7月12日より7月18日までをまとめる

辺戸岬を回り石川市まで



7月12日 恩納まで

海の風夾竹桃つづき朝走る

夏の雲白さの増して海広し

海の碧夏の夕日や亀甲墓

恩納村人みな海へ夕涼み

海暮れて航海の日々や夏の星

鮮やかな蟹の甲羅や我が拾う残波岬の夏の夕暮

旅路来て恩納の浜に夕日入る木陰に休む老人のをり




恩納まで那覇から30キロくらいだった。暑くてこれくらいしか進めないのだ。とにかく喉が渇く、一日千円は飲み物に使う、ここでもコンビニがあるから便利だ。沖縄は辺土岬まで那覇から100キロくらいで近いのだ。自動車だと簡単に一周してしまう。それで意外と宿が少ないのかも。途中泊まらないからだ。沖縄の夏の雲は白さが違い眩しい。ぐんぐん大きくなり広い海を背景に精一杯雲の本文を尽くす、雲が海を背景にして十分に生きる。


朝夾竹桃の並木を自転車は
海の風を受けて走る
ぐんぐんぐんぐん真夏の白い雲
白さまして眩しく広がる
今命の限り雲は輝いている
広い広い海を背景にして
雲は白く白く眩しい限りだ
沖縄の空に真夏の白い雲は輝く
ブーゲンビリアや熱帯の鮮烈な花々
その色強く熱く迫り来て
陽射しも強くふりそそぐ
暑い砂浜に蝶は濃い影を落とし
ラグーンに沸き立つように白波がよせ
海人は船を出しその肌が褐色に焼ける
城の石垣はなお堂々と海を望み
はるかニイラの海に期待する
湾に夕日は入り木陰に老人が休む
夏の満月が浜辺を照らし
相愛の若者も海に契り海に結ばれる
その仲人は海の神なのだ
イザナミ、イザナギは海の神
日本の神話も海の神より成る
恵みは山にあらじ海にあり
我は汝らに海の幸をもたらす
海の匂いに満ちて日本列島も作られぬ


日本の神話が海人族により作られた。ここは俺のシマだとか敷島のとか島に暮らしたものの習慣が色濃く残っている。しかし飛鳥や奈良に都を置いたとき山の国にになってしまったのだ。海が置き去りにされた。大和が形成されたのは回りが青垣山であり山のイメージが強いのだ。三輪山もそうだしみな山に囲まれて大和は作られたのである。これほど海に囲まれた日本がヤマトとなっているのは海の生活から山に生活の根拠が移されたためである。
ともかく恩納の浜の木陰では老人が碁をやっていた。将棋ではなかったのも不思議である。縁台で将棋やる姿など見たことがない、それほどのんびりしてはいられないのだろう。那覇では老人がガジュマルの木陰で自動車の通る道を前にして一人休んでいた。あれも淋しいものだと思った。ここでは老人はまだ居場所があるのか、夕方缶ビールをもって浜辺に人がたむろしていた。
恩納村の老人というそこに生きた歳月の重みを語るものがあるのか老人の生の重みも土地と一体となりあるのだ。老人が漁師だったらやはり海とともに生きた一生はその土地と一体になり記念すべき彫刻のようにその姿は自然と一体となったものとして刻まれる。土地から離れて都会暮らしになると何かその存在はビルの谷間で存在感を失うのである。

月13日 名護から宮城島(塩屋橋)まで

恩納の砂浜でテントだった。沖縄は山の方にテントはれない、山は熱帯の密林になっていて空き地がない、沖縄は平坦な土地が少ない、海岸に集落があるが山には棲めない、一部山の方に入ったら山陰にして家があった。沖縄では山陰が涼しくていい。暑い陽射しをまともに受ける所は住みにくい。道路も坂がないので走りやすい。途中民宿が少ないのも自動車だと一日でも一周できるのだ。もうちょっと行くと宿があったが自転車の場合、もうちょっとが遠いのだ。

朝明けてグンバイヒルガに風そよぎテントをたたみ我発ちにけり

蟻むれぬグンバイヒルガオに暑さかな

ヤドカリの歩みテントをたたみ発つ


グンバイヒルガオに何やら赤い花が咲いていた。赤い星のような花である。ユウナの花とアマランダーの花は違う、ユウナの花は木に咲くものでそれほど多くない、アマランダーはどこでも咲いていた。

朝明けてヤドカリが歩み
砂浜にグンバイヒルガオが開く
後ろに赤い星型の花
今日も強い陽射しが砂浜に
蝶が濃い影を落とし舞い去り
暑い真昼間なにすることなく
木陰に休んでいると
木にでで虫が一つ動かず
この暑さでこうしてじっとする
それが暑さをしのぐことだ


この日は民宿に泊まった。素泊まりで3000円だった。自転車の旅はテントは必ず必要である。200メートル先に宿があっても自動車と違い簡単に行けないのだ。

暑き陽を海に入れたり旅の宿

暑き陽を海に入れたり最上川


この句の応用だった。暑さというと沖縄の暑さは格別である。陽射しが強いから朝と夕方をのぞいて外で仕事するのはきつい。自転車も疲れて走れない、とにかく一日の暑さが終わりほっとしたとなる。まさに暑き陽を海に入れたりは沖縄にふさわしのだ。四方が海だからだ。

7月14日 辺土岬から奥

最初に100円のパインというので寄ったら小さなパイン一個が百円だった。これは安い、このくらい安いと外国並である。そんなにパインが沖縄でとれるのか安かった。辺土岬ではおばちゃんが紅芋を一つくれた。これはうまいし力がついた。山では鶏肉上げたのを一つ食わせてもらった。沖縄では魚より肉や鳥なのは魚が十分にとれないためだろう。海に囲まれていても南の魚はあまりおいしくない。中国の影響もあるが肉と鳥がタンパク質として必要なのだ。魚だけでまにあわせるのはかなり贅沢なのだ。食堂ではない家庭料理にその地方や国の文化がある。外国ではむずかしいが日本では文化を食からも探求できる。

辺土岬までくるとかなり淋しくなった。山鳩が鳴いていた。

辺土岬山鳩鳴いてノアサガオ

ノナサガオは野に咲くからノアサガオなのだ。街にも咲いているがここに咲いているノアサガオは自然のままで清々しい。

山は本土の山とは全然違っていた。石灰岩であり中国の奇岩であった。花も咲いてないし清水も流れていない、ジリジリジリとクマゼミが鳴くのみである。一つだけ変わった声の蝉が鳴いた。あとはウスバカゲロウが二匹くらい飛んだ。

カゲロウの一二度飛んで森に消ゆ

とにかく水がない、からからである。本土では岩さえ苔むし水をふくんでいる。日本にはそもそもいい岩があり石の信仰が起きたのもわかる。石灰岩は石ではない、そこに神秘性は感じられないのだ。もちろん岩にしみ入る蝉の声とはならない。そういう岩ではないのだ。

あの山を整備して入山料500円とるがちょっと魅力にともしい。でも本土では見られないから一度は見て面白いだろう。あそこでいろいろ話したがヤンバルクイナはかなりいるらしい、自動車にひかれることもあるとか、500羽いるとなるとかなりいるのかも、クアワクウワと鳴くという。今奥の部落でまた泊まる所がなく公園にいるとしきりクアワクウワという鳴き声が聞こえるのだ。あれがヤンバルクイナかもしれん、なぜこれが残ったのかというと山には木があっても細く材料にもならずそのままに放置されていた。使用価値のない山であり森だったのだ。無用だったからこそヤンバルクイナは生きることができた。材は有用なものとして一部を切り取る意味である。有用なものはそのように切り取られる。荘子の何の用にもたたない巨木が放置されて残ったのとにているのだ。

しきり鳴くヤンバルクイナや奥の夜夏の満月山を照らしぬ

奥に来て旅人交じり夏の星

蠍座や沖縄の旅の暑さかな

7月15日 山原を抜ける

今日は辛い一日だった。40キロ山原の森があった。ヤンバルクイナがここに生きられることがわかった。これだけの森があれば生きられる。坂が次々とあって苦しかった。森からでれなくなる恐怖に襲われた。海からしきり風は吹いてくるが陽射しが強くて進めない。昼間は日射病になる危険がある。今日も泊まる所がなくテントだ。あと10キロ行けばあるというが自動車とは違う。あと一キロでも遠いのだ。沖縄では公園でもテントはれるらしい。都市部からはずれたところではいいらしい。暑い所だからテントでも気にならない。

奥の森ユウナに月の光かな

ユウナの花は森に自生していたものである。熱帯林の花は森の奥でも明るい感じになる。月の輝きも明るいのだ。

炎天のまた坂越えん鬼ヤンマ

この山はまだ名もなきや山原の奥旅人見上げぬ

山原の森の深しも夕暮れに風を吸い込み陰り暗しも


夜の今この近くでもアメリカ軍のヘリコプターうるさく飛んでいた。アメリカ軍はやはり現地に来てみるとうざい。日本が未だアメリカに占領されていることが実感としてわかる。理屈ではなく感情で他国の軍隊が駐留していること自体嫌なのだ。アメリカはなぜ世界中に軍隊をおくのか、これはどこの国だっていやなのだ。飛行機の騒音は自然環境の破壊でもあった。アメリカ軍は撤退すべきである。経済的に問題でもその方がいい。占領は終わったはずなのだ。

7月16日 高江ー嘉陽

携帯用の空気入れがこわれた。パンクではなかった。空気を入れる所を直したら入った。共同売店の前でテントを張った。沖縄では自転車屋は少ない、直してくれた人は自動車整備の人だった。わざわざ呼んできてくれたのだ。あとでその自動車整備に行って携帯用の空気入れを直してもらい助かった。自転車屋よりここらでは自動車使うから自動車整備が必要なのだ。辺鄙なところだから自動車なしには生活できないのだ。

途中ー魚泊(イノガマ)でまた水分補給だ。店ある度に飲んでいる。とにかく尋常な暑さでではない。日射病になる。氷を一袋150円で売っているからそれで頭を冷やしている。その店はかなり粗末な店だった。あんなんでやっていけるのかと思う。そこでその店のおばちゃんと話した。水は那覇などよりこっちの方がうまい、でも断水することある。それで近くの家を見たら大きなタンクがあった。それは水道の水を貯えておくものだった。水不足なのだ。

魚泊(イノガマ)に旅人一人寄りにけり炎昼に守る一軒の店かな

ここではライダーとか自転車で来ている人をみかけない、やはり暑いからこないのか、この東側は日本でもかなりの辺境地帯になる。観光の方も盛んではない。パインはとれるから安いくらいだ。それより平らな土地がないのだ。山と海の世界である。

波静かユウナのあまた咲きにけりツバメの飛びて旅人の行く

東側は山が多いから坂が多いので進めない、歩くのだが荷物が重くものすごく疲れる。今日は20キロくらいしかすすんでいない。
底仁屋という所に小学校があり立派な琉球松があった。御神松とか本当にそう思わせる松だ。また小さいタンポポがその下に咲いていた。沖縄特有のタンポポだろう。

枝分かれその幹太しも御神松タンポポここに集まり咲きぬ

ここには小学校に桜とにた花が咲いていた。とにかく坂坂でまいった。今日も大浦の手前でキャンプである。砂浜に南国の木々がありいい所である。テントを張らないで台の上でそのまま寝た。それほど暑いのだ。外に寝るのが自然なくらいである。

今日も暑し福木の囲む家古りぬ

福木は緑が濃く名前にふさわしい。途中白い花咲くミルクの出る実がなる木もあった。

砂浜に南の木々やその上にきらめきまばゆし夏の星かな

砂浜にごろり寝るかな夏の星

あと那覇まで70キロあるがあと二日はかかる。それも外で寝ることになる。
今こんな月が海を照らしている。

砂浜に暑さ残りて海に月

毎日ジリジリジリとクマゼミが鳴き炎暑の旅がつづく

クマゼミの今日も鳴きけり旅の道

ヤドカリのろのろ歩み宿借りる

この宿は沖縄では外の砂浜だった。

今日の宿も外の浜だった。

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ユウナ咲く砂浜

朝ユウナ咲く浜に風そよぎ
かなた海を望みてユウナは咲きぬ
大き葉陰にノアサガオ咲き
この浜辺に旅人来たりて休みぬ
この村に福木の木陰や家古りて
炎天の下に一村はひそまれり
夕べまたユウナに風はそよぎ
その浜辺に何することなくあり
月は海より昇り照らせり
明るい月夜になお語らう人あり
風はそよぎ星は眩くきらめく
ユウナは月に照らされ咲けり
その砂浜のなお熱くして
素足で歩むも心地良しも
砂浜は村の前に常にありて
蝶の舞いヤドカリが歩みツバメ飛ぶ
子供が遊び若者が語り老人が休む
砂浜は一つの欠かせぬ生活の場
そこに織りなされる美し海辺の物語
砂浜は村の庭にして憩いの場
夜もユウナに風はそよぎて
月の光に照らされ心地よき眠りにつきぬ


7月17日 辺野古

嘉陽で四時頃まで休んでいた。とにかく異常な暑さだ。昼間動くと日射病になる。朝と夕方5時からしか動けない。この東側は坂が多くてつらかった。つづけて4日外で寝た。それもテントでなく板があったのでその上にごろりと寝た。蚊はいなかったのは不思議だ。風は一日中吹いているのだが陽射しが強いから動けない。じっと木陰にやすんでいる他ないのだ。民宿とか非常に少ない。辺野古は大きい町だった泊まる所がなかった。自動車で日帰りコースだから宿は少ない。辺野古ではスーパーでここでとれたという魚のサシミを買って食った。ちょっと動いては汗だくだくであり飲み物ばかり暇なしとっている。レンブとかいうタマネギとリンゴとナシを混ぜ合わせたような味の果物を初めて食った。あらゆる飲み物を飲んだ。こんなに喉が渇くのはこの暑い所で運動するのがいかに消耗するかわかる。

夏の星今日も仰いで外に寝る

蠍座や今日も浜風に外で寝る

蠍座ウミヘビ座や夏の海


7月18日 石川市に泊まる

30キロくらい進んだのか、あと40キロくらいで那覇に戻れる。この40キロは遠い、暑さで進めない、もう一泊しないと帰れない、今日はホテルに休んだから楽だ。通信もここからできるようになった。写真もとったがあとで出してみよう。とにかくこの暑さにはうんざりだ。でもこの暑さを体験して沖縄がわかる。海の風は絶えず吹いている。それが本土とは違う、島全体に海の風がビュウビュウふいいている。日照りらしい、水不足で断水になるとかこの暑さにはまいった。皮膚は弱いからただれるように黒くなってむけた。腹も絶えず飲んでいるのでおかしくなる。クラーの部屋にじっとしているのが一番楽だ。