那覇から石垣島へ 7月21日ー22日

7月22日 石垣島から西表島へ

宮古島に船は着くかな夏の月

タルマ島船は過ぎ行く夏の朝

石垣島に行く途中朝にタルマ島を見た。石垣島は20年前とかなり変わったようだ。船について昔の家や珊瑚礁があり鉄砲百合が咲いていた。ともかくこれから西表島へ行く、あとは無線通信はできなくなるだろう。

石垣島真夏にぎわう船溜り

7月21日  那覇から石垣島へ

台湾行きの飛龍で石垣島へ、前に乗ったときは宮古島で下船できた。今はできない。それにしても20年前以上だから沖縄は来なかったのは自分ながらなぜかわからない。交通費とかの問題もあるがもっと来てもいいはずだった。自転車で泊港まできたのだがそこから安謝港はわかりにくかった。船は港まで行くのが大変である。自転車の旅は自動車とも徒歩とも違う。小回りが効くから那覇の地理はかなりわかった。普通国際通りしかわからないかもしれないがその裏の方にもいろいろあった。宿というのも実にわかりにくい、場所がわかりにくいのだ。だから知らずに高い宿に泊まる。いろんないい所が旅人はわからないから高い買い物をするのだ。自転車でぐるぐる回っていると意外なものを発見する。今回の石垣島への船はわかりにくかった。観光案内所で新聞にのっていた案内でわかった。琉球海運は出ていなかった。とにかく汽車の旅、自動車の旅、バイクの旅とあるがこれはみんな違う。自転車は一番きつい。今回キャンプ道具とノートパソコンで荷物が重くなりすぎた。オリタタミ自転車では重すぎたのだ。

また旅では情報が不足する。地元の情報が貴重である。新聞が旅のときは有効である。何が起こっているかさーと見てわかるからだ。インターネットは時間がかかりすぎてだめなのだ。新聞に大東島などが水不足が深刻になっているとか、石垣島もそうである。これはやはり旅に来ても知っておくべき情報なのだ。サトウキビの葉がしなり折れてくると日照りになる。それからスグモリの老人が死んだとあった。やはり水にくぐることは危険なことがわかる。これは良く2ちゃんねるなどで話題にしたりするがこういうことに詳しい人の情報がでると面白い、ただ経験のある年配の人はインターネットわしないから情報に厚みがないのだ。それにしても2000円で泊まった所はかなりの長期滞在者がいるみたいだ。それで近くの店屋にホームレスにだすようなお粥を100円でだしていた。梅干しが一つあがっているのと混ぜご飯みたいのもあった。あそこに泊まっている長期滞在者用としか思えない。胃が悪かったので食った。

それから今日食ったのは宮古島のソバでこれは中に肉が入っていた。それが他のとちがうのか島ごとにソバも違うらしい。言葉も違うごとく島々の食が違うのも面白い。島には古いものが残ったのは海で閉ざされてしまったからである。そもそも不思議なのはなぜ沖縄で女性のノロが巫女が力をもったのか、海に生きるということは魚をとることでありこれは男の仕事なのだ。とすると男優位の文化になるはずだが女性優位の文化になっているのだ。邪馬台国のヒメコが女性だったようにである。多分に本土の文化が沖縄にもたらされた。それがそのまま沖縄に残ったのである。本土では女性は采女とかになり呪術的力を失ったのである。

オオゴチョウ那覇の真昼の通りかな

南国の花は原色で鮮やかに彩られている。北の花とは全然違う。南の文化は北とは異質な世界である。自分の顔をみて東北人だとわかる人がいた。東北人は一般的に沈んだ重い感じの人が多く南国のように開放的にならないのだ。
この色鮮やかな花々は心をさらけだす花である。花が火炎木とあるごとくまさに燃えるように咲いているのだ。日本には流氷の来る北と南の文化があることはすごいことである。日本が一つの世界を凝集じたようにもなっているから自然的に恵まれている。南と北を一緒に味わえる国は少ないのだ。


真夏の明るい月夜である
その月の光はまことに明るい
その月の光に照らされた砂浜
一つの神話がそこに生まれる
その月の光にあるのは
寄り添う相愛の男女であろうか
南の木々に風そよぎユウナの咲く
うっとりと月明のなかに咲く
そこにありしものは幸に充たされしもの
我も恍惚としてその月明のなかにある
そこにはこの世ならん美しい影が映し出される
そこには自ずと生きることが神話となる
神は人となり人は神となる
その神秘的な月の光の美しさ
かぐや姫は男たちの欲望から逃れ
月の光に照らされ昇天した
南の月の光は忘れられた部落を
今も皓々と照らしていた
月こそ暦となりしごとく
月こそ太陽より身近にあった
現代人は月の光の魔力を失った
電気の光のみにふれて神の光を遮った
熱帯のなかで月の光は浄化の光
原生の月の光に恍惚として照らされよ
そは月の光に我を忘れて至福者と化す
美しいものに触れてこそ美しくなる
自然の美しさには未だその魔力がある
そは美しいものに癒され美しいものとなる
醜いものにふれて美しいものとはならない
月の光は浄化の光、神秘的な神の光
神のみが作りうる光なるを知れ


月の光が沖縄の山原の一部落の砂浜を照らしだしていた。本当の月の光の輝きは暑い南国にあったのだ。それもいろいろ邪魔の入らない辺鄙な所である。そこには月が未だ主役だった。月の光に照らしだされた部落は神話の世界だった。人間は今自然の美、原生の美を感得する感覚を失った。つまりネオンのきらめきに欲望のギラギラした輝きに汚されて太古の月の光の美しさを見失った。現代人は科学的に優れているという自負があるが感覚的には原始の人より見えるものも見えなくなっている。原始人は自然とじかにふれていたから現代人が感じないもの感じていたのだ。原始時代の文化が遅れているとしているが自然に感応する能力は原始人や古代人の方が優れていた。それが呪術的とか言うが自然にじかに感応して神秘的なものとなったのだ。それが詩人の戯言というとき現代人は原生の美に感応しない不幸な人間となったのだ。都会には月が出ても月の光は消されているのだ。月の光に感応しない自然から遊離した自然から見た時、異様な生物となっているのだ。