福知山からJRに乗り換え鳥取に向かう。鳥取の砂丘は市から10分くらいで近かった。本物の砂漠、ゴビ砂漠をみたのであれに比べると子供の砂場のような感じに見えた。現代は常に外国と比較して見る時代なのである。

 鳥取の砂丘にひびく波の音はや秋の日の暮れて淋しき

 鳥取の砂丘に見つく花一輪秋の日暮れて旅人去りぬ

 虫の音や今日も砂丘の暮れ淋し

日本にないものがいろいろあるが砂漠がないことである。砂漠はなんの効用もないと思うが実際この世に不要なものはない、砂漠に神が現れたように砂漠は人間のもの人工的なものがないということで神聖な場、浄化の場所になったのだ。砂は清めの働きがある。精神的にも砂漠は瞑想の場所にもなった。日本に砂漠がないことは精神的にも欠けたものになる。砂漠は経済的効能がなくても魅力ある場所なのである。

鳥取から米子まできた。普通車で2時間半くらいかかった。暇になりインターネットをちょっとやった。バッテリーがすぐなくなるのでこまる。とにかく汽車の旅は暇になるのだ。観光する時間より汽車の中にいたり汽車の時間を待ち合わせたり喫茶店で時間つぶしたりとそういう時間が多いので暇になる。それでつまらなくなったのである。

airHだとどこでもインターネットはできた。今日は米子で泊まる。ここが3000円というのは安い。でかいホテルが朝食、夕食無料で5000円とでかでかとだしているがあれは嘘である。米子はなんかホテルが多い。この3000円の部屋は狭いが普通のホテルと同じである。天の橋立の民宿は朝食つきで7000円だった。これは高い、6000円くらいだろう。ただ場所が静かで部屋もいい部屋だった。値段は初めに交渉しないとあとで高くとられる場合がある。値段の表示がほとんどないからだ。3000円のホテルがでてきたということは客にとってはありがたい。ホテルに関しては不景気の影響がかなりでている。大きなホテルも5000円でとまれるからだ。会社の人も安く泊まるようにしているからそうなる。長い旅行で困るのは宿泊代なのだ。
明日は松江に行く、ホームページにアップするのはホテルで無線で簡単にやれるがデジカメの写真を入れるのがめんどうである。でも写真がないと臨場感がでないからなんとか出してゆく、インターネットはとにかくリアルタイム、ライブの放送できることが最大の強みなのだ。こうして毎日旅の報告できることは凄いことである。なぜなら旅の場合刻々と変わるからその都度の報告は変化にとんだものとなり生に近い放送の面白さが味わえるのである。


山鳩に朝の野菊や磯清水

確かに橋立の道に清水が湧いていて飲めた。塩臭くないということは
不思議だ。海の中にある道だからだ。天然のものはいいのだ。水道水は安全なのだが天然のものとは違う、しかし現代は天然のものにも農薬などどこでもしみこんでいるので飲むことが危険になっている。

天の橋立から宮津に戻り福知山にでた。途中大江山など山が重なっていた。
大江山は鬼退治で有名だが鬼は別に鬼ではなく時の政権に逆らうものが鬼とされたにすぎない、むしろ土地の人にとっては鬼でもなんでもない、同じ仲間だった。中央と地方の争いが鬼退治を生んだのである。

  大江山影なす麓部落あり京には遠く霧の隠しぬ

虫の音や十村(とむら)に汽車の停まり去る

天の橋立ー大江山ー鳥取の砂丘

九州への旅の報告

10月25日

松江へ

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