8月8日 与那国から飛行機で帰る

与那国から飛行機で帰って来た。船で帰るつもりだったが問題が起きて飛行機で急遽帰った。船で行ったのは良かった。大きな海鳥が舳先を何度も大きな翼を広げ先導するように飛んでいた。飛び魚も飛んだしイルカの群れが過ぎていったりそのなかにいは親子のイルカもいた。船が小さいから見やすかった。与那国島へは船で行くことを進める。ぼんやりであったが台湾も見えた。与那国島は他の島と違って荒々しい、波も荒いから自分のいつも見ている太平洋とにていた。

宿はやはり素泊まりの安宿であった。そこの民宿は老人が一人で住んで経営しているので雑然とした宿だった。それでも気さくに話す人でそれなりに若い人も安いので泊まっている。折しも台風が来て台風の話しになったが福木というのは風除けにあると思ったが意外と風には弱いという、南の木は芯がしっかりしていないのか空洞になっていて良く倒れるとか言っていた。福木は景観を作り影を作りいいものだと思っていたが意外な弱点もあるものだとおもった。

風そよぎ福木に光る夏の月

簾越し風のそよぎて月涼し


宿の窓に簾が垂れ月が光る、これも風情あるもので簾の効用を見えだした。夏的なものはかえってより暑い所にある。今回は暑さのなかで輝くものを見た。月は暑い国の方が輝いていた。

今回なぜ与那国を早く帰って来たかというと自転車で比川という淋しい部落に来たとき木陰で長く休んでいた。そこに珍しいでんでん虫がいた。それを観察してデジカメにとっていた。それでかなり長くいたのだ。そして久部良にでてそこの海で遊んでいたら警察がきて今比川の部落の人から木陰で長く休んでいる人がいて怪しいと連絡がありかけつけたんです。普通はみんな素通りで長く木陰で休む人はいません、だから怪しいと連絡があり来たわけです。

これには自分もびっくりした。島の人がそんなことで警察に連絡するのかと木陰に長く休んだだけで怪しいとなるのかこれには自分も全く納得がいかなかった。警察の若い人は何分狭い島のことですから島の人の言い分は聞かなきゃならんのです。島の人の言うことなら理不尽なことでも通る。島の人の言い分は警察は聞くが観光客の言い分は聞かないのかというと何分観光にまだ慣れていないものでそういうことがあるんです。するとこれは島の人の言い分は通るがよそ者、観光客の言い分は通らないともなる。警察は島の人に従うもので観光客は何も言う権利もないのかとなる。お前が特別怪しいからそうなったのだとかそんなことあまり気にすべきでないというのが地元の人の弁である。そんなことたいしたことではないといのが地元でも石垣に帰って聞いてもそうだった。キャンプは禁止だからテント張っていれば通報されてもしかたがない、理由が納得できなかったのだ。

とにかく比川という所では素通りするものはいいが木陰で長く休むものは怪しいとなり警察に通報される。そんな島の掟が勝手に作られよそ者はその島の掟に従う他ない、警察も島の掟に従うのだから。もちろんお前だけが特別怪しいからそうなったのだというのもあるとしても自分がショックを受けたのは地元の島の人が観光客を監視ししていることであった。祖内とか大きな街ではそいうことはないみたいである。比川という場所は特別淋しい場所だったのだ。これは正に江戸時代だと思った。村人の監視システムがありよそ者は村人に監視されている。これは怖いことである。警察に監視されるのではない島の人が監視しているとしたらおちおち木陰でも休んでいられないのだ。おもい過ぎかもしれんがそういう恐怖を感じたのだ。こんなこと表沙汰にされたくない、イメージが損なわれるとなるから隠したいから地元の人はそのことを言うと何か不快感を示した。私も別に地元の人を全部責めるわけではない、ほとんどの人はそうではないし観光客を快く迎えているのだ。でもほんのごく一部にこうした島の閉鎖性が残されている。これは隠したいことはわかるがやはり極々一部にしてもあるということは否定できない、つまりいいイメージだけではない、島の閉鎖性は厳然としてあるのだ。島には何か偏屈な性格の人が多いというのもそうである。つまりあういう小さな世界に閉じ込められているとそうなる。島の認識で新たにしたことは島は外から訪れ去るにはいいが住むには人間関係でも生活でもかなりの制約を受けた異常な世界ともいえるのだ。監獄にいる状態ともにているのだ。海からの風は絶えず吹いてきても島の人は小さな世界に閉ざされているのだ。これが島の現実なのだ。

そのあと比川では40才の人が溺れて死んだ。親子だと言って宿で噂していたが子供の方ではなく親の方だったのかもしれぬ。そこは子供が泳いでも溺れることのない浅い波もたたないプールのような所だったからおかしいと思っていた。新聞見たら与那国で日射病で二人死んだとありなんか変だ。別に私がこう言ったからといって与那国自体悪いところではないし私のような目にあう人はまれだろう。ただ地元の人が隠したいのわかるが島にそうした閉鎖性が自ずと備わるしそれを否定することはできないのだ。現実は現実として示すのが記者なのである。いいことばかり書くのは真実の記者ではない、地元のことはいいことばかり書けと言うのもおかしい。私としてはやはり木陰でもゆっくり休んでいられないのかと恐怖を感じて帰って来た。

与那国に波の音ひびき月涼し

涼しさや海の夜風に話す人


明日は船で那覇へ行く、偶然台風の影響で一日遅れの船に乗ることができる
そのあとはどうなるのか一路帰るだけである。