価値内面的価値のとしての美貌ではないのだ。女性の精神的価値としての謙譲とか献身とかの美徳とは違ったものである。精神的価値として現れた美と美人の美貌はまた違ったものである。

●認知症とにていた王の末路

そして人間は老人になるとこうした権力が一挙に失われる。しかし権力への執着は変わることはない、妄執として残るのだ。認知症になるとその妄執は病的になる。もちろん病気だからそうなるとなるがこれは普通の老人でもそうである。女性の妄執はこれも本当に執拗であり凄まじい業である。男性は職場の地位を失い女性は嫁に家庭の座を奪われやはり権力を喪失し役割を喪失する。リア王も王という最大の権力を喪失したことによる役割喪失の悲劇だった。王といっても権力だけではない、知恵として王となる人もいる。昔の長老とかは権力より村の長として人格者として知恵で治めるということがあったのだろう。それが王となると巨大化して権力となった。この世を治めるべきものは権力ではなく別なもの愛とか慈悲とか知恵とかであるべきものなのだが権力になっていることが問題なのだ。老人の最後のあがきも権力の喪失からきている。認知症になるとそれがあまりにも極端に現実化するから驚愕したのである。

彼は権勢を賜ったことにより、諸民、諸族、諸国語の者がみな、彼の前におののき恐れました。彼は自分のものを欲するものを生かし、自分の欲するものをあげ、自分の欲するものを下しました。しかし彼は心に高ぶり、かたくなになり、傲慢にふるまったので王位から退けられ、その光栄は奪われ、追われて世の人と離れ、その思いは野獣のようになりその住まいはロバとともにあり牛のように草を食い、・・・・・・ダニエル5-18

王は答えて言うのであった,「この大いなるバビロンは,わたしが自分の偉力の強さをもって王家のために,またわたしの威光の尊厳のために築いたものではないか」。ダニエル4−30


ネブガデネザルの運命が人類の運命ともなりうる。これは王という絶大な権力の持ち主だからこその刑罰だったが小規模には個々人でも老人で起きてくる。自分がこの家を建てたとかこだわり権力を誇示する。この家は俺のものだと執拗にこだわるのだ。土地も俺のものだとか権力の基になるものにこだわる。でも書類も読めない銀行から金もおろせないとか極端な無能化無権力化になるのは「そ
の光栄は奪われ、追われて世の人と離れ、その思いは野獣のようになりその住まいはロバとともにあり牛のように草を食い、・・・・」これが認知症ににている不思議なのだ。「草を食い・・・」認知症の人は何を食っていいかわからず食えないものを口にしたりするとするとこれもそうだったのか?・・その思いは野獣のようになり・・・というとい憑依現象、狐憑きとかと関係していたのかもしれない、あまりにも不可解だからキ-ワ-ドで探している人もかなりいる。霊障だとか原因がわからないからそうなる。この王は突然に認知症のようになってしまったことは確かである。これがなんのことかわからなかったけど過去にも認知症ににたようなことがあったのである。それが今は高齢化で一般化して現れたのかもしれない、科学的にも説明できないあまりにも異様な不可解な病気だからである。

プログ−老人問題研究日記



明日香風(飛鳥)の意味(地方からしか文化は興らない)



采女の 袖吹きかへす 明日香風 都を遠み いたづらに吹く   志貴皇子


飛鳥は日本史にとって特別な地だった。本当に国が興った地だった。確かに泊瀬風とか佐保風とか歌に残っていても何かぴんとこない、そこは淋しい所なのだ。なぜ明日香風が特別に感じられるのか?そこが日本の国が形成された最初の史実としての舞台だったからだ。百済人とかの渡来人の技術者などがここに集団で住んだ。だからここには激しい政争、権力争いも起きた。ここに地方から選ばれた豪族の多くの采女が住まわされた。華やかな日本の政治の中心地となったのだ。豊浦宮小墾田宮(小治田宮)(あすかおはりだのみや)飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや) 飛鳥川原宮 嶋宮 飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)
などがあり狭い地域にこれだけの宮があった。

大君は神にし坐せば水鳥の多集(すだ)く水沼を京師(みやこ)となせつ

大君は神にし坐(ま)せば赤駒のはらばう田井を京師(みやこ)となせつ

飛鳥はもともとは原野だった。真神原というとき真神とは狼という説もあるから原野と沼地だったのだ。ここに日本の最初の都が作られたのだ。

川原寺残る礎石の跡踏みて歴史をたどり冬の日暮れぬ

百済人作る仏のほほえみや春の都に明日香風吹く


その権力闘争は複雑にしてわかりにくい、だからこそ生々しい人間のドラマが確かにあったし古事記という神話の世界とは違う生身の人間の歴史が事実から記されたのである。鎌足が談山神社で談合して密談して中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿暗殺して大化の改新が成った。飛鳥とか奈良とかは神話ではない、本当の切実な生身の人間の声が今もひびいている地なのである。万葉集はその切実な人間の悲劇の生々しい訴えを留めたのである。

百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ 大津皇子

これも二四才くらいで死に追い込まれた皇子の最後の絶叫だったのだ。それは今も天に木霊している。万葉集の一首の背景には常に一冊の本になるくらいの歴史的背景がありそれがわからないとその歌の真の意味もわからないのである。

明日香風とは百済人とかがもたらした文化の風でもあり明日香に都が興った時の文化と自然が融合した独特の風だった。日本と自然の文化が融合した風であり自然の風がさらに馥郁な文化の風ともなったのだ。泊瀬風(はつせかぜ)とか佐保風(さほかぜ)にはそういう文化の香り風が感じないし外からみてどんな風の特色があるのかわからないのだ。文化とはやはり明日香風になるとき本当の文化が興ったのである。現代には確かに飛躍的な信じられない技術文化が興隆していても明日香風は吹かない、工場の煙とか自動車の排ガスとか騒音をまきちらすだけなのである。過去の宗教は荘厳な文化を作ったと書いたが現代のカルト宗教は文化とは全く無縁な権力志向の異常なアブノ−マルな世界である。現代はこれほど豊かになったのに文化がない文化が創造されない世界なのだ。その根本的な要因が大地から離れてしまった人工物のなかで文明化してしまった。それが最大の要因である。都会がいかに豊かでもそこからは文化が生まれない、cultureは生まれない、大地、原自然が消失しているからである。

江戸時代の江戸には文化があった。江戸は水路とか回りも農地であり自然の中にあった。農民の暮らしとつながっていた。だから隅田川辺りで俳人が農民に雨乞いを頼まれたりしていた。そこはまだ農民が主体となる都だったのである。江戸時代は商人が勃興してもその基礎は農耕文化がベ-スであり思考も農民的だった。農民的だということは自然と大地とつながって生活していたのである。東京一極集中は文化の破壊なのだ。経済中心で思考するときそこに大きな落とし穴がある。大地から離れた浮草、漂流民、流砂の民、根なし草文化になってしまう。現実東京はそうなっている。東京一極集中の経済、政治、情報伝達は文化の破壊なのである。グロ-バル化も世界的文化の破壊になった。世界の農山村の文化が破壊されてしまったのだ。現代の課題は文化を取り戻すこと、ルネサンス(再生)なのである。名古屋辺りでいくらトヨタの自動車生産が世界一になっても文化は起こっていない、自動車だけでは文化は作り得ない、一つの技術だけが突出してしまったアンバランスなものとなってしまっている。日本がただ自動車や電気製品だけの工場とされたらどうなるのか?それは歪(いびつ)な社会となる。文化とは総合的なものである。仏教文化もキリスト教文化もイスラム教文化も総合的なものとして作られた。精神と技術が一体化して成ったものである。その宗教は現代のような異常なカルトではない、だからこそ今でもその文化は重厚な光を放っているのである。現代は技術が発達しても豊かになっても文化は衰退したのである。そして文化は大地と密着した地方からしか興らないのである。それぞれの地方に明日香風を起こすことが文化なのである。

飛鳥−奈良−京都の旅の短歌 

飛燕鳴き山村五月事多し (秋桜子)

山村に活気があることこそ自然であった。山村が地方が衰退するとき実は都会もさらに荒廃してゆく、英気を養うのは山村であり地方であるからだ。都会には物はあっても英気を養うものはない、精神の荒廃だけが進んでゆくのだ。文化の興隆は大地と自然と密着した山村や地方からしか興らないことを新年に辺り再確認するべきである。



テレビドラマ「白虎隊」を見て(明治維新は庶民には歓迎された)

白虎隊の自刃者の遺品が少ない理由は、地元民に衣服、大小の刀剣を盗られたことによる。
蘇生した飯沼貞吉ですら刀を奪われている。 衣服を剥ぐ死者への最大の冒涜行為、それを働くほど民衆は疲弊貧窮していたと思える。 まとめて何十人もの衣服を剥ぐ行為は出来心の範囲を逸脱している。 白虎隊は滝沢本陣から出撃したが滝沢村の住民は早々と西隣、新鶴村へ疎開している。
「白虎隊」 著者 中村彰彦


これと同じことが太平洋戦争で起こった。埋められた日本兵の死者からも身ぐるみはがれた。主に中国人だったらしいが地元の人も日本兵に好感をもっていなかった。白虎隊の今回のドラマは日本の敗戦とだぶってくる。民衆は封建体制の既得権社会に反発していた。薩摩長州には商人とか民衆も味方した。この事実はアジアへ進出した日本兵への地元の人の仕打ちよりひどい。なぜならいくらなんでも会津という土地でともに生活するものがこういうひどいことをしたとなれば会津の侍と農民は全く支配者と支配されるものが奴隷のような状態に置かれていたともなる。会津に敵が攻め込んできて滅びるという時、農民は何ら協力的ではなかったともなる。一緒に城を守るというのはなくても何らかの隠れた援助があってもいいしまた白虎隊に関してはこれはまだ余りにも若いのだから同情があってしかるべきとなる。それがないということは会津は武士と侍が乖離していたしまた全般的に江戸時代は武士と支配階級と農民は支配するものと支配されるものとしてありそこにヨ−ロッパのような市民としての一体感はなかったとなる。

ヤーヤー一揆が起こったのもそのためである。

明治元年(一八六八)九月二十二日、若松城は一ヶ月の籠城戦の末遂に開城となった。
会津の落城からまだ十日とたたない十月三日から、会津全域にわたって数万にのぼる農
民の激しい一揆騒動が起きた。「ヤーヤー」と叫んで打ちこわしを行った世直し一揆は、
封建制度を厳しく批判して、新政府に対しその改革の実行を迫るものであった。


会津の落城からまだ十日とたたないうちに一揆が起きているのは相当な不満が農民にたまっていてそれが動乱に乗じて爆発したのだ。

最近読んだ本で「日本史再発見−板倉聖宣」でなぜ日本には馬車が発達しなかったのか解明しているのが興味深い。交関東では大八車が使われ経済を活発にしたが関西では大八車は使われなかった。これは役人の既得権からの規制だったとか船奉行などが船を中心に交通の既得権を得ていたからだとか幕府が新しいものを規制したことに原因があるというのも規制緩和が叫ばれた現代とにている。

相馬焼の駒を描くことも庶民の相馬焼として普及した浪江の大堀で許可されなかった。特許権が相馬藩にあったのも既得権だった。明治維新以降は裁判で許可されたのだ。明治維新は庶民にとっては経済活動が自由になり活発になったから人口も飛躍的にふえたのである。
喜多方は城の会津若松市から北にあるからということで北方といっていたが当て字で喜多方となったのだ。城には侍が住んでいて城下町だが既得権の旧弊なものが残っていた自由な経済活動がしにくく喜多方が自由な商業活動の場として発展したのである。今で官僚の既得権とか旧弊なものの既得権は経済活動をはばむから同じ問題が過去にもあったのだ。明治維新が成功したのは西と東の経済力の差だったという説もわかりやすい、東北は商業力も工業力も弱かったのである。薩摩や長州は外国とじかに戦争してその力を知り武器を輸入したり工業も起こしている。商人の財力も大きくそれが味方したのだ。

こういう既得権が中世からもあったのだ。通行税として各地で土地を支配している豪族が関銭をとっていた。いたるところで関銭をとられるから経済は活発化しない、そこで信長が楽市楽座を作り関銭を廃止した。信長がそうした規制の既得権者の利権を奪い公正な自由な社会を作り出した。僧侶集団も既得権の団体だったので徹底して戦ってつぶした。革命とは常に既得権者との戦いなのである。郵政民営化もそうだし道路事業団とかも官僚とか地域の既得権がからむ争いであり常にこの戦いは形を変えてつづくのである。ヨ−ロッパでもライン川を通過するのに城のあるところで通行税を払わねばならないから自由な商業ははばまれた。それでハンザ同盟とか商人の自治同盟組織ができたのである。明治維新を経済的側面から見たときは庶民にとって歓迎するべきものであった。農民にとっては疲弊した生活が改善されればいいのであり武士道とか城を守るとかは関係ないことであったから白虎隊からも身ぐるみはぐようなことをしていたのである。

白虎隊の新年のテレビドラマは兵力の差や武器の差や薩摩長州の圧倒的な有利の中で会津藩の悲壮な戦いが美化される。これは太平洋戦争とにていた。圧倒的なアメリカ軍にたいして最後は特攻隊となり天皇に殉じてゆく姿である。その悲壮感が際立たせるのが白虎隊であり特攻隊だったのだ。醒めた眼で見れば無駄死にだったとなる。ただ会津藩の場合は武士道の故であり武士は一つのモラルを具現化した厳しくモラルを追求するエリ−トでありその結果としての悲壮な死があったとなりそれをいちがいに経済的利権的側面からだけでは計れない有終の武士の美学があったともいえる。ただ庶民から農民から見た明治維新は歓迎されるべきものだった。ええじゃないか騒動でも庶民の力が全国的に沸騰した時代になったのだ。そのあと武士道はモラルとして残ったのでありそれを明治になって「武士道」として内村鑑三とかその他の武士出身者によって受け継がれたのだ。そのモラルは現代でも活かしうる。なぜなら現代はモラルなき社会、功利的社会、大衆社会とかなって荒廃したからである。社会には高いモラルを追求するエリ−トの養成が必ず必要でありそれがなくなると大衆化愚民化して社会は荒廃する。それが現代なのである。現代は功利的利権の追求がすべてであり宗教団体から労働団体からあらゆる党派団体は利権団体でありモラルはなき社会になってしまったからである。武士とは厳しいモラルを実践するからこそエリ−ト、支配階級としての存在価値があったのだ。現代はモラルはなく国家も企業も様々の宗教団体から何でも団体と化したところはただ利権の追求になってしまったのである。



相馬焼の歴史


あらたまの年の緒長く・・・・(正月の歌と意味)





子日に 永保四年内裏
作者詳細
(後拾遺和歌集の選者)

子の日する野邊の小松を移し植ゑて年のを長く君ぞ引くべき

(現代読み )
ねのひするのべのこまつをうつしうえてとしのをながくきみぞひくべき
(意訳)
子の日の行事を行うために野原の小松を移し植えましたので、帝の長寿を祈念して帝ご自身で引き抜いてください。

・・・・・・・・・
子の日 正月の最初の子の日に小松を抜いて長寿を祈念する行事があった。



あらたまの年の緒長く・・・・これは年があらたまったときの枕詞だから正月には長生きを祈ったのである。現代はこうした自然と結びついた行事がなくなってきた。こうした行事は農民の生活から生まれ宮廷にも引き継がれた。天皇が今でも皇居で田植えをして蚕を飼っているのもそのためである。天皇は司祭であった。豊作を祈るのも天皇の役割だった。宮中の行事は農民と密接に結びついていた。正月の行事自体が農耕と切り離せないものであった。七草とかもそうだし正月はただ一年の変わり目だけではない、正月とは一月が全部正月であり小正月もあった。正月は長い間ハレの日として祭りの日だったのだ。だから宮中で行われた行事はもともとは農民が村でしていたものである。それが宮中に移されたのだ。あらたまは新魂であり魂が新しく働くという意味である。古代の人は季節の変わり目、年の変わり目に特別な感覚、呪術的感覚をもっていた。今のような単なる年の変わり目ではない、年が変わるときは魂(たま)も変わる。工業化社会はこういう自然との何か霊感的な結びつきを機械的にしてしまったのだ。そこに人間がロボット化してゆく、機械化してゆく、殺伐としてゆく原因もあった。確かに能率、効率、合理化というのは経済法則として必然的なものである。これを追求しなければグロ−バル化の競争には勝てないから悪いとはいえない。でも人間はそういうふうに割り切れないもの、自然と結びついて生きている、自然の生命の輪の中にリサイクルの中に生きているのも人間である。

現代に欠けているもの現代が喪失したものは過去にあったのである。現代の荒廃を嘆くときでは何が喪失したのかを問うときそれは過去にあったものであり過去にあったものが喪失したということなのだ。この行事一つを見ても松は長寿の象徴でもあり新年には松を植えて長寿を願う、自然の命と人間の命を結びつけて考える。自然の命はサイクルはリズムは悠長なのである。この移し植えた松が成長するにはかなりの時間がかかる。何十年もかかるのだ。木の命の長さに人間の命をあわせることは相当な悠長な時間感覚なのである。農家は三代くらいつづかないと一人前の農家とはいえないというのも自然を相手にしているからそうなる。木を育てるのも悠長な時間が必要になる。それは一代だけでもできるものではないのだ。現代はそうした自然の悠長な時間感覚が喪失した。だから早く早くと追われるように毎日暮らしている。正月にみんな集まりゆっくりと睦みあう睦月の時がないのだ。あわただしく人は仕事に追われ睦み合う時もないのである。

最近がっかりしたのは私の町の墓所の近くの公園の木々の幹や枝が半分どこも切られたことである。これは木を新しく成長させるものにしてもこれが前のように高い梢と張り伸ばす枝になるのにはいつになるのか?相当な年数が必要となる。とすると年とる人にとっては十分に成長した木を見れないことになるのだ。その間に死んでしまっているかもしれない、木は簡単に成長しないからである。こういうふうに自然は簡単に成長しないということなのだ。だから自然の景観を破壊したそれをもどすのには百年とかかるようになり復元不可能にもなってしまうのだ。大変な労力が必要にもなってくる。そもそも自然は長い年月で作られてきたものだから人間のような一代限りで人生を見るのとは違っているから悠長なのである。地質的時間だったら一億とかは当たり前だからだ。ここが人間社会と自然との大きな断層、ずれができることになる。そんな悠長な時間で人間は生きていない、今を貪るように生きることになる。ただこれまでの文明だとエジプト文明は三千年とかなるから自然のリズムとマッチしたような悠長な文明だった。だからピラミッドのようなものができた。現代文明は自然のエネルギ−を百年で食い尽くすような文明である。その象徴が石油文明であり石油を食い尽くすことは大きなエネルギ−の枯渇を生む。文明自体が石油によりかかっていれば文明自体が崩壊しかねないものとなるから深刻なのだ。

仙台のケヤキの老木を移して保存するというのも何かこうした現代文明の自然のサイクルを無視した世界から自然の命を見直すことが起こっているのかもしれない、老木になるまでは相当な時間がかかっているし老木は貴重だとなるからだ。老木には精霊が宿っているとまでしているのも自然の感覚をとりもどすようなことが起きているのかもしれない、仙台にはケヤキの並木があり自然と対話する道が都会の中にあることが貴重だったからだ。極端な工業化社会は社会全体に歪みをもたらした。それは人間の心、魂にも影響した。あらたまの魂が生きてこない、強化されない、ただ単に年が変わるという機械的な自然観になってしまったのだ。そんな自然観など古くさいとか馬鹿げているというのもかえって自然の命に通じないロボット人間になっている証拠なのである。機械からより自然のアニマから人間は影響される。それは機械で作り出せないものなのだ。人間は確かに文明の発達で長寿を実現したがこれも様々な問題の山積みだった。ただ人間が肉体的に命だけが長くさせられている。最悪なのは植物人間としてただ肉体だけが生き延びている、魂は死んでいる、悲惨な人間の姥捨山と化している。人間はやはり魂がアラ(新)魂になることが生きることなのだ。肉体が生きても魂が生きないのは死んでいると同じだとなる。魂が死んでしまうことが一番怖いことなのだ。認知症とか精神病が魂が病むから一番怖いものだと実感したのだ。魂が通じ合えなくなることの恐怖がそこにあったからだ。

我が形見見つつ偲はせあらたまの年の緒長く我れも偲はむ 笠女郎



万葉集の歌はすべてを恋の歌としてみるとつまらない、もっと深いいろいろな見方があるべきなのだ。この形見とは昔の人が残した形見なのである。昔の残したものはいろいろある。年があらたってまた昔の残した人の形見をねんごろにみてその意味を深めてさらに年の緒長く過去から未来を見つめるという意味にもなる。これをただ二人だけの恋の歌だけとしてみるとつまらない、詩歌とか文学は解釈、その人の個性によっても意味合いが違ってくるのだ。

新(あらた)しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)

二〇〇七年が明けた。えとでは十二番目にやっと登場する亥(い)年の幕開けだ。奈良時代の天平宝字三(七五九)年元日、因幡国守の大伴家持は部下を招いて賀会を開き、新年を祝って「新(あらた)しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)」と万葉集の掉尾(とうび)を飾る歌を詠んだ。この年も亥年だった

去年もいろいろあったが今年もともかくあらたまの命を生きることを祈り願う・・・
暖冬はどう米のでき具合に影響するのだろうか?万葉集時代は暖冬はなかった?
万葉集はやはり日本人の命の源となる書なのである。「正月の俳句」のキ-ワ-ドで江戸時代の正月俳句を解説したのがかなり読まれたから正月に関心ある人はいる。でも正月の俳句とか短歌は作りにくくなっている。そもそも正月という意味が喪失したからだ。だから正月の俳句も短歌もできにくいのである。ただ新年は新たな出発をするというのは変わりないことは確かなのだ。



ケヤキの精が「切らないで」、梅原市長
2007年01月17日
 「ケヤキの精たちが『伐採しないで』と語りかけてきた」

 仙台市営地下鉄東西線建設で撤去する青葉通のケヤキ50本を、伐採せずに移植する方針を
決めたことについて、梅原克彦市長は16日の記者会見でそう語った。

 1本320万円、計1億6千万円の移植費用は高すぎるのではないか、との質問に対して答えた。



グロ−バリゼ−ションは文化の破壊−企業中心主義も文化の破壊

世界がグロ−バル化することは世界が分業化することである。日本だったら自動車産業やカメラ産業が得意だから世界の自動車産業の工場とかなってしまう。アフリカとか南アメリカはコ−ヒ−の産地となる。自動車企業は例えばトヨタとかがまるで国を代表する、国を動かすものとなる。トヨタで飯を食う人が多数になればトヨタ企業城下町になる。自動車産業が要でありその企業中心の社会になる。現実自動車社会になっている。自動車社会のためには道路の整備が欠かせないから高速道路でも山の中の必要のないところまで熊しか通らないところまで公共事業として過剰な投資がされてきた。これも自動車社会を推進させるためである。企業が自動車でもうかりそのもうかった金を道路作りに投資して社会の隅々まで自動車社会にしてしまう。交通事故があっても死んだ人が死に損になるが自動車社会を維持するためには目をつぶる。これは何も企業の経営者が悪いというのではなく自動車社会をみんな望むからそうなる。自動車社会により商店街がシャッタ−通りになってもさらに巨大なショッピングセンタ−ができてもやむをえないとなる。人は便利なものはどこまでも追求するしそれを止めるのは発展を進歩を阻止するものだとなるからだ。

しかしこの企業中心主義は必ず環境問題とか社会問題として歪みをもたらす。社会は自動車のためにあるのではない、現実は社会は人は今や自動車のためにあるとさえなっている。確かに江戸時代は北前船とか船の交通が盛んで文化の交流もあったし一時代を築いた。次には鉄道の時代となりこれも一時代を築いた。次に自動車社会となってもそれは進歩なのだとなる。でも自動車社会、自動車産業中心主義は文化を作る一面はあっても破壊する面もでてくる。便利な道具は昔から両面あるというのは確かであるから自動車産業だけを批判するというのは片手落ちだともなる。ただ企業中心主義は大きな自然とか社会からみるとそこだけの論理でおしすすめると社会を文化を破壊するのだ。企業からすれば利益を追求するのは当然である。その自動車会社だけがもうかるように利益を追求すると社会を歪めかえって社会のためにならなくなるという矛盾がでてくる。騒音から交通事故から排気ガス問題から地域社会の破壊・・・・そこにはかえって社会を歪めるものがでてくる。これは様々な企業にもいえる。企業は社会全体でありえない、社会は自然のなかで機能するものである。だから環境破壊という問題がでてくる。農耕社会だったら自然のなかで機能するように自然の摂理に合うように天皇はその司祭となりえた。今や農業は工業の下位にあるからその役割は小さいし力ないものとなった。だから

新しき年の始の初春の今日ふる雪のいや重け吉事 (大伴家持)

という歌は雪がふるということ、寒いことは天候的に豊作の兆しということがあったが今や暖冬であり別に雪がふらなくてもいいとなる。その暖冬の原因は二酸化炭素にありこれも文明が原因している。グロ−バル化が文化を破壊するというとき日本文化いうときそれは日本という自然のなかで培われたものが日本文化でありこれは世界のなかでの日本文明とまでなっている。世界で日本一国の島国で文明だと認める人がいる。それはトヨタやカメラ産業のためではない、文化とか文明というときそれは一国が作り出す全体なのである。日本が木の文化だというときそれは日本が水とか森とかに恵まれた自然条件の故に木の文化となった。陶芸が盛んなのも日本の自然条件にあっていたからだとなる。文化とは自然を耕す(cultuer)ことから生まれる。企業中心主義からたけでは文化は耕されない、文化は作れない、それは一部でしかない、部分なのである。その部分が全体かのように肥大化したのが自動車産業に象徴されているのだ。自動車が万能であり神のようになっているのも現代なのである。そこに文化の破壊が起きている。

ルネサンスは総合的総体的なものからしか起こらない、社会が歪むのは専門化、部分化するからである。宗教でもすべて団体化してカルト化して圧力団体となり社会の組合化、部分化している。宗教は過去には文化を創造したが現代の宗教は文明の中の小道具にすぎないというのは確かである。巨大な科学文明の前に無力化して組合を作り政治化して国に利権を要求する。政治家とか医者とか法律家とか企業家とか科学者とか技術者の方が現代の神であり宗教団体もそういう人の力を借りて力をもっているのだから皮肉である。つまり総合的なものを目指すものは上野霄里氏やニ−チェやヘンリ−ミラ−やキケルゴ−ルなどアウトサイダ−になってしまうのである。そのアウトサイダ−は文明社会から離脱して巨大化して孤立して意思疎通ができなくなってしまう。アウトサイダ−は現代文明社会からは奇人とされてしまう。それは全体として機能しない、孤立した島か巨大な独自の山岳のような単独者になってしまっている。社会が総合的文化としてあればかつての仏教文化やキリスト教文化とかの一部として全体に機能していたものが機能できないからである。だからアウトサイダ−は文明人からみると突出した巨大な山岳となり意思疎通さえできないものとなる。それは全体総合を目指すが故に文明社会ではそうなってしまったのだ。文明の歪みの故にそう強いられたのである。だからアウトサイダ−は自然との架け橋となり自然のなかで本来の人間を取り戻そうと一人奮闘する結果となったのである。分断化、部分化、アトム化されたなかで総合的全人間として蘇るべく努力を強いられたのである。宗教が宗(むね)なるものというとき全体を目指していたのである。だからアウトサイダ−に今まで失われた美徳が集中して現れるということがある。文化が破壊された代償としてアウトサイダ−に創造の回復、ルネサンスを起こさせているとなる。

御民我生ける験あり天地の栄ゆる時にあへらく思へば  996

天地が栄えてこそ民も栄える。天地に逆らった栄いは本当の栄いではない、だから天変地異が起きてくるのではないか?暖冬もそうであり地球の一部がこれで消失するというのも天地に逆らう栄いがグロ−バル化によってもたらされても世界が不幸になってしまう。文明が神の作りし天地に逆らうもの故、世界に自然でも異変が起きてその栄いは世界の民が喜ぶものとはなりえないのである。



情報環境の変化(テレビのやらせ、捏造の深層)

●文章(活字)から映像(テレビ)への変化の大きさ

最近健康のテレビ番組で納豆でやせるとかであるある大辞典で捏造されたことがわかった。テレビは一方的に視聴者を洗脳する、催眠術をかけるメデアなのだ。メデアにはそれぞれ特徴がある。最初のメデアは情報伝達は語り合う、話すことであった。だから歴史を伝えたのは語り部である。語ること、話すことは文章を読むのとはかなり違っている、面と向かって語ることでしか話すことでしか思想でも伝えられない時代があった。ソクラテスは対話であり対話したものをあとで編集したのである。ソクラテス自身は書くことを文章にすることを拒否していた。他にもシャカやキリストでも古代は語ることしかしていない、そのあとに文章として弟子などが記録したのである。この語りとか対話とかが様々なメデアの時代になり消失したのが現代でありその変化も大きかったのだ。江戸時代から明治への変化は様々な点で大きかった。メデアも新聞や雑誌や本が大量に流通するようになった。でも活字が主流だから映像時代とは違う。活字メデアは文章としてのメデアは変わっていなかった。文章というのは字を読むことと映像で情報を得ることとはかなり違っていた。文章を読むことは想像力が必要である。文章を読むことは相当に頭を使う疲れる作業なのだ。だから認知症になどなると文章が読めなくなるし漢字も書けなくなる。数字もわからなくなる。つまり漢字とか数字は高度な抽象化作業がだから極めて高度な脳の働きが必要でありこの抽象化が文明を作ったのである。現代の情報環境の変化は根本的には活字から文章から映像への変化であった。

ラジオがありテレビがでてきたわけだがラジオとテレビの差も大きかった。ラジオだと映像でないから声だけだから人の見映えは関係なかったのである。だからラジオ放送で人気だった司会者はテレビでは人気がでなくやめていった。テレビはまず映像で出るからその人の姿で判断してしまうのだ。女性だったら美男子がいいとか男性だったら見た目のいい美人司会者がいいとか映像で判断される。安倍首相は人気が低迷しても女性には人気があるのがわかる。小沢首相はどうみても悪役でありそれを隠そうとしても絶えずテレビでその顔が映し出されるから不利なのである。この点小泉首相はテレビに適していた俳優だったから人気をとったのである。テレビは偶像崇拝的になる危険性のあるメデアなのだ。映像ばかりでてくるから映像は偶像になりやいのである。だからテレビだと大衆を操作しやすいのだ。その影響力も茶の間で何百万人が同一時間に見ているから大きいのである。テレビがこれほど力をもったのはやはり現代の特徴だった。政治もテレビに支配されたり商品を売る宣伝でテレビが支配したりテレビの影響は計り知れないものだった。テレビは明らかに洗脳機関であり催眠術的効果がある。コマ−シャルなども商品を催眠術的に脳にすりこむ作業でありその商品の詳しい説明は省かれている。短い時間で脳に商品をすりこませる催眠術なのである。一方的にメデアであり疑問や反論もできないメデアであり頭を使わなくてもいいメデアなのだ。だから今テレビを一番見ているのは老人なのである。老人は頭の働きが衰えているから洗脳されやすい、催眠術にかかりやすい、だまされやすいのだ。


●インタ−ネットメデアの特徴

そしてテレビノ次にでてきたのがインタ−ネットである。このインタ−ネットというメデアはあまりにも多様であり今までのメデアのように語れないのだ。文章が主流としても写真やさらにテレビのような動画も気軽に出せるようになる。これは大きなメデアの変化でありこれにまだ社会は対応できていないのだ。社会自体もインタ−ネットとは何であるかわからない、個々の人にとっても何なのかわからないがインタ−ネットは社会に浸透して大きな力を持ち始めたのだ。インタ−ネットの特徴は様々だからいちがいに言える人はいない、発展途上のメデアだからだ。

一極集中的情報→集団(マス)の情報→個々の人間の情報→多様な場所の情報

インタ−ネット
individual humanized informations −個々の人間から発せられる情報である。これは確かに今までにないことだった。情報を大勢の人に発信できるのは極一部の人だった。出版でもそうでありそこは閉ざされた専門家とか組織があって発信できる世界だった。インタ−ネットになるととるにたらない大衆の個々人が情報を発信できるようになったのだ。個々人が放送局になってしまった。この変化がインタ−ネットでは一番大きかった。マスコミ、集団、組織の情報と個々人の情報発信の相違はマスコミや集団、組織の情報はその集団、組織によって都合のいいことしか伝えないことである。宗教団体でも政治団体でもそこでは自分の都合のいいことしか書いていない、たまたまプログなどで創価でも他の宗教団体でも政治団体でも会社でも内部のことを告発している個人があるとその人は内部に詳しいのだから真実を伝えることになり驚くのだ。そしてこの世は広いから様々な人がいるから個々人から発信する情報は多様であり意外な発言があることに驚いたのがインタ−ネットであった。集団、組織でもその個々人が体験していることは違っている。集団、組織からの発信ではそれが一様化されてしまう。個々の生々しい実体は不利なことは表にでないのである。また圧力をかけて出ないようにしている。マスコミがこれほど社会に影響力をもったのは発信できる能力にあった。社会で何が起きているのかそれさえテレビを通じて知る他ない、そして映像はわかりやすいから虜となるのだ。そして報道されないものは社会に存在すらしないとなる。マスコミの一極集中独占から無数の個々の情報発信がインタ−ネットであった。インタ−ネットの弱点は無数の大衆の発言でありあまりにも情報の多さ故の情報過剰パニックになったことである。インタ−ネットで情報を求めることは有意義なのだが手間がかかりすぎる弱点があったのだ。これは相当な暇人でないとできない和すらわしさがありとても老人にはめんどうなものであったから老人は以前としてテレビを見て催眠術にかかることがつづくのだろう。

●個々の地域から場からの発信

もう一つインタ−ネットで変わったのが個々の情報発信が可能となった結果、それぞれが住んでいる場所からの情報発信を可能にしたことである。それもかなり詳細な地域からの発信を可能にした。郷土史の本などを出しても遠く離れた人は読まない、でもインタ−ネットで発信すれば読む人がいる、参考にする人が常にいるのだ。郷土史でも他の場所とも関係しているからだ。だからここで新しいインタ−ネット郷土史学みたいなのが生まれる可能性がでてきたのだ。そもそも場所と情報は深い関係にあった。情報と場所は切り離せない密接な関係にあった。take place(起こる)は場所に事件が起こるということである。歴史でも歴史的な場所が大事である。だから歴史を理解するには地理の理解が不可欠であり地理がわかれば歴史もわかるのだ。地理は天候とかとも関係して複雑なのである。福島県にしてもハマ(浜通り)、ナカ(中通り)、アイヅ(会津)とあり天候違っている。会津はいつも雪でも浜通りはほとんど雪がふらず冬は晴れた日がつづくのである。こういう天候はどこでもわかりにくいのだ。地域の多様性は地理とか天候にもあるから多様な文化が生まれたのだ。ともかく情報は実に多様であり情報は一方的に受けいれるだけで自ら考えたり調べないならマスコミのテレビのように洗脳されるだけ催眠術にかかるだけのものとなってしまう。インタ−ネットはこうしたマスコミの一方的情報環境を破るものとして有効なのだがその利用方法が手間がかかり苦労が多いということが難点で一般大衆化することがむずかしい面があった。2ちゃんねるは大衆的情報発信として成功して次にプログとなったがこれも数の多さで有効な情報を調べることが大変で価値ある情報が見逃されてしまう弱点があった。また情報価値判断するのがそれぞれの個人になりここに個人に対する負荷が大きすぎるともなった。人間万能じゃないからどうしても誰かの説明とか価値判断に頼ることはしかたないからである。

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働くことはwork(作品化)すること−ニ−ト、フリ−タ−は豊かになったための結果

人間がなぜ働くかという問いの答えはむずかしい、働くというとき端を楽にするというのは家族が働いて苦しいので楽にしてやりたいというのはわかりやすい動機である。遅れた貧乏な国では親に楽させたいということで働き親に仕送りしている。働くことは一般的にはなぜ働くかというより働くことを強いられて働くのが普通である。食うために生活するために家族をもてば家族を養うために働くというのが基本である。端を楽にするというのが本質的に働く動機なのは変わりないのだ。なぜ働くのかと考えるのは豊かになった時代だからである。働かなくてもいいほど豊かになれば働きたくなければ働かないニ−トやその時々に気まぐれに働くフリ−タ−もふえるのも当然である。貧乏な国ではそんな余裕がないからだ。子供のときから働かさせられるのだから。働かないニ−トとかフリ−タ−をこれほど生み出したのは豊かだからにつきる。働かない自由が与えられたからだ。では働かない人たちは特に老人ではない若者が働かないということは何を意味しているのか?ギリシャで学校とはスク−ルはスコ−レ(暇)のことだった。何かを学ぶ、学問することは暇がないとできないのだ。だから暇(スコ−レ)がある状態が人間にとっていいものだとされたのだ。

ではこのスコ−レ(暇)が作り出されたのか?それは農業であれ商業であれ職人であれ奴隷労働があってスコ−レが作り出されていた。当時は奴隷に人権があるとかないとかそういう思想はなかった。奴隷は下働きでその上に高級な市民が生活してスコ−レを享受したのだ。ギリシャではロ−マのような野獣と戦わせる見せ物にスコ−レが使われたのではなく学問とか芸術とかに使われたのである。それでも奴隷がいたからこそスコ−レが生み出されていたのだ。現代のスコ−レはどうして生み出されたのか?それは必ずしも奴隷的労働のためではない、米の生産にしても技術の飛躍的に発展したためである。米がこれほど安く余っているような時代はないし減反政策までしなければならないということ歴史上なかった。これだけ米が余って安いということはこれまでのように米を作る、食うためにだけ働くことはないとなるのだ。現代の豊かさは必然的に働かなくてもいい人を大量に作り出しているのだ。もしギリシャのように奴隷労働のためにスコ−レがあるとすれば今の時代だったらマルクス主義者のように「働かざるもの食うべからず」となり批判されるだろう。現代は働くということが過剰な時代なのである。働くことは自然破壊にもなっているし人間を苦しめることにもなっている。大正生まれは忍耐強いとかいい面を強調したが反面遊びを知らない世代なのである。食えなくなることに脅迫観念がありいくら豊かになってもその強迫観念からぬけだせないのだ。だから消費もせずひたすら貯蓄して将来に飢えるかもしれない将来に貯えているのだ。遊ぶということに価値を見いだせないのである。そのために回りの人も迷惑することがある。金にならないことに全く価値を見いだせないのだ。金になることは何であれ例え悪でも価値あるものとなる。

では働かないでいいのかというとそうではない、人間は働くことによってしか人格形成とか生きがいもないのである。WORK(作品)というのが働くというもう一つの重要な価値観である。働くということは自分のWORK(作品)を作ってゆくことなのだ。これは別に芸術家が芸術品を作るというだけではない、農家でも例えばうまいイチゴやリンゴを作るのもうまい米りも作品なのである。日本ではすでに果物でも米でも芸術品のように改良してブランド品になっているから中国の金持ちが買うようになる。workというとき、それぞれの生きる生涯が
workなのである。それぞれの生涯を一級の作品化−workにするのが人生なのだ。だから働かない人生は存在しないのである。働かない人はまた社会のことや人生のことを肌で感じることがなくなる。現場で働く人の苦労とか喜びとかもわからなくなる。若いときは勝手出ても苦労しろというのはそのためである。自分も30前までは結構働いていたのだ。下働きのようなものばかりで仕事自体には生きがいは見いだせないが苦労することで意味があったのである。その後はスコ−レ(暇)を学問、芸術に費やしたのである。そして今は老親の世話になったがこれは病気になったのだから端を楽にするということの働くになったのだ。これはいやおうなく強いられる運命にある。ニ−トも親に食わせてもらっていても最後は親も病気などで必ず介護状態になるから働かざるをえなくなるのだ。「働かざるもの食うべからず」の時代は終わった。働かなくても食える・・・しかし働かないものはworkしないものは人生を無意味にする、だからボランティアでも働くべきなのである。そしてボランティアもそれなりの能力がないとできないから常に何かしらの能力を開発する必要があるのだ。

ヨ−ロッパとアメリカの違いはどちらも豊かになったのだがヨ−ロッパは人類に貢献するもの技術、学問、科学、芸術・・・様々なもの天才も続出して提供した。アメリカはロ−マ帝国とにている面がある。大衆への暇つぶしとしての残酷な見せ物を提供した。パンとサ−カス的なところがある。アメリカは文化を作り出していない、映画のような大衆娯楽を提供しているがヨ−ロッパのような文化を作り出していないし提供していないのだ。パソコンは確かに文化的なものだったがヨ−ロッパのような文化を作り出していないのだ。アメリカはロ−マのような圧倒的な軍事力があるのだが文化の面では野蛮状態なのである。民主主義でも野蛮な民主主義なのである。アメリカは若い国だから粗野であり野蛮でありヨ−ロッパのように洗練されたものは作り出していないのだ。アメリカこそ絶えず戦争が必要であり軍事力を見せつける軍事はショ−化している国なのだ。だから原子爆弾も落とせたのである。現実に原爆投下をショ−として見せていたことがあったからだ。ロ−マのコロッセオで殺人競技を楽しんでいたと同じである。豊かであることはスコ−レを暇を生み出すがそれが大衆の暇つぶしの見せ物に終わっているのが現代の不毛なのである。アメリカは軍事力と政治力の国であり文化の国ではない、文化の国はやはり歴史の長い国になるから日本でも文化的にはアメリカより優れたものをもっている。アニメなどにも浮世絵の影響がでてくるとかが文化なのである。現代で働くことは食えない、飢えるという脅迫的なものから本来の人間的な価値の追求に移ったのであたその過程としてニ−トやフリ−タ−が大量に生まれたのも必然であったのだ。現代の最大問題は大衆化による文化の不毛化なのである。宗教もカルト団体化して大衆のご利益宗教にすぎないしシュペングラ−の予言のように人類の文化は成長を遂げ成長が止まってしまった。それはあらゆる分野で言える。建築でも音楽でも絵画でも過去のものより優れたものが生まれないという不毛なのである。ただロ−マのように大衆化によるパンとサ−カスが追求されているのだ。サ−カスはニュ−スのワイドショ−でありパンとあくことなきグルメとかになるのもロ−マとにている。大衆的レベルでそうなっているのが違うだけでロ−マの末期の頽廃がおおっているのだ。人間はパンだけで生きるにあらず・・というとき文化の創出がないとき人間は人間でなくなる。現代の不毛、虚無は真の文化がないこと起こらないことにあるのだ。文化というとき一芸術作品ではない、広い意味での文化の喪失なのである。過去の民衆は文化を作ったが大衆は文化を作らず商業主義のなかで娯楽として消費するだけなのだ。



参考

ニ−トから農業を仕事とした人の話
http://www.moritoya.com/index.htm

こういう人も世の中にはいるんだなと読んだ。農業と福祉がニ−トに向いているのか?
この人はそれなりに優秀な人なんだろう。普通のニ−トとも違う、なまけものとも違う
自分にあった職業を探して農業に見いだしたのでありニ−トととは違っているようだけどな・・